第110話「闇を見通す弓使いの目と、闇から現れた救援者」
──同時刻、『遠国関』の北の街道で──
「……はぁ。はぁ」
宮女カタリアは森を走っていた。
乗っていた馬は射殺された。
やったのは弓使いのカリクゥ=フエンだ。彼の矢は、夕闇にまぎれて走るカタリアの馬の後脚を貫いたのだ。
馬はそのまま倒れ、二射目で首を射貫かれた。
カタリアが馬の下敷きにならなかったのは、ただの幸運だ。
(…………もとより、私が逃げのびられるとは思っていません)
カタリアが走り続けるのは、カリクゥ=フエンを引きつけるためだ。
王都からの兵士の中で、彼が一番強い。
彼をこの場に引きつけておけば、それだけ仲間と『捧竜帝』が安全になる。
「──どうして逃げるのかな。カタリアどの」
木々の向こうから、カリクゥ=フエンの声がした。
「自分はあなたと取り引きをしたいだけなのだが」
「……取り引き?」
カタリアが答えると同時に、彼女の足元に矢が突き立つ。
思わずカタリアの身体が震え出す。
『カリクゥ=フエンには自分が見えている』──その事実を知り、逃げられないことを再確認する。
「──これが『十賢者』と軍師リーダルの腹心、カリクゥ=フエンの力……。豪弓と闇を見通す瞳を持つ超越者というのは……本当だったのですね」
「自分の二つ名を覚えていてくれたか。あなたとは、縁があるのだな」
カリクゥ=フエンの姿が見えた。
後ろに兵士を2人、従えている。カタリアの仲間の姿は見えない。
逃げ延びていて欲しいと思う。できれば『捧竜帝』を預けた宮女ソレルだけでも。
自分はここで終わる。
あとはできるだけ長時間、カリクゥ=フエンを引きつけようと、カタリアは決意する。
できるのはもう、それだけだった。
「────荷物のことがご心配ですか、カタリアどの」
「……なんのことでしょうか」
カリクゥ=フエンの問いに、カタリアは首をかしげた。
できるだけ平坦な口調で、言い返す。
「私たちは宮廷での生活が嫌になり、脱走しただけ。荷物など知りません」
「とぼけることはない。自分はあなたの味方だ」
「味方?」
「今回の件はそもそも謎が多い。軍師リーダルの『グルトラ太守領』討伐に、わざわざ『捧竜帝』陛下が食料と酒を出すということ。そのために宮女であるあなた方が同行するということ。どれも前例がないそうだ」
「ないでしょうね。私たちの目的は脱走ですから」
カタリアはカリクゥ=フエンを見据えて、言い返す。
「『十賢者』に支配された宮廷には、私たちは飽き飽きしておりますの。奴らの無法を正すこともしない軍師や将軍たちにも呆れています。ですから私たちは、宮廷を捨てることにしたのです!」
「『捧竜帝』陛下を置いて?」
「……ええ。しょせん私たちは雇われ者ですもの」
「『十賢者』に支配される宮廷で、それでも陛下に仕え続けたあなた方が? とても信じられないな」
カリクゥ=フエンは肩をすくめた。
「だから自分は考えたのだ。逆に、あなた方は『捧竜帝』を逃がすためにここまで来たのではないか、とね」
「まぁ、想像力が豊かなこと」
「あなた方がここまで必死になる理由が、他に思いつかなくてな」
「……だったら?」
「『捧竜帝』を渡せ」
馬上のカリクゥ=フエンは、弓を構えた。
「その権利を使い、自分が新たな勢力を旗揚げする。そうすればこの世界への貢献度も、俺がトップとなる。女神に願いを叶えてもらって、元の世界に戻ることができるだろう。結果的に世界は救われる。悪い話じゃないだろう?」
「……あなたのおっしゃることは、よくわかりません」
「『捧竜帝』を渡せ。あなたはこのカリクゥ=フエンの隣で、『捧竜帝』をサポートすればいい。それだけだ」
「陛下は……ここにはおりませんよ」
カタリアはゆっくりと後ずさる。
「仮に陛下がいらしたとしても、あなたに渡す気はありません。陛下は『十賢者』に魔力を奪われ続けてきました。お身体が弱かったのはそのせいです。魔力に満ちた場所で、ゆっくりと静養する必要があります」
「皇帝なのだ。利用されるくらいは当然だろう?」
「……あなたはなにも分かっていないのですね」
「分かっている。皇帝は使える、ということがな」
「…………陛下には感情というものがほとんどないのです」
絞り出すように、カタリアは言った。
「反抗できないように、幼いころから『十賢者』の儀式によって魔力を奪われ続けた副作用だと言われています。そのせいであの方は、ほとんど感情というものを持たなくなってしまった。たったひとつ口にされた願いが『知らない世界が見たい』……でした。その願いを、あなたは叶えることができるのですか!?」
「どうして自分が皇帝の願いを叶えなければいけない?」
「…………そうですか」
「皇帝はただの道具だ。自分が世界を平和にするためのね。このカリクゥ=フエンが成果を上げたあとであれば、自由にするがいい。世界のためには、個人の感情など不要だろう?」
「あなたも、そういうお方ですか!」
カタリアは後ろに向かって跳んだ。
そのまま、木を盾にしながらジグサグに走り出す。
ここは森の中だ。障害物が多い。
カリクゥ=フエンの弓にとっては不利なはず──
────とすん。
そう思った瞬間、カタリアの服の袖を矢が貫いた。
「────え」
矢はそのまま、後ろにあった木の幹へと突き立つ。
服を木に縫い止められた格好になったカタリアは、動けない。
思わず振り返った彼女の目の前に──矢が通るくらいの穴が空いた木があった。
カリクゥ=フエンの矢は、進路上にあった木を貫き、そのままカタリアの袖に突き刺さったのだ。
「奥義『貫通矢』。これが女神より頂戴した自分の異能だ。この弓の前では、障害物などなんの意味も持たない」
「────くっ!」
宮女カタリアは懐からナイフを取り出し、迷わず服の袖を切り裂いた。
自由になり、そのまま走りだそうとして──地面に転がる。
彼女のスカートの裾を、矢が貫いていた。
その矢は木の幹に突き刺さっている。再び木に縫い止められたのだ。
カタリアはまた、ナイフを振り上げる。
次の瞬間、今度はナイフを手にした側の袖を射貫かれた。
腕と腰をつなぎ止められたカタリアは、動けない。
「このままあなたが服を裂き続け、裸になるまで見ていてもよかったのだがな」
「……私をどうするつもりですか、カリクゥ=フエン」
「あなたがここにいる目的を話してもらう。それが『捧竜帝』に関わるものなら、その居場所を教えてもらおう」
カリクゥ=フエンが左右の兵士に指示を出す。
兵士たちは縄を手に、ゆっくりと近づいてくる。
「仮に『捧竜帝』を連れ出したのだとしたら……おそらく、他の領主の力を借りるはず。『グルトラ太守』か『キトル太守』か……皇帝への忠誠度が高いのは『キトル太守』だろうな。ならば自分が奪い返す。難しいようならあきらめて、軍師でも動かすさ。それはそれで、貢献度を上げる役には立つだろう」
「……あなたにとってはすべてが……出世の道具なのですか!?」
「どこがいけない?」
むしろ心外そうに、カリクゥ=フエンは首をかしげた。
「自分はこの世界の攻略法を常に考えている。だから先刻はあなたの気を引くために、鳥を射てみせた。あなたの美しさが側にあれば、モチベーションが上がると思ったからだ。でも、あなたの存在はマイナスの方が多──」
「──そうか。あんたがうちの子を傷つけた張本人か」
声がした。
反射的に、兵士たちが動きを止める。
同時にカリクゥ=フエンが周囲を見回す。陽はすっかり落ちて、森の中は闇が広がっている。それでもカリクゥ=フエンは目をこらし、声の主の居場所を探す。
「誰だ! 隠れても無駄だ。我が目は──」
「はるか上空を飛ぶ亜人の姿までも見通し、その翼を射ることができる。だろ?」
「あ、ああ。闇を見通すこの目の前では、何者であっても隠れることはできない!!」
カリクゥ=フエンの目が金色に変わる。
あれが『闇を見通す目』なのだろう。
周囲を見回していたカリクゥが動きを止める。声の主を見つけたらしい。
「──なんだその姿は!? 黒いコート……包帯、だと!?」
「すごいな。本当に俺を見つけたのか」
「貴様は何者だ! 『十賢者』より軍を預かるこのカリクゥ=フエンの邪魔を──」
「俺が気になるなら、よく見てろ。必殺! 『双頭竜絶対封滅斬』!!」
森の中に、光り輝く巨大な竜が姿を現した。
蛇のように長い身体を持つ、双頭の竜だった。
全身が激しく光を放ち、カタリアと兵士たち、カリクゥ=フエンを照らし出している。
まさに光の竜だった。
その姿は、見るものを捉え、光は森から闇を駆逐し──
「ぎぃやあああああああああ!!」
カリクゥ=フエンが、両目を押さえて絶叫した。
自慢の『闇を見通す目』で光を直視してしまったらしい。闇に慣れた目なら当然だ。カタリアだって一瞬、光に目がくらんだくらいなのだから。
「キミは、あの男に追われてたみたいだね」
カタリアのすぐ近くで、声がした。
まだ目がくらんでいて、姿がよく見えない。赤い髪で、角が生えているのだけはわかる。
「事情は後で。助けてあげるよ。動かないで。あと、ちょっとだけ脚を持ち上げて」
「は、はい!」
言われるまま、カタリアは両足を持ち上げた。
目の前の少女は腰に下げていた手斧をつかみ、振りかぶる。カタリアは思わず目を閉じる。一体それでなにするの!?
「兄上さまが『強化』してくれた、徹の斧だよ! 『鬼将軍』の『鬼の怪力』で……えいっ!」
すこーん!
とっても軽い音と共に、斧が木を貫通した。
カタリアが二本の矢で張り付けにされた、大木。
その幹を手斧が貫き、カタリアが繋がれた部分だけをえぐり取った。
「え、ええええええええっ!?」
「魔力ポーションは飲んだね、ヘイさんたち」
『ヘイ!』『ヘーィッ!』
カタリアの後ろで、別の誰かの声がした。
「それじゃ、この人を安全なところまで運んで。守ってあげて!」
『ヘイッ!』『ヘイヘイッ!!』
がしっ。
カタリアが拘束されている木が、なにか大きなものに受け止められた。
そのままカタリアは木ごと、『ヘイホッ』『ヘイホッ』と運ばれていく。
「い、一体……なにが。た、助かったのはわかりますが……」
カタリアはなんとか首をまげて、森の方を見た。
かすかに見えたのは、両目を押さえて立ち上がる、カリクゥ=フエンと──
「……あんたが誰かは知らない。けど、あんたは俺の身内を傷つけた」
黒いコートを風になびかせて、カリクゥ=フエンと対峙している男性と──
『グゥオオオオオオオアアアアアアア!』
そして、彼を守るように宙を飛び回る、双頭の竜だった。
(……もしも、あの方たちが味方なら……)
カタリアは自由な方の手で、胸を押さえた。
(『捧竜帝』さまをお救いするために……力を借りることができるかもしれません)
ヘイホッ、ヘイホと運ばれながら、そんなことをつぶやく宮女カタリアなのだった。
いつも「ゆるゆる領主ライフ」をお読みいただき、ありがとうございます!
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表紙のユキノとショーマとリゼットが目印です。
書き下ろしエピソードに加えて、陣形図も掲載していますので、ぜひ、読んでみてください!




