第7話 連れ込み宿で
ギルド長の話を聞いた俺達は、取り敢えず落ち着いてから方針を決める事にして冒険者ギルドから出た。
一応、安くて安全なギルド推奨の宿を紹介して貰ったので、そこへと向かう。
基本的に街中は石畳が敷かれていて、降ってきた雨などは脇の側溝に入る様になっていた。
町のメインストリートは町の外から延びる街道がそのまま利用されているのだが、ここは石畳じゃなくて表面にザラツき加工が施された謎の金属板で出来ていた。
形状的には科学文明全盛期に敷設された高規格道路をそのまま使用しているみたいで、日本の高速道路か有料道路みたいにまっすぐ延びている。
道路の周辺は様々に修理されているのに道路自体には全く加工された跡がない。
どんな材質なのか色々調べてみたい所だが、いきなり道路にしゃがみ込んで調べ出すと変な人扱いされるだけならともかく不審者として通報されるとイヤなので、そんな事はしない。
町の外周の壁に沿って冒険者向けの宿屋があるのは、冒険者が不埒な真似をして町に迷惑をかけないように隔離されているのだろうか。
単純に便利がよいからだと良いんだけど。
外壁に近い門まで来ると門の上には電光掲示板がペカペカと光っていた。
ファンタジーに似つかわしくない科学的な代物に目を剥いたが、どうやら古代遺跡の一つらしく観光客が遠巻きに見物していた。
表示される現地の文字を読んでみると、古語っぽい複雑な文字が出ていて『し無滞渋、先のこ/←この先、渋滞無し』やら『20キロ先・濃霧注意』とか右から左へと書かれている。
これは高速の電光掲示板みたいな、と云うかそのものじゃないかと思う。
どうやら町の観光名所として大切に保存されているらしく、門番の警備が他よりも厳しい。
俺的には長過ぎるあいだメンテナンスフリー? で動作を続けている施設に興味津々な訳だが分解して調べるのは無理っぽい。
だけどもあのLEDみたいに光っている物の正体は知りたいな。
観光ガイドっぽいおじさんが訳知り顔で喋っていたのが聞こえたんだが、以前にモンスターの軍団が街道に沿って進軍してきた時に『敵性生物群接近中!! 街道封鎖中 敵性生物警報発令中』などと表示された事があり、お陰で不意打ちを避けられて早期に対応をとる事が出来て助かったと興奮気味に言っていたのが印象に残った。
つまり、街道沿いにセンサー類が生きており、それを判断する情報処理システムも死んでいない事を意味している。
こんなに長い間稼働し続けることの出来るシステムって、メンテナンスフリーの概念を越えているんじゃなかろうか。
外壁沿いには三階建て木造漆喰造りの建物がずらりと並んでいて、その内の10軒くらいにベッドの看板が掲げられていた。
ここが宿屋だろうかと思われる。
その他にもナイフと皿の看板は食堂で、直刀と棍棒の看板は武器屋かな?
冒険者向けの街だというのは確かなようだ。
冒険者ギルドで聞いてきた『ギルド推奨』の宿には逆三角形の中に目が描かれているマークが掲げられているらしいのだが、角から五軒目に見つかった。
そはらと相談しながら店を見る。
「この宿屋はどうかな?」
俺は予算的に厳しいので、出来るだけボロっちい宿屋にしようかなと思ったのだが、良く考えると女の子にそう云う所に泊まらせるわけにはいかないか。
やっぱり訂正しようかと思ったが、先にそはらが口を開いた。
「えー? こんな所? あんまり安い宿はねぇ、泥棒に荷物を盗られたり、シラミやダニが出そうだから駄目。もっとちゃんとした処にしましょう」
「予算的にはどうだろうか。俺だけ馬小屋にするかな」
「馬の落とし物の横で寝ている間に、踏まれてジ・エンドって感じじゃないかな? 大丈夫、軍資金ならあるし、トレペ1グロスで手を打つから」
「12かける12はニニンがシとインニがニで24とインニがニィとインイチがイチィで12の10倍だから0を足して120と、足す事の24で144個か。MPが足りるかな?」
「相変わらず暗算を口に出さないと出来ないの?」
「頭の中にそろばんがある人は黙っていてくれ」
筆算なら普通に出来るから良いのだ。
でもまぁ、普通の宿屋に泊まれるならそれに越した事はない。と云うか馬小屋に泊まることが出来るのかも知らないんだけど。
それはともあれ、能力は魔力を用いて結果を得られる超能力? なんだろうか。
それとも脳髄の中に出来た魔法回路的な魔法を制御する為の器官が発生して、魔力を使って現象が発生しているのだろうか。
ならば人工的に再現した魔法回路に魔力を流し込めば魔法が使えるのではなかろうか、そしてそれが魔法陣なのだろうか。
う~む、謎だ。
そはらとの会話の中でそれとなく聞いてみたところ、意外な事に返答があった。
そはらがいうにはこの能力は原因や原理には関係なくいきなり結果をもたらす奇跡その物であって、一定の手順を踏んで物理現象を再現するこの世界の魔術とは違う物なのだとか。
どこで手に入れた知識なんだ?
ゲームか? ゲームなのか?
それとも女神様から得られた知識なのか?
どうして俺にはそう云う特典がないんだ、ガッカリだよ。
そはらから先払いして貰ったトイレットペーパー1グロスの代金で宿屋の一部屋を借りて泊まることにした。
そはらの意見を尊重して、小綺麗な外観の宿屋を選んだ。
看板には森の木こり亭とある。
開業主が元は林業を営んでいたのだろうか?
それにしても、どうしてこう云う店はこう云ったポエミーな名前なのだろうか。
いや、これが翻訳の結果だと云う事は何となく理解はしている。
小洒落たレストランで出てくるポエミーな料理の名前とは違う事も分かる。
文化の違いもあるだろうし。
それにもしも漢字で森林樵夫亭とか理解してしまったら違和感バリバリだし。
でも違和感は拭えないのであった。
「こんにちはっ!!」
俺は出来るだけ明るい声で宿屋の入り口にあるカウンターに座っていたお姉さんに声を掛けた。
こういう場合の挨拶は『済みません』ではいけないのだとニュースの特集でやっていた。
確か狭い一方通行の通学路を近道だからと云って逆走する、マナーの悪い運転手に注意を呼びかける運動を毎朝小学校のPTAがやっても無視されて困ってしまう、とか云う話だった筈。
最初に声を掛ける時に『済みません』と云って自分から相手よりも低い立場にしてしまうと相手が図に乗って無視してしまうから、相手と対等の立場である事をアピールする為にも『おはようございます』『こんにちは』と明るい声で堂々と声を掛けるべしと結論づけられていた。
ならば先人の知恵に習うべし。
気怠い雰囲気の清楚な美人のお姉さんは『ほにゃあ』とした笑顔を浮かべて返事をしてくれた。
「あらぁ、いらっしゃいませぇ。外国の方ですかぁ。遠い処からご苦労さまですぅ」
烏の濡れ羽の様な艶やかな黒髪を纏めた受付のお姉さんが挨拶をすると、その背後に花が咲き乱れた。
昔の少女マンガみたいに、花の幻影が浮かび上がったのだ。
どうやらこれも魔法だろうかと思われる。
自由に幻影が浮かべられるなら、それもジェスチャーのひとつとして活用されるという事なのだろう。
だけどお姉さん、浮かべるのが黒百合というのはどうだろうか?
いや、何だかイヤに似合っているのが怖いんですけど。
けど、この国の人間でないのはバレバレですね。
「はい、今晩の宿を探しているのですが、空きはありますか?」
「はい、大丈夫ですよぉ。ダブルが一部屋ですねぇ?」
「いえ、シングルが二つで」
「あらあら、初々しいから初めての合体にこの宿を選んでくれたと思ったのに残念ねぇ」
「がっ・・・・・・って、違いますよぉっ!」
いきなり何を云うんだこのお姉さんは。
「あら、違うんですかぁ。てっきりコレをしに来たのかと。お昼からお盛んねって思ってたのに」
お姉さんはそう言いながら左手でOKマークを作りながら右手の中指をその輪の中に抜き差しし始めた。
見た目は清楚そうなのに、ずいぶんとギャップが酷い。
「確かに俺はまだ経験はない訳ですが、それはともかく、単に宿泊が目的ですので、値段とシステムの説明をプリーズ」
「はぁ~い。一泊銀貨3枚でトイレは一階の裏庭に在ります。宿泊中の部屋の掃除は無し、毛布とシーツの交換は随時、ナニして汚したら染みになっちゃうから早めにね。飲める水は水差しに一杯分、洗面は裏庭の井戸の流しで、洗濯は洗濯屋に出すから別料金で、クリーニングは出すところが違うから注意してね。食事は基本的に外食だけど一階の食堂がお勧めね。宿住みの花売りのお姉さんは4人いるけど、私が一番お勧めよ。今晩どうかな? 本当は二人がする時に実技指導したかったんだけどねー」
「いえ、結構です」
「結構なのね! じゃあOKって事で」
電話の詐欺師かっ!?
ここはハッキリと言わないといかん。
「いえ、いりません。ノーセンキュー、ナインダンケ!」
「えー、つまんない。次でちょうど千人切りだからサービスしようかと思ってたのにぃ」
千人切りっ!
そはら達のお姉さんみたいだ。
ヤりマンで有名だったからなぁ、HIVで亡くなったけど。
あれからそはらのガードが堅くなったんだよな。まぁ当然だけどさ。
「千人切りするとねー、ようやく踊り巫女の修行に入れるんだよー。ほら、お姉さん今年で25歳じゃない?」
知らんがな、って言うか若々しいですね。
「千人切りの最中に5人の子供に恵まれたし、あ、皆すっごく可愛いの。全員女の子でね、三番目の娘なんか獣人の血を引いているのかケモノ耳でねー。ルビアったら犬みたいに駆け回っているのよー。それでね」
「あの」
話が長くなりそうだったので思わず声を掛けてしまった。仕方があるまい。
「はい?」
「話は長くなります?」
「あ、あははは。ごめんねぇ。皆神殿の子育ての宮に預けているからさぁ、中々会えないのよねぇ。私もあそこの出身だけど、千人以上の巫女候補と5人の御子が居てねぇ」
「興味深い話の最中にすいませんが、鍵を貰えますか?」
「あら、ごめんなさいね。はい、2階の202号室と203号室ね。ごゆっくりどうぞぉ」
この世界の娼婦? の環境にも非常に興味があるのだが、とにかくゆっくりしたい。
と、そこまで考えたら身体を休めるには風呂が良いんだが、と思いついた。
「そうそう、ここってお風呂はあるんですか?」
「公衆浴場が街中にあるわよ。湯桶と垢擦りは自分で用意する必要があるから、雑貨屋で買って行くといいかな?」
「場所は?」
「外壁の方の、川に近い所ね。ただ、あそこは街娼が多いから気を付けないと。モラルも無いし。私たち神殿の巫女と違って病気持ちが多いし、良い? 絶対に街娼は買っちゃダメ。神殿の巫女はこの正三角形の焼き印が入ったシンボルを首から下げてるからね。絶対ダメよ」
「はぁ。って云うか、混浴なんですか!?」
「ええ、男女に分ける必要があるの?」
絶対に街娼達もこの人にモラルの事で言われたくないと思う。
けど、性文化の違いも文化差別の大きな要因だからなぁ。
キリスト教的潔癖主義を絶対的な価値観にしたら、こう云う大らかな文化の人たちとは相容れないし、ここはひとつ、こちらも大らかな気持ちになって受け入れるべし。
そっちの方が色々と気持ちよさそうだし。
でも。
「恥ずかしいじゃないですか」
「生まれたままの姿は自然なものでしょ? 何も恥ずかしいものではないわよ? あるがままの物を受け入れなくちゃ」
彼女は実に自然にそう言い放った、この文化では裸体に対する羞恥心が薄いんだろうか、キリスト教以前のローマ帝国みたいに。
どうやら愛の女神も精神的な愛情よりも性愛寄りな感じだし、男女の仲がよりオープンな感じだ。
しかし、やけに街娼に対して辛辣だが、ショバ争いでもしているのだろうか。
まぁ、忠告は聞いて置いた方が安心か。
ビョーキは怖いし。
「はぁ、公衆浴場の件は分かりました」
「うんうん。今度お姉さんが一緒に行って上げるから、その時に一緒にイこうね」
その言葉が意味深に聞こえてしまい、ゴクリと生唾を飲み込んでしまったのは仕方のない所だろう。
だって、俺は健全な性欲を持つ男子なのだもの。
しかし、混浴かぁ。
裸の女性を前にして興奮してはしたない状態になったりしないだろうか。
ヌーディストビーチじゃ裸の女性に反応してはいけないと云う不文律があるらしいし、自信がないなぁ。
階段を登り2階へと向かう。
扉には木の札に焼き印で202と記されていて、鍵が掛かっていた。
鍵自体は断面が前方後円墳の様な大時代的な鍵であり、アンティークと云うか雰囲気を出している。
俺はそれを鍵穴に差し込むと隣の部屋にそはらが入って行くのを見た。
部屋の中はシンプルである。
恐らく盗難防止なんだろうか、盗む物は何も置いていない。
ベッドと作り付けの机が2畳くらいの狭い部屋に置かれていて、クローゼットが部屋の壁に作られている。
基本的に睡眠と荷物置き場に使うだけの部屋らしい。
でも俺にとってはネットカフェで慣れているから、それほど苦痛でもないかな。
上を見上げると、ベッドに立てば上に作られた戸棚に荷物を乗せられる様になっていた。
広めのゴロントシートかネカフェのカーペット席、もしくは高速バスのコクーン席か、大きめのカプセルホテルの様なコンパクトな一室である。
だが、天井に大きめの鏡が置いてあるのはどう云うことだろうか。
自分の寝姿を見ても・・・・・・って、ああ、相手の背中を、かっ!
この部屋の本当の使い方を察した俺は、思わず手をポンッ、と打ってしまった。
ほうほうと肯きながら少ない荷物をベッドの上に置くと、扉の方からノックの音が聞こえてきた。
さっきのお姉さんが売りに来たのか!? なんて筈はないから、そはらかな?
俺はドアの前に立ち、ノブに手を伸ばしたが待てよ? もしも厳つい押し込み強盗や押し売りだったらどうしよう。
うむ、覗き窓もないし、誰何した方がよかんべ。
「はい、どちら様?」
「私よわたし。ちょっと開けて?」
「ワタワタ詐欺なら間に合ってます」
「・・・・・・そはらよそはら。ちょっと開けて!」
「ほいよ」
まあ当然そはらでした。
少し機嫌を損ねさせてしまったのが怖いんだが。
こんな治安の悪そうな所に来てしまったんだから、安全確認は必須だよね。
からかったのは悪かったけど。
「お邪魔しまぁ~す」
ちろっと睨みつけられたがそれ以上のアクションは無かった。
そはらは鞄を作り付けの机の上に置き、ベッドの隣に座るとこちらを見つめてきた。
やけに真剣な目つきである。
むむ、おちゃらけて良さそうな雰囲気じゃないな。
「どうしたんだ、そはら。目が怖いよ?」
「じーっ、むむぅ。まず、預かり物があるから渡しとく」
「預かり物?」
と言ってもここに俺がいる事を知っていて預け物が出来るのはひとりだけ、そう、愛の女神様だろう。
「私が何でも入る魔法の鞄を戴いたんだけど、雄大にも色々と渡す物があるからって。どんな形状の物でも入れる事の出来る、容量の大きな魔法みたいな物みたいよ」
「おお、俺も冒険者の定番的な魔法の鞄をっ!」
何が出てくるのかドキドキワクワクしながら見ていると、そはらは鞄から丸まった布を取り出した。
濃い緑地に白いグネった線が描かれた唐草模様の、って風呂敷かよっ!?
いや、もしかして魔法が付与されているのも。
「これは。風呂敷だな」
「どんな形状の物でも大容量で包む事の出来る魔法みたいな物、だそうよ」
「それって、ただの風呂敷、じゃないな」
「一応、上に乗る大きさの物を包むと手に提げられるサイズに縮むって話だけど。開けてみるね」
「おう」
俺の目の前で風呂敷包みの結び目をそはらが解くと、1メートル四方の小さめな風呂敷包みの上に、物理的に入らないだろと突っ込みが入りそうな程に多めの荷物が現れた。
話を聞いて準備していたが、それでも驚きの現象だ。
中に入っていたのは多目的ソーラー充電器に青いツールBOX、使い込んだ電気ブロックの箱と着替えと野外調理セットに即席袋麺とエネルギーバー、サバイバルグッズにお風呂セット等である。
こんな事もあろうかと準備していたが肝心な時に手元になかった、異世界転移便利ツールセットだった。
おお、これで色々と構想が膨らむな。
特にソーラー充電器がありがたい。
俺の義手の電池残量が赤いラインにまで下がっていたし、このままでは動かない義手として使うしかないかもと思っていたんだ。
しかし、俺の部屋から持って来たって事か? 助かったから良いんだけどさ。
だが流石にお宝グッズは入ってなかった。
後になって神々の性格や役割を知るようになって、事情をよくよく考えると、愛の女神がその手の物を持ってくるのはあり得ない事な訳だったのだが。
何しろ自分の信者が祈りを捧げるとその力が自らの物になるシステムがあるらしく、日本の優れた『独り上手』用のグッズが複製されて広まったりしたら、男女の行為は減ってしまい、出生率が下がってしまう。
それは女神の望むところでは無い筈だ。
何しろこの世界の愛の女神が司る愛には無償乃愛よりも性愛の割合が大きいのだから。
それはさて置き、俺は早速充電器に溜まっていた電気を移すべくUSBケーブルを伸ばして義手と接続させた。
ピッと警告音が鳴ってLEDが鈍く光る。
これで一安心だった。
ふと息を漏らすと、そはらは俺の義手を見つめながら何かを逡巡するかの様に口を開けたり閉めたりしている。
「あの、さ。その腕、まだ痛い? 痛いよね」
「いや、もう幻痛は感じないぜ。冷えると骨の所がズーンと重く感じることはあるけど」
「そう、か。あのさ、私がこの世界に来る前に色々と女神様と話をしたんだけど。聞いてくれる?」
「うん、興味深い。どんな因果でこの世界へと来る事になったのか。因果は巡るよ何処までもって言っても、普通異世界行きにはならないよね」
「だよね。でも私、と云うか私たちには必然だったみたい」
「必然? 私たち?」
どう云う意味だろうか、何かハッキリとした原因が? それと私たちって云うのは、俺の事?
「うん、私たち姉弟は、ねえこの姿は日本人らしくないよね」
「ああ、うん。どっちかって云うと厨二病的な」
「やかまし。大事な話があります、座って頂戴」