ファジョーリ王子、番に忠誠を誓われる
竜の姿を認めたラクアード砦は、やんやの大喝采だった。
砦周囲の小競り合いはオルティスの騎射で軽く蹴散らし、ファジョーリは真っ直ぐにラクアードの砦上部へと向かう。
砦の上に降り立てば、国境警備隊長であるディルゴ将軍が隊の幹部を引き連れて出迎え、堂々たる竜の前に一斉に膝を折った。
兵士らが膝をついて頭を下げる中、竜の王族の背中からオルティスがもそもそと降りてくるを見て、将軍らは目を剥いた。
「オ、オルティス……?」
誰かが騎乗している事はわかったが、王子殿下に跨るくらいだからおそらくは王族の方だろうと皆、疑いもせずそう思い込んでいたからだ。
将軍が口を開くより先に、ファジョーリは素早く竜化を解きいて王子姿に戻った。身に着けていた鞍や縄が音をたてて落下したが、それは気にしない。
一歩前に進み出るファジョーリの後ろで、オルティスがそそくさとそれらを回収した。今後も乗る気満々なので、丁寧に埃を払っている。
ファジョーリはオルティスの事は放置して、まずは自軍の兵を労った。
「トルターヤの裏切りに遭いながら、砦を明け渡す事なく、よく守り抜いてくれた。礼を言う」
「もったいなきお言葉にございます」
将軍は涙ぐんでその言葉をいただき、周囲に控える兵士らもまた、同じように目を潤ませた。
遠い辺境の砦を王家は見捨てず、そればかりか直系の王族自らがこの地に足を運んでくれたのだ。
自軍の七倍以上の敵に取り囲まれ、もう駄目かと討ち死にを覚悟していただけに喜びはひとしおであり、更にはねぎらいの言葉まで与えられた。これ以上の身の誉れはなかった。
「裏切り者のミルンベルトだが、先ほど城砦の上に出てきたところをオルティスが射殺した。今、周囲を囲んでいるトルターヤの軍にも、いずれその情報が知らされるだろう。
この戦は勝てる。今しばらく辛抱してくれ」
ファジョーリの言葉に兵士らは沸き立ち、拳を振り上げて雄叫びを上げた。敵将を打ち取れば、相手軍の士気は駄々下がりだ。今までは防戦一方だったが、これからは目にもの見せてやれるだろう。
そんな中、ようやく感動から覚めたらしいディルゴ将軍が、恐る恐るといった口調でファジョーリ王子に問いかけた。
「それにしても、何故このオルティスを? 確かに騎射の腕は砦一ですが、王子殿下に騎乗できるような身では到底ございません。余りに畏れ多く、何と申し上げて良いものか……」
これが普通の反応だよなとファジョーリは思い、ごく当たり前の事を口にしてくれたこの老将軍に強い好感を覚えた。
平気で自分を馬代わりにしてきたオルティスとは大違いである。
だが、それを聞いたオルティスは、「あっ、その事なんですが」と嬉しそうに口を挟んできた。
まだ二十代半ばながら、その才を認められて精鋭部隊の副官に抜擢されていたオルティスである。将軍にも目をかけられており、この事を早く上官に報告したくて堪らなかったようだ。
「将軍、朗報です! この度、私と殿下は晴れて番になりました!」
「は???」
将軍は鳩が豆鉄砲を食らったような顔をした。
周囲を取り巻く将兵らも呆気にとられ、間抜け面でオルティスを凝視する。
「つ、番? 番とな?」
ディルゴ将軍は、御年六十五歳の老将である。番とは夫婦だと普通に思い込んでおり、裸の付き合いがあるオルティスにつくべきものがついている事も勿論知っていた。
オルティスと王子殿下は夫婦で、オルティスの性別は男である。となれば、導き出される答えは一つだった。
「ま、まさか、王子殿下は……女性?」
この瞬間、ファジョーリの将軍に対する評価は地まで落ちた。
「竜の王族に女性はいない」
ファジョーリは冷ややかな口調で言い捨て、それでなくともパニクっていた老将軍は更に慌てた。
男と男、イコール、番?
もう、何が何だかわからなかったが、何か言わなければならない事はわかっていた。老将軍は頭のてっぺんから足の先まで大汗をかきながら、取り敢えず笑い飛ばしてみた。
「はっはっは。いやあ、まさに国始まって以来の慶事ですな!」
慶事……?
周りを取り巻く将兵らは疑問符を頭の中に書いたが、皆、何も言わなかった。これ以上この事に深入りしない方がいいと賢明に判断し、そしてこの件はそのままうやむやにされた。
その晩、オルティスは改めてファジョーリの許に伺候していた。
因みに二人の部屋は別である。気を遣った将軍から、同室がよろしいでしょうかとお伺いを立てられたが、ファジョーリが速攻で却下した。男と同室にされても嬉しくも何ともないからだ。
そのオルティスは椅子に座すファジョーリの前に片膝をつき、長剣を床に置いて最上級の礼をとった。
「殿下に忠節を捧げます。どうぞ生涯、御身の傍に侍る事をお許し下さい」
「……許す」
そう答えた後、ファジョーリは小さくため息をついた。
「お前をどんなふうに扱ったらいいのだろうな。番に男が選ばれるなど、前代未聞だ。流石にどうしていいかわからない」
十六歳の王子の戸惑いが透けて見え、オルティスは心底申し訳なく思った。
「私は殿下の番ですが、恋人だと思われる必要はありません。おそらく時代が、剣を扱う私を必要としたのでしょう」
そして穏やかに微笑んだ。
「ご安心下さい。そういう関係でなくとも、私の剣は殿下一人に捧げます。私の忠節と敬慕の全ては御身のものであり、今後一生、女性は抱かないとこの場でお誓い申し上げます。……っぃでに男も」
「ん?」
最後に小声でごにょごにょっと付け加えられた言葉に、ファジョーリは首を傾げた。何故わざわざ、男もと付け加えられたのかがわからない。
「ええと、今のはどういう意味だ?」
ファジョーリは眉間に皺を寄せた。
「つまり……、ですね」
非常に言いにくそうにオルティスは口を開いた。
「砦は絶対的な女性不足なんです。ですが、男という生き物は定期的に発散しないといろいろ不都合がありますので、つまり、その……男同士の関係というものが……」
「うほ?」
ファジョーリにとっては青天の霹靂だった。
男同士って何をどうするの??? と、ファジョーリは混乱する頭でオルティスの顔を見た。
「つ、つまりお前は女ともお、お、お、男ともあるという事だな」
余裕ぶって確認したが、心は台風並みに荒れている。
「ぶっちゃけ言えば、そうです」
すっぱり肯定されて、いやぁ、不潔! と心の中でファジョーリは叫んだ。清らかな体のファジョーリには到底受け入れがたい真実である。
「ご安心下さい。主導権をとられた事はありません!」
続けて言われた言葉に、ファジョーリは口元をひくつかせた。その申告はそもそも必要なのだろうか。その上、安心する要素がわからない。
「べ、別に私に操を立てなくてもいいぞ。お前がそうしたいなら女を抱いても……」
そう言いかけて、ファジョーリはものすごく嫌な気分になった。
竜は番に対して非常に執着が激しい生き物である。自分以外の者とオルティスが交接すると考えただけで、ファジョーリは世を儚んで死にたくなった。
みるみると意気消沈していくファジョーリを見て、オルティスは口にされぬ思いをきちんと受け取った。
「私の貞節についてはお疑いにならないで下さい。この身は生涯、御身のものです。
なに、神殿に入った者達は、一生誰とも交わらずに過ごすと聞いています。神に囚われた者が純潔を神に捧げるように、私も殿下にすべてを捧げましょう。
殿下。この身を殿下に捧げる事は私にとって望外の喜びです。これほどに魂を囚われた方は今までおりませんでしたから」
そしてオルティスは深々と頭を下げた。
「私が番で申し訳ありませんでした」
そんなオルティスを真っ直ぐに見下ろして、違う……とファジョーリは力なく心に呟いた。
番を見つけるのは竜の本能で、オルティスはそれに巻き込まれただけだ。
ラサル王はドマーノの王族の皆殺しを叫んでいて、だからこそ、生き延びようとした竜の本能がこの男を選んだのだろう。
番を見つけた瞬間、その竜は凄まじい魅惑の魔力をその人間に放つ。だからオルティスは自分に囚われた。
謝罪すべきは自分だと知っていたが、ファジョーリはそれを口にしなかった。謝ったところで、元の生活にこの男に戻してやれる訳でもない。すでに竜の本能はこの男を選び、それを解いてやる事はファジョーリには不可能だった。
だから淡々と事実だけを告げた。
「……私にはお前が必要だ。番であるお前を喪えば、私はおそらく生きてはいけないだろう」
驚いて自分を見つめてくるオルティスに、ファジョーリは苦く笑った。
「私の執着をお前は知らない。竜にとって番は唯一だ。お前の人生を歪めてでも、私はお前を欲するだろう。
お前を手放してやる事はできないが、万が一、私が死んだ時には、お前を自由にしてやろう」
「殿下……?」
「だから、私が生きている時だけ私に仕えるように。生涯の貞節など、私に誓うな。……これは命令だ」
本日よりゼロサムオンラインで「仮初め寵妃のプライド」のコミカライズがスタートしました。
環さまが描かれていてとても素敵な作品となっていますので、こちらもよろしくお願いいたします。