第119話「レーネス姫、『辺境の王』の新兵と出会う」
結局、俺はクリスティアの忠誠を受け入れることにした。
クリスティアにとっては、たぶん、皇帝の地位は重すぎるんだろう。
俺に忠誠を誓うことで楽になるなら、それでいい。
表に出すわけじゃなくて、彼女がそう思うだけなら、いわゆるローカルな『推し』みたいなものだ。誰にも迷惑はかからないからな。
そうして、クリスティアたちが風呂から上がったあとは、食事会になった。
リゼットも交えて、みんなのんびりとご飯を食べている。
俺はその間に、シルヴィアに会いに行くことにした。
クリスティア歓迎ツアーの誘いと、『キトル太守領』周辺の情報を得るためだ。
『十賢者』についての情報は、『キトル太守家』の方が早い。
なにかあったら、すぐに対処できるようにしておきたいんだ。
「いらっしゃいませ、ショーマさま!」
『結界転移』で『キトル太守領』に転移すると、シルヴィアが待っていた。
ちなみに転移先の部屋は、今は転移専用室になってる。
元々はシルヴィアの寝室だったのだけど……それだと、俺が落ち着かないからだ。
2回ほど、シルヴィアの着替え中に転移したことがあったんだ。
反省してる。
「よく来てくださいました。『捧竜帝』さまのご様子はいかがですか?」
「今日は温泉に連れて行ったよ。リラックスできたみたいだ」
「そうですか。それはよかったです」
「今は早めのお昼を食べてる。その後は昼寝してもらって、夜ものんびりするつもりだ」
「ショーマさまのもとで、陛下も安心されているのでしょうね……」
シルヴィアは、ほっとした息を吐いた。
『キトル太守領』は皇帝への忠誠が厚い家だからな。
やっぱり、クリスティアのことを心配していたんだろう。
「シルヴィアも来ればよかったのに」
「そうしたいのですが……現在、わたくしは『キトル太守領』を離れるわけにはいかないのです」
「なにかあったのか?」
「……王都方面より、小規模の兵団が近づいているとの報告がありました」
シルヴィアは言った。
「戦闘にはなっていません。おそらく、陛下のことを探しているのでしょう。彼らは『キトル太守領』にはまだ踏み込んでおりません。けれど周辺の村々は動揺しているのです」
「だからシルヴィアがここに残ったのか……」
「はい。これから、村長たちを集めて落ち着かせようと考えております。王都の兵への対策として、現地にはレーネス姉さまと将軍ヒュルカに行っていただきました」
「……なるほど」
あのふたりなら大丈夫だろう。
レーネス姫は、兵の扱いは慣れているし、ヒュルカさんも強いからな。
「後続として、ショーマさまからいただいた『意志の兵』50枚を送り出しました。うまく使えば、敵兵を捕らえることもできましょう」
「…………そっか」
そういえばレーネス姫は『意志の兵』が苦手だったっけ。
将軍のヒュルカさんが一緒なら大丈夫だと思うけど……。
念のため、レーネス姫には、アップデートした塀も届けた方がいいかもしれない。
「シルヴィア。レーネス姫たちがいるのはどこだ?」
「国境近くの城……ここです」
シルヴィアが地図を見せてくれる。
場所は──将軍ヒュルカさんが治めてた城か。ミルバの塔の近くだ。
これならすぐに『結界転移』できるな。
「ちょっとレーネス姫たちに、援護の兵を届けたいんだけど、いいかな」
「……戦われるおつもりではないですよね?」
シルヴィアは俺の手を取った。
大きな目で、じっと、こっちを見ている。
「ショーマさまがお強いことは知っています……けれど、後方でお帰りを待つだけの私は……いつも心配になるのです。私は……前線で戦うことはできませんから……」
「……シルヴィア」
シルヴィアの目が涙ぐんでる。
本当に、心配してくれてるみたいだ。
「今回は戦うつもりはないよ。クリスティアのおかげで手に入れた兵力を、レーネス姫とヒュルカ将軍に届けるつもりだ」
「陛下のおかげで手に入れた兵力、ですか?」
「ああ。この『待機の兵』だ」
俺は空間に手を伸ばして『停滞』の力を発動。
シルヴィアにもわかるように、大きめの『待機の兵』を作り出す。
『──エアッ! ヘイッ!』
俺とシルヴィアの前に、金色の光る塀が現れる。
これが『停滞』の力で生み出した、『待機の兵』だ。
「こ、これは!? 実体のない兵……いえ、触れると塀があるのがわかります。おそろしく固い塀です……すごいです。その場で作り出せる塀なんて……」
「透明にもできるよ。ほら」
俺が指示を出すと、『待機の兵』を包んでいた光が消えた。
塀は透明になり、完全に見えなくなる。
「……見えなくなりました。これは、不可視の兵ということでしょうか」
「これなら、レーネス姫も怖くないだろ」
「確かにそうですね」
「それにこの『待機の兵』は、光を操れるらしいんだ」
『待機の兵』は透明になったり、内部から光を発したりする。
どうも兵の身体の中では、光を操ることができるらしい。
応用すれば、こんな使い方もできるはず。
「例えば……我が兵よ。光を反射してみてくれ」
『エァツ! ヘイッ!』
『待機の兵』が鏡になった。
表面には、俺とシルヴィアが映ってる。
「え、えええええっ!?」
「なるほど。自分の中を通過する光を、『停滞』させてから反射することもできるのか……」
「ちょっとお待ちください。その場で作り出せる上に、鏡になる能力もあるのですか、これは!?」
「ああ。そのまま維持することもできると思う」
俺は『待機の兵』に指示を出す。
「我が兵よ。映っている光景を、そのまま維持」
『ヘイエァッ!』
俺はシルヴィアの手を引いて、『待機の兵』の前から移動した。
『待機の兵』には……うん。さっきの俺とシルヴィアの姿が、まだ映ってる。
つまり『待機の兵』には、映した光景をそのまま『停滞』させておく力があるらしい。
早い話が、カメラ機能つきのスクリーンみたいなものだ。
「もしかして、動画も残せるのか?」
『ヘィィェアッ!』
『待機の兵』は自慢そうに胸を張った。
できるらしい。ただし、長時間は無理。せいぜい数分が限度。
でも両面にカメラがついているようなもので、裏側で写したものを表側に映し出すこともできるのか……。
……なるほど。かなり便利だ。
「すごい能力ですけれど……ショーマさま。これをどのように使うおつもりですか?」
「偵察に使えないかと思ってる」
「偵察に?」
シルヴィアは不思議そうな顔をしてる。
口で説明するより、実際にやってみた方がいいな。
「その前に実験してみたい。レーネス姫と将軍ヒュルカに、実験の手伝いを頼むことはできるかな?」
「ショーマさまのご依頼なら、もちろん大丈夫です。どのようなご依頼ですか?」
「1時間後に、姿を隠して城にお邪魔する。俺とシルヴィアを見つけられるかどうか、試して欲しい、と」
「姿を隠すのですね? もしかして、透明ポーションを使われるのですか?」
「あれは……使うと『トウカの服』しか着られなくなるからなぁ」
もしくは全裸か。
兵士たちがいる場所で、あの姿にはなりたくない。
「今回は『待機の兵』を使うつもりだ。シルヴィアも一緒にいて、どんな効果か確かめてくれると助かる」
「わかりました。お手伝いいたしましょう」
「では、これから塔まで『結界転移』する」
俺はシルヴィアに説明した。
「それからレーネス姫とヒュルカさんに話を通して、俺たちは城の中で身を隠して、ふたりの様子をうかがう。それをふたりに見つけてもらう、ということでどうだろう」
「かくれんぼのようなものですね?」
「遊びに付き合ってもらうようで気が引けるけど」
「いえ、この力は……兵士たちの命を救うことにもなるような気がいたします」
シルヴィアは力強くうなずいた。
「わかりました。わたくしが姉さまとヒュルカに話を通しておきます」
「助かるよ」
「では、ショーマさま。どのようにして身を隠すおつもりなのか聞かせてください」
『ヘイエアッ』
シルヴィアと顔を、『待機の兵』は顔っぽいところを近づけてくる。
俺はふたりに説明を始めた。
──レーネス視点──
「ふむ。安全に偵察を行うため、身を隠す能力のテストがしたい、ということか」
ここは『キトル太守領』の南方の城。
レーネスは廊下を歩きながら、隣にいる将軍ヒュルカに語りかける。
「シルヴィアも面白いことを考えるものだな」
「はい。姫さまと『辺境の王』は、すでにこの城に入っているそうです」
「隠れるから探し出せとは、シルヴィアはいつまでたっても子どもだな」
「姫さまと『辺境の王』は、我々の近くに潜むとおっしゃっていました」
「ははっ。かくれんぼか。なつかしいな。そういえば小さいころのシルヴィアはいたずら好きでなぁ。よく私の部屋に隠れて──」
「いえ、ですから姫さまだけなく『辺境の王』もご一緒なのです」
「…………」
レーネス姫と将軍ヒュルカは、ぴたり、と、足を止める。
ふたりとも、しばらく沈黙してから、
「ははは。なつかしいな。そういえば小さいころのシルヴィアは」
「現実から目を逸らさないでください。レーネス姫さま」
「……『辺境の王』かぁ」
「あの方はお味方ですよ。それも、心強い」
「わかっている。わかっているのだ」
「それに、レーネス姫さまのために、新たな戦力を導入されたそうです」
「知っているよ。それの力を見せるために、城まで来ているのだろう? だが、当人はどこにいるのだ?」
レーネスは周囲を見回した。
まわりは廊下だ。人払いをしたから、近くに兵士はいない。
人影は見えない。
もちろん、『辺境の王』と妹のシルヴィアの姿もない。
振り返っても、長い廊下が続いているだけだ。
「……シルヴィアたちは、本当に我々を見ているのか?」
「姫さまと『辺境の王』のことですから、間違いないと思います」
「だが、誰もいないぞ」
「今まさに近くで私たちを見ているのだとしたら……すごい偵察能力ですね」
「いやいや、いくら『辺境の王』でも無理だろう」
まわりにあるのは石造りの廊下だけ。
窓が広いのは解放感を出すためだ。最近改築した。
外にいるかとも思ったが……見えるのは空だけ。鳥もハーピーも飛んでいない。
「やはりシルヴィアの話は冗談だったのだな。ははは」
レーネスは頭を振って歩き出す。
「さすがの『辺境の王』にも、できることとできないことがあるのだ!」
「……と思わせておいて、気づいたら後ろに……ということも」
「はっ!?」
レーネスは反射的に振り返る。
やはり、誰もいない。
石造りの床と、見慣れた壁があるだけだ。
「お、おどかさないでくれ、ヒュルカよ」
レーネスはどきどきする胸を押さえた。
「私は『辺境の王』への恐怖を克服したばかりなのだぞ」
「申し訳ございません」
将軍ヒュルカは深々と頭を下げた。
「ですが、『辺境の王』は心強い味方で、シルヴィア姫の許嫁でもあります。恐れてばかりでは、失礼にあたりましょう」
「わかっている。私とて、彼を嫌っているわけではない」
「そうなのですか?」
「同盟相手として、これほど心強い者もないからな。それにシルヴィアと私が仲直りできたのも彼のおかげだ。恩を感じている。ただ、あの兵──いや、塀に閉じ込められた思い出がなぁ」
レーネスは窓に近づき、ため息をついた。
窓の向こうには広い空が広がっている。この空はシルヴィアの城にも、辺境にも続いているのだろう。隠れて近づいている……なんてのは冗談で、ふたりとも、もう帰ってしまったのかもしれない。
レーネスは辺境で、『意志の兵』と模擬戦を戦ったことを思い出す。
動く塀に閉じ込められたのはトラウマだが、『辺境の王』はあの兵を援軍として預けてくれている。
『十賢者』との戦いが迫っている今は、あれを指揮するのにも慣れなければいけない。
ただちょっと……もうちょっと、あの兵に特有の圧迫感がなんとかなれば……。
「たとえば、姿の見えない兵などがいたら、私はよろこんで抱きしめるのだが」
『エァ? ヘイッ?』
「いや、大きすぎるか。抱きしめるのは無理だな。ただ、あれもすばらしい兵力ではあるからな。触れて、なでまわすくらいはよかろう。国を守ってくれる者たちへ、私ができることなどそれくらいだ」
『……ヘイヘイ』
「なんだ、ヒュルカよ。塀の真似などして。私がおどろくとでも──」
思わずレーネスは振り返る。
「お久しぶりです。レーネス姉さま」
シルヴィアがいた。
「実験に付き合っていただき、感謝している。レーネス姫」
『辺境の王』もいた。背中に翼を生やして、大きな塀を持ち上げている。
斜めになったそれには、廊下の景色が映っている。
それは廊下の風景とまったく同じ──というより、廊下そのものを映したものだ。
レーネスは突然に理解する。
『辺境の王』とシルヴィアは、この塀に隠れていたのだ──と。
ふたりはレーネスとヒュルカの後ろにいて、ずっと話を聞いていた。
おそらくは『姿の見えない兵なら抱きしめたい』という、レーネスの言葉も──
「レーネス姫のお心を乱さぬよう、圧迫感のない兵を用意した」
『辺境の王』は優しい笑みを浮かべて、そう言った。
レーネスの額に冷や汗が伝った。
「我が兵も、姫のことが気に入ったようだ。どうぞ遠慮なく、なでまわされるといい」
(言ったけど。確かに言ったけど!?)
レーネスの頭の中が真っ白になった。
『辺境の王』は同盟者。自分は『キトル太守家』の姫君。
ならば言ったことは守らなければいけない。わかる。それはわかる。
というかすごすぎる──と、レーネスはつぶやく。
『辺境の王』とシルヴィアの実験は大成功。レーネスたちはふたりの存在にまったく気がつかなかった。それはたぶん『辺境の王』たちが翼で飛んでいたからで、だから足音もしなかった。あの「風景を映す塀」のせいで、廊下に溶け込んでいた。
屋内でさえこれだ。
風や草木の音がする草原で、『風景を映す塀』の背後に隠れたら、発見するのは不可能だろう。
偵察どころではない。
敵の気づかぬうちに近づいて、不意打ちすることだってできる。
この力があれば、レーネスたちの戦力は激増するのだ。
『ヘイィエアァ?』
『風景を映す塀』は不思議そうにレーネスを見ている。
気に入られているのがなんとなくわかって、レーネスは覚悟を決める。
「わ、わがきとるたいしゅけのせんりょくとして、ちからをかしてくれないか……?」
『ヘィアッ!』
勢いよく塀が返事をする。
それを聞いたレーネスの身体から力が抜ける。
自分の抱き留めるヒュルカは「いや、本当にすごい力です。『辺境の王』……」と、なんだか向こうに感心しているみたい。それでも『キトル太守家』の戦力は激増したのに変わりはない。
けれど、やっぱりレーネスの精神は消耗してしまったわけで──
「おのれ『十賢者』。ゆるさぬ!」
『十賢者』がいなければ、父と姉が行方不明になることもなく、『辺境の王』とシルヴィアが出会うこともなかった。こうして彼の兵力を借りる必要もなかった。
というわけで諸悪の根源は『十賢者』。
決めた。今決めた。やつら滅ぼす。決定。
「──愚かなる『十賢者』め。貴様らを滅ぼすまで、私の心の安まる時はないぞ!」
そんなわけで──
『キトル太守家』次女レーネスは、悪の『十賢者』への怒りを新たにし──
それを聞きつけた兵士たちが集まって来て、唱和して──
『キトル太守家』一同は『十賢者』を倒すために、一致団結したのだった。