第92話「魔将軍ユキノ、姫君を指導する」
──キャロル姫の部屋にて──
謁見の間で、『キトル太守領』の群臣とユキノの顔合わせが終わったあと──
ユキノ、シルヴィア、キャロル姫は、城にある客間に集まっていた。
そこは城の上層階にある部屋で、今はキャロル姫の滞在用として使われている。
2間続きで、片方は寝室、片方は居間となっている。居間の方にはソファが置かれ、現在そこは侍女ケイトのベッド代わりに使われているそうだ。
今は、窓際に置かれたテーブルを、ユキノとシルヴィアとキャロル姫が囲んでいる。
シルヴィア姫の侍女と、キャロル姫の侍女ケイトは席を外して、廊下に控えている状態だった。
「最初に、あらためてお詫びを申し上げます」
ユキノとシルヴィアが席についたのを見て、キャロル姫が席を立つ。
それから彼女はふたりに向かって、深々と頭を下げた。
「我が弟トニア=グルトラのために、『キトル太守領』の方には多大なる迷惑をおかけしました。姉として、あらためてお詫びいたします」
「いえ、キャロル姫は……父と姉の消息を知らせに来てくださいました。わたくしはむしろ、キャロル姫さまに感謝しているのです」
「……いかに乱世とはいえ、無法が許されるわけではありません」
キャロル姫の声は、小さく震えていた。
「領土に戻り次第……あたくしは……この命をかけて、弟のトニアを諫めるつもりです」
「……キャロル姫さま」
「すいません。今は、お茶の時間でしたね。シルヴィア姫さま」
そう言ってキャロル姫は、椅子に座り直した。
「ユキノさまも……お手をわずらわせてしまって、申し訳ありません」
「いえ。あたしは、我が真の主のお心に従うまでですから」
ユキノは気圧されたように、キャロル姫を見ていた。
同性のユキノから見ても、きれいな女性だった。
桜色の髪はふわりと風に揺れ、髪を飾るティアラは陽の光を浴びて輝いている。
肌の色は真っ白で、細めた青色の瞳が、やさしくユキノを見つめている。
ドレスとティアラはシルヴィアから借りたものだそうだが、あつらえたようにぴったりだった。
さらにキャロル姫はスタイルもいい。
ユキノの世界のトップモデル──とはいかなくても、ファッション雑誌の表紙はまちがいなく飾れるだろう。
その姫君の、ドレスに包まれた胸元と腰回りに目をやってから、ユキノは思わず自分のそれに触れてみた。
感触が物足りないのは、前世のユキノが病弱で、人より成長が遅かったからだ。
おかけでショーマが『魔』の文字を書きやすかったのはいいけれど、完全無欠なスタイルのお姫さまを見ると、思わず気後れしてしまうユキノだった。
「……? どうなさいましたか、ユキノさま」
「い、いえ」
ユキノは頭を振った。
いけないいけない。今は真の主から与えられた使命を果たさないと。
そう思ってユキノは、キャロル姫の方を見た。
「『牙の城』について、おうかがいしたいことがあるのですが」
「はい。なんなりと」
ユキノが聞くと、キャロル姫は天使のような笑顔で、彼女を見た。
「先日から気になっていたのです。キャロル姫さまは、ずいぶんと『牙の城』について詳しいようですね。でも、『牙の城』は『グルトラ太守領』の首都からは遠く、『キトル太守領』の境界付近に位置しています。なのに……」
「なのにあたくしが、どうして『牙の城』に詳しいのか、ということですか?」
「やはり姫さまが、『竜帝陛下の巫女』だからですか?」
「はい。実は……父が生きていたころは、あたくしはあの城に住んでいたのです」
「姫さまが、『牙の城』に?」
「ええ。『竜帝陛下の巫女』を自称するからには、あの方に、なるべく近い場所にいたいですから」
まるで恋する乙女のように、キャロル姫は頬を染めて、告げた。
「前にも申し上げましたね。『牙の城』には、竜帝陛下を描いた壁画があることを」
キャロル姫の言葉に、ユキノとシルヴィアがうなずく。
それを見てから、キャロル姫は真面目な顔で、
「生前、祖母に言われていたのです。『竜帝陛下に対して、恥ずかしくない人間になりなさい』と」
「うかがいました。だからキャロル姫は、危険を冒して『キトル太守領』までいらした、と」
「はい、シルヴィアさま。だからあたくしは、小さい頃から、竜帝陛下の壁画に話しかけるようにしていたのです。今日はこういうことがありました。今日は、こんな失敗をしてしまいました──って」
一息ついて、キャロル姫はお茶を口にふくんだ。
「そうしていると、竜帝陛下が、正しい道を示してくださるような気がしたのです」
「竜帝陛下の壁画は、塔の最上階にあるのでしたね」
「『辺境の王』にうかがったのですね。ユキノさま」
「ええ。その部屋の床には、奇妙な模様があるというお話も聞いてます」
「……そうですね。そこは、南側に大きな窓があり、月の光が差し込む部屋で──あたくしが昔……奇妙な儀式をしてしまった部屋でもあります」
「奇妙な儀式?」
「……ないしょですよ?」
キャロル姫は恥ずかしそうに頬を押さえて、ユキノとシルヴィアを見た。
ふたりがうなずくのを確認してから、声をひそめて、
「──竜帝さまの壁画に『お力をわけてください』と祈りながら、月明かりの下で舞を踊ったりしていたのです。侍女のケイトには『恥ずかしいです。普通そんなことしませんよ』……って怒られましたけど」
「……え? しますよ。普通に」
「え?」
「え?」
顔を見合わせるユキノとキャロル姫。
「だって、あたしも同じことをしてましたから。死神に足を掴まれた後に。体調のいい時だけでしたけど」
「で、でも、尊敬する方──竜帝陛下の似顔絵を描いて、語りかけたりはしませんよね?」
「普通にしますね」
ユキノは真面目な顔でうなずいた。
彼女の場合は『有機栽培の竜王』の絵姿だったけれど。
彼と同じ姿になるための、参考として。
「……もしかしてキャロル姫さまも、力を引き出す呪文を作り出したり、夜に着替えるとき、こっそりカーテンを開けて、月の光をその身に浴びることで力を取り込んだりしていたのですか……?」
「そ、そこまでは……」
「やってみるといいですよ。おすすめです」
「お、おすすめ……ですか」
「あとで我が真の主に指導していただくといいかもしれません。キャロル姫の願いであれば、ショーマさんも嫌とは言わないと思います。もちろん、あたしも同席しますけど」
「は、はい。ぜひ、お願いします」
「『人質交換』が叶ったあかつきには……それが姫さまに力をくれるでしょう」
ユキノは、できるだけおごそかな口調で、そう言った。
「ですから、領土に戻られたあとは『牙の城』を住居とされるのがいいと思います。そうすれば『竜帝陛下』の加護があるでしょう。もしかしたら……キャロル姫さまの生命を守る、見えない力が働くかもしれません」
「な、なるほど……」
興味深そうに、何度も首を縦に振るキャロル姫。
大きな目をきらきらと輝かせて、ユキノを見つめている。
隣にいるシルヴィアも、真剣な顔で話を聞いている。
ユキノはショーマから『牙の城』の情報を引き出すことと、『人質交換』のあとのキャロル姫が『牙の城』にいることを勧めるように言われている。
今の話はもちろん、そのための布石だ。
それにユキノ自身も、キャロル姫とはもっと親しくなれるような気がしていた。
話しやすい上に、すごく親近感がある。
この人が次の『グルトラ太守』になれば、絶対に辺境の味方をしてくれるはずだ。
「あたくし、ユキノさまにはとても親しいものを感じます……」
それはキャロル姫も同じようだった。
「ぜひ、ユキノさまともっとお話をしたいです」
「かまいません。あたしは、キャロル姫さまの護衛を命じられていますから。『人質交換』が終わるまでは、おそばにいるつもりです」
「ありがとうございます。ユキノさま」
キャロル姫はユキノの手を握った。
それをシルヴィアは優しい目で見つめていた。
『人質交換』の準備は、着々と進んでいる。
すでに『キトル太守領』の使者が、『グルトラ太守領』に向けて出発しているはずだ。
『十賢者』が攻撃してきた際の対策として、軍の準備もはじまっている。
今は姉のレーネスと、将軍ヒュルカが、城の前庭に兵士を集めている。もっとも、彼らはまだ『グルトラ太守』が敵に回っていることを知らないのだが。
「……でも、不思議と不安はありませんね」
目の前にいる魔将軍ユキノの力を知っているからだろうか。
それとも『辺境の王』が、絶対の味方であることを知っているから?
シルヴィアはふと、天井に視線を向けた。
この部屋の真上には、彼女の寝室がある。そこには活性化した魔法陣があり、いつでもシルヴィアを『辺境の王』の元へと運んでくれる。
(……不安になったら、転移すればいいのです。きっと『辺境の王』……ショーマさまは、わたくしの話を聞いてくれるはず……)
そう考えるだけで、不安がゆっくりと溶けていく。
(……でも、甘えるだけではいけません。ここまでしていただいたのです、ショーマさまには、きちんとお礼をしなければ)
シルヴィアはふと、首をかしげた。
あの人の欲しいものはなんだろう……そう思うと、悩んでしまう。
『辺境の王』ショーマは、辺境の平和と、ゆったりとした暮らししか望んでいない。
その「ゆったりとした暮らし」の中に、シルヴィア自身を組み込んでみると……なんだか胸がぽかぽかするけれど、それはたぶん先の話だ。
今、あの方にあげられるものは──
「──そういえば、『流星刀』がありますね」
シルヴィアは思わず、その言葉を口にしていた。
『流星刀』は、かつてこの地に落ちてきた隕石から作られたという刀だ。
先々代の『キトル太守』が宰相をやっていたとき、皇帝陛下から下賜されたという伝説が残っている。
シルヴィアが今それを思い出したのは、『人質交換』に使えるかと思ったからだ。
キャロル姫の計画がうまくいかなかった場合、父と姉を取り戻す対価として、『流星刀』を差し出すことを考えていたのだ。
けれど──
「もしも……人質交換が上手くいったら、あれを『辺境の王』に差し上げてもいいかもしれません」
きっと、父も姉も許してくれるはずだ。
もちろん……『辺境の王』の協力に対しては、いつかシルヴィアの身と心をもって報いるつもりではいるのだけど。
「……ユ、ユキノさま」
「はい。シルヴィア姫」
「『辺境の王』のお腰に、天空より降り下りし隕鉄より作られた刀というのは、相応しいでしょうか」
「むちゃくちゃ似合うと思います。着けてるのをすごく見たいです」
「……よかった」
ユキノの返答に、シルヴィアは思わず頬を赤らめ、安堵の息をついたのだった。
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