雨にうたえば ※
小話ながら、閲覧、ブクマそれから評価をありがとうございます。
五章が終わった後の小話です。
そういえば、この世界で雨を降らせた事なかったなーと。
アシュトン視点。
人生とは、既にいくつかの選択肢があらかじめ決められていて、どれが最善であるのか選んでいく盤上遊戯のような物に過ぎない。
貴族として、また一人の人間として落ちぶれていくも繁栄するも、己の手腕一つで決められる。
だからこそ、
……だからこそ、
ああ、くそ!上手く思考が働かない。俺は、一体どうしてここまで取り乱してるんだ……あり得ない。
先程から、冷静さを取り戻そうとしては失敗ばかりだ。
あまりにも、自分が理想とかけ離れてしまって、ため息と共に首を振った。――とたん。
「……すみません」
己の長く伸びた前髪から、ぽたりと雫が落ちていくと同時に、直ぐ隣りから申し訳なさそうな声がして視線を落とすと。
「まさか、急に雨が降ってくるとは思わなくて」
この状況の原因となった人物が、それは見事にしょんぼりとした顔で俯いていた。それはもう、叱られた子供のように。
「……」
何をそこまで落ち込んでいるのかは分からないので、どう声をかけるべきか躊躇する。
思い起こすのは、つい三十分ほど前の出来事だった。生徒会の仕事として、一週間に二度ほど校内の巡回をするという仕事があるのだが、今日は誰が行くかという話になった。
いつもならば、適当に誰かが率先して行っていたが、今日は間近に迫った総会があって皆一様に多忙だった。そこで、空気を読んだのが良くも悪くも隣りでしょげている人物で。
「……」
フェアフィールド嬢やミルウッド嬢が手を離せない状態だった、という事もあるがつい先日まで何かと悪い噂が付きまとっていた渦中の人物とあって、心配で同行することにした。
――まあ、下心がなかったとは言わないが。
けれども、それは邪なものでなく、ただただ純粋に等しいといえるだろう。
何故なら、自分と同じく全身くまなく雨に濡れて、愁いを浮かべいつもより扇情的に見える人物は、きちんと女生徒の制服を身につけているにも関わらず、中身は歴とした男なのだ。そう、男。
学院内で知らぬ人はいないと言われるほど儚げで綺麗な見た目でありながら、中身も誠実な人格者だった。
そんな彼とは、色々と……本当に色々あって。結果、俺が一生を捧げるに値する人物であると遅まきながらに気が付いたのだ。だから、少しでも彼の役に立ちたくて、いや、彼の事を知りたくて付いて来たと言ってもいい。
なのに、こんな有り体でどうすれば。
「やっぱり、僕にはあなたのように先を見る目がありません」
「……いや。俺も空の予定までは見抜けなかったし、気にするな」
と言ってやれば、彼はキョトンした顔で首を傾げた。
「空の予定、ですか?ふふっ、面白い表現ですね」
「そ、そうか」
……ああ、まただ。
クスクスと笑う仕草を見ているだけで胸が鳴る。
それも、当然のことだろう。
何せ、俺は少し前までこの人物を『アルミネラ・エーヴェリー』嬢であると認識していたのだから。
そして、同時にわき上がるのは甘くほろ苦い感情だった。
幼少の頃より色んな年齢層の女に群がられ、俺は女が嫌いだった。誰もが皆、外見ばかりを褒めてくる。何をしても綺麗だと、生きているだけの木偶人形のように褒められた。
だからこそ、話す事も近寄られるのも、視界にすらも入れたくなかった――それが、例えば実の母だとしても。
だが、父が急逝した事によって授かった爵位と仕事が縁で、現宰相の子と知り合った。初めて彼女、いやあの時も彼だったのかもしれないな、彼と会った時、初めて心が乱されたのだ。
おかげで、口から出た言葉が迷子なのか妖精なのか、だったとは。後から考えれば、もっと上手く言えただろうにという後悔の嵐だった。
そうして、彼とはそれから幾度となく会話が出来た。
その時は、まだ異性だと思っていたから嫌悪感が湧かない自分を不思議に思いながらも、話すだけで楽しかった。話の内容、お互いの距離感に会話のテンポ。そのどれもが好ましく思えて、次はいつ会えるだろうかという気持ちになったのは時間の問題となっていた。
それからだ。エーヴェリー卿に従って、このグランヴァル学院に入ってからは、毎日会う度、そのコロコロと変わる表情が愛おしいと思えるようになっていた。
もし、王族ではなく俺の元に嫁いでもらえば、必ず毎日を幸せで満たすのに、と。
今思えば、俺が初めてそこまで情熱を注げる人物に出会った事をアイスクラフト様には気付かれて、だからこそ上手く利用されたのだろう。だが、あの時はそんな事も見抜けないほどに夢中だった。
きっと、それを『初恋』と呼ぶのだろう。
だからそう易々と、感情を切り替えられるはずがない。
「ルドー様はユーモアがおありです」
その微笑みやその優しさを含む綺麗な蒼い瞳にさえも、目を奪われてしまうのだ。
気が付けば、くすりと笑って再び視線を逸らされてしまうのが嫌で手が伸びていた。僅かに驚いて目を瞠る彼の頬に、妹君の切った髪で作ったウィッグであるという長い髪が張り付いているのでそっと払う。
「……え?」
この小さな驚きの表情にすら、まだ心が燻るのだから性質が悪い。
「アシュトン、と。これからは、どちらの時もそのように呼んでほしい」
「っ、……分かりました」
どうやら、俺の外見は彼にも通用するようだ、というのは少しばかり意地悪が過ぎたかもしれない。
「そ、それにしても、止みませんね」
「ああ、空は晴れているというのにな」
だからこそ、まさか突然雨が降ってくるとは思ってもいなかったのだ。
「……狐の嫁入り」
「え?」
「あ、こういう晴れているのに雨が降るのを、狐の嫁入りっていうんですよ」
「初めて聞く言葉だな」
「えっ!そ、そうですか。……だいぶ昔に聞いた覚えがあって、思い出しただけなんですよ」
そう言ったわりには、何か思い入れがあるような表情が気になるが。ここは、あまり詮索しない方が良いのだろう。
そうか、と返事をすると明らかにホッとした顔をする。
俺の知らない過去が気にならないはずはない。だからこそ、こうして少しでも傍にいて知りたいと思うのだ。
――だがしかし。
過去ばかりが全てではない。
そう、今、俺の目の前にある選択肢の一つには、彼と共に歩む未来が示されているのだから。
今度こそ、その道を違えはしない。
何があろうと、俺は俺が決めた道を進むのだ。
その時不意に響いたクシュン、という小さなくしゃみで我に返った。
「大丈夫か?」
「はい。……ちょっと、この制服水分を含みやすくて」
言われて、彼を見下ろせば。
「せめて、上着を着てくるべきでした」
濡れて、制服が肌に張り付いてしまっているおかげで妙に官能的となっているし、おまけに細くしなやかな身体の線までくっきり見えた。
「……これを羽織れ」
「わぁ!ありがとうございます」
そこにあるのは、情欲の欠片も知らない純粋な笑顔のみで。
「……ああ」
全く。これで、男というのだから手に負えない。