花の名前、そして羊の顛末【九章番外編】※
三人目はライアン氏です。
ちょこっと九章後のお話を含みます。
――愛おしくて。
イエリオス・エーヴェリーという男はいつだって身勝手だ。
そもそも、いくら顔がそっくりだからといって女装してまで妹の代わりをする自体、私には理解出来ない。そこにどんな理由があろうとも。……まあ、知ろうとも思っていないが。
初めて会った時から、この男とは相容れないと思っていた。それはこれからもきっと変わる事はない。
「……何です?」
夕焼け色に染まるは月光を溶かして染め込んだ色の長い髪。まるで美の女神が渾身の力を込めて誂えたような美しい顔が歪み、少しばかり煩わしげであるのはきっと気のせいではないだろう。
エルフローラを巡り彼とはいがみ合いながらもそれなりにお互いの人格を知り、そしてエーヴェリー卿の審問会の一連の事件を経てして、再びこのような顔を見る事になるとは思いもしていなかった。
記憶を失ったというのはどうやら本当の事らしい。
彼――イエリオス・エーヴェリーが妹と入れ替わってグランヴァル学院に入学してから最近までの記憶を無くしたと知ったのは、滅多に赴く事がない城から召集された時の事だった。私を呼んだのは陛下ではなくイエリオスの父君である現宰相イルフレッド・エーヴェリー公爵とその補佐を務めるクロード・ミルウッド公爵、つまりミルウッドのおじ様である。
そこで知らされた事とは、彼が記憶を失ったきっかけとなった事件とその真相だった。
けれど、いまだその黒幕が逃亡中である事からイエリオス・エーヴェリーをアルミネラ・エーヴェリーとして一時的にグランヴァル学院に通わせるというのだ。二人は私も彼ら双子が入れ替わっているのを知っているとは思ってもいなかった。だから、こうしてグランヴァル学院の現生徒会長である私に補助を求めてきたという訳だった。
そういった要請もあって、アルミネラ嬢――否、イエリオス・エーヴェリーが何の問題もなく学院で過ごせているものの、あまりにもこの男が腑抜け過ぎて先日とうとう苛立ちをぶつけた所だった。
しかも、先の事件で白紙にされた私の大事な可愛い幼馴染みのエルフローラとの婚約も再び取り付けようともしていない。私がどれだけエルを渇望しているのか、そして私がどれだけ苦汁を飲んでこの男とエルの婚約を受け入れたのか。
今のこの男には何も分かっていなかったのだ。
許せるはずなどないだろう、男として。
あの時、奇妙な技で私を机ごと倒してしまう気概を失った男をけしかけて何が悪いと言うのだろうか。
だが、それがこの失態だ。
あれからずっと警戒されているようで、私と二人きりになるとこの男は目線すら合わせたくないらしい。それならそれで結構だとも。
「念のために聞いておくけれど、あの話は本当かい?」
しかし、エルとセラフィナ嬢が席を外している今、確認しておかなければならない件が一つあった。
「あの話?」
それは――
「アルミネラ嬢がリーレンに転校して、君が本来の君としてここに転校するという話の真偽だよ」
現在、学院内ではエーヴェリー公爵家の双子の話題が持ちきりなのだ。それもそのはずで、喩え階級が公爵家であろうとも貴族の子の転入や転校にはさして誰も興味は持たない。
ならば、彼らがどうして双子の動向をそこまで気にしているのかというと、アルミネラ・エーヴェリー嬢は次期国王となる王太子の婚約者であるのに騎士を目指すという特異な令嬢で、後に側近に取り立ててもらいたい令嬢たちはどう動けば良いのか腹の探り合いが繰り広げられているようだ。アルミネラ嬢から寵愛を受けさえすれば重要な席に取り立ててもらえるのは間違いがないのだから。
だが、アルミネラ嬢が婚約を取り消して騎士になるというのならば、彼女たちには何の利益にもならない。友情よりも将来に重きを置く彼女たちにとって、今の状況はあまりにも不安定といえる。
その点、エルフローラは心優しき淑女だけあってアルミネラ嬢との友情を大事にしていて、さすがは私の幼馴染みだと誇りに思う。ああ、エルの話は尽きないので今は置いておくとして。
もう一人のエーヴェリー、つまりイエリオス・エーヴェリーについては、言わずもがな公爵家の嫡子であり殿下が心替えをしなければ次の宰相になる男だ。そうすると、子息連中にとっては己の安泰の為にどうしても繋がりを持っておきたい相手と言って過言ではない。そして、ご令嬢たちはエルとの婚約も白紙となった今、誰もがこの男の婚約者になれるかもしれないのだ。
傾国の美姫と謳われたエルメイア・エーヴェリー公爵夫人の美貌も受け継いでいるため、この男に身を焦がしているご令嬢は多い。私には理解出来ないけれど。
だいたい、この男の何処が良いというのだろうか。
確かに儚げで美しい容姿ではあるが、表情がころころと変わるからそこに目がいって気に障る。
しかも、世間では優秀との評判を得ているが抜けている所があるし、たまに見られていないと思って顔を緩めて鼻歌を歌うなど油断している事がある。そういえば、この間なんて窓の外をずっと真剣な顔で眺めているから何事かと思っていたら、蝶が鳥に追いかけられているのを見ていたのだ。
全く、こんな男の何処が良いというのか。……ああ、うん、この男の腑抜けな所を述べると枚挙に暇がないな。
「知ってどうするおつもりですか」
誰か、この男に口の利き方について説いてほしい。
「私はこの学院の生徒会長だからね、学院内で騒動が起きても最小限となるよう事前に対策を講じておかなければならないのだよ」
はて、私は何かおかしな事を言ったかな。
生徒会長の権限を最大に活かして、守るべき生徒たちの安全と安心の為にさして興味もないこの男の転校の有無を仕方なく確認しただけなのだけれど。何故、そこで訝しむ。
「僕は別に揉め事の達人ではありませんよ。よって、あなたの懸念は杞憂に終わると思います」
「回りくどい言い方をする。つまり、君はこちらに転入する意向があるという事で良いのかな」
何度でも言う。誰か、この男に年長者に対する礼儀を説いてやってもらいたい。
どうして、そこまで嫌々にしかめ面で頷くのか。穏便に済ませようという私の気配りをどうやら無碍にしたいようだ。
……人の気も知らないで。
「記憶を失った事には同情するけれど、それでエルを悲しませるなら許さない」
さすがの私でも、この男が記憶を失った事でどれほど追い詰められているのかぐらいは察している。確かに、私たちは以前のこの男をよく知っているからつい同等の対応を求めてしまいがちである。今だってこうして、私はやはり以前の彼に戻ってほしいと望んでいるのだから。
だが、それが何だと言うのか。
要は、この男は自分に自信を持てないのだ。それ故に、一人で勝手に捻くれて周囲を翻弄し私の大事な幼馴染みに心労をかけている。
そう、エルフローラの気持ちなど考えもせず。
エルはこのような状態になった今もこの男を深く思っている。婚約が白紙になろうが何だろうが、きっと彼女の気持ちが私に移る事はないのだ。
気付いていた、そんな事は。
……分かっていて、それでも私は彼女の事が好きになった。
「僕だってエルを悲しませたくありません」
悲しませたくないと言いながら、どうしていつも――――
「一つ、君に宣言しておこう」
腹立たしさは消えることなく、私の中で永遠に燻り続ける。
ならば――
これで少しでもエルフローラの想いが報われますように。
そう願って、この言葉を私から贈ろう。
「君にはエルフローラを幸せにすることなど出来ないよ」
この男の心にずっと刻みつけられるように。
私からの、せめてもの仕返しだ。
「……」
実にいい顔付きで大いに結構。
――――ざまぁないな。
この言葉を胸に刻んで、せいぜいエルを後生大事にすれば良い。
「アル、お待たせして申し訳ありません。お兄様、ありがとうございます」
「いいや、全く構わないよ。……ねぇ、アルミネラ嬢」
私の大切な花を奪ったのだから、記憶を失ってもそれ相応の覚悟はしてもらわないと。
歴代の生徒会長が座っていた椅子に行儀悪く疲れて重くなった身体を乗せて、そのまま机に突っ伏してみる。こういった下品な振る舞いはしたくないが、今日ばかりはいいのではないかと思えてしまった。
「お茶をどうぞ、お兄様。……えっと、その、ご迷惑をお掛けして大変申し訳ありません」
そこに、絶妙のタイミングでそっとお茶を差し出された。さすがは我が幼馴染みだと言いたい。エルはこういった気遣いがよく出来ている。
「君の所為じゃないよ、エルちゃん。ありがとう、いただくね」
本当に誰かと違って、と思いながらカップに手を伸ばすした所で――バタンと生徒会室の扉が開いて学院の生徒が顔を覗かせた。
「失礼します、会長!食堂で女生徒たちが揉めているんですが」
ああ、なんてタイミングの悪い。
内心でげんなりしてしまったが、エルが慌てて生徒の方へと歩み寄るのでそれに倣う。
「今度はどんな揉め事だい?彼に相応しいのはどちらか、かな?それとも、彼と目が合ったのはどちらか、かな?」
あの記憶を失った事件が幕を下ろし、足の骨折が完治したイエリオス・エーヴェリーがグランヴァル学院に転入してようやく一週間が過ぎようとしていた。
私の懸念は実に当たっていたようで、転入三日目にして以前にこの話をしたのを覚えているか、とあの男に尋ねてみたらサッと視線を逸らした後に頭を下げて謝られた。記憶を失っていた期間の事は覚えているらしく、けれどあの男は暢気に学院生活を謳歌出来ると思い込んでいたという。
……こうなる事は誰の目にも明らかだというのに、全く。
「えっと、確か、エーヴェリー様と食事が出来る人選と隣りに誰が座るかです」
ああ、なるほど。ちょうどお昼に差し掛かっているし、そうなるのは無理もない。
――だが。
「あら?イオ様、じゃなくて、……イエリオス様は確か、お弁当をお持ちだったはずですけれど」
確か、私もそう記憶している。彼はアルミネラ嬢に扮していた時からたいてい侍女の手製の弁当を持参していたはずなのだ。
「それが盗まれた?とか何とか、誰かが話していた気が。とにかく、直ぐに来てください」
横を見ると、エルが絶句しているのが分かった。
これは私でさえ想定外だ。
イエリオス・エーヴェリーが転入してきて女子生徒たちの熾烈な争いが始まり、三日後に皮肉を言ったぐらいだったが一週間でさすがにここまで深刻化するとは思いもしていなかった。
「分かった。知らせてくれてありがとう、助かるよ」
彼女たちの行動が日に日に苛烈さを極めていっているのは私の思い違いなどでは決してない。
「……お兄様」
「大丈夫だよ、エルちゃん。私に任せてくれて構わない」
だから、そんなつらそうな顔をしないでくれたまえ。
ああ、エル。
私の可愛いエル。
あれほどこの子を悲しませるなと言っておいたのに、あの男は――
「では、私は行ってくるよ。君もつらいだろうけれど、今しばらくの辛抱だよ」
いまだエルフローラとの婚約が再び結べていない今、彼女がご令嬢たちの喧嘩の仲裁に入る事は出来ないでいる。なにせ、彼女たちの中でエルは過去のものとされていて軽視しているのだ。
そんな彼女の唯一の居場所が生徒会室となったのは実に自然の流れだといえる。
私は、絶対に許さない。
もちろん、女子生徒ではなくあの男のことだ。
「……宜しくお願い致しますわ」
――さて。
「分かったよ」
あの男に、今度はどんな嫌味を言ってやろうか。
この九章後のごたごたが私の中ではかなり面白かったりするのですが、書き出したら二部に入ってしまうので悩ましい限りです。




