第98話「ハルカとユキノ、兵を発射する」
──ハルカ視点──
地面から、ふわり、と光の粒があふれだした──と、思ったら消えた。
「兄上さま。『グルトラ太守領』の結界を復活させたんだね」
さすが兄上さま……と、ハルカは思わず胸に手を当てた。
心臓がドキドキしているのがわかる。
自分でも思っていた以上に、ショーマのことを心配していたらしい。
『牙の城』に潜り込むのは危険な任務。
そのとき、兄上さまの隣にいるのが自分じゃないことが悔しい。
そんなことを考えながら、ハルカは棍棒を握る手に力を込める。
「……ボクも、もっとしっかりしないと」
ハルカは自分がまたがる、透明な馬の背中をなでた。
ショーマの名馬『斬空黒曜』は、ハルカに同意するように、ひひん、と鳴いた。
今回の作戦は二段がまえだ。
『意思の兵』による騎兵拘束作戦がうまくいかなければ、ハルカ自身が敵騎兵を叩きのめすつもりだった。
けれど、その必要はなかったようだ。
「……前へー。すすめー。ま、まえへ…………はっ!?」
「……オレたちはどこまで前進すれば…………はっ!?」
「……あれ? オレは領土を守るため…………はっ!?」
「はっ!?」「はっ!?」「は!?」
『意思の兵』の丸い包囲網の中でぐるぐる回っていた、『グルトラ太守領』の騎兵たちの声がした。
馬の走る音が止まる。人と馬の、荒い息が聞こえる。それから──
「い、一体どうしてこんなことに!?」
「オレたちはキャロル姫さまと戦うつもりなんかないんだ!! ここから出してくれーっ!」
「……つ、疲れて、動けない。水を……水をくれ……」
そろそろいいかな……そう思ってハルカは、ユキノとシルヴィア姫の方を見た。
ユキノはハルカを (正確には、ハルカのいそうな場所を)見て、うなずいている。
シルヴィア姫はキャロル姫を支えながら、同意するように首を振っている。
頃合いだろう。
「ボクの名前はハルカ=カルミリア! 偉大なる『辺境の王』の配下のひとり、『鬼将軍』だよ!!」
ハルカは『斬空黒曜』にまたがったまま、声をあげた。
「我が主君はシルヴィア姫さまとの同盟に基づき、シルヴィア姫、およびキャロル姫の護衛のためにここに参上しているよ! 騎兵たちを包囲したのは我が王の配下なんだからねっ!!」
「……おお……」
「……『辺境の王』……亜人を従えているという覇王か!?」
「……辺境にはびこる魔物を一掃した王の配下が、ここに……!?」
「『意思の兵』のなかにいる兵士たちよ。王の同盟者たるシルヴィア姫を攻撃しようとしたのは自らの意思か!? だったら力尽きるまで進軍を続けなよ。そうじゃないなら武器を捨てて! 我が『意思の兵』の陣に小さな隙間を空けるから、そこから武器を投げるんだ。武装解除を確認したら、君たちには敵対の意思がないものとみなすよ!!」
一気に声を張り上げて、それからハルカはため息をついた。
作戦よりなによりも、この口上を覚えるのが大変だったのだ。
透明化しているハルカは、メモを持ってくることができない。
羊皮紙を透明にしなければ、それだけが浮いている状態になるし、透明にしてしまったら読めない。
敵をスムーズに無力化するには、ハルカは記憶力を覚醒させる必要があったのだ。
「兄上さま。ボク、がんばったよ!」
やがてハルカの前で、『意思の兵』の陣に隙間が開いた。
腕がやっと通るくらいの隙間から、閉じ込められた兵士たちが槍と剣を投げ捨てていく。
「こ、こっちに敵対の意思はない!! ないんだ!!」
「そもそもどうして、こんなことになってるのかさえわからないんだからな……」
「……『キトル太守家』のシルヴィア姫と、われらがキャロル姫がこんなところいる理由さえ……さっぱりだ」
兵士たちは疲れたような声で話をしている。
『意思の兵』の隙間からのぞき込むと、馬も人も疲れ果ててぐったりしている。
武装解除は完全に成功したようだ。
「敵の兵力は封じたよ。あとは……」
「政治の話ですね。シルヴィア姫さま、お願いします」
「……ご苦労をかけますね。『辺境の王』の側近の皆さま」
ハルカの隣に、ユキノがやってくる。シルヴィアも一緒だ。
シルヴィアはふたりに深々と頭を下げた。
「おかげで父と姉を取り戻すことができました。我が忠誠はすでに『辺境の王』のものですが、皆さまにも感謝いたします」
「「いえいえー」」
ハルカとユキノは首を横に振った。
「すべては兄上さまが決めたことだからね。それに、ボクとシルヴィア姫さまは同僚みたいなものなんだから」
「事件が片付いたら、一緒にお茶を飲みましょう。ぜひ、あたしと『オーガニック・ドラゴンキング』との出会いについて聞いてください」
「はい。必ず」
シルヴィアは優しい笑みを浮かべて、うなずいた。
それからトニア=グルトラの方を向いて、
「トニア=グルトラ! 賢明であり、威厳に満ちていた前グルトラ太守の、不肖の子よ!!」
怒りに満ちた表情で、シルヴィアは声をあげた。
「キトル太守家の名において、わたくしはあなたを『グルトラ太守』とは認めない! あなたが自分の姉に兵を向けようとした行いは、魔物にも劣る!! 自らの行いを悔いる気持ちがあるのなら、今すぐ武器を捨て、隣にいる魔道士を拘束しなさい!!」
草原に、シルヴィアの叫びが響き渡った。
『キトル太守家』の兵士たちがうなずく。
その側でキャロル姫は、祈るように目を閉じている。
彼女の弟がどう扱われるかは、これからの彼の態度で決まる。
どうか穏やかな結末を……彼女は、そう祈っているようだった。
「そして、領主の地位をキャロル=グルトラ姫に譲るのです。兵を黒魔法で操るあなたに、領主としての資格はない! せめて姉に地位を引き渡すことを、領主としてのあなたの最後の使命となさい!!」
「……キトル太守家の末娘ふぜいがなにを言うか」
道の向こうで、トニア=グルトラが歯がみした。
「こちらには『十賢者』と、その配下の魔道士がついているのだ!! 精神支配の黒魔法を破ったくらいで、勝ったつもりになられては困る!!」
「トニア……もう、やめなさい。ね?」
不意に、キャロル姫が前に出た。
ユキノとシルヴィアをかばうように、ふたりの前で両腕を広げる。
「トニア……お父さまが亡くなってまだ間がないというのに……あなたはなにをしているの? 私を閉じ込めるのは構わない。けれど、シルヴィア姫の父と姉を拘束して……その領土に兵を向けるなど……」
「……うるさい。馬鹿姉。いい加減に黙ってくれ!!」
トニア=グルトラは、キャロル姫から目を逸らした。
「……いつもそうだ。あんたはいつも、あっさりとオレの予想を超えたことをする。そうして味方を増やしてしまう。だから親父も……オレじゃなくてあんたを……だからオレは……」
「トニア?」
「うるさい! オレはもう『十賢者』と組んだ。後には引けないんだ!!」
「その通りですよ。トニアさま」
トニア=グルトラの隣で、魔導師カクタス=デニンが、歪んだ笑みを浮かべた。
「それに、勝負はまだついていません。『十賢者』の誇る精兵がーーケルガ将軍の直属兵が来ましたから」
不意に、馬蹄の音がした。
『牙の城』があるのとは別の方向から、騎兵たちがやってくるのが見えた。
それを見た魔法使い、カクタス=デニンは腹を抱えて笑い出す。
まるで、すべては予定通りとでも言いたいかのように。
「万一のことを考え、ケルガ将軍には『牙の城』の兵の統率をお願いしました。ですが、あの方は直属の兵を呼び寄せていたのですよ。トニアさまが失敗した時のためにね」
「お、おお。さすがはケルガ将軍だ」
「ええ! あの方は、私でも戦いたくないほどの強力な将軍ですからね!」
「ケルガ将軍に任せれば大丈夫……そうであったな」
「将軍ならば、私が黒魔術が使えなくなった問題も、あっさりと解決してくださるでしょう。あとは──」
「『精神支配』が不要な兵で、このままキトル太守領に攻め込むまでだ!!」
黒い鎧の騎兵たちは、まっすぐハルカたちに向かって駆けてくる。
数は……100騎弱。
全員が槍を構え、まっすぐこちらに向かってくる。
彼らに『精神支配』はかかっていない。自分の意思でシルヴィアたちを殺そうとしている、熟練の騎兵だ。
「ユキノちゃん!」
「ハルカさん!!」
「「今こそ、覇王直伝の『敵兵迎撃戦法』を使うとき!!」」
ハルカは透明化をあっさり解除して、ユキノと手を握りあい、宣言した。
「『氷結の魔女』の名において『魔将軍覚醒』!!」
ユキノは『魔将軍』覚醒して、黒いコート姿になる。
彼女は目を閉じて、深呼吸を数回、繰り返す。
同時に、通常状態とは桁違いの、膨大な魔力が大地から流れ込んでくる。
『魔将軍覚醒』はショーマが多くの『竜脈』を復活させることで使えるようになった力だ。
その力には『竜脈』と関わっている。
『魔将軍』としての力が使えるのも、大地の魔力を借りているからだ。
そして、その魔力は、自分自身の魔法にも上乗せできる。
ユキノは目を閉じ、詠唱を行う。魔力を自分の力に変えて、解き放つ!
「ここから先は通さない!! 『氷結の壁・超』!!」
ユキノのまわりの地面が、凍りついた。
それは地面に横向きに展開された『氷の壁』。いや──
それは──『氷の床』だった。
「「なに────っ!?」」
トニア=グルトラとカクタス=デニンが叫ぶ。
突進しようとしていた騎兵たちも、立ち止まる。
ユキノたちを囲む地面は、巨大な氷に覆われている。
しかも、騎兵から見ると、やや上り坂のスロープになっている。それがぴかぴかつるつるすべすべなのだ。
騎兵が氷の上を走って登るなど、できるわけがなかった。
「う、迂回しろ!!」
「無理ですトニアさま! 氷の床はやつらの前に広く展開されていてーー迂回すれば、森に突っ込むことに」
「ならば徒歩で進め!! なんとしても奴らを倒すのだ!!」
「しょ、承知しました────って、ぐぼぁああああっ!!?」
『ヘイ────ッ!!』
ずどぉん!!
一瞬だった。
騎兵たちに向かって、巨大な塀が突っ込んで来たのだ。
激突はしなかった。が、轟音と迫力におびえた馬が暴れ出す。
振り落とされた兵士は地面に転がり、うめき声をあげる。
「石の塀が、氷の上を滑ってきた……だと!?」
トニア=グルトラは目を見開く。
地面を覆う、巨大な氷。
その向こうで行われていたのは──
「はい。次の『意思の兵』さん。助走して」
『ヘイヘイヘイヘイ!! ヘイーッ!!』
「氷の壁まで来たら、うつぶせでジャンプして……いいですよ。では、ハルカさん!」
「『鬼の怪力』3倍! てえええいっ!!」
『鬼将軍覚醒』したハルカが、両手で『意思の兵』を押した。
助走をつけて氷の床に飛び込んだ、『意思の兵』が、さらに加速する。
充分な運動エネルギーを手に入れた塀は、氷の上を、勢いよく敵陣まで滑っていって──
『ヘイッフォワーッ! ヘイヘイヘイヘイッ!!』
「ぎぃやあああああああっ!!」
どっかん。
敵の騎兵のまっただなかに、突っ込んだ。
加速+重量+『強化』された重い石塀
それが迫ってくる恐怖と、地面を揺らす音は、兵士たちをパニックにするのに充分だった。
ハルカたちの狙いは、『意思の兵』で敵兵を倒すことではない。
こんな方法で、狙って当てられるわけがない。
けれど、氷の斜面を使って、『意思の兵』を高速で敵陣に向かわせることはできる。
これが、ショーマとプリムが考えた『意思の兵・高速機動作戦』だった。
敵陣に突っ込んだ『意思の兵』は地面を転がった後、がんばって、しゅた、と立ち上がる。
それからーー
『ヘイ (大丈夫か? 起きられるか?)』
『ヘイヘイ! (心配無用だ、相棒。いくぜ!!)』
『『ヘイヘイヘイヘイヘイ!!』』
先に敵陣に突っ込んでいた『意思の兵』と合流して、そのまま敵の背後に回る。
「兄上さまとプリムさんが考えた『意思の兵による突撃技』、成功だね」
「あたしの『氷の壁』を移動用のスロープに変えるというアイディアですからね」
「もともとは、村を攻めてきた敵兵を撃退するための作戦なんだよね?」
「はい。城壁の上から斜めに氷の壁を作って、『意思の兵』さんを滑らせるんですよね?」
ハルカとユキノは次々に兵を発進させていく。
『意思の兵』は固くて強いが、移動速度は遅い。
だからユキノの魔法で『氷のスロープ』を作って、つぃー、っと滑らせる。
そうすることで、ハイスピードで移動させるという作戦だった。
実際にやってみると、はっきりとわかる。
地味だが、敵の立場に立ってみれば、実に迷惑な作戦だ。これは。
「今回の目的は、敵の無力化だからね」
「騎兵の動きを止めて包囲するには、ちょうどいいですね」
「「「うわああああああああああ──っ!!」」」
ケルガ将軍の直属兵たちはパニック状態だった。
騎兵の武器は機動力だ。今まではそれで敵を包囲し、切り崩し、倒してきた。
その彼らが、今は高速で地面を滑ってくる石塀に圧倒されている。
氷の地面は騎兵の機動力を奪い、逆に石塀に機動力を与えているのだ。
「こ、これが、辺境の戦い方だというのか!?」
「高速で突っ込んでくる石塀を倒す訓練など、したことがない!!」
「避ければ無傷の敵兵に背後に回られる……それよりも馬が、怯えて──!?」
敵にこっちの陣に入り込まれてしまったら、騎兵の機動力にも意味はない。
さらに、前方は氷の地面だ。つるつる滑って進めない。
避ければ、『氷の床』までそれに合わせて移動するというおまけつきだ。
背後には、騎兵を吹き飛ばした石塀たちが回り込んでいる。
馬は敵兵のときの声『ヘイヘイヘーイ!』に怯えて逃げ惑うばかり。
その上──
「『氷結の壁・超』よ……起き上がれ!!」
──活路を探す兵士たちの目の前で、氷の壁が起き上がる。
氷と石、2種類の壁の中で、ケルガ将軍の騎兵たちは、完全に動きを封じられてしまった。
「それでも……ケルガ将軍がいらっしゃる!!」
「そうだ。将軍がくれば、こんな壁なんか一撃で破壊してくださる!!」
「将軍! 早くいらしてください!!」
ざくん。
兵士たちの目の前の氷の壁に、巨大な斧が突き立った。
不意に、空中から降ってきたのだ。
しかも、ケルガ将軍が愛用しているものだった。
「ケルガ将軍は、すでに捕らえた」
騎兵たちは、空を見た。
空中に、翼を広げた男性がいた。その腕の中には、銀色の髪の少女も。
「『辺境の王』の名において告げる。『牙の城』にかかっていた黒魔法は解除した。兵士たちは正当なる領主、キャロル姫の名前を呼んでいる。ケルガ将軍はすでに捕らえた」
空から響いた言葉に、兵士たちは馬を下り、地面に膝をついた。
彼らの主君、ケルガ将軍の武器を見間違える者はいない。
それが奪われたということは、将軍が敗北したことを意味する。
そうして──壁の外では、
「…………おしまいだ」
トニア=グルトラが、地面に座り込んでいた。
「オレが戻る場所はもう、ない。おしまいだ。あの馬鹿姉が『辺境の王』を味方につけた時点で……オレは敗れていたんだ……」
「……『辺境の王』!!」
黒いローブをひるがえし、魔道士カクタス=デニンは叫んだ。
頭上を見上げて、怒りに顔をゆがめて。
「貴様のその力……貴様は、女神に召喚された者か!?」」
「……やっぱりあんたも、転生者か」
「降りてこい『辺境の王』!!」
地面を踏みならしながら、カクタス=デニンは声をあげつづける。
「同じ転生者同士……話をしよう。女神ネメシスの計画について。そうすれば、貴様も私の味方になるはずだ」
「ならないと思うが……わかった。話くらいは聞こう」
翼をすぼめて、『辺境の王』が大地に降り立つ。
こうして、ふたりの異世界人は、距離をおいて対峙することになったのだった。