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卒業式はつつがなく始まり、つつがなく終わった。もうちょっとハプニングか何か起きてもいいのにと思わないでもない。
ハプニングとまでは言えないだろうが、蓮美が卒業証書を受け取るために壇上に上がったときは少し会場内がざわめいた。あまりに現実離れした美少女だからだろう。ぼくだって無関係な立場だったら、壇の上にたたずむ蓮美にむけて口笛のひとつも吹いたかもしれない。となりのクラスの男子がひそひそと話すのが聞こえた。
「やっぱりめちゃくちゃかわいいよな、佐久は。ダメもとで告白しようかな」
「やめとけやめとけ。関口にぞっこんなんだから」
「それは知ってるけどさあ。なんで関口なんだろうな。もっとましな男がいくらでもいるのに」
振り向いてにらんでやったら、さすがに向こうも気がとがめたらしく、口をつぐんだ。とはいえ、会場のざわつきから察するに、似たようなやりとりをしている連中はほかにもいると思われ、すべてをだまらせることなどとうていできはしない。
ぼくが内心やきもきしているうちに、蓮美は校長から卒業証書を受け取ってさっさと壇を下りてきた。席に戻る途中で一瞬ぼくと目が合ったが、その瞬間をのがさずパチンとウインクを一発よこしたものだから、あやうく心臓がとまりそうになった。蓮美のほうはといえば、ウインクを決めたあと頬を染めてそそくさと席に戻っていった。恥ずかしがるぐらいなら最初からやるなと言いたい。
「卒業証書受け取るときのユイくん、かっこよかったよ」
卒業式が終わって教室にもどるとき、蓮美がそう教えてくれた。ぼくはそんなに立派にふるまったおぼえはなかった。いや、それどころか直前のだれかさんのウインクの衝撃が大きすぎたせいでわりとあたふたしていたと思うのだが、蓮美の目にはそのように見えたらしい。眼科を受診すべきである。
ぼくが答えに詰まっているうちに、蓮美はさっと離れてクラスの女子たちのところへ行ってしまった。なごやかに談笑しているその様子をながめながら、ぼくは蓮美の言っていた誰だかのことを思い出していた。ぼくの双子の妹だというその人物は、例のなんとかがどうもなっていなければ、今日のこの卒業式にぼくといっしょに出席していただろう。ちょうどいま蓮美がしているように、友達に囲まれておしゃべりなどしていただろうか。想像しようとしたが、どうしてもピンとこなかった。
妙な事態が持ち上がったのは教室に戻ったあとだった。
保護者のみなさんもぞろぞろやってきて教室の後ろの壁際に鈴なりになり、つねならぬ圧迫感がかもしだされるなか、クラス担任は「きょうで卒業する君たちに最後に贈る言葉」という名の独演会をおっぱじめ、生徒一同がぐったりしたころに卒業アルバムが配られた。これは授業の風景や各種行事の際の写真をまとめたもので、後ろのほうのページには各自提出した作文も載せられるというものだ。
ほどなく、教室のそこかしこからとまどった声が上がりだした。
「先生、おれのアルバム、作文のページが白紙になってます」
「わたしのも」
写真をながめていたぼくも、作文のページをさがしてみた。たしかにアルバムの後ろ半分がほとんど白紙である。教師陣の寄せたあいさつはちゃんと載っているのに、卒業生の作文はひとつも見当たらない。
配られた卒業アルバムが一冊のこらず同じ状態だったから、生徒一同は蜂の巣をつついたようなありさまになり、担任はすっかり泡をくって指示をあおぐために職員室に行ってしまった。保護者連中も声高に議論をはじめ、印刷屋がやらかしたにちがいないとか、納品されたときに中身を確認しなかった学校側もずさんだとか言い合っている。
そんな騒ぎのなかで、ぼくはふと疑問に思った。ぼくはいったい、どんな作文を書いて提出したのだったか? なにかを書いたことは確かだ……と思う。たぶんそんなような気がする。だが、なにを書いたのかはさっぱり思い出せなかった。
「将来の 」
とつぜん耳もとでささやく声がした。おもわずのけぞりながら振り向くと、いつのまにか蓮美がぼくのそばにいた。
「それがこの作文の題。そして、アルバムから作文が消えてしまった理由でもあるわ。わかるでしょ」
蓮美はぼくを廊下に連れ出した。教室の中は大さわぎだったが、廊下に人影はなく、ぼくと蓮美の話のじゃまをするものはいなかった。
「あのさ、そのなんとかっていうのは、夜寝るときに行くところだって言ったよな。なんでそれが卒業アルバムの作文の題になるんだ」
「将来やりたいことやなりたいもののことも っていうの。単なる進路の希望じゃなくてね、現実的かどうかはべつにして、わくわくするようなのを」
「将来やりたいことか。ぼくは何を書いたんだろう」
「ごめんね、それはわからないの。去年の秋にユイくんが の世界に来たときに、作文の題だけは聞いたけど、何を書いたかは教えてくれなかったから。でもね」
蓮美はまっすぐにこちらを向いて、言った。
「わたしの なら教えてあげる」
それを聞くのは興味ぶかくもあり、またどこかおそろしくもあって、ぼくはすこし身じろぎした。
「わたしの は、ユイくんと ちゃんと三人でずっといっしょにいられるようにすること」
聞き取れないところがあっても、意味をくむことまでできないわけではない。ぼくは息をするのも忘れて蓮美の言葉に聞き入った。
「だから、こちらの世界に誰かを送り出してユイくんに ちゃんを手伝ってもらうようにお願いすることになったときに、わたしが名乗り出たの。わたしの だもの、わたしがなにもしないでいるわけにはいかないでしょ」
「でも、ぼくに何かできることがあるのかな」
卑下するわけではないがぼくはまったく平凡な子供で、蓮美の話すような異常な事件で役に立つことができるとは思えなかった。だが、蓮美はきっぱり言い切った。
「あるわ。ユイくんにしかできないことが」
「どんなこと?」
「ユイくんの家系に伝わっている力があるでしょ。その力が必要なの」
納得できない答えだった。ぼくの顔に疑いの気持ちがあらわれたのだろう。蓮美はすぐ説明をくわえた。
「ユイくんの言いたいことはわかるわ。あの力は女の人にしか伝わらないっていうんでしょう。でも、ユイくん、よく考えてみて。ユイくんは生まれたあと何日かは女の子として育てられてるのよ。つまり、その何日かぶんの力はあるはずなの」
「いや、それはいくらなんでも……」
「むちゃくちゃな理屈だって思う? でもね、世の中では男とか女とか、そんなにきっちり決まってるものじゃないのよ。あのね、その、……てるとか……てないとかだけじゃ決まらないものなの」
「え? なに?」
それは例の言葉が聞こえなくなるのとはちがって、単に声が小さくて聞こえなかったので、ぼくはうっかりふつうに聞き直した。蓮美は顔を赤くして、さっきよりは大きいがかろうじて聞き取れるかどうかという声で答えた。
「付いてるとか付いてないとかだけじゃ決まらないって言ったの! 聞いたことあるでしょ、体は男だけど心は女だとか、そういうの。だからあとは、どんなささいなきっかけでもいいから、ユイくんが自分のことを女だと思うことができれば、それだけでいいの」
正直にいって、ぼくの気持ちは半信半疑ですらなかった。そんなことで男が女になってたまるものか。だがひとまずそこは置いておいて、ぼくはもうひとつの疑問を口にだした。
「もしそれがうまくいってぼくに何かの力があるってことになったとするよ。でも、それが何の力かわからないじゃないか。つごうよく役に立つような力だとは限らないだろ」
だが蓮美は自信たっぷりに言い切った。
「だいじょうぶよ。だってユイくんだもの」
「根拠もなしに太鼓判おされたって……」
「根拠はあるわ。 ちゃんの力が にまつわるものだったように、ユイくんの力は何かを結いあわせる力になるの。きっと の世界と現実の世界を結いあわせる力に」
ぼくはやっぱり信じられなかった。ぼくになにかの力があるということも、それでそのなんとかの世界をどうこうできるということも。だがそれを口に出す時間はなかった。ちょうどそのとき、職員室に行っていた担任が戻ってきたのだ。
「おい、関口に佐久。教室に入れ。ホームルームの続きをはじめるぞ」
ぼくは教室に戻ろうと蓮美をうながした。蓮美はぼくをかえりみて、「ねえ」と言った。
「なに?」
「もし何もかもうまくいってまた会えたら、こんどこそキスしてあげるね」
ぼくはとっさに言葉が出ず、その場に棒立ちになる。蓮美は笑った。
「冗談よ」
そして教室に入って行った。
卒業アルバムは結局いったん回収されることになった。後日ちゃんと印刷されたものがあらためて配られるらしい。いささかドタバタして締まらないところはあったが、こうしてぼくの小学校生活は幕を下ろした。
そして、ぼくは一人で家に帰った。




