もしかして……転生?
「えっと……大丈夫?」
俺の傍らには大型犬程の大きさの獣がぐったりと横たわっていた。額には角を生やし、舌をだらりと垂らしている。……ついさっきまで俺にとって死そのものだった存在が、今は酷くちっぽけに映った。
大丈夫かと聞かれれば、どうやら俺は生きているようだし大丈夫……なのだろうが、色々な事が起こりすぎて言葉がまとまらない。
そうして固まっている俺を見かねたのか、女の子は差し出した手で俺の手首を掴み、引っ張り起こされる。その華奢な身体からは想像できない力強さだった。
引っ張り起こすなり、女の子は笑顔を引っ込める。そうして真面目な顔つきになると、うーんと唸りながら俺の周りをゆっくりと一周した。そして俺の目の前に戻って来る。
「うん、大きな怪我はしてないみたいね」
ニコッと笑みを再度浮かべ、少女は言う。
青……と言うよりは水色に近い髪。風に吹かれてサラサラと揺れるそれは、染めているにしてはやたらと綺麗で、違和感なく少女を飾っていた。
怪我をしていない。そう言われて俺は軽く自分の身体を確認する。
目につく傷と言えば、ところどころ少し擦りむいた程度。それ以外に傷は見当たらない。頰にべったりと付着した血は、最初自分のかと思ったが、辺りの状況から察するにあの犬もどきのモノなのだろう。そしておそらく………そいつを倒したのが、
目の前の女の子。
もし目の前にいるのが筋肉ムキムキの目に古傷があるおっさんとかだったら、すんなり受け入れられたかもしれない。
しかし実際に今目の前にいるのは、寧ろこっちが守ってあげないといけないと思わせるような華奢な女の子。
明るい笑顔も今はただただ不気味に見える。無意識のうちに少女に対して身構えていた。
「あー警戒しなくて良いよ。別に何もしないから」
「………なんで俺を助けたんだ?」
助けたのには理由があるはずだ。俺がこんなところにいるのもこの子の所為なのか?何が目的だ?何のために俺を助けーーーー
「目の前で死にそうな人を助けるのに理由っているの?」
「………え?」
「………殺したいほど憎んでるわけでもないのに、自分には助けられるだけの力があるのに、君はその人を見殺しにするの?生憎だけど、私はそんなに冷たい人間じゃないから」
「…………ふっ。あはははっ」
さっきの笑顔から一転むすっとした後、そんな酷い人に見えるのかなぁ……、と呟きながら若干不安げな顔をする様子は普通の女の子にしか見えなかった。
「……何よ?何か私、おかしいこと言った?」
「いや、おかしいのは俺だったみたいだ。そういえば、まだ礼を言ってなかったな。助けてくれてありがとう」
「最初っからそう言えば良かったのに……どういたしまして」
そう言いつつ少し胸を張る様子に、再び笑みがこぼれる。
「じゃあ次はこっちから質問いい?」
「ん、何だ?」
少し空気が和んだ女の子から質問が来た。
「こんな危ないとこで何してるの?」
まあ当然といえば当然の質問だな。そんな事こっちが聞きたいが、目の前の女の子にそんな事を言っても仕方ないので、適当にはぐらかそう。えっとありそうな理由、ありそうな理由……
「妹が病気でね。薬草を取りに来たんだよ」
フッ、見よこの完璧な解答。ファンタジーあるあるワード「薬草」を自然に取り入れつつ、さもありそうな設定。これなら怪しまれる事はーーー
「この森には薬草なんて殆ど無いと思うけど」
あっるぇぇ?速攻論破されちゃったんだけど……え、どうしよ。
「…………巷では知られていない幻の薬草が有るんだよ。妹は相当重い病気だからそれぐらいの代物じゃないと治らないんだ」
嘘を隠すために嘘を重ねる。こうやっていつしか取り返しのつかないことになるんだよねーあっはっはっは。
「ふぅぅぅん」
めっちゃ見てる。すごい訝しげな目でこっち見てる。俺はその疑いの視線に耐えきれず、視線を横に逸らす。がしかし、女の子は横に少し移動して再び視線を合わせに来る。始まる視線の追いかけっこ。あ、ちょっと、もう首曲がんないからやめて下さる?
「はぁぁぁ………まあいいわ。信じてあげる」
長ーい溜息と共にそう言う少女。この子絶対信じてないよね?
「じゃあそれは?」
「それとは?」
「その格好よ。こんな危険な場所にどうしてそんな格好で来てるの?」
そんな格好?
少女に言われて自分の服装を確認する。所々土で汚れているが、真新しい制服姿。当然だ、今日は入学式なのだから。これでガチガチのサバイバル装備とかだったらそっちのがどうかしてる。だから俺は悪くない。悪くないったらないのだ。
続いて少女の格好も見てみる。
何かの動物の皮だろうか?それで全身を覆っている。いわゆる皮鎧ってやつだろう。成る程、制服なんかよりもよっぽど防御力がありそうだ。少女がそんな格好と言ったのにも頷ける。
こんな薄っぺらい格好でこんな場所にいるのは文字通り自殺行為って訳だ。実際死にかけたしな。
最後に武器。少女の肩から上に伸びる柄の部分が見える。恐らく剣を背中に背負っているのだろう。
それに比べて俺はというと……どこからどう見ても丸腰状態。
……あーうん、俺でも思うわ。何こいつ死にたいの?縛りプレイにも程があるだろ。
「俺の腕ならこんな装備でも大丈夫かなってーーー」
「角犬にも勝てないのに?言っておくけど、この森で一番弱い魔物よ?角犬って」
え、あいつ一番弱いの?この森そんなにヤバイところなの?
それに……魔物って今言ったな。薄々感じてはいたんだ。さっきの……角犬って言ったっけ。あんな生き物、今まで見たことも無いし、聞いことも無い。あんなのがうじゃうじゃいる森なんてのが日本にあったら間違いなく大ニュースだ。ということはつまりここはーー
日本では無い。
そう考えるべきだろう。
運が良いのか悪いのか、俺は結構マンガやライトノベルを嗜む方だ。その数多くあるジャンルの中で、残念なことに今の状況にピッタリと当てはまるモノが一つある。
「異世界転生」
馬鹿馬鹿しい………とは思う。だけど今の状況を他に説明できないのだ。はぁ、どこか未開拓な地球の辺境の地とかだったら良いんだけど。……いや良くはないな。それだとしても今のところ帰る方法ないし。
「本当にどうやってここまで来たの?」
もう言い訳も思いつかなかった俺は、素直に話すことにした。日本の話はボヤかしてだが。
☆☆☆☆☆☆☆☆
「気が付いたらここにいて、どうやってここまで来たか分からない………か」
「うん、実はそうなんだ」
幸いにも少女は、馬鹿馬鹿しいと聞き流すことなく真剣に聴いてくれた。俺の格好やらが十分過ぎるほど異常だからだろうか。
「記憶喪失?」
「いや、気がついたらここにいただけで、ここに来るまでの記憶ははっきりしてる」
「うーん……誰かに連れてこられたとか?」
「なんでここにいるかについてはサッパリだ」
「まあ何にせよ、君は来たくてここまで来たわけじゃないのよね?」
「うん、そうだ」
「じゃあずっとここで話し続けるのも危険だし、一度森を出ましょうか。街道まで出られれば魔物も寄り付かないし」
「よろしくお願いしますっ!!」
同い年くらいの少女に土下座したのは人生初かもしれない。ちょっと……いやかなり引かれたことだけ追記しておく。
☆☆☆☆☆☆☆☆
「ふーっ、もうすぐよ。やっとね」
本当にそう思う。同意したかったけど、口から出てくるのはゼーとハーという荒い息のみ。角犬以外にも色んな魔物がいた。普通に殴るだけで木をへし折る猿とか俺の鞄持っていった2メートルぐらいある鳥とか。
後、あのでかいダンゴムシ……あいつだけは許さん。あいつが丸くなって転がっている間、女の子の剣が通らないからって避けるしかなかった。めちゃくちゃ疲れた。今の様になっているのはほぼアイツのせい。
それにしても……この子本当に凄い。襲いかかって来る敵を全部1撃もしくは2撃程で倒していた。唯一時間かかったのはダンゴムシだけ。それも苦戦したとかではなく、丸くなるのをやめた瞬間速攻倒していた。
心の底から思う。この子に会えて本当に良かった。
「あ、出口よ」
「本当か!?」
俺は荒い息を無理やり抑え込み、一息に出口から出た。さっきまでの不快なモノではない、心地よい風が頰を撫でた。
目の前一杯に広がる草原。その真ん中に一本緩やかなカーブを描きながら街道が引かれている。街道に沿ってずっと先に目をやると、巨大な壁が聳え立っていた。
「あれは……」
「王都ルザマリナ」
いつのまにか横に並んでいた女の子が、俺の疑問に答えをくれた。
「このオーレン大陸で最も大きな王国、フィーリア王国の王都よ」
ルザマリナ、オーレン、フィーリア………
どれも聞いたことのない名前。
「うっ………おぇぇ」
膝を折り、地面に手をつかずにいられなかった。波が押し寄せるように吐き気がこみ上げてきた。
覚悟はしていた……いや、したつもりでしかなかったのだろう。ここが異世界であるという事実は想像よりも遥かに深く重く、心にのしかかってきた。
爺ちゃんにも、婆ちゃんにももう会えない。文字通り自分はこの世界に独り……孤独なのだと。
俺の声なき悲鳴に関係なく、目の前の現実は全く容赦せずありのままの事実を叩きつけてくる。
寒い、寒い、寒い、寒い。
これから俺はどうすれば良いのだろう。あぁ……これならあそこで死んだ方がマシだったのかもしれなーーー
「大丈夫よ」
暖かい。身体が何かに包まれた。ポンポンっと頭の上に手を置かれる。もう片方の腕は首の前に回された。
少しの間、静かな時が流れる。
「大丈夫、もう落ち着いた。……ありがとう」
「あ、そう?どういたしまして」
さっきまで心の中で澱んでいた絶望感は大分薄らいでいた。後、気恥ずかしさで女の子の顔が見れない。
「ちょっと手を出して。はい」
女の子から小さな袋が渡される。中で何かがジャラジャラと音を立てた。
「これは?」
「あんまり多くないけど、お金」
「え、ここまでしてくれなくても!?」
「いいからいいから」
「どうしてそこまで……」
「せっかく助けたのに、その辺で野垂れ死なれても困るでしょ」
確かにその可能性は大いにあり得る。俺は渋々といった様子で受け取った。いつか返そうと誓いながら。
「見れば分かると思うけど、街道に沿って歩けば王都まで行けるわ。あとは1人で大丈夫よね?」
付いて来てくれないのか?
喉元まで言葉が出てきたが辛うじて飲み込む。少女は善意で助けてくれただけだ。それに十分過ぎる程助けてもらった。これ以上は我儘にも程がある。
「ふふっ。そんな顔しなくてもそのうちまた会えるわよ」
どうやら顔に出ていたらしい。少し恥ずかしい。思わず顔に手を当てる。
「獣の集い」
「え?」
「王都に入れたら、獣の集いっていう宿を探すといいわ」
「獣の集い?」
「ええ。あそこは主人も良い人だし、ご飯も美味しい。入り口からも近いしね」
獣の集い、としっかり頭のメモ帳に書き込む。
「そろそろ行くわ、じゃあね」
「……本当にありがとう。君が居なかったら俺は確実に死んでいた。君は命の恩人だ。今度どこかであったら必ず礼をする」
「………ふふっ。じゃあ楽しみにしておくわ。またどこかで会いましょう」
そう言い合い、互いに背を向ける。……と、一つ忘れていた事があった。
「そういえば、君の名前を聞いてなかっ……た…んだが……」
振り返った先に女の子の姿は無かった。また森の中へ入っていったのだろうか?
「まあいいか」
きっとまた会えるしな。再び視線を前に向け、俺は街道に向かって歩き出す。
……正直まだ不安な気持ちは大きいし、気を抜くと今にも立ち止まって、泣き出してしまいそうだ。だって何も解決していないのだから。でも俺はここで立ち止まるわけにはいかない。それは折角俺を助けてくれた一人の女の子に失礼だから。
帰る方法を探そう。まだ諦めるには早すぎる。せめて今までの感謝ぐらい、爺ちゃんと婆ちゃんにちゃんと伝えたいしな。
俺は一度深呼吸をして気を引き締め、また一歩足を前に踏み出した。