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2 レイとクレイシ



 都心部に位置する美菜崎区にも公園や商店街以外に住宅街は存在し、そしてそこは住宅街らしくそれなりに落ち着いた雰囲気を纏っていた。街の照明は減り、街路灯の濃い影が落ちる道をレイは淀みなく歩く。数分前まではコンビニ沿いの道路で車が途切れることなく走っていたが、道を一本外れればガサガサというビニールと中身が擦れる音がはっきり聞こえるほど静けさが広がっていた。


 レイはとあるアパートの前で足を止める。駅からの距離や一部屋の大きさからそこまで高価な物件とは思えないが、この住宅街では比較的新しいことを思わせる、塗装が綺麗で傷も少ない壁をしていた。外階段を上がり一番上の三階へ。ビニールの音が壁に反響しては消えていく内に、目当ての部屋の前に辿り着いた。プレートには誰の名前も書いていない。

 上着のポケットからキーホルダーも何もついていない銀色の小さな鍵を取り出すと、それをドアノブに差し込む。抵抗なくカチャリと安い解錠音がして、ドアを開く。


「ただいま」


 返事はない。が、明かりも暖房もついていたし、そもそもレイは一人暮らしをしているわけではないので恐らくゲーム(・・・)中だろうな、とあたりをつけた。実際複数の男の声が聞こえる。玄関に雑に並べられた高価そうな靴たち──実際この中に一万円以下のものはない──を器用に避け、ワンルーム故玄関からでも見えていた人影の方へひょっこりと顔を出してみると、ベットの置いてあるスペースを使ってゲームに興じている人物が三人いた。


 それは何も知らない人間から見れば、異様な光景だろう。

 服やアクセサリーから成金そうな男が二人、長身に長い金髪の女が一人。それがベッド脇の狭いスペースで円いテーブルを囲って、黒ひげ危機一髪(・・・・・・・)をしているのだから。


「ただいま。『お客さん』?」


 レイはその光景に人がよさそうににっこり笑うと「煙草買ってきたよ」と続け、肩にかけていた鞄をベッドに放る。


 その言葉に、金髪の女が「ええ、『お客さん』です」と絶え間なく煙を出す煙草を指に挟んだまま答える。そうしてレイを手招きして呼び寄せると、ビニール袋に入っていた煙草──メビウスの10㎎──を取り出す。


「もう直ぐ終わるので大人しくしてなさい」

「はいはい。じゃ、シャワーでも浴びようかな」


 レイはキッチン横の冷蔵庫にビールやらバナナオレやらをビニール袋ごと放り込むと、また三人の方へ戻り「ちょっといい?」と男の一人が座る場所の直ぐ横にあったタンスから恥じらいもなく下着を取り出した。思わずその様子を驚いたように目を丸くした男に、悪戯っ子のような笑み。レイが玄関方向のバスルームへ向かうとその背後から「妹?」という言葉が聞こえる。続いて「まあそんなところです」「二人ともべっぴんじゃねぇか」等と続く会話を聞きながら脱衣所で上着を脱ぎ、ハイネックのワンピースから腕を抜いたところで、


「私に勝ったら、あの子も入れていいですよ」

  

 等と言う恐ろしい(・・・・)台詞が聞こえ、思わずレイは片腕を抜いた状態で脱衣所の扉を開き首だけを出し当の人物を見た。椅子から仰け反り壁の影から顔を出した金髪の女と目が合う。何でもないようにぱちりとまばたきがされ、レイはわざとらしく溜め息を吐いて再び脱衣所に引っ込んだ。扉の向こうでは男達が「え、まじ?」等と盛り上がっている。


「いちにーさん、私を入れて……4Pか」  


 口の中で呟きを転がし、レイは改めてワンピースを脱ぐ。洗面台の鏡に映った己の上半身の一部が赤くひきつっているのを見て一瞬目元を歪めるも、直ぐに目を反らした。そうして何事も無かったように浴室に入り、シャワーノズルを捻った。頭、顔、体の順で洗い、湯船には浸からない。寒かったがそれ以上に面倒臭さを感じたからだ。パパッと音がつきそうなほど早く、時間にして二十分程で風呂を出た。その際上着を持っていくのを忘れない。


 ──さて、今夜は勝ったかな、負けたかな。三日前は負けたせいで半日動けない目に遭ったから出来たら勝ってほしいけど。


 そんなことを考えながら柔らかい生地のバスタオルで身体中の水分を拭き取り──と言っても髪はしっとりと潤いが残ったままだが──脱衣所で予め置いてあったワンピース型のルームウェアを着て浴室を出る。バスルームの設置された場所が玄関の近くのためひんやりと床は冷たく、早く暖房のあるところへ行こうと三人のいる方向へ向かうと、その途中で男達がこっちへ来た。なにやら苦々しい顔をしている。その様子に、レイは「ああ」と察する。


「お兄さん達負けちゃったの?」


 少し小馬鹿にしたようなレイの口調に、男の一人が舌を打った。しかしそれを気にせず、レイは舌打ちをした男の耳に先程ホテルに誘った男にしたのと同じように口を寄せ同じような台詞を吐く。身長差から背伸びをし、その支えに男の肩に手を置いた際、濡れた髪が男の頬を撫でた。


「そう、残念だなぁ。私、貴方のことちょっと格好いいと思ってたんだけど」


 そうして顔を離し「今度は負けないでね?」と首を傾げる。男は耳を押さえ、赤らんだ顔を誤魔化すように足早に玄関へ向かった。もう一人の男も「おい!」と言いつつそれに続く。──これを逆恨みされないための予防として、ここに来る男には全員に言っていることだと知らないまま。


 背後でガチャンとドアが閉まる音を聞いてから、レイは今度こそベッドの方へ向かう。そこに金髪の女が一人、黒ひげの人形が転がるテーブルに肘をついて煙草を吸っていた。


「勝ち?」

「見ればわかるでしょう」

「良かった。また二人して動けなかったら今度こそ脱水になるところだった」


 言いながらレイは椅子に上着をかけ、冷蔵庫から先程のビニール袋を取り出す。メロン風味のビールとクレアアサヒを取り出したとき、中に冷やすべきではないレトルトカレーやアイスが入っていたのに気付いて「しまった」と漏らす。レトルトカレーは適当にキッチンに置き、アイスは冷凍庫に仕舞う。クレアアサヒの方を金髪の女に渡すと、自分はメロン風味のビールの方を手に持つ。


「で、クレイシ。あのボンボン達どこで引っ掻けてきたの?」


 金髪の女──クレイシは缶のタブを開け一口飲んでから答える。


「市松通りの居酒屋です。負けたらなんでもすると言ったらひょいひょい着いてきましたよ。っていうか、よくボンボンとわかりましたね」

「服がね、最近お金持ちの間で流行ってるブランドなんだよ。でも茶髪の人の方はネックレスだけ趣味が違ったから、服自体は家政婦さんや親に選んでもらってて、アクセサリーとか靴とかだけ自分でって感じだろうね。まあ二十過ぎて自分で服選びもしないのはいくらボンボンでも珍しいけど」


 先程まで男が座っていた椅子──クレイシの向かい側──に腰かけたレイが缶ビールのタブを開けると、吹き出す音がして少し泡が溢れた。帰り道に前後に振ったのが悪かったらしい。慌てて口をつけて泡を吸うと、目の前からクレイシの細長い指が伸びてきた。それが体温を計るように頬に添えられる。


 「ん?」。唇を尖らせる形をしたままレイがクレイシに視線を向ける。


「貴女お風呂に浸からなかったでしょう。まだ冷えてますよ」

「ああ、面倒で。貴方こそ隈濃くなってない?」

「私はいいんです、丈夫ですから。風邪はひくと辛いのだからちゃんと暖まりなさい」

「そんなに言うならこの部屋に炬燵を導入してほしいなぁ」


 その答えにクレイシはふうと溜め息を吐いてから、机上に置かれていたブレスレットと腕時計をレイに渡した。部屋のリフォームを無視されたレイは「あったかいのに」等と文句を言いながらもそれを受け取る。


「どうですか?」


 ブレスレットは銀色の装飾に三つの穴が空いたもので、腕時計は太陰歴が表示されるムーンフェイズの腕時計。後者は確か秋のドラマで有名な俳優がつけていたことで有名になったものだ。どちらもブランドものでちょっとやそっとの貯金では中々手に入らない。レイはそれをじろじろと眺め、うんと頷いて口を開く。


「合わせて八十万かな」

「本当ですか? もう少しいくと思ったのですが」 

「本来なら九十万はある。けどほら、ここ傷がついてる」


 その言葉にクレイシが眉を寄せ身を乗り出す。腕時計の金具部分にどこかにぶつけたのか小さな小さな凹みがあった。一見すれば何も見えず光の反射を歪めてすらいなかったが、レイの見立てではかなりのマイナスポイントであった。


「扱いが雑だったんだろうね」

「あのボンボン……」


 クレイシが憎々しげに煙草を噛む。開いた唇の奥に歯形のついたチップペーパー部分が見えた。


「……ね、クレイシ」

「はい?」


 クレイシが灰皿に灰を落としていると、レイがクレイシの真似をするようにテーブルに肘をつき手のひらに顎を乗せて言う。


「クレイシは私のこと妹って思ってるの?」

「は? ……ああ、さっきのですか」


 突然の話題に一瞬なんのことかわからないといった顔をしたクレイシだったが、直ぐに先程男達に返した適当な返事のことを思い出した。

 

 暫し、沈黙が出来る。

 クレイシは再び煙草に口をつける。深く吸ったことで、その先端の火の赤が濃くなった。

 レイは大人しく言葉を待った。メビウスの濃い煙草の臭いとメロン風味のビールの甘ったるい匂いが混ざってはキッチンの換気扇によって外へ消えていく。


 ふと、薄くなった煙を口から吐き出したクレイシが皮肉げに鼻で笑った。

 そうして細長い腕を伸ばし、レイの湿ったことで長さが増したように見える髪を汗の滲んだ首筋からどかす。そこに、小さな赤い鬱血痕があった。


「──妹にこんなことをしたとしたら、とんだシスコンなんじゃないですか?」


 からかうような口調で言い放ったクレイシに、レイは満足そうに肩を揺らして笑った。


「そうだねぇ、近親相姦になってしまうもの」


 濡れた髪を揺らし、レイは椅子から立ち上がる。ルームウェアから覗く不健康にも見てるほど白い足がクレイシの背後まで歩を進め、レイは座っている彼女の肩に猫のような仕草でのっしりと顎を乗せた。


 それだけでクレイシはレイが望んでいることを理解したようだった。


「……明日靴を買いにいくんじゃないんですか」

「マニキュアも買いたいねぇ」

「また寝過ごしますよ」

「ほどほどに頼むよ」


 その言葉を聞いて、クレイシは灰皿に煙草を押し付けることで火を消し、残った酒を一気に煽る。それをOKの合図と受け取ったレイは肩から顎を退かすとベッドに体を投げ出し、ススッと端に身を寄せる。横向きに寝て、空いたスペースをぽんと叩き演技がかったイケメンオーラを纏わせ一言。


「来な」

「ちょっと変にふざけたことしないでください、萎えます」


 苦々しい顔で「っていうか貴女ネコでしょう」とレイの上に被さったクレイシは、そのまま彼女の後頭部に手を添え口付けした。



───


 

 二時間後。

 泥沼にも似た重ったるい色香が残る空気の中、ベッド上で気持ち程度に服を着用して寝っ転がる女が二人。金髪の女──クレイシはベッドの背もたれに寄りかかり手に持っている玩具の手錠を指を使ってくるくると回す。その目は部屋の壁を突き抜け遥か遠くを見ていた。

 

「まさかあそこからSMプレイに発展するとは思わなかった」 


 その横に寝そべる女──レイが赤くなった手首を擦りながら感嘆したように溢す。その言葉にクレイシは手錠をいじるのを止めた。


「枕の下にこれがあったのが間違いだったんです」

「ちょっと見てクレイシ、ここの歯型。血が出てる」

「止めなさい」

「なんかお尻痛……うわっ赤っ。これ叩きすぎだよ」

「止めなさいレイ」

「あ、次からやるなら爪切っといてね」

「止めろと言ったら一度で止めなさい」


 遠い目をしたまま色気もなくレイにアイアンクローをかますクレイシの胸を彼女よりいくらかサイズの小さな手が「いたたギブギブ」とタップする。それを受け頭から鍵爪のような形をしていた指を離し、クレイシはちらりと枕元の時計を一瞥する。


「ああ……もう体感でわかります。明日絶対に寝坊するじゃないですかこれ」

「たまにはいいんじゃないかな」

「駄目ですよ、あそこの靴屋人気なんですから開店時にいかないと売り切れます。マニキュアも見に行くんでしょう?」

「うん。靴とマニキュアとトイレットペーパーと服とコップとスマホカバーとグロスと服とスタバとCDと服と服」

  

 所々生活感が出るラインナップに、


「服が四回出てきたんですが種類分けしておいてくれませんか」


 とクレイシが悩ましげに眉間に指を当てた。


「『Version』のMA-1と新しい下着とあったかパンツとネックウォーマー」

「そんな寒いですか?」

「うん。だから炬燵導入しようって」

「…………考えときます」


 頭上に設置されているやや古い暖房器具を見つつ呟くクレイシ。レイはそれに嬉しそうに頷くと、一度ベッドを下りて椅子にかけた上着のポケットから自分の煙草を取り出した。そうしてベッドに戻る際、脇に落ちている男から持ち逃げしたブランドもののバッグに気付く。最中(・・)に蹴り落としてしまったらしい。


「こっちがだいたい五十万だから、合わせて百三十万か。今日は随分稼げたね」


 鞄を摘まむように拾い上げたレイがもう片方の手で金額を指を折り数えつつ一言。


「最近は負け続きでしたからそろそろ勝たないとと思いまして。久々に本気を出しました」

「イカサマ?」

「まあ、そうですね」

「ずるいの。でもまあ、これで好きなもの沢山買えるね」


 黒ひげ危機一髪でイカサマをするなんて誰にも簡単には思い付くことでは無いが、レイは特に『どうやって』とは聞くことなくベッドに再び腰かけた。ボックス型の包装から一本シガレットを取り出し口にくわえる。

 

「つくづく思うけど、この街はお金さえあればほんとなんでも手に入るよねぇ。お店も沢山あるし、映画館も水族館も動物園も……やろうと思うことは何でも出来る」


 火を着けずプラプラとシガレットを口で上下させて遊びながらレイは相方にそう同意を求める。が、彼女の予想に反してクレイシは少し間を空けて「けど」と返した。


「良く言いますよ。『お金じゃ手に入らないものもある』と」

「あれ? クレイシってそんなロマンチストだっけ?」


 意外そうにレイが眉を上げた。その手は、煙草に火を着けようとしているのかガサガサとベッド上のどこかにあるかもしれないライターを探している。


「いえ、お金は大好きですよ。『お金よりも尊いものはある』とか言う人はそこそこ贅沢な人生を歩んでいるか、綺麗事を言う自分に酔っているだけでしょう。ただ確かにお金では買えないものはあると思います」


 言いながらクレイシが枕元にあったライターをレイに渡す。「例えば?」。それを受け取ったレイが問う。

  

 その直後、煙草に火を着けようとレイがクレイシから視線を外した。


「──……」


 クレイシはレイがくわえるシガレットを奪い、こちらを向きぽかんと開いた唇に覆い被さるようにして己のかさついた唇を重ねた。乱れた金とも茶ともつかない髪が汗ばんだ鎖骨にざらざらと転がる。

 

「──さぁ、なんでしょう」

「えー、なにそれ」


 呆れたように笑うレイの口に、クレイシは再びシガレットをくわえさせてやる。ついでにと青色のライターを彼女の手から奪い着火させてやれば、ほんのりとバニラの甘い匂いが漂った。

  


 ──この街には三つの約束事がある。

 

 一つ。駅南口から真っ直ぐいった先の通りはオカマバーやSMクラブが多いから誤って入らないよう気を付けること。

 二つ。中央公園の大樹の枝は決して折ってはいけない。

 三つ。──金を無くしたくなければ、二人組の美女には近付くな。




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