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竜の王子の試練は続く


 休憩を終え、執務に戻ろうとする頃、ブラウはふと、父王から伝えてくれるよう頼まれていた案件を思い出した。

 何となく伝えづらくて、ついつい引き伸ばしていたが、この機に言っておいた方がいいだろう。


「フィール。

 実は陛下よりお言葉を預かっている。

 来月、バイガルンで開かれる夏陽の宴に出席して来いとの仰せだ」


「は?」

 フィールにとっては寝耳に水の言葉だった。


「お待ち下さい、兄上。私は先月ラサルから帰ったばかりです。

 なのにまた国外に行かされるんですか!」


「そういう事になるな」


 当たり前のようにそう言われ、フィールは思わず椅子から立ち上がりかけた。 

 

「そんな……!」


 だが反論しようとした言葉は、思いのほか強い眼差しで兄に見据えられた事で、喉の奥に飲み込む事となった。


「フィール、私はお前の気持ちを聞いている訳ではない。

 これは国の決定事項なんだ」


 穏やかだが、有無を言わせぬ口調だった。

 逆らえずに唇を噛むフィールに、ブラウは更に言葉を続けた。

 

「お前が竜化を果たした事はドマーノにとってはこれ以上ない慶事だ。

 諸外国にお披露目をしていく必要があるし、列国もまた、ドマーノの象徴とも言うべきお前が国を訪問する事を強く望んでいる」


 ……大嘘だった。

 

 そりゃあ、竜化できる王子はドマーノの宝のようなものだから、その王子が来るとなればどの国も歓迎するだろうが、ただそれだけの事だ。

 別に行かなくてはならないというものではない。


 こんな方便で弟を騙すなんて何て悪いお兄ちゃんだろう……と、ブラウは心の中でフィールに深く詫びた。


 でもお兄ちゃん、王命には逆らえないし、ついでに言えば諸悪の根源は母上だ。

 王太子であるブラウに、他の選択肢などないのである。


 フィールはすっかり打ちのめされて肩を落としており、そんな弟をブラウは何とも言えない眼差しで眺めやった。


 こういう反応になるのがわかっていたから話したくなかったんだよな……とブラウは心に呟き、助けを求めるように傍らの妻の方に視線をやった。


 エレーヌ妃も驚いていたが、夫の目配せに仕方なく口を開いた。

 口先だけの慰めは却って感情を拗らせるばかりだろうと思い、客観的な事実だけを取り敢えず伝えてやる事にする。


「バイガルンの王家には、今は適齢期の王女はおりません。

 ですからラサルのような心配は要りませんよ」

 

 例の媚薬の一件は、王夫妻と王太子夫妻、それに限られた重臣だけに知らされていた。

 まさかあれ程愚かしい事を一国の王女がしでかすとは誰も思ってもいなかったし、ブラウやエレーヌ妃にしても初めてそれを聞いた時は自分の耳を疑ったものだ。


「あれは本当に災難だったな」


 もしあのはかりごとが成功していたら、今頃はとんでもない事になっていた。

 竜性が増していた弟だからこそ、水に薄まった薬の微妙な味を嗅ぎ分けられたのだろう。


「だが、お前のお陰でラサルの弱みも握れた。

 ドナウド街道の通行税の件でここ数年揉めていたが、こちらに有利に締結できそうだ。

 本当に良くやった」


 フィールはやさぐれた目で兄王子の顔をちらりと見上げた。


「そーですか」


 今は通行税などクソどうでも良かったフィールは気のない返事をし、ブラウは「まあ、そう不貞腐れるな」と苦笑混じりに弟を宥めた。

 

「今回の訪問は、宴に出席して帰るだけだ。

 バイガルンは比較的近い国ではあるし、向こうでの滞在はせいぜい二泊だろう。

 ミティアともすぐに会えるさ」


 とはいえ、そのひと月後には、バイガルンの更に北にあるアクア国に赴く事がすでに決まっていた。

 国を空ける期間がバイガルンより長くなるのは必至で、この件をいつ伝えるべきかとブラウは内心頭を抱え込んだ。


 心づもりもあるだろうし、できればバイガルンに赴く前に言っておきたいが、うまい具合にタイミングが掴めるだろうか。


 未だに項垂れたままでいる末弟の後頭部を、ブラウはため息混じりに見下ろした。


 でもまあ、フィールには酷な話だが、番であるフィールがいない間も、ミティアが王妃らから可愛がられているという事実を列国の大使らに見せつけておく事には意味があった。

 何と言ってもフィールとミティアは年が離れすぎていて、ラサルの王女のようにフィールを狙っていた女たちからすれば、ミティアは明らかに不釣り合いなのだ。


 フィールが誰よりも愛する小さな番を、王家は是が非でも守っていかなければならない。

 それは今の王家にとって最優先事項で、そのためには王妃の庇護下に入るのが一番良かった。

 

 それにまあ、障害があった方が恋は燃えるものかもしれないし……と吐息混じりにブラウは心にそう呟いた。

 


 

 フィールが部屋を出ていった後、「そんな話になっていたのですね」とエレーヌ妃が改めて驚きを口にした。


「フィール殿下が竜化できるようになったのはおめでたい事ですけれども、ラサルからお帰りになったばかりでまた別の国に行かされるなんて……」


 気の毒そうに眉を寄せる妻に、「……そう陛下がお決めになった」と言葉少なにブラウは答えた。


 本当はこうなった経緯について、洗いざらい妻に話して楽になりたいが、これが万が一にも外に漏れるとドマーノ国の屋台骨が揺らぐので、口が裂けても言う訳にはいかない。

 

 ああ、誰かにぶちまけたい……!と切実にブラウはそう思った。




 事の発端は、三日前に遡る。

 父王の執務室に呼び出されてそれを伝えられた時、ブラウは心底嫌そうに父王の顔を仰ぎ見た。


「……何で父上はそんなろくでもない情報を私にくれるんです」


 間髪入れぬ長男の抗議に王は思わず言い返した。


「碌でもない言うな」


 だって実際、碌でもない。

 行く必要もない外遊にフィールを行かせるのは、母である王妃と王弟妃たちがミティアを愛でたいだけだからだなんて、そんなくだらない真実なんて知らされたくなかった。


 だけど、王にも言い分がある。一人でこの秘密を背負っていくのは王だって苦しいのだ。

 外遊を告げればフィールは恨みがましく自分を見るだろうし、六歳のミティアはきっとギャン泣きする。

 そしてそんなミティアを、女性陣が取り囲んで口々に優しく慰めるのだ。

「かわいそうにね。でも王陛下のご命令ならば仕方がないわ」 と。


 一人悪者にされる王は堪ったものではない。


 もっとも王がこうした外遊を決断した理由は、王妃に言われたからというばかりでなく、父親としてフィールに広い世界を見せてやりたいという気持ちもあった。


 番を得た竜は、番から離れる事を嫌がる余り、国の外に出たがらなくなる。アナスがその典型だ。


 フィールは元々、好奇心旺盛で頭も切れる方だ。番との別離は今は辛いかも知れないが、まだ当分本当の夫婦にはなれない訳だし、今のうちに広い世界を見ておいた方がいいと王は思っていた。

 外遊で得た知識が、いずれは王族として役に立つ事もあるだろう。




 それにしても……と王は思う。

 ミティアが王城に来てから、王妃はよく笑うようになった。そもそも娘を持つ事は王妃の夢であったからだ。

 

 フィールがいない間、ミティアは王妃にべったりだった。

「母さま、母さま」と王妃の後を追い、二人はまるで本当の母娘のように仲良く過ごしていた。

 王妃はミティアに似合うドレスを何着も作ってやり、本を読んでやったり、庭園を一緒に散歩したりして、そりゃあもう幸せそうだった。


 その笑い声に引き寄せられるように王弟妃や王子妃たちも集まって来るようになり、小さなミティアの周りはとても賑やかだった。


 王もその輪に混ざりたいなとちょっぴり思ったが、「竜は参加禁止」と王妃に言われたので近づけなかった。

 まあ、ミティアに近付く以前に、あの場にはレイア妃もいる。

 下手に近付くと弟のアナスがブチ切れて反乱を起こしそうだ。


 


「相変わらず父上は母上に頭が上がりませんよね」

 

 一連の経緯を聞いた後、ブラウは頭をがしがしと掻きながら、呆れ半分にそう言った。

 昔から、父王は母上に甘かったが、今はそれに輪をかけている。そもそも父が惚れ抜いて口説き落とし、ようやく手に入れたのが、現王妃であるセーナなのだ。

 

 父はとにかく幼い頃から順風満帆な生活を送ってきた。血筋はぴか一だし、容姿もそこそこ整っていて民からの人気も高く、昔から女性にちやほやされていた。

 

 王太子妃の座を狙う令嬢たちがわんさか周囲に群がっていて、両手に花どころかお花畑状態であった父はちょっぴり傲慢になりかけていて、その父の鼻っ柱を見事に叩き折り、権力があっても手に入れられないものがあると教えてくれたのが、父より一つ年下のセーナ、今の王妃だった。

 

 因みにセーナは、ドマーノでも一、二を争う名門の貴族の令嬢である。

 その傑出した美しさから(この血筋を一番引いたのが末っ子のフィールだ)多くの取り巻きたちを持っていて、一つ年上の王太子に対してもおもねるような真似は一切しなかった。


 そんなセーナに王太子はのめり込んだ。

 勿論、竜穴を塞ぐまでは告白も許されないから、裏から圧力をかけて片っ端からセーナの縁談を邪魔し続け、青春時代をまさにセーナ一筋で過ごしたのだ。


 ようやく成人を迎えた時、王太子はその足でセーナの邸宅を訪れ、ものすごくロマンティックにセーナに求愛した。

 そしたらまさかのお断りだった。


「だって、王家に嫁いだら男の子しか生まれないじゃないですか」

 ショックに魂を飛ばしている王太子を気の毒そうに見つめながら、セーナはあっさりとそう言った。


「子どもは全部男、孫もついでに男。

 私は自分の娘とお揃いのドレスを着て、一緒に刺繍をしたり、恋バナをするのが夢なんです。


 ですから、正式に求婚されたらお断りしようと思っていたんです。

 わたくしの縁談を王家が勝手に潰しているのは気付いていましたけれど、まさか求婚されるより前に断る事はできませんからね」


 ちょっぴり皮肉も言われたが、そこはスルーした。


「でも、でも、セーナは私の事が好きだろう?」


 必死になってそう言えば、「そりゃあ好きですけど」とセーナも認めてくれた。


「貴方はわたくしの初恋ですし、今だって確かに好意を抱いております。

 竜の血を引く王太子でなければ、喜んで貴方の妻になっておりましたわ。


 でも貴方はおモテになるし、権力も財力も地位もある男なんて、絶対に浮気をしますでしょう?

 子も孫も男ばかりで、夫には浮気される悲惨な未来なんて、わたくしにはとても受け入れられません」


 そして覚悟を決めた穏やかな目で王太子を真っ直ぐに見つめたのだ。


「貴方との事は美しい思い出として一生大事にして参ります」



 冗談ではなかった。

 思い出になんかにされたくない王は、そりゃあもう必死だった。

 その日から毎日セーナの許に日参し、花を捧げては愛の言葉を囁いた。周囲の失笑を買っても王はめげず、それこそ雨の日も風の日も執務の間を見つけてはセーナに会いに行き、そうやってようやく最愛の女性を妻に迎え入れたのだ。


 


 あれほどの大恋愛でありながら、父上は何でハニートラップなんかにかかったかなと、ブラウは十七年前の事を思い出して遠い目をした。

 お相手はお色気たっぷりの隣国の未亡人で、王の愛人になりたいという明確な野心も抱いていた。あらゆる手管を使って王を自分に振り向かせようとし、そして王は見事にその網に引っかかった。

 ブラウに言わせれば、非常に間抜けである。


 それを知った王妃の対応は早かった。

 あっという間に証拠を集め、自分の生家を含めた重臣らと密かに協議を重ね、離婚に向けて一気に舵を切ったのだ。


 あの時は本気で母を失うかと思った。

 自分の世界が突如崩れ落ちてきたような感覚で、今もブラウはあの時の絶望を覚えている。

 男が浮気をしたらあんな悲惨な事になるのだと、あの時ブラウは子ども心に思い知らされた。だから、同じ轍は絶対に踏みたくない。


 自分も、ついでに幼かった弟二人も、結構大きなトラウマを植え付けられたが、竜の神経は丈夫にできているのか、三人とも歪む事なく無事に成人した。

 自分の場合は元々の気質が楽天的であり(おそらくは父譲りだろう)、弟二人は筋肉を鍛える事で何故か健やかに育っていた。

 筋肉を鍛えると、余計な事は考えなくて済むようになるのだろうか。


 母は今ではあの当時の事を笑い話にしてくれているが、夫の浮気を心から許した訳ではないとブラウはふんでいた。

 今でもチクチクと父王を責めているし、今度、逆鱗に触れるような事をしたら、今度こそ本当に離婚だろう。


 だから父王は、王妃を守るために是が非でもこの秘密を守らなければならないし、一人で抱え込むのが嫌だから長男のブラウを巻き込んで愚痴ってきたという訳だ。


 あーあ……とブラウは心の中でため息をついた。


 こんな馬鹿馬鹿しい大人の事情なんて、真っ直ぐな気質の弟には到底伝える訳にはいかない。

 ついでに言えば、心ばかりか体まで清い(泣)

  

 フィールが大人の階段を上れるのはいつの日だろうか……とブラウは遠い目で考え込んだ。

 取り敢えず、ミティアの体が大人になるまでは手が出せないだろうから、ずいぶんと先の話だ。


 そう言えば……とブラウは思い出した。

 先日、ミティアが母の飼っているタヌキ(という名前の子犬)と無邪気に遊んでいる姿を、フィールが何とも言えない顔で見つめていた。


 餌をやる前に、タヌキは必ず一回、『待て』をさせられる。

 大好きな餌を前に、はあはあと舌を出し、しっぽを千切れるほどに振って、期待に満ちた目で『お預け』が解かれるのを待っているタヌキ(子犬である)の姿に、思わず自分を重ねたらしい。

 

「切ない……」と呟いていて、さすがにかける言葉を持たなかった。

 

 


 その後、バイガルンから帰った後も、フィールは度々外遊に行かされる事になった。

 その度にミティアは国境沿いまでついて行き、馬車の姿が見えなくなるまで泣きながら見送った。


 民に人気のあるフィール王子に愛らしい六歳の子どもが縋りつき、まるで今生の別れであるかのように別れを惜しむ。

 その姿が健気けなげでお可愛らしいとちまたで評判になり、いつの間にか国境沿いの町には大勢の民が見物にやって来るようになった。


 王子と引き離されたくない番さまは毎回本気で泣きじゃくるし、何と言ってもお二人の絵面えづらがいい。

 臨場感はあるし、下手な芝居を見るよりよっぽど「泣ける」と、この愁嘆場は民の間で瞬く間に人気となった。


 しかも無料ただ

 庶民には嬉しい特典である。


 結構な人も集まるため、それを当てにして屋台や出店を構える商人あきんどまで出て来始めた。

 ドマーノの商人の商売根性は半端ない。



 

 思わぬ形で国境沿いの小さな町に経済効果をもたらせたフィール王子だった。




今回のお話はこれで終わりになります。お付き合い下さいまして、ありがとうございました。

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― 新着の感想 ―
[一言] 男女と子どもに対する考察が面白い〜ってか、まぢ分かる! そうそう、そうだわ 宮崎○の「紅の○」何度も見て、男ってバカでかわいいなぁ〜と感想持ってたら、兄曰くあれはハードボイルド というの思い…
[良い点] おもしろかったです。 短編の時から続きが読みたくて読みたくて… 客観的に見たら最悪な出会いでも「番フィルター」を通したら最高に思えるかもしれない、ということを叔父様夫婦の出会いが期待させて…
[一言] 番の幼女ちゃんが可愛らしくてほっこり♡ ただフィール王子がお預けくらったままで終わりだと可哀想すぎるので、成人した2人の結婚式だったり甘々生活をちらっとだけでもいいので見せてもらえないかな…
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