第107話「王都での陰謀(その3)と、シルヴィアの悩み」
──王都にて──
数日後。
酒と穀物を乗せた荷馬車が王都を出発した。
兵士十数人と、数名の女官を引き連れての旅だった。
「止まっていただこう!」
王都の北門の前で、門番たちが馬車を止めた。
「この先は『キトル太守領』と『グルトラ太守領』に通じる街道である」
「だが、現在『十賢者』さまの命令で、この2領との交易は禁止されている」
「通るならば許可証を示していただきたい!!」
門番たちは槍を構え、荷馬車を見据えていた。
住民や兵士たちが見守る中、ひとりの女官が、前に出た。
「こちらは『十賢者』ザッカスさまの命により、盗賊退治に向かった兵をねぎらうための酒食です」
女官は門番に向かって叫んだ。
荷馬車の脇で、護衛の兵士が満足そうな笑みを浮かべる。
護衛の兵士たちはすべて『十賢者』の配下だ。
この荷物は『捧竜帝』が、農民兵をねぎらうために手配したものだ。
だが、関所を通りやすくするという名目で、『十賢者』ザッカスが手配したものということにされている。
出発してすぐに、女官──カタリアもそれについては聞かされた。
彼女に拒否することはできなかった。
今は一刻も早く、北に荷物を届けることが重要だったからだ。
彼女の後ろには、数台の荷馬車が続いている。
乗っているのは米や麦が入った俵と、酒が入った樽だ。
女官カタリアは振り返り、兵が荷物に触れていないことを確かめる。
それからまた門番の方を向いて、叫ぶ。
「現在、兵たちは盗賊退治のため戦っていらっしゃいます。それをねぎらおうという、『十賢者』さまのお心遣いです。お話は通っているはずです。どうか、速やかにお通しください」
「ああ。そうだなぁ」「だが、オレたちも役目があるからなぁ」
門番たちは興味深そうに荷物を見ている。
女官カタリアにとっては、それも織り込み済みだ。
彼女は門番たちの前に出て、懐から銀貨を取り出した。
「お役目、ご苦労様です。あなたがたのお陰で都の治安は守られていると、住民一同感謝しております」
そう言って彼女は素早く、門番の手に銀貨を載せる。
「些少ではありますが、どうぞ、お納めください」
「お、おお。そうか」「感謝の気持ちであれば、受け取らぬわけにはいかぬな!」
「荷物の中には、門兵さまに差し上げる分もございます。最後尾の荷馬車より、樽をひとつお取りください。上級の酒が入っているはずです」
「「「おおおおっ」」」
門兵たちが後ろの馬車に集まる。
数人がかりで酒の入った樽を持ち上げ、運んでいく。
同時に女官カタリアは手を振り、馬車を進ませる。
彼女は無意識に、馬車の荷台に触れていた。
手で押さえたところで揺れが止まるわけではないが、それでも、揺れないように願わずにはいられない。『あの方』の一族に代々伝わる魔法が、無事に効果を発揮しているようにと──
「荷物が気になりますかな? カタリアどの」
不意に、兵士のひとりが訊ねた。
「荷物が崩れることを心配するより、盗賊に奪われることを心配した方がいいでしょう」
「そうですね」
「農民兵たちがいる出城までは少し距離があります。その間には盗賊も出ますからね。もう少し、兵が多ければ心配もいらないのでしょうが……」
兵士は後ろを見た。馬車を守る者は十名弱。
これだけの荷馬車を守るには少ない方だ。
「北方には『辺境の王』を名乗る亜人もいると聞きます。いずれ討伐されるのでしょうがね」
「辺境の近くでは自由な交易が行われているとも聞いておりますが」
「ほぉ、誰からですかな?」
「……知人の旅商人からです」
「あんな流れ者の言葉を信じるものではありませぬよ」
「奥の院には情報が入って参りませんので。かすかな情報でも重要なのですよ」
「それは『十賢者』さまへの不満ですかな?」
「いいえ。ただの事実です」
「……王都に戻ったらザッカスさまへ報告いたします」
「……ご自由にどうぞ」
荷馬車が門を通り抜ける。
カタリアが振り返ると王都の町並みが見えた。宮廷の屋根も。
「……ここまで来てしまいましたね」
きっかけは、ふとしたことで出会った旅商人の言葉だった。
『大陸の北が平和になった』
『特に辺境がすごい。うまく言えないけれどとてもすごい』
『辺境の側だから「キトル太守領」も「グルトラ太守領」も安全に通れる』
彼女たちは口々に、そんなことを言っていた。
宮女カタリアも、彼女が仕えている主人も初耳だった。
だが、旅商人たちが嘘を言っているようには思えなかった。
彼女たちはすごく楽しそうで、なにか素敵な秘密を抱えているようだったのだ。
宮女カタリアたちはずっと、『キトル太守』のアルゴス=キトルに期待していた。彼が『十賢者』を滅ぼし、国を正してくれることを望んでいたのだ。
だが、アルゴス=キトルは『グルトラ太守』に捕らえられてしまった。
今は自由になったようだが、もはや彼が助けに来てくれるとは思えない。
宮女カタリアが主人を守るには、自分自身で動くしかないのだ。
これは賭けだった。
本当に北の辺境が平和になり『キトル太守領』が安全な場所になったのなら、カタリアと彼女の主人は、太守領の城までたどりつけるかもしれない。
手は打った。
あとは幸運を祈るだけだ。
「────少しだけ辛抱してください。私が必ず、あなたさまをお助けいたします」
俵に触れながら、宮女カタリアは言った。
これから荷馬車は『遠国関』を通り、農民兵のいる出城に向かう。
同行している兵士たちにはやる気がない。
出し抜くことくらいはできるはずだ。今は、時を待つべき。
宮女カタリアが自分にそう言い聞かせたとき──
「そこの荷馬車! 待たれよ!! 動かずにそこで待つのだ!!」
不意に、背後で叫び声が聞こえた。
一瞬、カタリアの心臓が跳ねた。彼女は懐に忍ばせたナイフを手に振り返る。
そこにいたのは──馬に乗った、小柄な少年だった。
軽装の鎧をまとっている。
背中には、巨大な弓。馬の腰にはいくつもの矢筒をぶらさげている。
「『十賢者』ザッカスさまと軍師リーダルさまの命令で、荷馬車の護衛をすることになった。名はカクリゥ=フエンだ。よろしく頼む」
鎧をまとった少年は、笑顔でそう言った。
「護衛はここにいる者だけで充分と……軍師リーダルさまにはそう伺っておりますが」
震える声を抑えて、カタリアは言った。
「カクリゥさまはトウキ=ホウセさまと並ぶほどのお方と聞いています。荷馬車の護衛など……お願いするほどのことでは……」
「護衛の後は、農民兵を率いての任務があるのだ」
少年カクリゥは胸を張る。
「それに、自分にとっては護衛などたいした手間ではない。盗賊や魔物など一矢で仕留めてみせよう。相手がどれほど遠くにいようともな。だから、安心するがいい」
「……かしこまりました」
宮女カタリアは頭を下げた。
俵を押さえながら、深呼吸する。
大丈夫……まだ、失敗したわけじゃない。対策は考えてある──心の中で、そうつぶやきながら。
「それでは出発しよう。どうか大船に乗った気でいるがいい!!」
そうしてまた、荷馬車は動き出す。
目的地は『遠国関』。そして、そこから1日の距離にある出城だ。
現在は昼過ぎだから、野営まではあと数時間ある。
日が暮れれば『荷物』を確認できる──そうつぶやきながら、カタリアは荷馬車と並んで歩き始めた。
──同時刻、『キトル太守』の城にて──
「王都から密書が届いただと!?」
ここは、キトル太守領の城。
執務室にいるシルヴィアの元に、姉レーネスが飛び込んできた。
「……レーネス姉さま」
シルヴィアは青い顔で姉を見た。
密書が届いたのは昨日の夜だ。
それから朝まで、シルヴィアは一睡もすることができなかった。
内容が重大すぎただったからだ。
「はい。王都の……おそらくは『捧竜帝』さまに近い方からです。宮廷で使われる印が押してあると、父上も言っておりました。内容は……」
シルヴィアは封が解かれた紙を、レーネスに手渡した。
目を通したレーネスの顔がこわばる。
密書に書かれていたのは──
「『──貴人が王都を脱出される。どうか、迎えに来られたし』……だと!?」
「日付も指定されています」
「貴人とは!?」
「これが王都の奥の院から出されたものであれば、『捧竜帝』さまに近い方でしょう。もしかしたら……陛下本人かもしれません」
「陛下が王都を捨てると……?」
「今の王都を治めているのは『十賢者』です。陛下はほとんど……いえ、即位されてから全く人前に出ていらっしゃいません。病弱だからとは聞いていますが……ご本人が、『十賢者』のせいで表に出られないというのであれば……王都を捨てるのも無理はありませんね」
「父上とミレイナ姉さまはなんとおっしゃっている?」
「父上は……『捧竜帝』さまが関わることであれば、力を貸すべきだと」
シルヴィアは絞り出すような声で言った。
『キトル太守家』は代々、大臣や宰相を輩出してきた名家だ。
シルヴィアの父アルゴス=キトルは『十賢者』を追い払い、宮廷で高位に就くことを望んでいた。
『捧竜帝』陛下が王都を脱出するというなら、手を貸さないわけがない。
「……陛下が『キトル太守家』に来たなら、我が家が『十賢者』以上の権威を持つことになります。各太守に呼びかけて、兵を集めて、『十賢者』を討つこともできるでしょう」
「父上と姉上が元気であればな。迷うことなどないのだが」
現太守アルゴス=キトルと、長姉ミレイナ=キトルは病床についている。
ずっと『グルトラ太守領』に幽閉されていたからだ。
そのことは領民や、兵士たちも知っている。
本来なら、もっと動揺してもいいはずなのだが──
「我が領土の北には、強い同盟者がおりますからね」
こんなときなのに、笑みがこぼれてくる。
シルヴィアにとって心強い同盟者であり、尊敬できる男性であり、これからシルヴィアの夫となる人──『辺境の王』。
彼は不思議な力を使って、『キトル太守領』から魔物を一掃してくれた。
さらに動く塀型ゴーレム『意志の兵』を、シルヴィアに貸してくれている。
おかげで太守領の防備は完璧だ。
領主の病気という状況であっても、民や兵士は落ち着いて暮らしている。
「シルヴィアよ」
「はい。レーネス姉さま」
「密書の件を、『辺境の王』に相談するのはどうだろうか」
レーネスは真剣な顔でつぶやいた。
「私にとっては恐ろしい者だが、お前の同盟者でもある。力を貸してくれるのではないか?」
「…………いいえ」
シルヴィアは首を横に振った。
「この件は『キトル太守家』だけで解決するべきでしょう」
「意外だな。シルヴィアは、あの者を心の底から信じているように見えたのだが」
「もちろん、信じております。あの方は、これからわたくしの夫となる方なのですから」
「政略結婚であろう?」
「…………え?」
「え?」
「……あ、はい。政略結婚でした。そうです! わかっております」
真っ赤な顔で姉を見るシルヴィア。
それから彼女は胸を押さえて、ため息をついて、
「ですが、わたくしはあの方を大切に思っています。だから、王都の政変などには巻き込みたくないのです」
シルヴィアは辺境でのことを思い出す。
──鬼族のハルカと、笑いながらドレスの着付けをしていたこと。
──彼女がはしゃいで、ドレスをぐちゃぐちゃにしてしまったこと。
──リゼットと一緒にハルカを叱りながら、なんだか楽しくなってしまったこと。
──しょんぼりする彼女と一緒に、辺境の温泉に入ったことを。
その後、シルヴィアはリゼットの着付けをして、結婚式に参列した。
ショーマの隣に並ぶリゼットを見ながら『早く自分の番になればいい』──そう思ってしまった。
ショーマといると、彼女は『シルヴィア姫』ではなく、ただの少女のシルヴィアになれる。
それが楽しくて……くすぐったくて──
いつの間にかシルヴィアにとって、辺境は大切な場所になっていた。
「ショーマさまには、領土への野心も、天下への野心もありません」
シルヴィアはきっぱりと言い切った。
「そのような方を、権力者同士の政変に巻き込むべきではありません」
「つまり、お前が協力を頼んでも、『辺境の王』は首を縦に振らぬと?」
「……そうではないのです。姉さま」
むしろ、逆だ。
シルヴィアが頼めば、ショーマは力を貸してくれるだろう。
彼はシルヴィアに、自分の秘密を教えてくれた。彼女を仲間だと思ってくれているのだ。
そんな彼を、『キトル太守家』の事情に巻き込みたくない。
『捧竜帝』を手に入れようとしているのは、シルヴィアの家族なのだから。
「陛下に忠誠を示すのは、大臣と宰相を出してきた我が家の役目です。ショーマさまたちの辺境は安らげる場所です。巻き込んで、あの地に敵兵を向けさせるわけには参りません」
「シルヴィア」
「なんですか、姉さま」
「お前、これが終わったら『辺境の王』の元へ行ってもいいのだぞ」
「な、なにをおっしゃるのですか!?」
シルヴィアの顔が、ぼっ、と赤くなった。
レーネスは薄笑いを浮かべながら、
「いや、もう今の一言でわかった。『捧竜帝』さまの件が終わったら、お前は辺境に行っていい。あの王には3人の嫁がいるのだ。さっさと行って、居場所を確保するがいい」
「つまりわたくしをはいじょして、けんりょくをにぎるおつもりですねー。ねえさまー?」
「思ってもいないことを言うな。ばか者」
レーネスはシルヴィアの額を突っついた。
シルヴィアは思わず噴きだす。
まるでふたりとも、小さい子どもに戻ったかのようだった。
今は素直に、レーネスが自分のことを思ってくれているのだと、信じられる。
それも『辺境の王』がシルヴィアにくれたもののひとつだ。
「では、密書の件は『キトル太守家』で対応するということで。わたくしは文官たちを集めます」
「うむ。私は兵を出せるように準備しておこう」
「お願いいたします。姉さま」
「お前はいつでも嫁にいけるように準備しておけ」
「そういう話は後です! 姉さま!!」
こうしてシルヴィアとレーネスは、それぞれの準備のために、動き始めたのだった。
いつも「ゆるゆる領主ライフ」をお読みいただき、ありがとうございます!
書籍版2巻の発売日が決定しました! 2月10日です。今巻からユキノも本格参入です。
孟達さまの美麗イラストに加えて、新規エピソードも追加してますので、ぜひ、読んでみてください!




