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ヴァンパイア・パロール 第四章 黙示録 2

ウォーター・ハウスはいつに無く、感情を露にして荒れていた。

表向きには平静を装っている。しかし、彼は明らかに瞳に強い負が宿っていた。

オレは彼の事をきっと誤解していた。

彼は殺人衝動の塊だった。

「ハーデスだけはいつか俺が殺す」

 彼は壁を小突いた。

 強酸か何かでもぶち撒けたように、壁が溶解していた。

「フェンリル。よく来てくれた。俺はお前が気に入っている。そうだ椅子に腰掛けてくれ。酒でも飲もう。コニャックがいいか? それともスコッチ? リキュールもあるぞ」

「すまない。オレは酒も煙草もやらない。紅茶は? アップル・ティーが好物で中毒なんだが」

「無いな。果実酒ならあるが」

「じゃあ、お茶をくれ」

 ウォーターはグラスを二つ持ってきて、それぞれに飲み物を注いだ。

 ウォーターはどうやら、スコッチを飲むみたいだった。

 彼は煙草に火を付ける。

「知っての通り。俺はアンブロシーとハーデスの作ったアサイラムの収容を拒否する代わりに、アサイラム専属のハンターをしている。基本的には人殺しを禁止されてる。……それでも標的を嬲り殺してしまう事も多いが。後でしつこく説教、説法される。迷惑だ」

 オレは出された緑茶を口にした。意外と口に合う。

「アンブロシーは宗教家だ。何でもイエスやドストエフスキーに登場する何とかっていう名前の神父に憧れているらしい。何だったかな?」

「たぶん、カラマーゾフの兄弟のゾシマ長老だ」

「そうか、俺は小説は読まない。宗教も哲学も興味が無い。まあ、とにかくアンブロシーってのはヒューマニストでな。人類愛が好きなんだな。本当の悪人はいないと信じている。だから、従来の刑務所を嫌ったし、犯罪者の死刑も嫌った。だからこういった施設を作った。元々は刑務所内教戒師だったらしい」

「刑務所内教戒師?」

「まあ、囚人を更正させようって教え説く奴らだな。宗教家を連れてくる、まあ、囚人にとって彼らは刑務所内の救世主ってわけだ。罪を赦して欲しいらしいからな」

「罪を赦して欲しい、か……」

 オレは少し考えた。

 何か言おうとしたが、言葉に詰まった。

 ウォーター・ハウスは、反吐が出るぜ、毒付く。

「フェンリル。俺はナチュラル・ボーン・キラーだ。大体、凶悪犯罪者ってのは幼少期に虐待を受けていたとか。気付いたら、人生の選択を間違えて社会悪に手を染めていたとかそんな奴らばかりだが、俺の場合は違う。俺は一応、精神鑑定で正常とされている。カウンセラーが手を焼いていた。俺からは何も出てこなかったからな。普通に中流階級で育って、素行も良く。親も友人もマトモだった。ただ、俺が異常だったらしい。能力が発現する前から、人殺しになった。何となく、人間をいたぶって殺してみたかったんだな。俺は多分、先天的に他人の痛みが分からないんだ。でも、自分の欲望には正直らしい。始めて人を殺したのは十四歳の頃だった。家にあったスコップで友人を殴り殺して死体を刃物やら何やらで当時の自分で可能な限り、損壊して埋めた。昨日まで一緒にサッカーをしたり映画館に行っていた仲間だった。何となく、こいつが苦しむ姿を見たら面白いだろうなあと思ったから殺した。彼は行方不明扱いされたよ」

 彼は饒舌に捲くし立てる。

「二十歳を過ぎて能力者になってから。俺は沢山、人を殺し続けた。知っての通り、俺の能力は毒を操るモノで俺の人格がそのまま投影されたんだな。気に入らない奴も気に入った奴も殺したし。俺を嫌いな奴も好きな奴も楽しい時も気分が沈んでいる時も殺した。もしかしたら、俺は人を殺す瞬間に人を愛せるのかもしれない。ムカ付く奴もその時は全てが赦せる。この退屈で苛立つ世界をぶちのめせるような感覚。自分自身が生きているという確かな実感。そして俺は誰かを殺した時にまったく罪悪感が無い」

 彼は二本目の煙草に火を付けて、飲み干したグラスに新たに酒を注ぐ。

「そういう俺の存在はどうやら、社会や世界はとても困るらしく。俺が拘束された時、心理学者や精神科医の奴らは本当に困ったような顔をしていた。俺が何か嘘を付いているんじゃないかって。本当は俺に殺人願望の原因が何かあるんじゃないかと引き摺りだそうとしていたが何も出なかった。俺は思うに、俺はこの世界にとって純粋悪って奴じゃあないのかな? 精神科医の誰かが言っていたが、『時計仕掛けのオレンジ』のアレックスに俺は似ているらしい。俺はその映画を見た時、何も感じなかったが」

 彼は冷蔵庫からブロック型のピーナッツ・チョコレートを取り出して、オレに差し出した。オレは礼を言って一欠片、それを口にする。彼は三つ程、一度に口にほうばって酒を流し込む。口元から涎のように酒が垂れていた。

「お前はたとえば、ケルベロスと違って不快な顔をしないんだな?」

「ケルベロスにも、こういった話をしたのか?」

「あいつはクソ真面目だ。ストイックなのかもな。師匠に憧れているせいか余り殺人を肯定したがらない。俺みたいなシリアル・キラーの気持ちなんて分からないだろうよ。ルサールカも内心では俺が嫌いかもな。フェンリル、お前は殺人は嫌いなんだよな? 快楽殺人犯も嫌いか?」

「嫌いじゃない。友人に最悪で最強らしい殺人鬼がいる。オレが人を殺さないのは自分の問題であって、他人の価値観なんて正直、どうでもいい」

「そうか、……人間の命の価値って何だと思う?」

「……ウォーター。お前はどう思うんだ?」

「無いな。俺以外の人間の命は無に等しい。俺が楽しむ為の道具だ。ほら、TVゲームとかで人殺しまくるだろう? 拳銃を使って撃ち合うゲームとか、刀で斬りまくるゲームとかあるだろ。多分、他の奴らはあれで殺してスカッとしているのと同じ感覚で、俺は人を殺しているんじゃないのか? ……そんな事を殺す相手の前で言うと外道、屑、悪魔、色々、言われたけどな」

「それは言われるだろう」

「……フェンリル。お前、大切な友人とか恋人とか俺とか俺でなくても誰かに殺されたら、やはり憎悪に燃え上がるのか? 相手を殺したいって思うのか?」

「オレには大切な友人も恋人もいない。……って言いたい処だけど、普通に憎むだろう、それは。でも、それ以上にオレが殺されそうになるなら、もっと相手を憎んで、最低でも半死半生くらいにはするんじゃないかな」

 ウォーター・ハウスはテーブルを叩いて笑う。


「ははっ。しかし、殺した人間の家族は相当、俺を恨んでいるんだろうなあ。俺が生きているという事実だけで苦痛で仕方無いかもなあ。俺を呪い、罵倒し、毎晩、魘されているかもしれないなあ。俺を何度も何度も残虐な方法で殺害する事ばかりを毎日、毎日、イメージして神に祈りを捧げているのかもなあ? もし、死後の世界があるとして地獄があるのなら、無間地獄に落ちて永劫に苦しんで欲しいと思っているかもな? それを想像すると、食が進むんだ。肉料理のスパイスが薄くても許せるようになる。安物のテーブルワインの味も濃厚になる。あれだな、人一人を殺すってのはそいつの家族の人生もぶち壊す事になるんだってな。友人も恋人も酷く悲しんで、世界が不条理だってのを突き付けられる。だから、人殺しはやめられなかった」

 彼は何かを思い出したように、陶然とした顔をしてスコッチを喇叭飲みし始めた。

 そして一気に、酒瓶を空にするとそれをテーブルに叩き付ける。

 酒瓶に亀裂が入り、粉々になった。


「アンブロシーは馬鹿だな! 俺のような人間はどう考えても生きるべきじゃないだろう? この世界の為にさっさと殺した方がいいんじゃないのか? 人間には愛が必要? 愛があればどんな凶悪犯でも改心する? 馬鹿じゃないのか? 本当の悪人なんていない? 俺がそうだ。ハーデスさえいなければ、俺はいつでも以前のようなシリアル・キラーに戻る。なあ、フェンリル、この世界の人間が殺人を厭い、避けようとするのは人間に善性があるからじゃない。更なる暴力があるからだ。人を殺したら、刑務所に行く。死刑になるかもしれない、拷問されるかもしれない。社会的な弱者になる。人間が人間を殺さないのは愛からじゃない、恐怖からだ」

 ウォーターは冷蔵庫を開けて、もう一瓶、同じ酒を取り出した。

 そしてグラスに注ぐ。

「アサイラムの囚人を矯正しているのは、アンブロシーの無償の友愛なのか。それともハーデスの暴力なのか。俺はそれが知りたい。アンブロシーはハーデスをアサイラムから無くすべきだな。囚人に宗教観だとか何だとかを説くのはそれからじゃないのか?」

「……ウォーター・ハウス」

 オレは貰ったチョコレートを全部、食べ尽くしていた。

「お前は偽悪的なのか? それとも本当は正義感が強いのか? もしくは、本当は過去の罪に対して懺悔したい気持ちでいっぱいなのか?」

「……どれも違う。おそらく俺は前提が嫌いなんだろう。…………始めて人を殺した時、大切な友達を殺そうと思った時。俺、何でこいつといてこんなに居心地がいいんだろう。たまに喧嘩もするけど、凄いイイ奴だよなあって思った。でも、それも長くて数年で終わって、別々の人生を歩んで。普通の仕事をして、家庭とか持って。せいぜい、年に一、二度顔を合わせて飲むくらいだな、と思って。だから、殺した。友情を永遠のモノにしたかったかもな。言っておくが、俺は同性愛者じゃないぜ。こんな事言うと、精神科医はよく分からない用語を持ち出してきて、何とか説明付けしようとするんだよな」

 彼はすぐに新しい酒瓶も空にする。

「今日は話し過ぎた。多分、お前だから安心して話せた。そうだ、これから飯を食いに行こう。何がいい? 肉料理か? 魚料理か? 麺類もいいな。日本食もいい。とにかく、俺は腹が減った」

「ウォーター・ハウス……」

 オレは少しだけ含みを持たせるように言う。

「オレもお前が気に入ったかも。でも、相棒や親友にはなれないだろうな。お前の感性にはとても付いていけそうにない」

「人間関係なんてそれでいい。分かり合う必要なんて無いんだ。分かり合ってしまった、その瞬間に俺は相手を殺してしまうのかもしれない」

 ウォーターはあれだけのアルコールを摂取していたにも関わらず、平気な顔をしていた。

 オレ達は結局、中華料理で落ち着く事にした。

 彼はよく食べた。炒飯と餃子をまず、すぐに四人前は平らげる。

「フェンリル、やはりお前は食が細いんだな?」

「体型を維持したいんだ。太ったら着れなくなる服もあるから」

「お前らしいな。確かにその綺麗な顔が少しでも醜くなるのは避けるべきだ」

「そういえば、ハーデスに会ったのか?」

「ああ。手合わせて貰ったよ。彼は強いな。多分、オレが知っている中で、最強の一人かも。まるで勝てる気がしなかった。オレは全力で挑んだんだけどまるで歯が立たない。何ていうか、化物だな。体術だけでも、オレは勝っていない。いつか、あいつを殺す予定なのか?」

「そうだな。しかし、俺が全盛期の頃はあいつと対等以上に戦えたが、老いた今もなお格闘技術と能力が成長してやがる。いつか殺そうと思うが、まだ先になる。俺は無念だよ」

 本当にうんざりしたような顔で、ウォーターは烏龍茶を飲み干す。

「しかし、ハーデスすら一目置くレッドラムにお前は勝っているんだよなあ。能力者同士の相性ってのは分からん……」

「隙を突いただけだ。バーにいたあの老人の方は、隙だらけだ」

「あれでも、レッドラムはハーデスと比較される程だぞ。もっとも、レッドラムは悪名の方が名高いが。レッドラムは暗殺者としてはトップクラスだ。フェンリル、お前、あれで恨み買っているかも。気をつけた方がいい」

「それは怖いな。……」

「冗談だ。あいつも仕事以外では殺しはしない。けれども、今頃、酷く悔しがっているに違いない」

 オレ達は二人して笑った。

「処で、ハーデスの話に戻るが。アイス・エイジが消滅したのは分かるか?」

 オレは箸を止める。

「聞いている……」

「アイス・エイジの王をしていた炎猫だが、彼女はアンブロシーとハーデスに黙認されていた。アイス・エイジはこの世界の触れてはいけない場所だった」

 ウォーター・ハウスは、何かを思い出したようだった。

「覚えているか? 青い悪魔と知り合いだ、と以前、言っていたな? いや、友人といったんだったか?」

「……ああ」

「今なら信じる。きっと、お前はオレが理解出来ない何かなんだろうな」

 しばらくして、食事が終わる。

 ウォーター・ハウスは全額支払って、オレに飯を奢ってくれた。



 オレは『自室』へと瞬間移動する。

 この場所はオレだけが知っている空間で、オレだけが入室出来る場所だ。

 あらゆる次元の隙間に存在して、何処にでもあり何処にも無い場所に設置した部屋。

 鳥篭の内部を象ったイメージで創り上げている。

 部屋中には、噎せ返る程の薔薇の香が焚かれている。

 部屋の前に立て掛けてある二本の剣。オレはこの部屋からいつも武器として愛用しているツイン・ソードを取り出している。

 部屋には内部がこの部屋の倍以上の空間が広がっている、大きなクローゼットが置かれている。隣にはシャワールームが設置されており、向かいにはベッドと冷蔵庫が置いてある。四隅の壁にあるランプが部屋に明かりを放ち、そして、まるで部屋の主であるかのように中央には全身を映す姿見が掛けられている。鏡の隣にはカーテンに包まれた窓があり、窓の向こう側には何も無い暗黒空間が広がっている。天井は赤黒いベルベットの暗幕で覆われている。床は白と黒のチェック・トートの絨毯だ。

 オレは服を脱いでシャワールームに入った。

 服を綺麗に畳んで、コルセットと下着も取り外す。

 三十分後、全身をくまなく洗った後、シャワールームを出る。

 そして、バスタオルに包まれながら、クローゼットを開いた。

 中には何百着とある衣類と、広大な空間が広がっている。うち、アミュレット・コーティングという魔術的防具が施されている衣類は十数着、オレは何の防具にもならないアンジェリック・プリティーのゴシック・ロリィタ服を取り出す。色は闇に近い漆黒だ。

 オレは下着を着けて、鏡の前に立つ。

 細身で女性的だが、どう見ても男の肉体だった。

 解いた髪は、腰元まで伸びて淡い金色をしている。

 腰をキツくコルセットで締め付けると、オレは選んだ服を身に付けた。

 そして、薄く化粧する。

 鏡の前に映るのは間違い無く女だ。美少女と言っていい。大抵の場合、他人はオレの見た目に騙されてる。それでいい。

 今、オレは最高に自分に酔っている。水面に映ったナルシスのように、自分自身に恋心を抱いて放せない絶対感情。

 オレは鏡の横に置かれた小さな小物入れを開く。中からは薔薇を象った指輪が現れた。

 そして、儀式は始まる。

 赤黒い薔薇の指輪を嵌めて、鏡へと向ける。

 すぐには変化が訪れない。

 なるべくは自分自身の顔。髪。骨格。立ち振る舞い。全てに酔うように、自分自身の全てを慈しみ赦すようにイメージする。

 やがて、鏡の背後に影が映った。

 その影は女の姿形をしている。彼女はドアを開いてこの部屋の中へと入ってくる。

 オレ以外に唯一、この部屋の入室を許可された者。

 彼女は鏡の元へと近付いていき、オレの肉体を透過して鏡の中へと入る。

 鏡に映る像と彼女の本体の像が重なり合い。

 やがて、彼女は鏡の中から姿を現す。

 彼女がこの世界に実体として辿り着く瞬間だ。

 淡い萌黄色のボブショートの髪。黒のローブの上から白いローブを重ねて着た、ゴシック・ロリィタに似寄る衣装。手に持ったユニコーンを象った杖。

「久しぶりね。元気していた?」

 そう言って、レイアはオレを強く抱き締めた。

『エタン・ローズ』のレイア。

 彼女は別世界におけるオレと同じ波長を持つ人間であり、傲慢な性格とナルシズムの権化のような性格の少女だった。

 あらゆる次元軸は存在し、奇妙な捩れた世界として実体する。

 レイアはオレが十代の頃に描いた小説の登場人物の一人だった。

 オレが創作して作った物語は、どうやら何処かの世界で現実に存在し、その世界の方がオレに波長を送って、実在を証明するかのように創作物として書かせた。

 どうやら、世界中における創作物は何処かの世界に本当に実在するみたいで、小説や漫画、映画などの形を取って波長を送り続けて、他の世界に誕生させようとする意志を持つらしい。

 そういった多次元世界の存在とその構造に気付いたのは、オレの持つフェンリルという次元移動の能力故の特性で、レイアの方もその能力の性質上、オレの存在に気付いたらしい。そして、互いに出会うべくして出会ってオレ達は同じ世界に存在するという“奇跡”を果たした。

 レイアはまるでオレのさかしまの影のような性格をしていた。

 オレの深層心理を体現したような性格。

 強い自己嫌悪の塊であるオレとナルシズムの塊であるレイア。

 あるいは同じ物の別側面を照らし合わせたに過ぎない所謂、存在。

 オレは自身の能力で、彼女をこの世界に呼び込み、彼女は彼女自身の能力によって、この世界に自身の肉体を実体化する。

「この肉体は凄く便利ね。いつまでもこの世界にいたいわ」

「そうするといい」

 そういって、彼女はオレの身体を透過する。

 彼女が現実において暮らしている世界は、次元砂漠アイス・エイジのように近しく臨在する次元とは違って、おそらくは大宇宙の裏側くらい遠い次元によって隔たれているので、彼女とオレの能力によって、やっと彼女は実体化出来る。

「さて。早速だけど、レイア、君に頼みがある。オレではとても出来ない」

「何?」

「ブラッド・フォースの居場所が全然、分からない。君のタロット・カードで占ってくれないか?」



 原宿の裏路地を何度もある歩数によって行き来出来る場所。

 何度も路地を曲がるうちに、その場所は現れる。

 昼が数十分足らずで夕闇が差して、夜闇へと変わる。

 蝙蝠などが現れてくると、原宿の隣に多い尽くされた異世界『裏・原宿』に行く事が出来る。

 しばらくすると、骸骨で出来た桟橋が見えた。

 不気味な街が広がっている。路地の所々には影の奥から得体の知れない生き物が手を伸ばしている。

 レイアは物珍しそうに、この光景を見ていた。

 此処の地下層四階に、ブラッド・フォースがいる筈だった。

 オレは幾つかある、地下へと続く道の路地を曲がって進んでいく。

 思えば、この世界は夢の中のようだった。悪夢のような、楽しく幸せで安息感のある世界を体現したかのような。あるいは子供の頃、思春期の頃、この世界の摩訶不思議さを感じた時の想像をそのまま体現したかのような。

 夢の迷宮の中を進んでいくような感覚。

 深層心理の奥底へと向かっていくかのような階段。

 階段は竜の背骨の形をしていた。それが螺旋状でくるくると下へと回っている。

 不可思議な事象だが、この『裏・原宿』の中においてはオレのフェンリルの空間把握が使えない。もしかすると、この裏・原宿とは人間のイメージ世界の中において実体化された場所なのかもしれない。ゴシック芸術、死への憧憬、怪物のイメージをそのまま実体化させた空間こそがこの世界なのかもしれない。

 原宿というファッション街、ゴシック・ロリィタの聖地からこの場所へと向かえるのは、原宿はおそらくはそういった人間の魔物への世界への憧れと波長が合って、次元同士が重なり合う事が出来るからなのかもしれない。

 レイアは何回か占い続けて、迷路と化しているルートの一定の道を進んでいき、地下四階にあるその場所へと辿り着いた。

 そこには中央に朽ち果てた大聖堂が聳え立っていた。

 周囲にはボロボロの巨大建築物と枯れた樹木が並んでいる。

 空には薄っすらと明かりが輝いていた。

 オレはレイアに誘われて、大聖堂へと向かう。

 大聖堂の中は朽ち果てたパイプオルガンが置かれていた。

 そして、砕け散った球体関節人形の部品が大量に転がっている。

 頭が消失したキリストが磔刑にされた、ボロボロの十字架が壁に張り付いていた。

「いるわ」

 レイアはそれだけ静かに告げた。

 オレも肌で感じる。

 居る。

 オレ達はパイプオルガンの元へと向かう。

 オルガンの近くの壁に切れ目がある。

 レイアはそれを押すように言った。

 隠し扉になっており、オレ達二人はその部屋の中へと入った。

 凍える冷気に刺されるような感覚。

 射抜く視線が此方を向いている。

 暗闇だ。眼が慣れるにつれて、次第に輪郭がはっきりとしていった。

 わずか四メートル程、離れた場所にいる相手。

 近付くだけで、心臓をナイフで刺されるような感覚。

「此処の場所を何処で?」

 相手は静かにそう問い質した。

「此処にいるレイアの力で」

 見えないが、確実に空中に何かが浮かんでいる。触れると死ぬであろう何かがだ。

「此処は僕が一時的に家にしている場所だよ? せめて大聖堂で話そう」

「分かった、部屋を出る……」

 彼にすれば、面倒臭く払っただけなのだろう。けれどもオレは強い激怒を向けられて、殴られたような気分になる。

 素直にオレ達二人は大聖堂へと戻る。

 しばらくすると、彼はちょっと待って着替えるから、と言って数分後、大聖堂の中に姿を現した。

「部屋着を着ていたんだ。それに、知っている通り僕は人が怖くて。でも、久しぶりだね」

 青い悪魔、ブラッド・フォースは水色のサックス・ロリィタに全身を針金のような物を巻いた姿でオレ達の前へと姿を現した。

「久しぶり。最強の殺人鬼」

「その呼び方はやめてくれないかな? 僕は本当に迷惑してるんだけど」

「そっか、すまない。ブラッド」

「そこに比較的綺麗な椅子があるから、それ使って。それからお茶やお菓子とか何も用意出来ないけど……」

 オレ達は埃を浴びていない、比較的綺麗な椅子に座った。

「しかし、何故、此処を? 普通は辿り付けられないようになっている筈だけど」

「隣にいる彼女の能力だ。レイアって言う」

「なるほど」

 それだけ聞いて、ブラッドは特にそれ以上、興味を持つ事はないみたいだった。

「処で、今日は相談があってきたんだけど。ドーンいるだろ? 能力者同士の傭兵組合。彼らが君をまた討伐したいらしい」

 ブラッドは眉間に皺が寄り、露骨に嫌そうな顔をした。

「彼らはまた僕に人殺しをさせたいのか。いつもそうだ」

「君がアイス・エイジを滅ぼした事で憤っている人間がいる。面子の問題かもしれないが。あの件で、数百万人以上の人間が死んだ。インソムニアに頼まれたとは言え、君はまたドーンの怒りに触れる事をしてしまったらしい」

 ブラッドは顎を手で触れて、少しだけ考えているみたいだった。

「僕があの連中が余り好きじゃないのは。僕を殺人鬼としか思っていないからなんだけど。昔からそうだった。眼の敵にして狙ってくる。理解が出来ない。僕は殺意や敵意を向けられなければ、殺すつもりは無いのに」

「君が圧倒的に強いのと。殺す時の規模が酷いからだろう。いつも万単位で殺すか、その界隈で最強と呼ばれている奴を簡単に殺してしまう。それが恨みを買う原因じゃないかな?」

「だから、僕は人間が嫌なんだ……。もう殺したくないのに、また僕に人殺しをさせようとする。それに僕の能力は僕自身でも完全に制御出来ているわけじゃない。おそらく、……おそらくは殺人鬼ブラッド・フォースの伝説はドーン側の責任もあると思うんだ。別に僕は最強でも冷血でも無い……。『クラシック・ホラー』が強過ぎるだけで、僕自身が強いわけじゃないのに……。僕の身体は老化現象が止まっている事以外は、身体能力に関しては特に普通の人間で。刃物で切られれば血が流れるし、風邪も引く。僕は化物じゃない」

「オレはそう思っている。そう思っているから、君に普通に接している。そして、君がとても傷付きやすい事も知っている」

「僕は…………、僕は人形だよ。感情が無い。他人の痛みが分からない。喜びとか悲しみとかの実感が出てこない。僕はずっと感情が無くなったままだ。能力者になった時から。もしかしたら、あの時から……」

 あの時。それは彼の生い立ちに深く食い込んでいる心的外傷だ。

 そして、彼の能力が発現したのもその事に深く関わっている。

「処で、此処の大聖堂から出て数百メートルの建物の中に、今、メビウス様がいる。会っていくかい?」

 ブラッドが唯一、尊敬している者。円環、メビウス・リング。

 そいつはこの世界における概念上、神と呼ばれる存在だった。

 いつからか、誰が言い出したか分からないが、神を指す言葉は、そいつを指す言葉だった。

 神話でもなく、宗教でもなく、それらの概念ではない、とにかくそいつは『神』だった。

 この世界の秩序を維持している神だった。

 ドーンに所属している者達は何故か、そいつが神である事を知っている。

 大聖堂の裏に、巨大な四つ首の邪神のような姿をした像を象った建造物があった。

 ブラッドはそこに案内する。

 中は真っ黒なタイルが並んでいた。仄かな光が建物の中に差し込んでいる。

 そこに、一人の女が立っていた。いや、女の姿をした者というべきか。

 くるくると捩れた縦ロールの金色の髪。他の不純な色が一切、混ざらない漆黒のゴシック・ロリィタの衣装。年齢は十代の少女のようにも見え、四十代の淑女のようにも見える。

 絶世の美女のようにも見え、女装した美男子にも見える顔。

 メビウス・リングがそこに立っていた。

「おや、お前はいつかの」

 メビウスは物珍しそうに此方を見ていた。

 レイアが不可思議そうにオレに問うた。

「あれは何……?」

「オレにも分からない。ブラッドに聞いてくれ。取り敢えず、この世界の神か。もっとも神に近い何からしい。オレにも分からない」

 オレがメビウスについて知っている事は、空間を捻る能力者である事と、生身ではなく球体関節人形の肉体を有しているという事だけだ。

 そして、何故か皆、そいつが『神』であるという事実を知っているという事だけだった。

 レイアはオレにだけ聞こえるように囁く。

「闘ってみたいわね。面白そう」

 レイアは何処か好戦的だ。自分自身が何処まで強いのか試してみたいのだろう。

 オレは止めておけ、とだけ言った。

 ブラッド・フォースとも戦ってみたいとレイアは言った。

 オレは少しだけ呆れ返った。

 レイアはなおも楽しそうにオレに聞く。

「あの二人、どっちが強いの?」

 オレは少しだけ考えてから答えた。

「メビウス・リング……をブラッドは尊敬しているが。多分、ブラッド・フォースの方が強い。……しかし、メビウスの力は何処まで強いのか未知数だな」

「じゃあ、メビウスの方と機会があれば手合わせして貰おうかなあ」

 そして、オレは元々の目的を思い出して、メビウスとブラッドの二人に聞いた。

「なあ、お前らさ。フレイム・タンの居場所を知らないか?」

 彼らはオレの質問に首を傾げる。

「フレイム・タン……?」

「ほら、アイス・エイジで会っただろう。ブラッド、君にも何か色々言ってなかったっけ?」

「忘れたよ」

「そうか……」

 話はそれっきりだった。



 オレはブラッドに、なるべくドーンの連中と戦わず、身を隠すように言った。

 ブラッドは面倒臭そうにしていたが、了承してくれた。そしてそのまま、彼らとは別れた。

 レイアは元の世界に戻る気はなく、しばらくこの世界の連中と戦ってみたいと言い出す始末だった。

 オレはウォーター・ハウスと会って、残るAクラスのアヌビスとデス・ウィングの二人の拘束を検討する事に決めた。

 裏・原宿の地上にまで戻る。

 適当に服を見ようと思って、ファッション街へと向かった。

 此処では様々な魔術具が売られている。レイアは強く興味を示した。

 此処には様々な能力者が自身の能力を道具に込めて流通させている。

 普通の服に『アミュレット・コーティング』と云う防御壁の魔力を込められるのも、この街が一番、一般的だ。此処には武器や防具などにエネルギーを込める能力者達が集まっているからだ。

 オレは適当に店に入って、何かよい品物が無いか探した。

 武器や防具でなくとも、単純に生活品や娯楽品で面白いものがあるかもしれない。

 街に近付く。商店街だ。建造物はヨーロッパの街並みそのものだが、何処か不気味で不可思議な趣をしていた。

 魔女の服を着た骸骨が楽しそうに売り子をしていた。

 何でも骨片ジュースというものらしい。

 空を見れば、蝙蝠が沢山、舞っている。赤い満月が地上を照らしていた。

 ベンチには亡霊の恋人同士が睦まじく七色のアイス・クリームを食べていた。

 何処からか悲鳴のコーラスが聞こえてくる。

 ナイフをくるくると回している道化師が玉乗りを行っていた。

 その隣では女道化師が小さなガーゴイルの飛び出す喇叭を吹いている。

 空には骸骨鳥が赤青緑の風船を抱えて飛び回っていた。何処かの店のバーゲンセールの開催を示す看板を首に抱えている。

 オレ達は取り敢えず、ドアが真っ赤に血塗られたヴァンパイア・カフェの中に入る事に決めた。

 カフェでは口の中から牙を生やした給仕が注文を聞いてきた。

 オレ達は取り敢えず、スパゲッティー・ミートソースの大盛りとアイスティーを頼む。

 しばらくして、注文した物が運ばれてくる。スパゲッティーもアイスティーも、何処か赤黒い血の色をしているように見えた。そういえば、店中が赤と黒によって彩られており、カーテンもテーブルも証明も真っ赤だった。ラベンダーのインセンスが焚かれている。

 レイアはすぐに大盛りを平らげると、追加の注文を行った。

 待ち時間の間、彼女はタロット・カードを引いていた。

「処で、ブラッド・フォースだけど。彼を狙っているドーン。戦う事になるみたいよ」

「戦いは避けられないのか?」

 彼女はケルト十字法というスタンダードな占い方で占っていた。

「運命がいずれそうなるみたい。だから、早かれ遅かれそうなる。宿命みたいなものね。ブラッドを狙っている、……彼は、おじいさんなのかしら? いずれそうなる」

「そうか、ハーデスが年寄りって事まで分かるのか。君のタロットは何処までこの世界を把握出来るんだ」

「さあ? とにかく、引いた図に出ている。私はそれを読んでいるだけね」

「いつ、戦うんだ?」

 彼女は、今度はホロ・スコープ法という十二枚で占うやり方へと変えた。

「すぐね。来月くらい? やっぱり避けられないみたい。来月避けても再来月。その運命を捻じ曲げるように変えても次の月。引き伸ばしていくだけでいずれ、戦わないといけない。ねえ、このおじいさん、何か病気?」

「病気?」

「ええ。余命幾許も無いみたい」

「……成る程な」

 自分自身の命の価値、おそらくは老人はそれに関して思考している。

 そして、過去の人生を思い浮かべて。今、何を為すべきかを考えているのだろう。

「あら、お嬢さんと一緒なのね」

 オレはぎょっとする。

 見ると、ルサールカだった。

「……こんな所で会うなんて珍しいな」

「そうね。私は此処に買い物に来たんだけど」

 嘘だろう。彼女の能力を考えれば、オレを見張っていた可能性はある。

 自分自身のドッペルゲンガーを作り出す能力者ルサールカ。

 彼女のドッペルゲンガーは、オレの空間把握の能力でも感知しきれない上、此処はオレの空間把握が通じない。

 オレは至って平静を装って、適当に話を合わせる事に決める。

「しかし、本当に偶然ってあるんだな」

「偶然じゃないかも。ねえ、此処にデス・ウィングの偵察に来たんだけど。貴方もそうじゃないの?」

「デス・ウィング? 残るAランクの名前だよな」

「そう。デス・ウィング、日本の名前では水月って呼ばれているらしいわ。彼女は、此処、裏原宿の屍峠の近くにひっそりと店を出しているのよ。ファイルにも明記されている。だから、貴方も彼女の偵察に来たのかと」

「ああ。そう、その通りだ」

 そうだった。ウォーター・ハウスから聞かされた、ハーデスのブラッド・フォース討伐の事で頭がいっぱいだった為、その事をつい忘れていた。

「たまたま、貴方がこの店に入るのを見て。私は用事を済ませた後、貴方が入ったこの店に入ったのだけど」

「用事?」

「アリス・アウアアの新作が出たのよ。だからそれを原宿の方で買って。此処、裏・原宿でアミュレット・コーティングを施して貰ったんだけど」

「ああ、そう……」

「お嬢さん、隣、いいかしら?」

「お断りするわ」

 そう言って、レイアはオレと同じ席に料理ごと移動した。

 ルサールカはレイアが座っていた場所へと腰を下ろす。

「あら、嫌われたものね」

「ああ、彼女はオレ以外には余り好意を持たないんだ。気にしないでくれ」

「他人が嫌いなのよ。男は気持ち悪い。女は胸糞悪い。それだけよ」

 レイアは淡々と二皿目のスパゲッティーと追加したチキンナゲットを食べ続ける。

「フェンリル。貴方のガール・フレンド? とても綺麗な子ね」

「まあ、相棒だな」

「もしかして、貴方達、……」

「そう恋人よ、お付き合いしているわ」

 レイアはいけしゃあしゃあと言い放つ。ルサールカに対して露骨に嫌そうな眼を向けていた。ルサールカはからかいがいが無い子ね、と詰まらなそうな顔をする。

 オレは何かフォローを入れようと思ったが、面倒臭いのでやっぱり止めた。

 ルサールカは苦笑する。

「貴方達、何だか兄弟みたい。姉妹かしら? でも恋人と言われても納得する。だって、二人共、性格が合いそうなんだもの」

「そう、オレ達は性格良いからね。明晰で繊細で優しい者同士、気が合うんだろう」

 オレはアイスティーを追加で注文した。

「羨ましいわ」

 ルサールカはカルボナーラとアイス・コーヒーを注文する。

「フェンリル。貴方はおそらく不思議な可能性を持っているのかもね。貴方は自分では気付かないかもしれないけれども、ひょっとすると、人間が嫌いな者の心に入り込む事が出来るのかもしれない。驚いたわ。ウォーター・ハウスが気に入るなんて。あの男も散々、私やハーデスを嫌っているっていうのに」

「ヒネくれた者同士、惹かれ合うものがあるんだろう。ウォーター・ハウスか。彼も最初は正直、面倒臭かったけれども、面白い奴だった。オレは彼のような奴は好きだよ」

「あの、人を人ともまるで思っていない奴が?」

 ルサールカはアイス・コーヒーにミルクと砂糖を入れる。

「そういう処が気に入ったんだ。オレは破壊的、自滅的、虚無的、あるいは狂人が大好きなんだろう、多分。世界は全部、俺の敵だとか、人間は生きるに値しないとか、自分の都合の為なら他人なんて幾ら死んだって構わない、っていう事を有限実行している奴は比較的、オレは好意を持つな。そいつなりの人生観、思想を持っているなら最高だ」

「あら、それなら私は普通過ぎるかも。残念だわ」

 ルサールカはオレの今の言葉を吟味して、レイアの顔を眺めながら、一人頷く。

「言っておくけど私は性格良いわよ。他の人間はみんな性根が腐っているわ」

 レイアは険のある眼で彼女を見据えていた。

 そして、おもむろにタロット・カードを取り出す。

 そして、何枚かカードを引き当てて、そのうちの二枚をルサールカに向けた。

 レイアはクスリ、と笑う。

「太陽の逆位置と死神の正位置が出ている。貴方、近いうち気を付けた方がいいわ。貴方の人生において、決定的な敗北が訪れる」

 ルサールカは破顔一笑する。

「占い? お生憎様。先ほどこの辺りで、よく的中する事で評判の占い師に相談してきた処よ。ルーン・ストーンも使って貰った。すると、私は此処、三ヶ月間は健康、金銭、様々な面で付いているらしいわ。でも、恋愛運が悪いみたい、それだけよ」

「そう。でも、一応、警告はしたわ」

 レイアはそう言うとタロットを仕舞った。

 レイアのタロット・カードの事をルサールカに言おうかどうかオレは考えた。

 彼女のタロットは、オレのフェンリルの能力を媒介にして、彼女自身の能力エタン・ローズを掛け合わせて占っている、時間軸、空間軸を視る力を持っている。単なる“裏無い”ではなく、この世界の法則を能力によって演算的に導き出している。

 ひょっとすると、レイアのタロットは適当に選んだ札をそのまま、世界全体の可能性に影響させる力を持っているのかもしれない。運命を捻じ曲げる力、それが彼女とオレの能力を掛け合わせて生まれた能力なのかもしれない。

 そのまま、適当な談笑が続いた後、オレとレイアはルサールカと別れた。

 ルサールカは何かとオレ達と共に行動したがっていたが、レイアが露骨に嫌そうな顔をした為、彼女は仕方なく折れたといった処だった。

 ルサールカと別れて、十数分後、レイアはぽつりと言った。

「あのおばさん、気持ち悪いわ。ストーカー趣味まであるみたい。私達、視られているわよ」

「知っている。彼女の能力は自身の分身を生み出す。何処に潜んでいるのかオレには分からない」

「その分身だけど、倒す? 私には位置が分かるわ」

「そうか、裏・原宿ではオレの空間把握は使えない。でも、倒すのは止めよう。放っておいた方がいいんじゃないのか?」

「馬鹿よね。自分で自分の首を絞めているわ」

 オレ達は彼女の前で、一切、ブラッドの事について触れなかった。

 あのメンバーの中では、ウォーター・ハウスはいい。ケルベロスも嫌いじゃない。けれども、彼女は正直、不快な処もあった。周囲の人間全てを監視しているかのような。

 オレ達は屍峠の辺りに行く。

 そこは草原で、山脈へと続いていた。

 腐臭が漂っている。所々に、ゾンビがうろうろしている。ゾンビ達は此方に関心を寄せず、腐った鼠の死骸を取り合っていた。

 レイアは、甘名、私から離れないでね、と小さく呟いた。

 沼があちらこちらに口を開いていた。足を踏み入れると、おそらく底無しに沈んでいくだろう。瘴気が一面に満ちている。

 そんな場所をしばらく歩くと、一軒の店がぽつりと立っていた。

 二階建ての塔だった。石畳で積み上げられた店だ。

 入り口には商い中と書かれた看板が吊り下げられている。

 オレ達は店の中へと入った。強烈な香が漂ってくる。幻惑剤のような香りだ。

 そこはガラクタばかりが並んでいた。

 埃臭いわね、とレイアは言う。香と共に、万年溜まった埃の香りも充満していた。

 カウンターでは店主が開いた本に突っ伏して寝ていた。

 オレ達は店主が起きるまで、適当に店の品物を手に取ってみる事にした。

「このナイフ。危ないわね……」

 レイアは何の装飾も無い何気ないカッター程の大きさのナイフを手に取る。

「持ち主の生気を吸い取る。持っていると、体力がまず落ちる。内臓もやられるわ。抗体も減って、変な病気にかかるかも。持ち主に取り憑くみたいだから、捨てたりしても戻ってくるし、並みの魔力じゃ壊せない。でも、これ、危ない能力を持っているみたい」

「危ない能力?」

「切りたい物体を切るようにイメージするだけで切れる。相手の強度無視。強いわ」

 オレは変な鎧の上に乗っかっている、髪飾りをレイアに見せた。

「これもヤバイ。もし自分の頭に付けたら、自分自身の周囲の人間が死ぬ、何だこれ?」

「多分、それ周りの人間の幸運を吸い取るのよ。個人主義者にはぴったりかも、買おうかしら」

「オレがいない時に身に付けてくれよな。この本なんてどうだ? なんだこれ? ページが無限に増えていくんだけど」

「それ、ページの中に大量の怪物が封印されているみたいね、貴方の言っているドーンのメンバー程度で勝てるのかしら?」

 見れば見るほど、胡散臭い物ばかりが、無造作に並んでいた。

 店主は相変わらず、起きやしない。

 しばらく店内を物色しての感想は一緒だった。

「此処の店の品物は買いたくないわね、頭がおかしいとしか思えない」

「よっぽどの狂人なんだろうな、あそこで眠りこけているあいつは」

 オレは店主に近付いた。

 店主はゆっくりと顔を上げた。

 髪の長い女だ。くすんだ飴色がかった金髪を腰元まで伸ばしている。

 ブラッドやメビウス、それにオレに引けを取らない程の美貌だ。

 まだ、眠そうな顔で彼女は此方を見ていた。

「すまない。眠っていた。今は……、」

 彼女は壁に掛かっている柱時計を見る。

「おかしいな、時計が戻っている。……」

 そう言いながら、カレンダーの日付を見た。

「なあ、つかぬ事を聞くが。今日は十二日の夜だろうか?」

「……十五日の夕方よ、馬鹿じゃないの?」

 レイアは呆れた顔をする。

「そうか。もう三日も眠りこけていたのか。何しろ、食事も排泄も私には必要無いからな。店内に時計とカレンダーを無くしてしまうと、本当に時間の止まった世界の中に閉じていってしまう。客人、何かお求めか。勿論、見物だけで一向に構わないが」

 写真と同じ顔だ。

 デス・ウィング、水月翔子は汚いニット帽に汚いセーターを着込みながら、何か面倒臭そうな顔で此方を見ていた。

「あんたがデス・ウィングか。オレはドーンの刺客なんだが、取り敢えずお前を拘束して、ネオ・アーカム・アサイラムにぶち込まなきゃならないんだが、来てくれるか?」

「ああ。アンブロシーか。ハーデスの『アトミック・ソード』でも私は死ぬ事が出来なかった。アサイラムの全能力を動員しても私は生きている。だから、アサイラムにもう用は無いよ」

「成る程……。ハーデスと戦ったのか?」

「ああ、……」

 水月は面倒臭そうだった。

「私は別に人殺しが楽しいわけじゃない。私はもう返り討ちにする事すらする気が起こらないから、放っておいて欲しいと伝えてくれ」

「ああ、そうする。オレも正直、ドーンは馬鹿だと思っている。ハーデスはブラッド・フォースを倒すと息巻いているらしい。お前、ブラッドよりも弱いんだろ? でも、ハーデスよりはよっぽど強いんだろ?」

 水月は首を縦に振る。

「ブラッド・フォースか。懐かしいな」

 水月は顎に手を置く。

「一度、全力で戦った事がある。もう二十年以上前だろうか。ブラッドは数日間、私を殺し続けて、私を殺せなかった。私もブラッドに傷一つ与えられなかった。勝負としては一応、引き分けなのかな? でも、ブラッドは私を殺している間も勝手に食事し出すは、眠りだすわ。酷い奴だった」

「当たり前だろ。お前はおかしい」

「でも、あんなに死んだのは始めてじゃなかったかな。死ねると思ったんだが、無理みたいだった」

 レイアは眉を顰める。

「不死身なの?」

「ああ、うん。それも私よりも不死身の能力者には会った事が無い」

「ああそう。そう言うなら、試してみるわ」

 レイアは有無を言わせなかった。

 彼女は水月の背後に回り、躊躇も無く水月の頭を両手で掴むと、首を異様な方向へと捻じ曲げる。そしてそのまま、腹を全力の拳撃でぶち抜いて貫通させる。

 血がまるで出ない。

 レイアは感心したような顔をした。

 ぶち抜いた腹は、血の代わりに霧が流れ始めた。

 首の方も、霧が溢れ始める。

 いつの間にか、レイアはオレの隣にいた。

「少しくらい、抵抗したっていいじゃない」

「すまんな。お嬢さん。貴方の速度に付いていけなかった」

 水月の首は徐々に戻っていく。腹の孔も、服ごと復元されていく。

「今度は本気で私と戦わない? 表に出て」

「興味無いよ。また、今度でいいかな? 今日はそんな気分じゃない。私は闘争心が余り無いんだ」

「つまらないわ」

 水月の肉体は完全に完治していた。

「霧なのね。……血の代わりに」

「そういう事。私の肉体は霧で出来ている。あるいは、酸素などの大気で出来ている。今みたいにブラッドに散々、バラバラにされたり、膾にされたり、孔だらけにされたけど治った」

「なるほど。アンデッドだとかゾンビだとかそんな次元を超えているわ。羨ましいわね」

「そうでもないよ、途中から死にたくなってくる。自殺も出来やしない」

「永遠の若さと美しさがあるじゃない。羨ましい限りだわ」

「レイア」

 オレは呟いた。

「君もこの世界じゃ、不死身に近いぞ。オレと君の能力の掛け合わせで君は精神エネルギーとして実体化しているからな。っていうか、君も不老不死に近い。この世界に居続ければ、永遠の若さだ」

「そう。元の世界に戻らずに、此処に居ようかしら」

「でも、オレから離れられないぞ? いいのか?」

「そうね……」

 彼女は満更でも無さそうだった。

「貴方が私の行きたい処に付いて来て、付き合ってくれるのならいいかもしれない」

「世界の果てだろうが異次元だろうが別にいいぜ。どうせ、オレ達は一卵性双生児のように、性格が似ているらしいからな」

 水月は笑い出す。

「婚約指輪でも買わないかい? 安くしておく、ただし、呪われているけどね」

「どんな風に呪われているの?」

 水月は、棚から小物入れを取り出す。

 中には、蛇の形をした二つの指輪が入っていた。

「持ち主二人の魂を繋ぐ。異なった精神同士を融合させる。まあ、脳と脳を結合させるような感じかな? お互いの記憶情報が漏れ出す、隠し事なんて出来なくなるけれども、誤解も無くなる。どうだい?」

「あんた、いつもこんな悪趣味なものばかり客に売り付けているのかよ」

「悪趣味じゃない。需要があるから供給として提供しているだけだよ」

 今度はオレが水月の首をへし折りたくなってきた。



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