第108話「とある逃亡計画と、シルヴィアへのプレゼント(前編)」
──シルヴィア視点──
数日後。
シルヴィアは将軍ヒュルカを連れて、城を出発した。
密書にあった『貴人』を迎えに行くためだ。
「シルヴィア姫は、私がお守りいたします。ご安心ください」
「頼みますよ。ヒュルカ」
シルヴィアは兜を被った女性に向かってうなずいた。
彼女は美貌の将軍ヒュルカ。レーネス姫の直属だ。
『辺境の王』と出会ってから、シルヴィアは彼女とも仲良くなった。
もっとも、素顔を見たことは数回しかないのだけれど。
「それにしても、姫さまが『辺境の王』と結婚されるとは思いませんでしたよ」
「……それはまだ、秘密にしておいてくださいませ」
「もちろんです。ところで『辺境の王』はお元気ですか?」
「ええ。なにか調査をするとおっしゃっていました」
シルヴィアは昨日のことを思い出す。
昨日の昼ごろ、ハーピーのルロイが伝令として訪ねて来た。
ショーマから話がある、ということだった。
シルヴィアが「わかりました」というと、夕方、ショーマは彼女の部屋に転移してきたのだ。
「ユキノとの結婚式の日程が決まったよ。これが招待状だ」
ショーマはそう言って、シルヴィアに木の札を差し出した。
「それと、明日か明後日くらいに『キトル太守領』の南で調査をするつもりなんだ。『キトル太守領』の上を俺やハーピーが行き来するけど、いいかな?」
「もちろんです。『キトル太守領』と辺境の者は、互いの領土を自由に通行できることになっておりますから」
「助かるよ。あとでお礼になにか持ってくる」
「お気を遣わないでください。わたくしたちは同盟者なのですから」
「そうだな。じゃあ、助けが必要なときは言ってくれ。急いで駆けつけるから」
「わかりました。その際は、空に矢を放ちますね」
「それなら、これを渡しておくよ」
ショーマはどこかの空間から、朱色の布を引っ張り出した。
「これは俺が用意した『救援の布』だ。助けが欲しいときは、矢に結びつけて空に放ってくれ。近くにいたら助けに行くから」
「おまじないのようなものでしょうか」
「そんな感じだ」
「ありがとうございます。ショーマさま」
シルヴィアは朱色の布を、髪に巻き付けた。
辺境で作ったものなのだろう。手触りもよく、色合いもきれいだ。
鏡を見ると、シルヴィアの金色の髪によく似合っていた。
「大切にしますね。ショーマさま」
「それと、これも渡しておくよ。護身用に」
「木の棒に石の穂先がついていますね。石の槍ですか?」
「ああ。『いしのやり』だ」
「ありがとうございます。使わせていただきますね」
「それじゃ、結婚式の前日に迎えに来るから」
そう言ってショーマは『結界転移』で帰って行ったのだった。
それが昨日のことだ。
『救援の布』はシルヴィアの髪を飾っている。
石の槍は、馬の鞍に結びつけてある。
ショーマがくれたものだから、肌身離さず持っているつもりだった。
「姫さま。まもなく、密書にあった地点の近くです」
しばらく街道を進んだあと、将軍ヒュルカが馬を止めた。
場所は『キトル太守領』から半日の距離にある、森の近くだ。
「このあたりで待つべきかと考えますが」
「そうですね。野営の準備をしましょう。貴人が現れるのは夜更けと書かれていましたから、それまで休憩しましょう」
シルヴィアは兵たちに野営の準備をさせる。
場所は、街道に近い森の中。『キトル太守領』からは半日の距離だ。
シルヴィアは火を使わず、
用意していた保存食を食べるように指示を出す。敵に見つからないための用心だ。
あとは夜まで体力を温存すればいい。
「……密書にあった貴人とは、本当に『捧竜帝』さまなのでしょうか」
皇帝を『キトル太守領』で保護することになったら、世界が変わる。
キトル太守家は陛下を奉じて、諸侯に命令することができる。
軍をまとめて『十賢者』を討伐することもできるだろう。
「そうなったら、辺境の皆さんはどうするのでしょう……」
例えば『捧竜帝』が辺境の力に興味を持ったら?
兵を使って、辺境に手を出そうとしたら?
「……そのときは、わたくしが全力で止めるだけです」
言葉が、自然と口をついて出ていた。
思わずシルヴィアは笑顔になる。
自分がもう、辺境の──ショーマの仲間だということに気づいてしまったからだ。
「せめて、今回の作戦がよい結果を導くことを祈りましょう」
シルヴィアは兵士が設営した天幕に入り、目を閉じた。
作戦開始は夜。
それまで、休んでおくべきだった。
──同時刻。宮女カタリア視点──
宮女カタリアと兵士たちの荷馬車は、街道近くで野営の準備をしていた。
王都を出て、すでに2日が経っている。
『遠国関』は昨日通過した。
明日には、農民兵たちのいる出城に着くだろう。
「皆さま。お役目ご苦労様です」
野営の準備が整ったあと、宮女カタリアは兵士たちに頭を下げた。
それから、荷馬車の後ろにある樽を指さして、
「こちらの樽には、皆様のために準備したお酒が入っています。明日は荷ほどきで忙しくなりましょう。どうか、今日のうちに飲んでください」
「「「おおおおおおおっ!!」」」
宮女カタリアの言葉に、兵士たちが歓声を上げた。
彼らは次々に樽の前に並び、水筒に酒を入れていく。
さらにカタリアは別の女官に命じて、豆の入った袋を開ける。それを火にかければ、格好のつまみになる。
兵士たちはさらに歓声を上げ、宴会が始まる。
「カリクゥ=フエンさまもいかがでしょうか。見張りは、私たちがいたしますので」
「必要ない」
戦士カリクゥ=フエンは首を横に振った。
彼の左右には、槍を構えた兵士がいる。
カリクゥ=フエンの直属兵だ。
彼らは馬に乗ったまま、カリクゥ=フエンの隣に控えている。
「仕事中だ。オレまで酒を飲んでしまったら、こいつらに示しがつかない」
カリクゥ=フエンは左右の兵を見て、肩をすくめた。
「それに、祝杯を挙げるのは、すべてが終わった後と決めているからな」
「すべてが終わった後、ですか?」
「今にわかる。なぁ、宮女カタリアどの」
「……なんでしょうか」
「あなたは美しい。どうだ。この仕事が終わったら、自分に仕える気はないか?」
戦士カリクゥは、宮女カタリアを見つめた。
「乱世では強い者につくべきだろう? この国で最も強いのは王都と『十賢者』の軍だ。自分はそこで、いずれ大将軍の地位を得ようと思っている」
「お志が高いのはよいことだと思います」
「高い地位には、それに応じた花がいる。カタリアどのは気品があり、美しい。充分、大将軍のかたわらにあるのにふさわしいと思うが?」
「私は『捧竜帝』さまに忠誠を捧げております」
宮女カタリアは頭を下げた。
「『奥の院』に務める者は皆そうです。あの方の幸せが、私たちの幸せと心得ております」
「陛下は病弱と聞いているが」
「関係ありません。陛下こそが、このアリシア国の権威なのですから」
「見たこともない権威よりも、目に見える力の方が重要だと思うがな」
「初代の竜帝陛下は、見えないものこそ重要だとおっしゃっていたそうですが」
「とっくに死んだ皇帝の話なんか知らんな。見ろ」
戦士カリクゥ=フエンは頭上を指さした。
雲の近くを、鳥のようなものが飛んでいる。
「『捧竜帝』陛下は、あの鳥を射落とすことができるか?」
「……陛下は優しいお方です。罪もないものを殺めることは嫌っておられます」
「乱世では、力を持たぬことこそ罪だと思うがな」
戦士カリクゥ=フエンは背中から大弓を降ろした。
矢をつがえ、空に向かって構える。
「では、殺さぬことにしよう。我が弓の異能を見るといい」
「やめてください。カリクゥさま!!」
「奥義『狙撃一矢』」
カリクゥの手から矢が離れた。
一瞬遅れて、上空を飛んでいた鳥がぐらり、と体勢を崩した。
矢に翼を裂かれたのだ。
「カタリアどのに嫌われたくないからな。殺生はしなかったよ」
「……あなたの力は、よくわかりました」
「皇帝陛下の権威とやらは、これに勝る力があるのか?」
「私は力に忠誠を捧げているわけではありません」
「怒らせてしまったようだな」
カリクゥ=フエンは肩をすくめた。
「見回りに行く。なにかあったら声をあげてくれ。すぐに駆けつける」
「お供いたします」
「お守りいたします」
カリクゥ=フエンと彼の直属兵は、そのまま走り去った。
宮女カタリアは、カリクゥに射られた鳥を見ていた。
時刻は夕暮れ時。鳥たちの姿は影にしか見えない。
妙に尻尾が長い鳥だった。まるで人の脚のようなかたちだ。
鳥はまだ飛んでいる。
正確には、もう一羽の鳥が支えているのだ。
同じサイズの2羽の鳥は、しばらくして姿を消した。
「……あの鳥。人間の子どものようにも見えましたね」
「カタリアさま」
宮女カタリアが空を見上げていると、すぐ側で声がした。
仲間の女官だった。
ふたりは周囲の気配をうかがいながら、人のいない木陰へと移動する。
「用意ができました。兵たちには充分、酒が回っております」
「承知いたしました」
見ると、荷馬車を中心にして、兵士たちは酒盛りを続けていた。
彼らは声をあげ、酔っ払っている。
荷馬車から米俵がひとつ、消えていることには気づいていないようだ。
「『あの方』は?」
「仮死状態の魔法が効いております。呼吸も鼓動も、感じ取れないほどゆるやかです」
「移動用の袋に移しましたか?」
「はい。ダミーの袋も用意いたしました。すべて、馬にくくりつけてあります」
「では、計画を実行に移しましょう」
計画は単純だ。
農民兵に届ける荷物の中に『あの方』を隠す。
『遠国関』を出たら、宮女カタリアが『あの方』を連れだし、『キトル太守領』を目指す。
他の者はダミーの袋を持って、それぞれ別方向に逃げる。
ダミーの袋の中には、宮廷で使っていた服や貴金属が入っている。
しばらく潜んで暮らすには充分だ。
表向きは、宮女の脱走として扱われるはずだ。
『十賢者』たちは、『捧竜帝』のいる『奥の院』を無視している。
建物は壊れかけて、『捧竜帝』の食事さえもままならない。
『十賢者』にとって皇帝はただ『そこにいるだけ』の存在だ。
そして、奴らはいずれ皇帝陛下を殺すだろう。
宮女カタリアも、他の女官たちも、『十賢者』と軍師たちの言葉を聞いている。
「女神ネメシスの名のもとに、乱れたこの国を壊して作り直すのだ」
──と。
「作戦を変更いたします」
不意に、宮女カタリアは言った。
「あの方は、お前が連れ出しなさい」
「カタリアさま?」
「私は、カリクゥ=フエンに目をつけられました。ならば、私が奴を引きつけます」
「ですが、それではカタリアさまに危険が。『あの方』にはあなたが必要なのですよ!?」
今回の脱出劇を動かしてきたのはカタリアだ。
彼女が捕まってしまったら、どんな目に遭うかわからない。
「今はあの方を脱出させるのが最優先です」
カタリアは宣言した。
「幼いあの方を、なにも知らないままに死なせるわけにはいきません。全員、配置につきなさい」
「はい。カタリアさま」
ここからは時間との勝負だ。
戦士カリクゥ=フエンが戻るまでに、どれだけ距離を稼げるか。
『キトル太守』に伝えた場所に、夜までにたどり着けるか。
そうして宮女カタリアと女官たちは、作戦を開始したのだった。
いつも「ゆるゆる領主ライフ」をお読みいただき、ありがとうございます!
次回、第109話は明日か明後日くらいに更新する予定です。
書籍版2巻は2月10日発売です。
表紙も公開されました。「氷結の魔女」を目指す謎の少女ユキノが目印です!
書き下ろしエピソードも追加していますので、ぜひ、読んでみてください!




