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 朝起きて着替えをしたら、まずはとなりの部屋をのぞく。

 「おはよう、ユメ」

 六畳の殺風景な部屋のまんなかに布団がひとくみ敷いてあって、そこに女の子が眠っている。名前はユメ。ぼくの双子の妹だ。

 ぼくは思いえがく。ぼくのかけた声にユメが目をさまして、「おはよう、ユイ」と答えを返してくれるところを。だが、それが実現することはない。

 ユメは決して目をさまさない。

 生まれてから十二年間、いちどもさましたことがない。


 階段をおりると、台所でママが食事の支度をしていた。うちはママとぼくとユメの三人家族だ。ユメは食べないので、食事の用意はママとぼくの二人分。

 「おはよう、ママ」

 「おはよう、ユイちゃん」

 ぼくは寝起きの顔をおもいっきりしかめて抗議する。

 「ちゃんづけはやめてくれっていつも言ってるだろ」

 「あら、いいじゃない。ユイちゃんはわが家のかわいい長……男ですもの」

 ママが長と男のあいだをわざとらしく長々とあけて言ったのには理由がある。ぼくは生まれたとき、股間のモノが体の中にめり込んでいる状態だったとかで、女だと判定され、出生届にも女と書かれてしまったのだ。何日かたつうちに、めり込んでいたモノがだんだん体の外に出てきて、性別は訂正してもらえたのだが、ユイという女の子めいた名前はそのままにされた。そんなわけで、ママはしょっちゅうぼくのことを女の子あつかいしてからかうのだ。

 「ちゃんづけをやめてほしかったら、早く一人前の男になることね。そうね、彼女ができたらちゃんづけをやめてあげるわ」

 ママはそんな無体なことを言いながら、目玉焼きをフライパンから皿に移した。

 「さ、早く顔を洗ってらっしゃい。朝ごはんよ」


 テレビに朝のニュースをしゃべらせながら、ママとぼくは食卓をかこむ。

 「ユメちゃんの様子はどうだった?」

 「べつに。いつもどおりだよ」

 「そう」

 桜前線が列島を北上しつつある、とテレビが言った。ママは言いにくそうに口をひらいた。

 「ユイちゃん、明日の卒業式のことだけどね」

 「わかってる。気にしないで」

 「ごめんね。やっぱりどうしても仕事の都合で出られそうにないの。本当にごめんなさいね」

 「ぼくは気にしてないから。大丈夫だってば」

 親というものは、子供の学校行事にはなにがなんでも出なくてはならないと思うものらしい。ぼくとしては、親が来ないほうがよほどせいせいして気が楽だと思うのだけれど。

 ほうぼうの行楽地が花見客でにぎわっている、とテレビが言った。

 「ユイちゃんももう中学生なのね。ついこないだまでおっぱいを飲んでたのにねえ」

 「外聞のわるい言いかたをしないでほしいんだけど」

 今日は全国的に天気のよい一日になるであろう、とテレビが言った。ママはテレビをちらりと見て、ぼくに告げる。

 「傘を持って行ったほうがいいわよ」

 ぼくはすなおにうなずく。いままでにママの天気予報がはずれたためしはない。


 うちの母方の血筋には、ちょっと変わったところがある。生まれてくる女の子がみな不思議な力を持っているのだ。

 不思議な力とひとくちに言ってもいろいろで、たとえばママはその日の天気を百発百中で当てられるし、ママの母親、つまりぼくのおばあちゃんは話している相手のついたウソをてきめん見破ることができる。もっとすごい人もいる。おばあちゃんのいちばん上のお姉さんは、どんな病人も触っただけで治してしまうことができたらしい。もっとも、自分自身の病気は治せなかったらしく、風邪をこじらせて二十歳にもならないうちに亡くなってしまったそうだ。

 ユメもその血を引いている。

 ユメは生まれたときから一度も目をさまさず眠りつづけている。最初はママも親戚も医者や看護師も困惑して、いろいろ検査をしたけれど、原因はさっぱりわからなかった。それどころか、ユメはまったくの健康体であるという結果が出た。そのうちに親戚の誰かがくだんの不思議な力のことを思い出して、この子が眠ったままで生きていられるのはその力のおかげだろうと言い、親戚一同はすんなり納得した。さすがに病院の人たちは納得しなかったが、実際ユメは目をさまさないということをのぞけばじつに健康そうだったので、いつしかうやむやになった。

 そしてそのまま十二年がたって、今にいたるというわけだ。

 うちの二階のぼくの部屋のとなりの六畳間がユメの部屋だ。そこに敷いた布団の上で、ユメは昼も夜も夏も冬も、延々眠り暮らしている。生まれてから一度もものを食べたことがないくせに、ちゃんと年相応に体は大きくなっており、着せてあるパジャマがいつのまにか体に合わなくなっていたりする。

 ユメがものを食べないことについては、ママが以前ゆかいな説をとなえていた。

 「ユメちゃんはきっと夢のなかでごはんを食べているのね。だからこっちでは食べなくていいのよ」

 その話が出たのは夕飯の席でのことだったが、ぼくはついよけいなことを言わずにはいられなかった。

 「じゃあユメが出すものを出さないのも、夢のなかでトイレに行ってるからかな」

 食事中に不適切な発言をしたかどでこっぴどく怒られたことは言うまでもないだろう。


 ろくねんせいのおにいさんおねえさんごそつぎょうおめでとうございます。

 ざいこうせいのみなさんありがとうございます。

 という愚にもつかないせりふが全校生徒の声で体育館にひびきわたる。卒業式の前日ということで今日はもう授業はおこなわれず、式の練習ばかりがひたすら繰り広げられた。行列をつくって体育館を出たり入ったり、号令に合わせて立ったりすわったりおじぎをしたりと、猿芝居のオンパレードである。おかげさまで卒業式本番が来るのがたのしみでしかたない。

 一人ずつ名前を呼ばれて卒業証書受け取りの練習をしているとき、ほかのクラスのやつがひそひそと話をしているのが耳にはいった。

 「いま名前よばれた関口ユメって誰だ? そんなのいたっけ?」

 「ああ、二組の関口の双子の妹だよ、たしか。病気でずっと休んでる」

 いちおう学校に籍を置いてはいるが、ユメは入学以来いちどたりとも登校していない。そしてそのまま卒業しようとしている。ぼくは学校に行くのが好きな人間ではないけれども、ユメのことを思うと胸がつまりそうになる。形ばかり在籍した小学校を形ばかり卒業し、中学校にも形ばかり入学して、いずれはそこも形ばかり卒業することになるのだろうか。そしてその先はどうなるのだろう。

 けれども、ぼくには何もできない。どうすればよいのかもわからない。


 学校から帰ったあと、ぼくはママといっしょに近所の服屋に行った。注文してあった中学校の制服を受け取るためである。

 念のため試着してみた制服は、ぼくがいままでの人生で着たことがないブレザーという種類の服で、ネクタイという首に巻くためのひもがセットになっている。このひもは、ブレザーを着た人を縛り首にするときに専用のひものかわりに使われることもあるという話だ。

 「ユイちゃん、ほら、こっち向いて。うん、似合う似合う」

 「そうですね。ぐっと大人っぽく見えますよ」

 ママと服屋の店主は口をそろえてぼくの格好をほめちぎったが、ぼくは動物園の珍獣にでもなったような気分だった。これから毎日こんな扮装をしなければならないとは気が重いことである。

 「それで、もう一着のほうもできてると聞いたのですけど」

 「ええ、こちらですね」

 ぼくは袋詰めにした制服を渡されてひと足さきに店を出ようとしていたが、ママと店主のやりとりを耳にしてふと立ち止まった。ママが受け取っているのは、同じ中学校の女子の制服一式だ。もちろん着るのはぼくではない。ユメのぶんだ。

 「持つよ」

 ぼくは進み出て、もう一着の制服の入った袋を受け取った。両手に袋をひとつずつぶらさげて店を出ると、ぽつぽつと雨が降ってきていた。ふたつの袋を片手にまとめて、もう片方の手で傘をさす。二着の制服は片手で持つにはすこし重く、すぐに手が疲れてきたが、ママに一着持ってもらおうとは思わなかった。

 おくれて店を出てきたママが、自分の傘をさしながら言った。

 「これで、ユメちゃんがいつ目覚めても大丈夫ね。すぐに中学校に通えるわ」

 そしてママとぼくは雨のなかを歩いて家に帰った。


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