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竜の王子と兄と兄嫁


 一か月にも及ぶクソ長い外遊を終え、フィールはようやくいとおしい番の許に帰ってきた。


 ミティアの気配を感じたフィールが、勝手に竜化してさっさと国境を超え、泡を食った護衛の騎士らが必死になって後を追うという間の抜けた光景が国境沿いで繰り広げられる事になった訳だが、ともあれ可愛い番を腕にしっかりと抱きしめたフィールはもうご機嫌である。


 首に縋りついてくすんくすんと泣いているミティアを片腕で抱き、王都に着くまでずっと馬車の中で番の感触や匂いを堪能していた。



「ところで、ミティア。

 手紙に書いてあった気になる事って何だ?」


 膝立ちして首にしがみついていたミティアがようやく落ち着き、膝の上に座ってくれたので、フィールは帰国前から気になっていた事を聞いてみる。


 ちょっと気が付く男なら、その前に、「手紙をありがとう」だの「上手に書けていたね」だの優しい言葉をかけてやるものだが、そういう気遣いがフィールには一切抜けている。

 ついでに言えば、こういう所こそが母王妃から『顔はともかく中身が残念なのよね』と言わしめる要因となっているのだが、フィールは勿論その事実を知らない。


 一方のミティアはちょっと緊張した面持ちでフィールの顔を上目遣いに見上げた。


「あのね、フィール。

 フィールって、ミティアのパンツをまた脱がせるの?」


「……性別確認は済んだし、別に必要ないだろ?」


「そうなんだ! 良かった!」


 ミティアはぱっと表情を明るくし、一方のフィールは心外とばかりに番の顔を見下ろした。


 あの時は手っ取り早く性別が知りたかっただけで、子どものパンツを脱がせる趣味はフィールにはない。

 そんな男と思われているなら不本意である。


「ところで何でそんな事を急に思いついたんだ?」と尋ねてみれば、


「母さまがね、竜はみんな変態だって」


「は?」


 フィールは呆気にとられて、ミティアの顔を見下ろした。


「竜が……変態?」


「フィールがいない時、毎日のように叔母さまたちとか姉さまたちとかが遊びに来てくれたの。

 そしたらね、驚きの事実! ってのがわかったんだよ。

 叔父さまたちもフィールの兄さまたちも、竜だから女性のパンツを脱がせるんだって」


 それは竜だからではなく、男だからだろうとフィールは思った。

 そりゃあ夫婦になれば大人の事情というものがいろいろある訳で、けれどフィールは、母が何故そんな際どい話をわざわざ六つのミティアにしたのかがわからなかった。


 わからなかったが、それ以上この話を掘り下げるのは危険だと判断し、フィールはその話に乗っかる事にした。


「……まあ、変態も多いのかもしれないな」


 この際、父と兄と叔父にはしばらく変態になってもらっておこう。

 ついでに自分に都合がいいように、もっともらしく言っておく事にした。


「だから、父上や兄上や叔父上たちには近寄らない方がいい。ついでにチビ竜たちも気を付けた方がいいぞ」


 自分以外の竜がミティアに近付くと思っただけで、フィールは腹が立つ。

 レイア妃にじゃれた甥っ子をアナス叔父が脅し上げたと聞いた時は何と大人気ないと思ったが、もし今の自分がミティアがチビ竜たちとじゃれ合っているのを見たら、同じ事をする自信がある。


 何と言っても奴らはミティアと同年代だ。

 自分より話が合う気がするから、今のうちにきっちり芽は潰しておこうと、不穏な事を考えるフィールだった。

 

「それはそうと、私がいない間にミティアは六つになったんだな。

 誕生日を一緒に過ごしてやれなくて悪かった」

 

 フィールが改めてそう言うと、ミティアはううんと首を振った。


「大丈夫だよ。母さまや叔母さまや姉さまたちがお祝いしてくれたもん。

 それにね……」


 ミティアは顔を上げ、ありったけのいとおしさを込めてフィールを見上げた。


「フィールが帰ってきてくれただけで、ミティアはもう十分なの。

 ミティアね、フィールがいなくて寂しかった。傍にいてくれるだけでミティアは幸せ」


 ハートのど真ん中を撃ち抜かれたフィールは、がばっと幼い番を抱きしめた。

 何なの、この可愛らしさ……! なけなしの忍耐が削られていく……などと胸中で悶えるフィールに気付かぬまま、幼いミティアはフィールの大きな胸の中で幸せそうに目を閉じた。


   



 さて毎日番を腕に抱いて眠り(これがフィールの日常となった。幸せなのか苦行なのかわからない状態である)、番との毎日を満喫しているフィールだが、母がわざわざ竜を変態だと言い切った経緯についてはやはり気になった。

 何で六つになったばかりのミティアにそういう話をする事になったのか知りたいが、どうも母には聞きにくい。


 なので、長兄のブラウに聞きに行く事にした。

 ブラウなら妻のエレーヌ妃から何か聞いているだろうし、非常に頼りになるお兄ちゃんなので落ち着いて話を聞けそうだ。



 因みにフィールは兄四人の事を、上から順に、【竜にしては頭脳派】【脳筋族】【脳筋二号】【やんちゃ上等】とこっそり名付けている。

 スケベ度は甲乙つけがたく、どの兄からも均等に大人の世界なるものを教わった。


 竜は同族を大切にする生き物なので兄弟仲は非常に良く、フィールは十ほど年の離れた長兄のブラウにもよく可愛がってもらっていた。


 ブラウが竜穴りゅうけつを塞ぐまではチビ竜のフィールを連れてよく空を飛んでくれたし、今は、竜性を失った兄に代わって、フィールやアナス叔父がチビたちに飛行を教えてやっている状態だ。


 さてこのブラウ王子、比較的おっとりとしてマイペースだが、責任感も強く、決断力にも優れていて、非常に頼りになる王太子である。

 二十歳の時に、バイガルン国の第二王女エレーヌと結婚し、今はチビ竜三匹の父親だ。

 

 なまじ出来がいいものだから、あちこちからいろいろんな面倒ごとが運び込まれ、国政を担う父王からは困った事がある度に愚痴をこぼされ、無駄に行動力のある母親には散々振り回されて、なかなか大変そうな立ち位置にいる。

 長男なんかに生まれなくて良かったと、つくづく思うフィールである。


 

 その兄の執務室をたずねれば、ちょうどエレーヌ妃も所用で兄の所へやって来ており、そのまま三人でお茶をする事になった。

 

 当事者がいるならちょうどいいと、早速、母が竜を変態と言い切った事の経緯を尋ねれば、「ミティアがわたくしたちに、夫にパンツを脱がされた事はないかと聞いてきたせいですね」とはきはきとエレーヌ妃は答えてくれた。


「六つの誕生日を迎えたばかりの子どもに男女のあれこれを話す訳にもいきません。

 なので王妃さまが、手っ取り早く陛下を含めた竜全員を変態のくくりに入れて、お話をまとめられたのです」


 隣でのんびりとお茶を楽しんでいたブラウは、お茶を噴き出しそうになった。


「ちょっと待て!

 じゃあ、私も六つの子どもに変態だと思われているのか」


 抗議の声を上げるブラウに、

「その通りです。

 貴方はともかくとして、チビ竜までも変態候補に位置付けられて、わたくしとしても不本意ですね」


 エレーヌ妃は軽く肩を竦めてそう答えた。


「……夫が変態と思われるのはいいのか?」


「あら、変態ではないとでも……?」


 思わぬ返しにブラウは目を泳がせた。


「まあ、解釈は人それぞれだからな」


 どうやら何か心当たりがあるらしい。

 フィールは胡乱な目を長兄に向けたが、ブラウはどこ吹く風で再びお茶を楽しみ始めた。

 

 この年になれば、人には言えない秘密の一つや二つあって当然である。

 それが大人というものだ。



 無言を貫く夫に代わり、口を開いたのはエレーヌ妃だった。


「殿下がおっしゃるには、変態と男の浪漫は紙一重なのですって」


「……なるほど」


 変態の度合いにもよるが、一理あると言えなくもない……かもしれない。

 取り敢えず、ブラウ兄上が妻に対して何かやらかしたのだろうという事だけはフィールにわかった。


 エレーヌ妃はそんなフィールをちらりと見て、優雅な仕草でティーカップに口をつけた。ゆっくりと味わうように一口飲み下し、満足そうな吐息をつく。


「嫁いで間がない頃、そう教わりましたの。

 その時は意味がよくわかりませんでしたけれども、こうして言葉に致しますと、何やら名言のように聞こえてくるのが不思議ですわね」



 あれは確か、嫁いで五日目の朝だった……と、エレーヌ妃はどこか遠い目で当時の事を思い起こした。

 何かの気配を感じ、ふっと目を覚ましたエレーヌ妃は、隣で寝ている筈の夫が上体を起こし、真剣な顔で一点を凝視している事に気が付いたのだ。


 その眼差しは獲物を狙う鷹のように鋭く、夫が想定しない何か重大な事態が起きているという事実を否応なくエレーヌ妃に突きつけた。


 王太子夫妻の寝室に何がいるというの……?

 エレーヌ妃はシーツを手繰り寄せ、身を守るように胸元で握り締めた。鍛え抜かれた体躯を持つ精悍な夫の事を、その時ほど頼りに思った事はなかった。


 夫がゆっくりと手を伸ばし、何かをがしっと掴む。両手で掴んだそれを夫がびよーんと引き延ばすのと、エレーヌ妃が「あなた」と声をかけるのが一緒だった。

 夫はそれを引き延ばしたままの格好で固まり、その正体を知ったエレーヌ妃は驚愕した。


 それ、わたくしの……ですよね? 


 余談だが、エレーヌは十の頃、王宮内を歩いていていきなりパンツのゴムが切れるというとんでもないハプニングに見舞われた事があった。(あの時はひどい目に遭った。ドレスの下でガニ股でトイレまで歩き、そこからはノーパンで過ごす事になった)、が、この出来事は、エレーヌ妃にとってそれに勝るとも劣らない衝撃だった。


 二人はしばし言葉もなく見つめ合い、最初に立ち直ったのは夫の方だった。一国の王太子だけあって、メンタル面が半端なく強い。


「ああ、おはよう」


 おはよう? おはようって何? とエレーヌ妃は心の中で悲鳴を上げた。


「な、何をなさっているのです?」


 混乱するままにそう聞けば、

「何ってつまり、目が覚めたらベッドの足元に見覚えのない下着があった。せっかくだから、見ておこうと思って」


 あれはせっかくだから見ておこうというレベルではなかったと、エレーヌ妃は力いっぱい心の中で否定した。

 あれほど真剣な目つきをした夫を見るのは、結婚して初めてだと言っていいだろう。


 口にされないエレーヌ妃の心の声を読み取ったか、夫はどこか残念そうにそれを返してくれ、小さく咳払いした。


「女の君には理解できないかもしれないが、これは男の浪漫なのだ」


「男の、浪漫……?」


「そういうものだと(アナス叔父から)聞いた事がある。この小さな布切れに、興味を覚えない男などいない」


 そして放心したままのエレーヌ妃に尤もらしく言葉を続けた。


「覚えておきなさい。変態と男の浪漫は紙一重なんだ」




 良くも悪くもエレーヌ妃は深窓の姫君だった。

 だから夫の言葉を素直に吸収した。


 その後、エレーヌ妃は男の浪漫とその生態について深く考えるようになり、夫を含めた男性一般について冷静な観察を始め、仮説と検証を繰り返していった。

 そして一つの結論を得る事となった。


 曰く、男とは女性とは全く異なる生き物である。

 女性には思いもつかぬ事を考えつき、かつその馬鹿らしい事を本気で実行しようとするのが男なのである。


 エレーヌ妃が生んだチビだって、わざわざ嵐の日に竜化して空を飛び、風に煽られて砦の石垣にごいんと思いっきり頭をぶつけ、脳震盪を起こしていた。

 あんな強風の日に空を飛ぶなんて馬鹿なの!? とエレーヌ妃は頭を抱えたが、たんこぶを作った当の本人は名誉の負傷と言い切って胸を張っている。

 全くもって意味がわからない。

  

 夫にそれを言うと、「小さい頃に私もやったぞ」と返され、義弟たちも次々に、「私もしました」と申告してくる始末。

 挙句に陛下からは、「私はその時に頭をざっくりと切ったんだ」と訳の分からない自慢までされた。


 どうやら男というものは、訳の分からない闘争本能があり、危険に対する学習能力が本能的に低いらしい。

「嵐の時に敵に攻め入れられたら、竜化して戦わなければならないだろう?」と夫に言われたが、竜も飛ばされるような嵐の日にわざわざ攻め込んでくる国はいないだろうとエレーヌ妃は思った。


 とにかく度し難い生き物ではあるが、可愛らしいと思えなくもないとエレーヌ妃は思った。

 ちょっと馬鹿っぽくて、人の心を汲み取るのが下手で、無神経だけど悪気はなく、客観的に物事を捉える能力や空間認識能力には長けている。


 瞬発力もあって力も強いから頼りがいはあるし、そういう異なる存在であるからこそ男性と女性は惹かれ合うのかもしれない。


 いずれ匿名の論文を書いてドマーノの王立学院に提出してみたいと、密かな野望を温めているエレーヌ妃だった。



 まあ、それはともかくとして、エレーヌ妃にはフィール王子に言っておきたい事があった。


「ところで殿下」と、エレーヌ妃は徐にフィールの方に向き直った。


「先日ミティアが零しておりましたけれど、殿下はミティアにきちんとしたプロポーズをされていないのですってね」


「プロポーズ?」

 フィールは片眉を跳ね上げた。


「必要ないでしょう?

 ミティアは私の番ですし、その事はもう国内外に知らせています。

 大体ミティアだって、私がミティアを心から大事にしている事はよく理解していますよ」


「つまり、当たり前過ぎてわざわざ言葉にするものではないと?」


「その通りです」


 フィールがそう言い切ると、「まあ!」と、エレーヌ妃の瞳がきらりと光った。


「何て『男』らしい!」


「……………」

 

 フィールは何とも言えない目でエレーヌ妃を見た。

 常々思う事だが、エレーヌ妃に「男らしい」と言われて嬉しいと感じた事は一度もない。

 他の女性と違って、言葉に心がこもっていないと言うか、褒められた感じが全くしないのである。


 でもまあ実際、エレーヌ妃にしても褒めたつもりは全くなかった。

 客観的事実を言っただけである。


「アナス王弟殿下は、レイア妃に会った日にその場でプロポーズなさったそうですよ。

 ……貴方がたの出会いはどうやら違ったようですが」


 きちんと求愛をしたと言う点ではフィール殿下よりも数段優れているが、番の前で格好いいところを見せようと求愛の舞をした挙句、防風林に突っ込んだアナス殿下はある意味、男の中の男と言えるだろう。


 お陰で王家は、支度金以外に賠償金なるものをレイア妃の実家に与える結果となり、その事実が記録として残される事となった。

 『求愛の舞による防風林なぎ倒しの補償』がでーんと会計帳簿に計上されていて、たまたま別の調べ物をしていてそれを見つけたエレーヌ妃は心の中で大爆笑したものである。


「叔父上と比べられても……」と眉をへの字にする義弟に、エレーヌ妃は柔らかな吐息を一つついた。


「殿下。女性にとってプロポーズというものは、とても大事なものなのですよ」


 フィールの目を真っ直ぐに見つめ、エレーヌ妃はそう言葉を掛けてやった。

 はっきりと言葉にしてやらないと、この義弟にはおそらく理解できないだろう。


「ミティアの喜ぶ顔を、殿下は見たくありませんか?

 あの子が大事なら、きちんと言葉にしてやってあげて下さいませ」





ここまでお読み下さり、ありがとうございました。ブクマや誤字報告を下さった方、感想や活動報告へのコメントを書いて下さった方、この場を借りてお礼申し上げます。ありがとうございました。後、一話でおしまいです。またどこかで、お会いできますように。

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― 新着の感想 ―
[一言] 『女は三千世界の煩悩を一身に具現化した摩訶不思議な存在である』とか何とか洞察したのは確か釈尊だったと記憶してましたが…こちらの作中世界ではむしろ、竜の方がそんな感じに…(爆笑) そして、そ…
[一言] ひたすら声もなく爆笑し続けました。淡々とツボを突いて来られて息も絶え絶えです。「男らしい」も頂きます!
[良い点] ミティアとエレーヌ妃様にキュンキュンしました。 ミティアの純粋さを改めて実感。フィール王子じゃないけど確かに胸を撃ち抜かれました。 あとエレーヌ妃様の考察といい、義弟にはっきりとしたアドバ…
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