第117話「第1回『捧竜帝クリスティア歓迎計画(2)』」
『クリスティア歓迎会』の翌日。
俺はハルカと一緒に、クリスティアの家を訪ねた。
「──あれ? 兄上さま。歌声が聞こえるよ?」
「きれいな声だな……誰だろ」
透き通った歌声が、家の中から聞こえていた。
家を構成している塀たちも、うっとりと聞き入っているようだ (主観)。
「おはよう。クリスティア」
「様子を見にきたよー。起きてるかな?」
ドアをノックすると、宮女──今は侍女か──のカタリアさんが顔を出した。
すっきりした顔をしてる。よく眠れたようだ。
「おはようございます。『辺境の王』さま。ハルカさま」
「おはよう。クリスティアはもう起きてる?」
「はい。陽が昇ったらすぐに飛び起きて、昨日の夜のことを話してくださいました」
カタリアさんは俺に向かって、深々とお辞儀。
「あんなに楽しそうな陛下を──いえ、クリスティアさまを見たのは初めてです。本当に、ありがとうございます。あなたに出会えて……辺境につれてきていただいて、本当によかった……」
「クリスティアはどうしてます?」
「とても気持ち良さそうに、歌をうたってらっしゃいますよ」
しーっ、と、唇に指を当てるカタリアさん。
家の中に入ると、歌声がよく聞こえる。
小声だから、歌詞の内容はわからないけど……クリスティアの声だ。
「……クリスティアさまは歌がお好きなのですが、人に聞かれるのを恥ずかしがりますので」
「もったいないな。きれいな声なのに」
「……『十賢者』のせいで、陛下は人ならざる者としてあつかわれてきました。そのお方が、楽しみのために歌をうたうなど、あってはならないことだとされてきたのです」
カタリアさんは苦い顔になる。
「でも、辺境に来て、クリスティアさまは好きなだけ、歌をうたうことができるようになりました。これも『辺境の王』さまのおかげです」
「……ほんとにきれいな声だね」
ハルカもうっとりと、歌声に聞き入ってる。
流れてくるのは、耳を澄ませないと聞こえないような、かすかな声。
それでも聞いているとドキドキしてくる……そんな歌声だった。
「クリスティアさまはずっと歌ってらっしゃるんですよ。大好きな歌ができたから、私たちに聴いて欲しいっておっしゃって」
「そっか」
「そうなんだ」
「なんでも、昨日の夜の宴で、とてもすてきな歌を教えていただいたそうで──」
「ごめん。ちょっと用を思い出した」
「わぁっ。どこ行くの兄上さま!」
放してくれハルカ。後生だ。
なんで朝から、あの歌を聴かなきゃならんのだ。
クリスティアが昨日覚えた歌って──『異形の覇王ソング』じゃねぇか。
「いらっしゃいませ! 『辺境の王』さま!」
ぱたぱたと足音がして、クリスティアがやってきた。
ずっと歌ってたからか、息を切らしてる。
着ているのは村のみんなが用意してくれた、子ども用の寝間着だ。長い髪をリゼットと同じ髪留めでまとめてる。村人と同じ服を着たクリスティアは、本当に年相応の子どものようだ。
「昨日はありがとうございました!」
クリスティアは興奮した顔で、俺の手を握った。
「あんなに楽しい夜は、生まれて初めてでした!」
「そ、そっか。それならよかった」
「よかったね。クリスティアちゃん」
「はい! す、すいません。私、『辺境の王』さまの膝の上で眠ってしまって……あなたさまと一緒にいると、すごく落ち着くので……それで」
「気にしなくていいよ。リラックスできたのなら、それで」
「は、はい。ありがとうございます!」
ぺこり、と、頭を下げるクリスティア。
「そ、それで……声、聞かれてましたよね。実は私は、歌が大好きで……」
「そ、そうなのか」
「いつもはカタリアや宮女のみんなに聞いてもらってるんですけれど……『辺境の王』さまやご家族の皆さまにも、聞いていただきたいと……」
「……そうなんだ」
「はい!」
「じゃあ、辺境のみんなが知らない歌なんかを聴かせてほしいなー」
「……え?」
「へんきょうはそぼくなうたがおおいから、ここはクリスティアがしってるうたをきかせてもらって、おたがいのうたをききくらべるのがいいとおもうのだー」
「え? 『異形の覇王ソング』はユキノちゃんもアレンジしてるから都会的もがぁっ!?」
俺は急いでハルカの口を押さえた。
悪い。ちょっと黙ってて。
「わかりました! 辺境の皆さまの歌と、私が知る歌を合わせて、新しい歌を作り出すということですね!?」
「そんなかんじ」
「さすがは『辺境の王』さまです。常に新しいものを作り出そうとするその意欲と創造力が、この村を豊かにしてきたのですね……」
クリスティアは祈るように手を合わせて、目を輝かせてる。
納得してくれたようだ。
「それで今日の予定なんだけど」
「はい」
「クリスティアの体調が良ければ、辺境を案内しようと思ってる。どうかな?」
「畑や、ボクたちが使ってる狩り場や、魚釣りしてる川、温泉なんかもあるよー!」
「ぜひお願いいたします!」
よし。じゃあ、今日はそれでいこう。
クリスティアも喜んでるし、隣にいるカタリアさんもうなずいてる。
連れていっても大丈夫のようだ。体調的に。
「村の皆さまから頂いた食材で、朝食を準備いたしました。『辺境の王』さまも、義妹君も、よろしければ食べていってください」
「ありがとう。いただくよ」
俺が言うと、玄関とリビングの間にある壁が『ヘイッ』と、4人並んで通れるスペースを開けてくれる。
そんなわけで、俺とハルカとクリスティアは一緒に朝食を食べて──
その後で『辺境観光ツアー』に出掛けることになったのだった。
「ここが『ハザマ村』の畑だよ!」
「……わぁ」
村の北側にある畑を見て、クリスティアは目を見開いた。
ここは、まわりの森を開拓して作った、一大耕地。
クリスティアは、村に来るとき馬車の中から見ていたけれど、実際に足を踏み入れると、違う感動があるようだ。
目の前に広がるのは、一面の麦畑。
朝の風を受けて、麦の穂が波のように揺れている。
その向こうには『フララ豆』と『ホロロモロコシ』の畑もある。
どちらも、そろそろ収穫がはじまる頃だ。
「……辺境にこれほどの農地があったとは」
侍女のカタリアさんもおどろいている。
「……この目で見ても信じられません。辺境とは、人の少ないやせた土地のことを指すものなのに、こんなに豊かな農地があったなんて……」
「これが大地の魔力の力ですか? 『辺境の王』さま」
クリスティアの問いに、俺はうなずいた。
『竜脈』を活性化させた土地は、作物の育ち具合がすごく良くなる。
辺境ではもう、麦も豆も年3回は採れるようになってる。
おとなりのシルヴィアやキャロル姫からも「なぜか作物の収穫量が1・5倍になってるんですけど!?」って報告が来てるんだ。
シルヴィアが言うには「最近、収穫した分だけで、1年間は城にこもって戦えるのですが。籠城戦なら負ける気がいたしません」だそうだ。
シルヴィアの言うとおり『キトル太守家』が籠城戦を戦った場合、おそらく食料が不足することはない。
『結界転移』で辺境からいくらでも運び込めるからだ。
うちも大量の備蓄ができたからな。
『十賢者』が攻めてきたら、『キトル太守家』には徹底的に食料と武器の支援をするつもりだ。
「始祖さまの力である『竜脈』には、作物を生長させる力があったのですね……」
麦畑をながめながら、クリスティアはため息をついた。
「ふっふーん。作物のできがよくなるだけじゃないんだよ?」
「どういうことですか。えっと……ハルカさま?」
「すぐにわかるよ。リズ姉が、クリスティアちゃんに見せるつもりで準備してたから」
ずどどどどどどどどっ!
ハルカがそう言ったとき、大量の足音が響いた。
「あ、来たよ。兄上さま」
ハルカは草原の向こうに手を振ってる。
その先からやって来たのは──
『ヘイッヘイッヘイヘイヘイ!』
『めぇめぇめぇめぇめぇめぇ!』
大量の『意志の兵』と、羊の群れだった。
「ちょ、ちょっと! もうちょっとゆっくり進んでください──っ!!」
リゼットは叫びながら、『意志の兵』と羊の群れを追いかけてる。
羊の群れは、辺境で飼い始めた家畜たち。
それを囲むように移動しているのは、羊の放牧を担当している、『羊塀部隊』だ。
ちなみに、ここにいるのは『羊塀部隊』の第2軍だ。
第1軍はもうちょっと南の草原にいて、人造生物のミルバが管理してくれてる。
「す、すいません兄さま。塀たちが、兄さまを慕って、すごい速度で来てしまいました。クリスティアさまもいらっしゃるというのに、失礼を……」
「いいえ、気にしないでください」
クリスティアは、好奇心いっぱいの顔で、塀に囲まれた羊たちを見ている。
「羊を間近で見るのは初めてですが……大きな生き物なのですね」
「いえ、クリスティアさま。一般的な羊とは、もう少し小さなものかと。これほど大きな羊は、辺境以外に存在しないのではないでしょうか?」
「そうなのですか? カタリア」
「はい。王都付近で飼われていた羊は、身体が細く、羊毛も痩せ細っておりました。けれど、この羊たちは──」
「……ふわふわですね」
『めぇめぇめぇ』
羊たちは塀 (羊の放牧専用なので背が低め)の上から顔を出してる。
クリスティアがおっかなびっくりで近づくと、うれしそうにその手をなめる。
当の羊たちの身体は……ふわりとふくらんだ羊毛に包まれてる。
ぶっちゃけ、全身アフロヘアーみたいな状態だ。
辺境の土地には『竜脈』の魔力が満ち満ちている。
だから作物が豊富なのだけど……そこに生えた草を食べた羊たちも、魔力の効果を受けたらしい。
そのせいで羊たちは、羊毛たっぷりの全身アフロヘアー状態になってしまった。
羊たちは別に気にしてないし、生きるのに問題はないようなのでそのままにしてるけど。
ちなみに、この羊たちの毛で編んだ布は伸縮が良くて丈夫だ。
『十賢者』との戦いが終わったら、南方に輸出しようと思ってる。
「あの、あのあの。『辺境の王』さま」
「どうした、クリスティア」
「……この羊たちに触っても、大丈夫でしょうか?」
「大丈夫だと思うけど……ちょっと待ってくれ」
念のため、安全対策をしておこう。
「聞いてくれ。この子は辺境に来たばかりの大切な客人だ」
『ヘイッ!』
『めぇめぇ!』
「その客人が、お前たちに触れたいと言っている。触れられてもいいと思うやつは前に出てくれ」
『ヘイッ!』『ヘイヘイ!』『ヘイホッ!』
『めぇ!』『メェ!』『めめめめめぇ!』
「……いや、触れたいのは塀じゃなくて羊の方で……じゃあ、大人しそうで小さくて一番もふもふのお前で。塀たちはフォーメーションを変更。羊を1匹だけ出して」
『『『ヘィホゥ!』』』
羊たちを囲んでた塀が形を変えて、一匹の羊だけを外に出す。
実は俺も、羊にはあんまり触ったことがない。
ただ、羊を管理してる『意志の兵』と話をしてるうちに、なんとなく羊たちとも意志が通じ合うようになったんだ。気のせいかもしれないけど。
『……めぇ?』
「本当に触っても、よろしいのでしょうか?」
「大丈夫だよ。ほら」
ハルカが羊の背中をなでると、うれしそうな声が返ってくる。
クリスティアは、スカートの裾を、ぎゅ、と握りしめながら、羊と見つめ合ってる。
リゼットとカタリアさんは……まるで歩き始めた子どもを見るような顔してる。しかも小声で応援してる。気持ちはわかる。
「そ、それでは……」
クリスティアは意を決したように、羊に近づいて──
「わ、わわっ」
こけた。
俺は慌てて手を伸ばす。
ぽふっ。
同時に羊が、その身体でクリスティアを受け止めた。
クリスティアはふわふわの羊毛の中。
俺が手をつかんだせいで、くるりと身体が反転して、仰向けに倒れ込んでる。
「ふわふわです。これが、羊……」
『めぇめぇ』
「あったかいです……はじめて触れました。私も……動物に触れることができるんですね……」
クリスティアは地面に座って、正面から羊に手を伸ばした。
『めぇ』
ぺろん、と、羊が、その手をなめる。
クリスティアはしばらく考えてから、腕を伸ばして、羊を抱きしめた。
「クリスティアさま。お召し物がよごれます」
「構いません。カタリア。それに……こうしてると、私も大地の魔力を感じるのです」
「……大地の魔力を?」
思わずたずねると、クリスティアは俺に向かってうなずいた。
「この羊たちは、良い魔力を含んだ草を食べてそだっています。こうして抱いていると、それがはっきりとわかるのです。きれいな魔力です。まるで、やさしい歌のよう……もっと、大地の魔力を感じなければ……」
「クリスティアさま……ああっ! いけません。地面に転がっては!」
「そうだよ。クリスティアちゃん。むきだしの地面に転がったらだめだよ」
「そうなのですか?」
「寝心地が悪いからね。転がるなら草の上だよ。大の字になって、こう」
「わかりました。ハルカさま」
ハルカとクリスティアは、並んで大の字になる。
さらにハルカは、羊を囲む『意志の兵』に向かって手を叩く。
『意志の兵』たちは俺の方を見た。
ハルカがなにを考えてるのかわかるような気がした。
……まぁいいか。
「いいよ。羊を出してやって」
「さすが兄上さま。ボクの考えなんてお見通しなんだね!」
「……うれしいです」
『『『ヘイッ!』』』
『めぇ』『めぇめぇ』『めぇーっ』
『意志の兵』が柵を開くと、羊たちがハルカとクリスティアのまわりに集まりはじめる。
そのまま羊たちは身体を横たえる。
ハルカとクリスティアは、もふもふの羊毛に囲まれて、気持ち良さそうに目を閉じてる。
「ああ。クリスティアさまのお召し物と髪が……ひ、羊が、腕をなめています。あとでお風呂に入っていただかなくては……」
「……まったく、ハルカったら」
あわあわしてるカタリアさんと、困ったような顔のリゼット。
ふわふわの羊たちに囲まれたクリスティアはうれしそうだ。
クリスティアは歌などのきれいなもの、それに、やわらかくてかわいいものが好きなんだろうな。
草の上を転がりながら、羊をなでて、笑ってるから。
「この後はお風呂だな。リゼット、温泉の準備はできてる?」
「はい。ショーマ兄さま。今日はリゼットたちとクリスティアさまたち専用ということで、村のみんなと話をしましたけど……念のため確認してきますね」
「よろしく頼むよ。ふたりがもふもふに満足したら連れて行こう。カタリアさんは、クリスティアの着替えを持って来てください」
「か、かしこまりました。『辺境の王』さま」
「急がなくていいですよ」
クリスティア……と、ハルカが満足するまでは、まだ時間がかかりそうだからね。
「……もふもふです」
「お気に入りの羊はいるかな? 毛刈りの時期になったら、その子でクリスティアちゃん用の綿入れを仕立ててあげるよ!」
「……もふもふなのに、羊毛を取っちゃうのはかわいそうです」
「あー、そうかもねー」
ごろごろ、ごろごろ。
もふもふ、もふもふ。
「クリスティアさまの着替えをお持ちしました」
「温泉の予約も確認してきました。それと、村のみなさまからおやつをいただきましたよ」
「わかった。それじゃそろそろ行こうか」
そう思って、俺は軽く手を叩いた。
ハルカとクリスティアを囲んでいた羊の群れが、ちらばっていく。
群れの中にいたふたりは──
「……寝てるな」
「ぐっすりですね」
「クリスティアさま、安心して眠ってらっしゃいます……」
草の上で、ハルカとクリスティアはくっついて眠っていた。
服も髪も、草まみれになってるけど、気持ち良さそうだ。
「起こすのはかわいそうだな。俺がハルカを背負うよ。リゼットはクリスティアを頼む」
「承知しました。兄さま」
通常状態の俺は腕力に自信がない。なので『鬼種覚醒』してハルカを背負う。
隣ではリゼットが、クリスティアを背負ってる。
カタリアさんには着替えとおやつを運んでもらおう。
「塀たちも、お疲れさま。放牧に戻ってくれ」
『『『…………ヘィ』』』
『『『…………めぇめぇ』』』
ふたりを起こさないためか、小声で返事が返ってくる。
そうして『意志の兵』と羊たちは、草原へと帰っていったのだった。
辺境の温泉へと向かう、散歩道。
「……大地の魔力を感じました……気持ちよかったです……」
リゼットの背中で、クリスティアがつぶやいた。
そっか。
楽しんでくれたなら、よかった。
「でも、残念です……もっと魔力があれば……私の『停滞』の力も……」
「停滞の力か……」
俺はカタリアさんの方を見た。
「あれは王都を脱出するときに、クリスティアを仮死状態にした力ですよね?」
「そうです。陛下は魔力が少ないため、ご自身を仮死状態にするのがやっとでした」
「初代竜帝は、もっと強い力が使えたんですか?」
「そうですね。初代の竜帝さまは、自分に向かって飛んでくる大量の矢を『停滞』の力で止めたと言われていますから」
そりゃすごいな。
そんな力があれば、『十賢者』が攻めてきても、簡単に追い返せるかもしれない。
「……魔力があれば、私の力もあふれだして……」
クリスティアの寝言は続いていた。
そして──
「……浴びるほどの魔力があれば……『停滞』の力を、『辺境の王』さまも使えるようにすることが……できるかもしれないのに……」
ぽつりと、クリスティアはそんなことを言ったのだった。