「keep it to yourself」 ※
小話ながら、閲覧、ブクマそれから評価をありがとうございます。
続いてこちらも五章が終わった後の小話です。
ミアくんから見た(アルに変装中の)イオ。
「もう信じられない!」
そう言って、少年は足下に転がっていた小さな石ころをカツンと蹴飛ばした。
別に、彼は普段からそういった子供じみた真似をする子ではない。ただ、先程まで己が尊敬して止まないアシュトン・ルドーを慕う者たちと話をしていて、気分を酷く害されたのだ。
これじゃあ、僕が一人悪者みたいじゃない。
彼らとの会話を思い返すたび、そういう思いがつきまとう。
――僕は何がいけなかったというの?
過去の過ちは認めるが、それは彼にとって『必要悪』という枠組みで成立していたのだ。その最たるものが、学院中を巻き込んだアルミネラ・エーヴェリーに対する噂だった。
当初、彼の中では少しばかり懲らしめてやろうという思いがあったのは確かだろう。女性嫌いな従兄弟であるアシュトン・ルドーが、唯一興味を示し、尚且つ国王にまで直談判するほどの値打ちがあるとは思えなかったのだ。
確かに、アルミネラ・エーヴェリーは学院の三大美姫に名を連ねるだけあって外見は美しいと彼も思う。たまに間抜けな失敗をする事もあるが、それをもカバー出来るほど彼女は淑女として上位に値するといっても過言ではない。まさに、上流貴族のお手本のような存在だろう。――ただし、それはあくまでも一般論としての話である。
彼にとって彼女は、彼が最も崇拝している存在価値を貶めんとする悪しきものであるとしか言えなかったのだ。
そう、アシュトン・ルドーこそが彼の全てであり全知全能の神でもあった。
だからこそ、許せなかった。
たくさんの人にチヤホヤされて、何よりアシュトンの視線を奪う彼女が憎かったのだ。
どうして、という言葉はもう幾度も口からこぼれ落ちた事だろう。そんな思いをくみ取ってくれたのが、アシュトンの後継人を務めていたアイスクラフト卿だった。
卿は言った――『愛する人を守るには、まずは己が身を以て証明せよ』と。
それが、彼女にとっての不都合点、つまりは悪い噂だったというだけの事だ。別に相手に怪我を負わせる事などない。傷も残らない。どうせ、鈍感な彼女には効果はない。
だから、彼はそれを実行したのだ。
当初は、彼女を貶めるという明確な目的をもって行われた。彼自身、己の容姿に自信があるため、それを利用して己に好感を持っていて尚且つ忠実である生徒へと噂を流した。
これで、アシュトン様は彼女を遠ざけて下さるに違いない、と。
――だが。
彼の思惑は、彼の知らぬ所でかけ離れてしまっていたのだ。
それは、彼が噂を流した数日後。何も知らないクラスメイトから聞いたのは、アシュトン・ルドーとアルミネラ・エーヴェリーが密通しているという事だった。
そんな馬鹿な、と思って何度も色んな生徒に尋ね回った。しかし、返ってくる言葉は皆一様に同じ話で。
たまたま、噂を流しているという者と接触する事に成功した際に聞いた言葉は、アルミネラ・エーヴェリーを確実に墜とすには、相手を明白にする方が確かだととある高貴な方から助言をもらったという事だった。
その高貴な方が誰のことか、彼には直ぐ理解出来た。そして、自分だけではなく、他にも幾人か生徒を懐柔しているという事も。
騙された、とは思っていない。
だが、確実に完全に信用すべきではないのは分かった。
そして、こうなった以上、全てをアルミネラ・エーヴェリーにぶつければ良いんだという思いに切り替えたのだ。彼がどれだけ意地悪をしたって、彼にどれだけお小言を言われたって彼女は何も言わないのだから――
それが、如何に残酷で劣悪な行為だとはこの時、彼は想像すらしていなかった。
……なのに。
今更、あなたの行為は目に余るだの、人として最低ですだの、アシュトン様の品格を貶めているのが貴方だとどうして気付かなかったのかだの言われても。
彼は、ただアシュトンを助けたかったのだ。
だからこそ、彼は自ら率先してアルミネラ・エーヴェリーの噂を流した。それはもう反省している。やり過ぎたと自分でも思ってる。
不承不承だったが、きちんと彼女にも謝った。
そうして、たっぷりと反省出来る停学期間があけた今日、また一からアシュトンの為に何かしたいと意気込んで、彼は同志たちに声を掛けたのだ。共に、アシュトンを応援する活動をしませんか、と。
それを彼らに断られ、彼はこうして小石を蹴って自棄になっていたのであった。
トボトボと、人通りの少ない園庭を一人歩く。
彼が噂を流した者の一人だと知ったアシュトンには、身内だからか冷たいため息を吐かれただけで何も言われる事はなかった。けれども、彼の評価が音を立てて崩れていくのは目に見えた。
ああ、どうして。
――と、再び思う。
まるで、世界に見放された気分だった。みじめ、なんてものじゃない。今まで彼が成してきた全てが彼を見放して、この世界にはもはや誰もいないと思えるぐらいの孤独は深まるばかりだった。
そこに、再び小石が目に入って、彼は大きく蹴り上げた。
「っいて!」
ああ、意外と大きく飛んでいったな、と思ったのも束の間。その先の茂みから声がして、瞬時に嫌な予感がよぎる。
「ってぇな!誰だよ!」
だが、彼よりも大きな体格の生徒が姿を見せた時には、逃げるなど時間もなくて。
「っ、ご、ごめんなさい!」
これは、謝るしかないと頭を下げた。
「ああ?謝れば良いってもんじゃねぇだろうが!」
「ごっ、ごめんなさい!許してください!」
貴族だけしかいないはずのグランヴァル学院にも、品行が悪い生徒は一定数いる。それは彼も知っていたが、まさか自分がそういった輩と対峙する事になるとは思わなかった。だからこそ、怯えるばかりの彼に、相手は厭な笑みを浮かべて歩み寄る。
「許して欲しいんなら、金出せよ!怪我させたんだ、医者代を渡せ」
「……え、で、でも、どこも傷なんて」
「はぁ!?馬鹿なこと言ってんじゃねぇよ!体に傷がなくたって、ぶつけられた事には代わんねぇだろうが!」
そして、ここの問題だ、と言って不良が指し示した場所は心の臓だった。
「そんな」
あんな石ころ一つで、と彼が驚きの声をあげる。
「だったら、てめぇにも味合わせてやろうか!?」
「ひっ!」
そんな彼の態度が気にくわなかったのか、不良が拳を振り上げて彼は小さな悲鳴を零した。
もう、お終いだ――と目を閉じて、衝撃がくるのを待つばかり。今回の停学処分で、初めて父親に殴られた事を思いだして、あの時の痛みも同時に蘇る。
もう、どこまで惨めな目に遭えば良いのだろうか、と。――その時、
「暴力で解決しようとするのは間違いですよ」
ふわりと嗅いだことのある甘い匂いと共に、柔らかく優しい声音であるが冷静に相手を諭す声が間近で聞こえて瞼を開く。
「ア、アルミネラ・エーヴェリー?」
その言葉は彼ではなく、不良の方で。
彼と不良の間に立っていたのは、彼が苦々しく思う相手、アルミネラ・エーヴェリーだった。彼には後ろ姿しか見えていないが、きっと彼女は目の前の不良をきちんと見据えているのだろう。不良が驚いた顔で、彼女を見下ろす。
「私の事をご存知なんですね」
「あ、ああ。あんたは、ここじゃ一番の有名人だ。知らねぇ奴なんざいねぇよ」
「まあ!ご冗談がお上手ですね」
クスッと笑って、そんな軽口を叩いているが、彼も不良も事実なのにと呆気に取られた。
こういう天然ぶっている所が一番嫌い。
それは、生徒会室でもよく見られた光景であるが、こんな時でもそうなのだから呆れるしかない。
「……っと、それは置いといて。彼は私の大切な後輩なんです。彼が何かあなたに非礼をしでかしたというのなら私も一緒に謝りますから、話し合いで解決しませんか?」
「なっ」
何を勝手な事を言い出すの!?と、彼が憤慨する前に、目の前の不良が愉快だとばかりに笑い出す。
「ははははっ!後輩の尻ぬぐいをあんたがしてくれんなら文句はねぇぜ?」
その瞳は、彼が今まで見た危ない連中のように厭らしく、不良の言わんとしている事はあまりにも下品過ぎてゾッとする。
「確か、あんたもそんな見てくれの癖に好き者だって話しじゃねぇか」
ああ、なんてこと。
「だったら、俺の相手もしてくれよ」
――これが、僕の『過ち』の結果なんだ。
こんなおぞましい目に遭うなんて。
それまで、彼は彼女の事など考えもしていなかった。
鈍いから、効果は無いから少しぐらい良いじゃない――ということばかり。
だが、自分が知らないだけで、もしかしたら何度もこのような目に遭ってきたのではないか?
そのことに初めて気付き、彼は小さく息を飲んだ。僅かな風に金糸のような白金色の髪が揺れるのみで、彼女がどのような表情をしているのかが分からない。
もしかしたら、儚げな外見同様、涙を浮かべているのかも、そう思わずにはいられなかった。
――が。
「ご冗談がお上手ですね」
彼の想像に反して、その声は力強く。
「いい加減、その手のお誘いはうんざりしている所です」
嘆息混じりに告げられた言葉は、面倒だと言わんばかり。言葉遣いは丁寧であっても、彼女の素を垣間見た気がして目を見開いた。
「あんたをモノに出来んなら、誰だってそう言うに決まってんだろ」
しかし、不良は普段の彼女をよく知らないからか、厭らしい目で彼女の全身をなめ回す。それを気持ち悪いと思っていると。
「私には、オーガスト殿下という婚約者がいますので」
彼女は毅然とした態度で、そんな事を言い放った。
……あ。
もしかしたら、自分はとんでもない間違いをしていたのではないか、と。
――そこでようやく気が付いた。
今まで、彼はアシュトン・ルドーばかりに気を取られ、彼が魅入られている相手がどう思っているのかなど考えもしていなかったのだ。
彼女が誰を想っているのか、なんて。
「その前に、俺があんたを汚してやるよ!」
そんな彼の目の前で、まさに悲劇が行われようとしているのは確かだった。誰か助けを求めなければ、と周りを見渡せど誰もおらず。
それよりも先に不良の手が彼女に迫って、声もなく叫びそうになった、瞬間。
「っ、う!」
「……え?」
耳につくのは、ドスッという鈍い音。そして、鼻につく砂埃。
それは、まるで喜劇か奇術のようだった。
彼は、彼女の後ろ姿しか見えないので分からなかったが、彼女が一瞬にして不良を地面に伏したのだ。
「……は?」
そのことに驚いているのは、彼ばかりでなく組み伏せられた当人もそのようで唖然としている。
「なっ、なんだ?」
「お怪我はありませんか?」
「あ、ああ」
「良かった」
ふう、とまるで一仕事を終えた農夫のように汗を拭い、彼女はホッとした表情で不良に手を差し出した。
「あなたには、後輩がご迷惑をおかけしたので、あまり酷い事はしたくなくて」
「酷い事?」
「はい。……ええっと、私も非力な身ですので、手っ取り早く済ませるには、その……急所、を攻撃するのが一番ですので」
「……」
……何なの、この女。
一瞬にして顔が青ざめた不良と同じく、こっそり己の下半身の一部を手で隠したのは言うまでもない。しかも、急所という単語を伝えるのに恥じらいを見せるのは良いのだが、満面の笑みで言うべき事じゃない、と喉元まで出てきた言葉をどうにか飲み込んだ。
「なるほどな。今まで、誰もあんたを落とせなかった意味が分かったぜ」
「どういう意味です?」
「俺たちみてぇな劣等生にも、それなりに繋がりがあるんだよ。そこで、よく話題になるのがあんたなんだ」
「えっ、そうなんですか?」
「そりゃそうだろう?この国の次期王妃、しかも国色の花姫とまで呼ばれるほど、あんたは高嶺の花なんだから。こんな俺たちとも気軽に話してくれるカイル王子すら落とせなかったってのは、最近じゃあ話題の一つになってるぜ」
そこで、ああそういえばセレスティアの王子にも言い寄られていたんだっけ、と思い出す。彼の中心は、常にアシュトンであるためにセレスティアだの王子だのと言われても興味はないのだ。
はは、と笑いながら不良は彼女の手を取ることなく立ち上がる。
「だから、俺ならなんて思う奴は少なくねぇ。まあ、あんたは相当腕の立つ女だって話を流しといてやるよ。多少の抑止力にはなるだろ」
「……褒められていない気が」
確かにね、と。もし、自分自身がそうだった場合を想像して、彼も内心で同意する。こんな儚げな容姿のくせに腕っ節が強いというのは長所になるが短所にもなる。
この女の価値が上がってアシュトン様がもう一度望まれたらどうすれば、と重い息を吐き出していると不良の視線が彼を捉える。
「……俺も少しイライラしてて、ついカッときちまったんだ。悪かったな」
「いえ。僕の方こそ、本当に申し訳ありませんでした」
頭を下げて謝罪をすれば、これからは気をつけろという言葉を残して去って行った。
気に入らない女に助けられたとはいえ、ようやく気が休まってホッとしてしゃがみ込めば、彼女が長い髪をなびかせてゆるりと返る。が、しゃがみ込む彼を見て直ぐに傍まで駆け寄った。
「良かっ、だ、大丈夫?」
「ええ。貴女と違って、僕の神経は繊細なので」
本当は、素直にお礼を言うべきなのは理解している。なのに、彼の口から出る言葉は相変わらずの皮肉ばかり。
当然、彼女は苦笑いを浮かべてそうだよね、と頷いた。
「ちがっ、こんな事言いたい訳じゃなくて」
「ううん。勝手に助けに入ったのは私だから、ミ、フォッカーくんは気にしないで」
いつもなら、そう今までの彼だったら、それを素直に受け入れてお終いにしていたが。
――このままじゃいけないというのは分かってる。
「……今まで、ずっとあんな風に絡まれてたんですか?」
「えっ!ああ、うん。まあね」
えへへ、と何故か恥ずかしそうに笑う彼女をちらりと見やる。
「僕が、あの噂を流したせいで?」
ドキン、ドキンと動揺を隠すように胸が鳴る。自分がどれほど彼女を傷付けてきたのか、ようやく彼も分かったからだ。
ここで罵られても仕方ない、そういう思いで聞こうと思った。もう、謝罪する以外に道はないが。
んー、という彼女の悩ましそうな声がして、覚悟を決めて顔を上げれば。
「まあ、確かにあの噂で絡まれる回数は増えたけど、たまにああやって撃退してるし問題はあまりないかな」
あ、でも、これは皆には秘密だよ、と言って口元に人差し指をあてながら微笑む彼女に、彼はこの人にはきっと敵わない、と認めざるを得なかった。
「keep it to yourself」:「秘密だよ」
ミアくんにはミアくんの正義があるというお話でした。
敵わないって分かるのと自分の気持ちはまた別なので、この子の小さな意地悪は続きます(小話)