人よ、常世の闇に巻かれて眠れ 【七章後、聖ヴィルフ国側の番外編】
※タイトルにあるように、七章後の聖ヴィルフ国側の番外編です。
※主人公は出てきません。
聖ヴィルフ国を具現化した代表建築といえば、大聖堂を真っ先に挙げる者は多いだろう。その佇まいたるや、歴代の教皇が精魂込めて築き上げたといっても過言ではない。
まだ陽が昇る前のひんやりとした寒さが国全体を覆う中、厳かなその建物内には続々とこの国の中枢を担う者たちが集まってきていた。
――女神ヴィルティーナがこの世に降臨して千年。
昨年まで鎖国していた為、慌てて近隣諸国から賓客を招き入れ、不慣れながらに国を挙げての式典を無事に成し遂げたのはつい二日前の事である。
式典当日から色々とトラブルはあったものの、滞りなく終わりを迎えたのは各関係者にとってひとしおだった。
特に、各部門を統括する役割を担う枢機卿ともなれば如実で。
「それにしても、とうとうマコフスキー卿が失脚とはのう」
式典の感想という名の侮蔑が、とある枢機卿の口から零れ出た。
「いつもこの場を取り仕切って驕り高ぶっておったから、罰が下ったんじゃろうて」
「教皇自らが己の腹心を切り捨てるのは意外でしたな」
枢機卿とは、教皇の次に地位のある立場である。
だからこそ彼らは、まだ教皇が入室してこないのを良い事に口々に毒を放つ。
いつもと何一つ変わる事なく。
「目に余るものが多すぎたのだろうよ」
「もう少し待っておれば、共に引きずり下ろしてやったものを」
「おお、恐い」
「卿もお人が悪いな。数年前の出来事をお忘れか」
「ああ、あやつは私腹を肥やし過ぎたのだ。しょうがあるまい」
彼らが集うこの部屋は、基本的に彼ら以外の者は立ち入りが出来ないようになっている。その為、装飾品などの飾り付けは一切無く、唯一、教皇が座する背後に等身大の女神象があるのみだ。
ここでは、簡単な打ち合わせから重苦しい会議といった様々な会合が行われており、出張などで国から出ている時以外、一日に一度はこうして顔を会わさなければならない決まりとなっていた。
「娘の自慢ばかりでしたからのう」
「これはこれは。マコフスキー卿に珍しい人形を横取りされた事をまだ根に持っておられるのでは」
くっくっと笑いを噛み殺しながらこそこそと話すのは、アンティーク調の古めかしい円卓の上座に座る六人の司教枢機卿のみ。彼らのほとんどが下卑た笑みを湛えているが、当人たちは気付いていない。
そんな彼らと一線を置いて、下座に座っているのは三人の司祭枢機卿たちだった。
司教枢機卿に比べ年齢もだいぶ若い壮年期の彼らは、上級階級である司祭枢機卿たちから発せられる下世話な話が空間を黒く染めても素知らぬ顔で固く口を閉ざしているばかりだ。
「されど『二人目』であったのだから良かったではありませぬか」
「『一人目』は確か――」
そこへ、重苦しい重低音が場内に響き渡り全員の視線が開かれた扉へと集まる。
「あ、おはようーございます~。皆さん既にお揃いでお早いですね~。いやぁ、遅くなってしまい大変申し訳ありませんね~」
お前か、という冷たい視線に物怖じもせず現れたのは黒髪の痩身の青年、レベッカであった。彼は慌ててやってきたようで、礼装も身に纏わず片手でそれを持ちながら頭を下げて下座へと歩いて行く。
「新参者が」
「神聖な場を汚しおって」
「教皇は何故あのような粗忽者を入れたのだ」
レベッカが司祭枢機卿となったのは四年ほど前になるが、彼らの中ではどれだけ月日が流れてもレベッカに対する心証は変わらない。レベッカが金灰色の瞳という『女神の恩寵』を授かった者であっても。つまりは、珍しく教皇が独断で枢機卿に任命したレベッカが気に入らないのだ。
そんな老人たちの嫌味を後頭部から受けているにも関わらず、うーん、厳しいな~と思いながらようやく礼装を身に纏う頃には己の席へと辿り着いていた。
「おはようございまーす。遅くなってすみません~」
同じ司祭枢機卿でも、レベッカがこの中では一番年若い。そんな若輩者が遅れてやってくるのは非常にまずいだろうと判断し、念には念をという意味合いを込めてレベッカは再び彼らに頭を下げた。それでも、口調は軽いままだが。
「ううん、お疲れさま」
そんなレベッカに対して、柔和な笑みを浮かべたのはシーレという男だった。彼は、司祭枢機卿の中では二番手に古い方だが、普段から人当たりが良いのでレベッカに対しても同じように接してくれている。
「……」
んで、ダリさんは無視、っと。
次にレベッカに視線だけ向けたのはダリという男だが、彼は普段からレベッカには素っ気ないので特に気にはならなかった。
――だが。
司祭枢機卿の中で一番の古株、つまりはレベッカの直属の上司とも呼べる男を前にして、彼は喉の奥がひくついたのを感じた。
まず、整った顔立ちでありながら、何ものにも反応を示さない無感情のがらんどうの瞳が恐ろしい。それに加えて、鍛え上げられた体躯の威圧感が強すぎる。全てにおいて適わないとレベッカが唯一思うのがこの男、ドーミエだった。
司祭枢機卿とは体の良い呼び名であって、実のところ汚い荒事や公には出来ない仕事が多い。その為、司祭という名目で各地を飛び回っているからその名称が付いたのだが、ドーミエはその中でも飛び抜けて有能だった。
当然、それは武術も同様で、鍛錬と称した新人いびりでレベッカは何度死にそうな目に遭ったか数え切れない。
つまるところ、ドーミエという男がレベッカは大の苦手であった。
「……遅い」
「遅れて申し訳ありません」
この男の前では、軽薄な物言いもスッと身を引いていく。全く冗談が通じない上に、レベッカの個性そのものを消し去るのだから、どう接するのが正しいのか未だ謎なのである。
「違う」
「えっ」
「処分に時間が掛かりすぎだと言っている」
「あっ、ああ、そちらでしたか」
司祭枢機卿の仕事を取り仕切っているのはドーミエである。なので、レベッカの仕事も把握していた。
「申し訳ありません」
どうやら、ドーミエにとってはレベッカの遅刻ではなく、ここへ来る前に行っていた仕事の方が重要だったらしい。
ちゃんと言ってくれなきゃ、分かりませんよー。
という脱力感を吐露するでもなく、レベッカは髪を耳にかけながら三度目の謝罪を口にしてドーミエの隣りへと座る。
――全てを隠蔽されてしまった名も無き男の首をはねた感触を、今もその手に宿しながら。
式典が二日前に終わり、その翌日と昨日の間に招待していた客は自分たちの国へと帰っていった。彼が懇意にしているミュールズ国の美しい少年やその仲間たちも。
個人で式典の招待状を送ってはみたものの、本当に来てもらえるとは思わず内心で喜んだのはここだけの話である。だが直ぐに、少年が来た理由は別にあるのだと分かったのだがレベッカにはそれでも良かった。
しかし、時として女神は残酷で。
――そんな美しい少年に女神は恩寵を与え、試練を与えたのだ。
己の『死』を回避せよ、と。
司祭枢機卿である自分には常に最新の情報が入ってきていたが、その身分ゆえに黒幕にバレないよう動くには細心の注意が必要だった。
おかげでレベッカが出来た事といえば、己の瞳の能力を使って寸での所を助けるぐらい。何度かそれで最悪は免れたものの、最終的には彼が自ら未来を切り開くのを祈るばかりとなった。
健気に困難へと立ち向かう少年は、初めて会った時から何一つ変わらない。
変わったのは、彼を取り巻く環境か。
以前は彼に好意を抱く年上の若き騎士が傍にいたが、今は共に聖ヴィルフにやってきた仲間たちが手助けをしていた。
正直、羨ましいと思ってしまった。
生まれてすぐ肉親から呪詛を身に受けたレベッカとは違って、彼はちゃんと愛されているのだと分かるからだ。
それなのに。
自分とは全く性格も生き方も違うのに、けれどもどこか自分と同じ運命を歩いているような気がしてならなかった。
きっと、そういう所が気になって、レベッカにしては珍しくもう一度再会を願ってしまったのかもしれない。
何もかも『二人目』であるレベッカ自身と――――
レベッカと教皇の関係は、この国でも極僅かな限られた者しか知らない。その為、血族においてレベッカの金灰色の瞳が『二人目』に当たると知っているのは片手の指の数しか居ない。幸い、その数名は偏見を持っていないのでレベッカが『二人目』でも変わらず接してくれている。
そういった意味では救われているのだろうが、自由とは名ばかりの閉じた世界に囚われている事を知った時の絶望はしばらくレベッカを打ちのめした。
血族というしがらみ、家族という鎖に縛られて、そして己自身の為にこの魔窟に身を置いている。
それならせめて、嘘で塗り固められた箱庭の世界でも好きに生きよう。
そう決めたからこそ、レベッカは己の手が届く者には救いの手を差し伸べた。
それがルネッタともう一人の少年だったのだ。
……だけど、それも。
いずれ、彼らもまた嘘にまみれたこの世界の真実を知る時がくるのだろう。
レベッカの手が既に血に染まり、どっぷりとこの国の暗い闇に囚われていることも。
「ひと思いにやれといつも言っている」
「どうせあれでしょ。また、罪人に自刃を求めて逆に刃を向けられたんだろう?」
表情のないドーミエの横から、シーレが苦笑いを浮かべてひょっこりと顔を覗かせる。死に間際の人間に温情なんてかけても無駄なんだってば、と言いながらも、まあそれはそれで楽しそうだけどさ、と狂気を垣間見せて薄く微笑んだ。
「鍛錬が必要なら」
「いやぁ、それはもう結構なんでー」
何かあれば鍛錬だ訓練だとドーミエが誘ってくるのだが、どれだけ訓練好きなんだ、と思わずにはいられない。――その時。
あはは~、と髪を耳にかけ直しながら笑って流したレベッカの頬にドーミエの指が掠めていった。
「……え」
その動作にまるで気付かず、やや呆然としてしまう。
扉が新たな音を轟かせようやく教皇が入ってきた事を知らせても、あまりの衝撃にレベッカは動けなかった。
「爪が甘い。――ここも」
低い声音は無機質なのに、色付き眼鏡で隠れたレベッカの金灰色の瞳の直ぐ近くにも指を這わせた男の顔付きは、ほんの少しだけ柔らかかった。
何故、と問う暇もないまま、ほら、という意味合いで無言のまま見せられたのは、指先に付いた微量の血。
恐らく、つい先程殺した男から飛び散った血の痕だろう。
「……以後、気をつけます」
やっぱり、この人苦手だなぁ、と思いながら、レベッカはさらりと視界に入る黒い髪を耳に掛け、朝の祝詞を唱える為に席を立った。
聖ヴィルフ国サイドのお話でした。
本当はもっとギスギスしていて泥沼なんですが、ここでそこまで掘り下げてもなぁと思ったので全体的に軽めです。
※以下、聖ヴィルフ国の主な登場人物
教皇:ルーカ・ディ・ヴァレリオ・ラ・ウィリゲーラ
司教枢機卿:ソエル・マークス・ラ・マコフスキー(89)※この度、失脚に。
司教枢機卿:ギルランダ・ドレ(82)
司教枢機卿:スチュアート・グランドル(77)
司教枢機卿:ネルキア・ファン・シャントレー(66)
司教枢機卿:ミ・ハント(58)
司教枢機卿:ルンゲ・ロットルフ・ディ・モロー(72)
司教枢機卿:ヨーク・ド・ウーウルフ(61)
司祭枢機卿:ドーミエ・クロワスキー(45)
司祭枢機卿:シーレ・クレッセント・ド・ラ・ノフ(38)
司祭枢機卿:ダリ・デュルヴォイ・ディ・ステラ(36)
司祭枢機卿:レベッカ・ロラン・ヘルレッツェ・フォン・ネネ(29)
実は派閥もあるのですが、ここでは不要とみなし割愛しております。




