竜の王子、ラサルへ行く
さて話は、フィールがラサル王国に赴いた二月前に遡る。
成人王族としてラサルを訪れたフィールは大層歓待され、狩りやお茶会、舞踏会などに日々招待されて忙しい日々を送っていた。
見目の良いフィールは、ラサルでも馬鹿のように女にモテた。
何と言ってもとにかく顔がいい。秀でた額には明るい金髪が乱れかかり、鼻梁もすっと通っていて、目元も涼やかだ。
すらりと上背があって肩幅も広いから男性としての魅力に溢れ、かつ立ち居振る舞いは洗練されているとなれば、モテない筈がなかった。
フィールがちょっと口角を上げて微笑んだだけで、貴婦人たちがキャーと声にならない悲鳴を上げて恥ずかしそうに扇で顔を隠すのなんて当たり前だったし、フィールだってつい三か月前までは、めくるめく恋の世界が自分を待っているのだと信じて疑わなかった。
が、現実は割とショボかった。
よりによって五つの幼女に恋する変態に成り下がり(いや、フィールだって別に自分が変態だとは思っていないのだが)、今だって朝に夕に切なく脳裏に思い起こすのは、胸から腰まで一直線の幼い番の事ばかりだ。
フィールがラサルに外遊に出掛ける時、その最愛の番、ミティアは、ラサルとの国境までフィールを見送りに来た。
本当は王宮で別れを済ませる予定だったのだが、ミティアがどうしてもそれを嫌がったのだ。
せめて一緒にいられるところまではついて行きたいと涙ながらに胸に縋られて、その愛らしさにフィールは腰砕けとなった。
「何アレ、可愛すぎるだろ? 男の煩悩を煽るのが上手すぎやしないか!」と側近のナツィオに訴えれば、「五歳の子どもにそこまで入れあげている貴方に正直引いています」と冷静なコメントを返された。
「この可愛さがわからないなんて、お前の目は節穴か!」とフィールは内心思ったが、「可愛いですよね!」と同意されれば、「人の番を邪な目で見るな」と殴りつけたくなってしまうので、ナツィオの対応は正解であったのかもしれない。
何と言っても、竜は番に対する執着が半端ない。
結構嫉妬深くて、かつ非常に面倒くさい生き物なのである。
そうやって迎えた外遊当日、番から無理やり引き離されようとするミティアの嘆きようはそりゃあもうすごかった。
幼いミティアには番を慕う本能がすべてであり、幼子が母を恋う以上に、番であるフィールはなくてはならない絶対的な存在である。
そのフィールと引き剥がされる訳だから、ミティアは目を真っ赤に腫らしてしゃくりあげ、フィールの名を呼びながらひしっと体にしがみついた。
その様子に心を打たれたのは、警護のためにミティアに従ってきた近衛兵や国境の警備兵、そしてその周辺に住まう民たちである。
この世の終わりとばかりに別れを惜しむ幼い子の姿に、日頃感傷とは無縁の兵士らも思わず目を潤ませ、見ていた民たちはこぞってもらい泣きをし、拳やハンカチで盛んに目元を拭っていた。
そうして兵士や民らが啜り泣く中を、フィール王子を乗せた馬車は厳かに出発する。
……何だか縁起でもない見送りだった。
まあ、そんな別れ方をしたものだから、フィールは王族としての親睦や地方の視察などに全く力が入らなかった。
元が優秀であるのでそつなくこなしてはいるが、日めくりを見てはため息を零し、帰る日を指折り数える日々である。
「兄上たちは、最初の他国訪問はせいぜい数日、多くて十日そこらだったと聞いているぞ。
どうして私だけひと月もいなきゃいけないんだ」
ぶつぶつと文句を垂れ流すフィールを、ナツィオはいく分面倒くさそうに見上げた。
ここの所、同じような文句ばかりを聞かされているので聞くのも飽きたし、返事をするのもいい加減うんざりという気分である。
「仕方ないでしょう?ようやく国を出られるんだからひと月くらいはラサルを楽しんでもいいなと、お気楽に了承しちゃったのは貴方なんですから」
因みに了承したのは、成人の儀の半年も前の話である。
ドマーノの王族は成人するまで国を出てはいけないというしきたりがあったため、成人して最初の訪問国をどこにするか王が思案していた時、隣国のラサルから是非フィール王子を招待したいとタイムリーで申し出があったのだ。
ちょうどラサルとドマーノの戦が集結して百年目に当たる年であり、両国の友好の証にと言われれば王に断る理由もなく、結局、求められるままにひと月近い滞在が決まってしまった。
「あの時は、まさか番が見つかるは思ってもいなかったからな」
とにかく国の外の世界が見てみたかったフィールは、ノリノリでその話に乗っかった。
今はあんな返事をしちゃった事を猛烈に後悔している。
「こんな事なら、最短の旅程を組むべきだった。
友好の式典に顔を出すだけなら、二泊すれば十分だろ?
長々とこんな所で過ごさなくったって……」
いっそ日帰りでも良いよな……と訳の分からない事を続ける王子にナツィオは深いため息をついた。
そりゃあ竜の姿でひとっ飛びすれば日帰りも可能だが、滞在するのも面倒くさいみたいな訪問をされて有難がる国はないだろう。
王とか王太子なら長く国を空けられないという言い訳が立つが、はっきり言って第五王子なんて、国にいようがいまいがどうでもいいような存在だ(ナツィオもたいがい失礼だった)。
「王族の外交をなめているんですか?
それに、こんな所とか言うのは止めて下さい。どこに人の耳があるかわからないんですから」
滞在用の離宮の一角は人払いがしてあって、ドマーノから連れてきた従者や護衛しか私的空間に入れていない。
ただ、必要に応じてラサルの女官も時に出入りする。
「まあ少し言い過ぎたが、私は早く国に帰りたいんだ」
「気持ちはわかりますけどね。ラサル王家はもう半年も前から貴方の歓迎の準備をしているんです。
今更変更はきかないんですから、諦めて王族の外交に専念して下さい。
貴方、そういうの得意でしょ?」
「苦ではないが、やる気が出ない。
あと半月もミティアに会えないなんて、人生の喜びが消えた気分だ」
傍目にはこれ以上ないほど人生を謳歌しているようなフィールのその発言に、ナツィオは思わず眉をしかめた。
「……貴方どこに行ってもウハウハ言うくらい女性にモテてるじゃないですか?
貴方の好きな巨乳もいっぱいいるし、昨日だってふくよかな胸を思いっきり腕に押しつけられてましたよね。
一体、何が不満なんです!」
フィールは嫌そうに鼻の上に皺を寄せた。
「今はミティア一筋だからな。
他の女にモテても嬉しくも何ともない」
大体、番ができたと公表しているのに、やたら胸の谷間を強調した女性にボディタッチされたり、たわわな胸を押し当てられたりして、正直フィールは辟易している。
まあ昔だったら、うほぉ! ここは天国か! と大喜びしてた気はするけれど。
何がいやかと言って、誘惑されてもそれに全く反応しない自分を思い知らされるのが一番嫌だ。
最初の時は本当に焦った。「この年でもう枯れたか!?」と一瞬気が遠くなりそうになった。
でもミティアの事を考えると体はちゃんと反応した。
男として取り敢えず安堵したが、それはそれで微妙な気分だった。
無垢な子どもに欲情するなんて、変態道まっしぐらである。
「……なあ、ナツィオ。この先私はどうなると思う?」
「どうなる……とは?」
「二十七、八までチェリーボーイだと周囲に思われるのがいいか、幼女に手を出す変態と思われるのが良いか……」
「……究極の選択ですね」
「…………どっちがましなんだろう」
二人はそのまましばらく無言になった。
しばらく考えたが、正しい答えは得られなかった。
ややあって、フィールはこほんと咳払いした。
ナツィオに話しておきたい事を思い出したからである。
「さっきの話に戻るが、胸を押しつけてきた女の中にマルセラ王女がいたんだ」
「え」
思いがけない名前に、ナツィオはさすがに眉間に皺を寄せた。
「ラサル王がかわいがっている側妃腹の末姫ですね。
それってちょっとマズくないですか」
「マズいだろうな。
未婚の王女の醜聞を喜ぶ父王はいないだろうし」
「……そう言えばこっちで変な噂を聞きました。
王が可愛がっているマルセラ王女に未だに婚約者がいないのは、王女に意中の男性がいるからだって。
取りまとめられる縁ならラサル王が繋いでいる筈ですし、それをせずに静観しているという事は、何か訳があるんだろうと専らの噂でした。
成人前のドマーノの王族は女性と縁を繋ぐ事が禁じられてますし、もしかして王女の意中の相手って貴方じゃなかったんですか?」
「馬鹿言え、碌に話もした事もない相手だぞ」
「その言い方だと、以前に会った事があるように聞こえますけど」
「二年前、うちの秋月の宴に来ていたんだ。
お前はちょうどエクワードに行っていたかな」
「……二年前と言うと、王女は十五ですね。どんなお話を?」
「当たり障りなく相手をしたという事しか覚えていない」
「なるほど」
フィール王子の方は全く印象に残らなかったようだが、王女の方は一目ぼれだったのかもしれない。
もしそうであれば、ラサルの王が適当な理由をひねり出して、成人の儀を済ませたフィール王子をひと月宮殿に滞在させようとしてもおかしくなかった。
だが、婚約者がいない筈のフィール王子は、成人の儀を前に自分だけの番を見つけてしまった。
ラサル側にすれば大きな誤算であっただろう。
「胸を押しつけてくるって事は、未だに貴方に未練があるんですかね」
ナツィオはうんざりとため息をついた。
この事をラサルの王は知っているのだろうか。王子にはもう番が見つかっているというのに、つくづく迷惑な話である。
「変な火遊びに巻き込まれたら面倒ですね。
取り敢えずできるだけ距離を置くようにして下さい」