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プロローグ




 八月四日。

 東京都美菜崎区の中央公園で夏祭りが開催された。


 都内最大と言われるその祭。

 集まった者は中々前に進まない人混みを上手く避けながらちょこちょこと狭い歩幅で歩き、小さな子供はそんな大人たちの足元をわたあめやヨーヨー片手に駆け抜けていく。

 様々な人や団体が屋台を広げ、カップルや家族連れや部活仲間たちなんかが、平時では高くて微妙な顔をしてしまうような出し物に惜しみなく金銭を払っていった。


 はしゃぐ子供が笑い、客引きのよく通る声が薄暗くなってきた空に高らかに響く。人の多さに驚いたのか、犬がどこかで吠えていた。

 それから、遠くで太鼓の音が聞こえる。


 そんな夏祭りの最中、ある女の二人組が人波に揉まれながら手を繋いで回りと同じ速度で歩いていた。


 黒い髪の女のもう片方の手にはリンゴ飴が握られていた。まだ透明な袋を被ったままのそれを食べる様子は無い。祭の出口の方へ向かっているところを見るに、家へ持って帰って土産にするのかもしれない。

 対して金髪の女の方は、そこまで祭を楽しんでいる様子は見られなかった。何度も何度も体にぶつかってくる人間に謝られながら、落ち着かなそうにジーパンのポケットに片手を突っ込んでいる。


 そうして歩いて歩いて、ようやく自分達の速度で歩けるようになったころ、やっと出口が見えてきた。

 出口付近も大分減ったとは言え中々人が多かった。祭は四日間行われるが、今日は初日──明日はまだ平日だ。子供は夏休みで学校がないかも知れないが、社会人は仕事である。なのでおそらく、明日のことを思って早目に帰る人が多いのだろう。


 頭上に飾られた提灯を潜ろうとしたとき、それまで沈黙を保っていた黒い髪の女──レイが、ふと汗ばんだ顔を綻ばせた。


「来年もあるといいね」


 伏せた大粒の雫のような瞳で赤いリンゴ飴を見詰めながら、彼女はそうありきたりな言葉を呟いた。

 金髪の女──クレイシは、それに「そうですね」と、これもまた呟くように返した。


   

 夏祭りから二人のアパートに帰ると、レイは買ってきたリンゴ飴を机の上に置いてソファに腰かけた。


 どうやら少し疲れてしまったらしい。

 彼女はエアコンの設定温度をリモコンで二十六度まで下げると、額の汗を手の甲で拭ってフゥと息を吐いた。


「クレイシ、お風呂先入っていいよ」


 レイはソファから仰け反って、彼女の背後で纏めた金髪を下ろしていた女──クレイシにそう声をかける。クレイシはそれに頷いて返し、バスルームに向かった。


 脱衣場の扉をパタンと閉めると、

 クレイシはその場に崩れ落ちた。


「…………う」


 夏祭りの最中、

 リンゴ飴を買ったレイが放った、「また来年もあるといいね」という言葉。

 

 ──夏祭りで、気分が高揚していただけかもしれない。

 ──いつもの気紛れかもしれない。


 それでも、クレイシがレイの口から明日を望む(・・・・・)発言を聞くのは初めてだった。

 

「やった……ああ、やった……!」


 嬉しくて嬉しくて、クレイシは自分の口を手のひらで覆って歓喜の言葉を繰り返す。瞳に水の膜が張って、視界が滲んだ。



 ある夏の、大きな祭りがあった日の夜。

 ある女の切望が叶った。


 そんな女の話は、半年と少し前の冬から始まる。




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