僕が幸せになるためのメゾット【九章番外編】
これより、九章別視点となります。
一番手はクロード・ミルウッド氏です。
幼少の頃である。
彼は昆虫を捕まえるのが好きだった。それも、捕まえるだけではなく広くて大きなガラスのケースに入れて、しばらく飼育しながら観察するのが好きだった。
何故なら、昆虫の世界に魅入られていたからだ。
弱者は強者に負けると食べられてしまう。だが、稀に機転を利かせて逃げのびる者がいる。かと思えば、翌日には食べられてしまうのだ。
いつ死ぬとも限らない毎日を過ごしている昆虫たちの世界はまるでこの世界の縮図のようで、この時、少年――クロード・ミルウッドの心に強く印象付けられたのだった。
クロードの世界の住人は、世界をまたにかけて慌ただしく飛び回る父親と王城で働く母親に、よぼよぼの老犬ミスター・バウワウ。そして、サロハとエマという使用人の夫婦だけであった。
それが変わったのは、国王に父親の功績が認められ貴族の仲間入りを果たしたのがきっかけだったか。しかも、貴族の中では上位貴族といわれる公爵の身分を賜ったものだから、一夜にしてクロードはただのクロード・ミルウッドからミルウッド公爵家の嫡子、クロード・ミルウッド公爵令息となったのである。
当然、今まで通っていた学校も転校せざるを得なかった。というのも、城下にある平民の子供が通う教育機関から、公爵家の御曹司をこのまま預かるのは無理だと遠回しに告げられたからだ。おかげで、クロードは春ももう半ばといった時期に、貴族の子息令嬢が通う名門グランヴァル学院へと転校する羽目となった。
この時期といえば、同じ新入生たちは既にある程度のグループに纏まっていたし、歴史のないパッとでの新しい公爵令息であるクロードは奇異の目で見られる事が多かったのは確かだろう。特に、一部の男子生徒たちには成金だの新興貴族だのと陰口を叩かれていたが、幼い頃より自分の世界を持っていたクロードは全く気にしていなかった。
クロードは、世間でいう所の変わり者と呼ばれる類いの人間であったのだ。 けれど、クロードは他者を馬鹿にする事も無視をするなんて事もなかった。
ただ、自分が思った事を口にする。たったそれだけの事で、誰もが閉口して去っていってしまうのだ。
どうしてなのかは自分でも理解していた。それは彼が口を開くと、誰もが苦虫をかみつぶしたような顔をするからだ。
――聞きたくなかった。
――気付きたくなかった。
――敢えて触れられたくなかった。
誰もがそういった表情を浮かべて去っていく。
それでも、クロードは己の性格を直そうとは思わなかった。それは、何故か。
クロードは、自分の世界を愛していたからである。
だから、言い方が酷いと言われても毒があると言われても、自分の愛する世界を守る為にその意思を曲げるわけにはいかなかった。
自分の世界が大事であるが故に――――
学生時代は自分がより楽しく出来る世界にすべく、その為には大事な親友との貴重な時間を奪われたくなくて、まだ三年生でありながら生徒会長に立候補した事もあった。今では懐かしい思い出である。
それに、今ではその親友の補佐として彼の人生に深く関わっているが、結局、学院を途中で辞めてこの国の中枢を担う宰相なんかになってしまった薄情な男を追う為に、父親と同じ外交官となって箔を付けた事もクロードは自分を褒め称えたい一つでもある。
学院を卒業したら、本当は直ぐにでも文官となって彼の傍で働くつもりだったのだ。
だが、それに待ったを掛けたのが、クロードと出会う前の親友を己の宰相にすると決めた国王陛下だった。国王はクロードがこの国ではなく、己の世界に忠誠を誓っている事を早々と見抜いていたのだ。
だから、国王はクロードに試練を与えた。
クロードの親友であるイルフレッド・エーヴェリーの才能は己を助けて国政を補佐する才能だけに留まらず、知略で相手の先を読み謀略にも長けて有能極まりない人材であると。ならば、その隣りに立てる者は国王や臣下たちが目を瞠って認めるほどの手腕を発揮出来る実力を持っている者でないといけない。
――――ぬしには、果たしてそれが出来るであろうか。
目を細め、不敵に笑った国王の顔をクロードは今でも忘れていない。
後から思えば、外交官不足だったが故に国王にまんまとしてやれたようだが、おかげであらゆる方面の人脈を増やす事が出来たし世界がミュールズをどう見ているのかも把握出来て宰相補佐という役職にはそういったものが全て必要不可欠である事が分かった。
それに、あの頃は全く興味のなかった国王の偉大さにようやく気が付いたのだ。
歳を取ったなぁ、と感慨深げに宙を見ていると、少し離れた場所でため息を吐きだす声が聞こえた。
「お茶でも淹れようか?」
視線を投げつけてみれば、クロードの古き友が皺の入った眉間に手を当てている所だった。
「いや、……ああ、そうだな」
さしてどうでもいいという前口上が付きそうな程の淡々とした返事だったが、クロードは思いきりにんまりと笑みを浮かべてしまう。
何故ならば――
「……これは」
「愛妻弁当。昨日の昼から何も食べてない夫君にって。君の嫁さんからの怒りの弁当!」
いまだ机に乗りきらないほどのバケットやお菓子の山を、クロードは爆笑しながら別の机にも並べていく。他人からはよく、お前は壊れているとたまに表現される事があるが親友の嫁も自分と同じく壊れた人種だとクロードは思っている。
けれど、壊れていても心から大事だと思っているものへの愛情は並々ならぬものだと、きっと彼らは知らないのだろう。それ故に、誰よりも執着心が強いのだ。
「彼女が来たのか」
「君と陛下との密会中にね」
「そうか」
そこで彼女は憔悴していなかったか?と安易に訊ねてこない親友を愛おしく思う。
というのも、今現在、彼ら夫婦の大切な子供たちが行方知れずとなっているのだ。とは言っても、どちらも生きている事だけは確かで居場所が掴めないだけなのだが。
しかも、彼ら夫妻の愛する双子の内の一人は宰相という役職に就くクロードの友にとって天敵と呼べるに相応しい闇組織に囚われているのだ。
常人であれば、取り乱して国に救出要請を出すものなのだろう。だが、クロードの親友は動じず、淡々と己の職務をこなすばかりだ。普段通りに。
そうなるのは、――――この男はいつも事細かに最善から最悪に至るあらゆる状況を見越して、常に先を読んでいるからに他ならないからかもしれない。
そう、一言で言うと、彼の嫡子であるイエリオス・エーヴェリーが反体制派に囚われる事は言うなれば想定内の出来事だった。だから、クロードの大事な友は狼狽えない所かいつもと同じように己の仕事を全うしている。
ただ、彼はいつも口数が少ないので不満に思う人間も多い。しかも、相手にも自分と同じ能力が備わっていると勘違いをしているから、話の過程を話さなくて結果だけを口にするのでよく誤解されがちだ。クロードの親友を毛嫌いしている反体制派の一派には特にその傾向が強い気がする。大した洞察力もない癖に。
でも、それはそれでクロードはどうでもよかった。いや、むしろ、嫌いという感情さえ取っ払って彼の事など気に留めないで欲しいと思っている。
――じゃないと。
幼かった頃の自分の世界の住人たちより大好きだった昆虫よりもこんな興味深い人間が、どうでもいい人間の世界の中にも存在していると考えるだけで腹に据えかねる。
彼はクロードの理想の世界を形作るには、絶対に必要不可欠な一片なのだ。
だから、彼を疎ましく思う者たちには早々に消えてもらわなければならない。己が求める幸せな世界の為には――――
「あ、で、そういえば、二回目いつにする?」
芸術の国と喩えられる国の重要人物でありながら、執務室に置いてあるのはシンプルなデザインのカップばかり。その一つにポットを傾ければ、花の匂いを漂わせながら夏の夕焼けのように赤い色をしたお茶が陶器を赤く染めていく。
我ながら良いタイミングだと胸を張って、無言でひたすらバケットを食べていた男に差し出した。
「あれが転入してからだ。……だが、暫くは言うつもりはない」
そう言って、宰相と呼ばれる親友は徐に引き寄せたソーサーからカップを持ち上げた。会話というにはあまりにも不十分過ぎる内容であるのに、彼らにとってはそれだけで充分。
――――今も昔も。
今回は特に厄介な相手だった事もあり、長期戦で綿密にあらゆる策を巡らせて取り組んでいるので、いまだ渦中ではあるが事後処理の段階に進むのは遅いぐらいだ。それだけ慎重を重ねてきた結果だといえるだろう。
だが、二人の間ではもう今の問題は済んでいて、残すのは山ほどある事後処理ばかり。その中でもクロードが取り上げたのが、愛娘と親友の息子の再婚約の件だった。
これでもクロードは一児の父である。なので、娘の願いを叶えてやりたいという気持ちが少なからずある。
それにクロード自身、二人の婚約をこのまま解消させる気などさらさらない。
親友の子供を気に入っているというのも理由の一つだが、二人が結ばれる事によって新しい命が誕生した際に親友がどんな顔にするのか純粋に見たいからだ。
そこで、だ。
物心が付く頃には二人の子を上手く丸め込んでおくつもりである。そして、この大事な友が驚いて喜ぶ顔が見たいのだ。時に怒っても構わない。それはそれだ。
だから、クロードは己の夢のために二人を必ず婚姻させると決めているのだ。
未来が待ち遠しくてつい声を出して笑ってしまう。当然、目の前の男がそれに気付いてお菓子を摘まんでいた手を止めてクロードを仰いだ。
「変わらないな」
表情は出ていないが、僅かに蒼い瞳が細められたのでどうやら呆れられたらしい。
昔から表情が乏しいがゆえに、この男はよく一人きりでいる事が多かった。だからとは言わないが、グランヴァル学院へ転校してから直ぐに彼に興味が湧いた。昼休みはよく木陰で本を読んでいたり、放課後は見知らぬ美人に待ち伏せされていたり、たまに学院内で遭遇する猫の親子にこっそり餌を与えていたり。無表情で何を考えているのか分からないと同学年の学生たちは皆、彼を遠巻きにしていたが、そんな事は全くなかった。分かりづらいだけで、この男はちゃんと感情を持っている。
「変わらないさ。僕の夢には君が必要不可欠なのだから」
「……」
親友は誰よりも言葉数が少ない。
けれど、この無言こそ心地の良いことはないとクロードは思う。
「もちろん、僕の愛する奥さんと可愛い娘、それに君の奥さんと可愛い双子たちもだけどね」
お茶を淹れ直してくるよ、とウィンクをすれば、この国の宰相を務める親友は無言で少し肩を下げた。
――程々に。
口にせずとも顔にはそう書いてある。だが、そう思いつつもこの男はクロードの野望を止める事はしないのだろう。
いや、むしろ――――
湯を取りにいく為に扉を開くと、ちょうどタイミングが合ったようで目の前に第二騎士団の副団長が立っていた。
「やあ、キルケー殿。さては、陛下がお呼びかな?」
二人の共通認識において、今回の件はここ数日の内に片がつく頃合いだったのだ。それはもちろん、この国の統治している国王陛下も認識を共にしている。それから、この第二騎士団副団長であるイヴ・キルケーが忠誠を誓っている者も。
「はい。それと潜伏していた場所も判明しました。そちらは既にこちらの団員を向かわせております」
「イエリオスくんは?」
「潜伏先に監禁されている可能性が高いでしょう。そこに居なければ探すのみです」
「分かりやすくて実に良いね」
イヴ・キルケーとは王太子が王の代理を務めて聖ヴィルフ国の式典に出席するために同行を共にしたよしみだが、案外と話がしやすい男だと認識している。相手はクロードをどう思っているか知らないし興味もない程度の相手だが、クロードにしては存外気に入っていた。
「彼には僕から伝えておこう。君はあっちに向かうんだろう?」
探すのみ、というぐらいだ。指揮を執るのはこの男で間違いない。それに、一癖も二癖もあるあの若者が最も信頼を寄せているこの男をイエリオス救出に向かわせるのは既に想定済みである。
「はい。お手数をお掛け致しますが宜しくお願い致します」
「いいよ、どちらにせよ僕はここを預かる身だしね。イエリオスくんの事は任せたよ」
まあ、僕の息子じゃないけどね、と軽口を叩いて笑う。
だが、クロードの目が笑ってはいない事は相手もきちんと理解している。
「必ずや、お助けして参ります」
へらりと笑うクロードとは対照的にイヴ・キルケーは熱意を孕みながら毅然とした態度で頭を下げた。そうなるだろうな、というクロードの予想通りに。
なにせ、彼が忠誠を誓った男はエーヴェリー家の双子を溺愛していると言っても過言ではない。それはもう、あからさま過ぎるほどに。なので、第二騎士団員にとってもエーヴェリー公爵家の双子の兄妹は丁重に扱うべき存在なのだ。
特にイヴ・キルケーにとって双子の片割れのイエリオス・エーヴェリーは、聖ヴィルフ国でずっと護衛として監視下においていた人物だから情もあるはずだろう。
イエリオス救出を任せられた事は感無量だろう、と思いながらクロードは宜しくと言ってきりあげた。
後日、親友の息子がようやくグランヴァル学院へ転校して一騒動が起きた際に、実は既に自分が再びクロードの娘と婚約していた事を知るのはまた別のお話。
イヴさん、お可哀相に…と思いながら書いていた気がします。




