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ヴァンパイア・パロール 第四章 黙示録 1

 青い悪魔を倒す事。

ブラッド・フォースを倒す事がドーンの目標の一つであるのは明白な事実だ。

 しかし、誰もそれを公には公言しない。また、勝てないのだと、宣言する者は意外に少ない。彼らにはプライドがあるからだ。ハンターの誇り、殺人者としての誇り、暗殺者としての誇り。そして、何よりも能力者としての誇りだ。

 もし、ブラッドの名前を出せば、戦おうと見栄を切らざるを得なくなる者が出てくるだろう。そして、そのまま戦わずに侮辱されるか、戦って殺されるか。

 そのような結果が待っているからこそ、ブラッドの名前を口に出す者は少ない。

 さて。

 ブラッド・フォースを探し出さなければならない。

 オレは少し苛立ちのようなものを覚えた。

 青い悪魔、ブラッド・フォースはオレの友人だった。

『アイス・エイジ』の一件、以来、親しい仲となっている。

 オレがあの殺人鬼に会って思った事、感じた事は、彼はもうどうしようもない程に、“他人が怖い”という事だろうと感じた。

 人の視線、人の敵意、人の悪意、人の殺意が怖い。

 とにかく、人から傷付けられる事が怖い。

 おそらくは、彼は傷付けられるのが怖いから、傷付けるのだろうと。

 それに気付いた瞬間に、オレは彼に対する恐怖や嫌悪が無くなった。

 何処か人間らしい感情や感覚は壊れているとはいえ、ブラッドを、青い悪魔を一人の人間として見ようと思ったのだった。



 ベスティアリーとその配下及び雇われの殺人犯を数名拘束する事が出来た。

 ベスティアリー、ブエル、アミィ、プルソン、ボティス、マルファスの六名だ。

 オレ達は、一人も死者を出していない。民間人の被害も出さなかった。

 好成績と言っていいだろう。

 ……。

 あれから、数ヶ月程、経っただろうか。

 彼ら六人は、数日の手続きを得て。これからアサイラムに収容される。

 アサイラムには、能力者の能力を封じる為の能力者が沢山、雇われているという。そして、収監の際、能力者の能力を封印する為、頭蓋の部分に能力を封じる装置を埋め込む。その装置を埋め込むと、能力者は自由に能力を行使出来なくなるらしい。

 能力者の研究は進められている。能力者とは一体、如何なる存在であるのかと。

 アンブロシーは、カルネイジの内部構造を知っていた。知っていた上で、オレ達には情報をまるで与えてくれなかった。リレイズいわく、貴方達五名ならば難なく攻略出来る事を見越していたとの事だと。こういったドーンにおいての、依頼主による標的の情報隠蔽は日常茶飯事らしい。それで、特に強い大きな問題に発展する事も無いという。

 所長アンブロシーがベスティアリーを狙ったのは、彼が研究していた対能力者用の戦闘型ヒューマノイドをどうにかして、アサイラムに有効に活用させたかったとのだと云う。

 この数ヶ月間の間、チェラブから渡された写真に写った賞金首を狩っては、アサイラムへと閉じ込めていた。ノルマの賞金首はほぼ、消化されたといっていい。

 オレはネオ・アーカム・アサイラムの施設内を見学させて貰う事にした。

 此処は、刑務所と精神病院が一緒になった場所だ。

 表層的な印象としては、此処に入れられた囚人達は、好きなように遊んでいるだけだった。囚人服らしき物は無い。中にはブランド服で身を固めた者も存在した。

 中庭のテラスでは、囲碁、将棋、チェス。トランプで遊び。外のグラウンドでは、テニスやサッカーにまで興じている囚人達もいる。陽気な歓声を上げてフットサルをしている囚人もいた。彼らの顔に邪気は無い。

 食事も自由に、好きな物を食べる事が出来るらしい。この施設内では、ステーキ、寿司、ハンバーグ、 ラーメン、キャビアやフォアグラ、自由に注文して食べる事が出来る。

 酒も煙草も自由だ。ただ、一部のドラッグは制限されているらしい。

 天国のような場所なんだな、とオレはウォーターに言った。

 何しろ、此処にいる囚人は超VIP扱いのような物だからな、と彼は答えた。

「しかし、天国とは思わんな。俺なら発狂して死を選んだ方がマシだ」

 ウォーターは韜晦を含めて、そう言った。

「どういう事だ?」

「俺達は誰にも何にも縛り付けられない。能力者なんだ。生きる事、食べる事、あらゆる事が監視、管理されている生活の何が幸福なのか? 俺なら死んだ方がマシだ。実際、俺はハーデスに拘束された時、此処に閉じ込められそうになった。うんざりだった。だから、俺はそれくらいならドーンで働く事にしたんだよ。ドーンのメンバーには元犯罪者も比較的多く混ざっている。彼らはこの刑務所に入る事を拒んで、ドーンで働く事に決めたんだな。フェンリル。オレはお前と違って、ドーンを抜け出す自由が無いんだぜ? 俺はお前が羨ましい」

 ウォーターはそう、毒づいていた。

 オレは施設内を見学する事にした。

 ネオ・アーカム・アサイラムの刑務所は、全部で十六の施設から成り立っている。

 まず、オレはカウンセラー・ルームへと向かった。

 カウンセラー・ルームには、何名もの囚人が椅子に座って待っていた。

 彼らは支給されるコーヒーや紅茶を飲んで、新聞や雑誌に目を通していた。望めば、定期的に向精神薬や安定剤を配布してくれるらしい。性犯罪者やカニバリズム嗜好のあるものは、半強制的にカウンセリングが行われるとの事だった。

 図書館に向かうと、大量の本が並んでいた。オレは一通り、目を通す。蔵書の中に、ハンス・ヴェルメールの写真集や死体写真集も見つけて、少しだけ驚いた。特にタブー視される種類の本など無いらしい。司書に言えば、十八禁雑誌も借りられるらしい。

 労働用の施設もあると言う。資格も習得出来る。

 庭掃除、施設の工事、衣服の手縫い、工場での単純作業、清掃、図書館司書、古着屋、雑貨屋店員、美容師、看護士、様々な職業に付く事が出来る。

 労働は強制ではないが、毎月、ベーシック・インカム制度として与えられる生存権としての最低賃金に上乗せして、賃金を貰える事が出来る。それで、ブランド品や施設内での高級レストラン、バー、更に施設内において慰安婦も存在し風俗街みたいな場所もある、それらの場所で豪遊する為に余分な金が必要だった。

 施設で働いている者の大半は、収容された囚人ばかりだった。

 一人一人、個室が与えられており、寮が存在した。流石に、男子寮と女子寮に分かれているが、基本的に恋愛は自由だった。結婚も認められており、子供を産む事も認可されている。私物も自由に与えられている。

 この施設は、小さな街のコミュニティようにも思えた。

 それを意識して作られているのだろう。

 何よりも、このアサイラムの目的は、囚人に普通の人間らしい人生を与える事だ。

 此処を天国だと言っている者も多いと言う。だから、入りたがる人間も多い。

 週に二度ほど、刑務所教戒師がやってくる。公演を聴くのは自由だ。時には、アンブロシー自らが聖書について語る事も多いという。

 ふと思い付いて。

 オレ達が収容したのは、ベスティアリー、ボティス、マルファス、プルソン、ブエル、アミィの六名だ。オレはベスティアリーとアミィに会いに行こうと思った。

 リレイズに頼む事にした。

 そういえば、この男の役職は正確には何なのか分からない。

 興味は無かった。

 面会がしたいと告げると、二つ返事で了承してくれた。

 ベスティアリーの収監されている部屋に向かった。

 刑務所とは思えない、マンションの中のような部屋。

 そこにベスティアリーはいた。

 ポロシャツにジーンズといった部屋着を着ている。

 髭は整っており、品のあるオーディコロンのような匂いがした。

 マフィアのボスという威厳は今の彼には無い。

 穏やかな目をしていた。

 人間はこれ程までに変わるものなのだろうか。

「フェンリルと言ったかな」

「ああ……」

「私は今、満たされている。もう、殺し合う必要など無い」

「…………」

「アンブロシーは言った。君の罪は、神に赦されたのだと。私は生涯、不安に悩まされる事は無いんだ。能力者であり、殺人犯である事から解放される事が、こんなにも楽だとは思わなかった」

 今、とても幸福で穏やかな気分だ、と彼は言った。

 オレは部屋を出て、別の部屋に向かう。

 アミィ。

 アミィは口の傷を縫われて、すっかり痕が見えないくらいに回復していた。

 今度は、新しいヌイグルミを気に入って、抱き締めながら話していた。

 彼を担当しているカウンセラーは、驚く程、彼が優等生である為、気が楽なのだと言う。

 オレも十数分、彼を眺めていたが、飽きて、部屋を出た。

 そして、オレは最後にブエルに会う事にした。

 カルネイジの本当の支配者であるブエル。

 ベスティアリーとは違った扱い。アサイラムはAランクのベスティアリーよりも、Bランクのブエルの方を重要視したみたいだった。

 別棟に、彼の部屋はあった。

 コンピューター・ルームだ。

 ちかちかと点滅する明かりが眼に痛い。

「ああ、君か……」

 ブエルは淡々と答える。

「久しぶりだな……」

「噂に聞いていたが、凄いな。此処の施設は。凶悪犯罪者達が、まるで犬のように従順だ。特に暴力を行使したわけでもなく、薬漬けにしたわけでもない。けれども、カウンセラーや宗教、哲学などを教え、娯楽を与え、欲望を与えて、管理している。それで、大人しくなる能力者が数多い。僕は不思議で溜まらないが、皆、牙を抜かれてしまう、何故だと思う?」

「能力者には敵が多いからか……? 殺す事は出来なくなるが、殺される心配も無くなる。此処に居れば、一生を安泰に暮らせる。巨大な壁自体が、実は一番、自身の命を安全にする防御壁となってくれている、そうなんじゃないのか?」

 彼は一気にまくし立てる。話し相手が欲しかったのだろうか。

「皆、後ろめたいのだろうな。人を殺し、人の人生を壊してきた人生が。この前、ベスティアリーに会ったが、もぬけの殻だった。顔付きを見ると、何だか、これでやっと安心して眠れる、といったような感じだった。みんな、馬鹿者だよ。命が惜しければ、初めから、何もするべきではない。そうじゃないのか?」

 オレは部屋中の機械を、眺める。

「お前は何をさせられているんだ?」

「何。カルネイジでの研究の続きだよ。対能力者用の研究。署長アンブロシーは、おそらくはベスティアリーではなく、僕を拘束したかったんじゃないかな。そして、手飼いにしたかった。ところで、僕の能力『ノース・デザート』は封印されていない。頭蓋骨に装置を取り付ける手術は僕には施されなかったよ。どうやら、僕の方がベスティアリーよりもVIP待遇らしいね」

 オレは少し気になって、ブエルに訊ねた。

「頭蓋骨に装置を付けるだけで本当に能力者の能力を制御出来るのか? 信じられないな」

「……実はその装置なんだが。調べてみると、どうも副署長のチェラブが関係しているらしい。彼の能力はどうも、能力者の能力を封印する能力らしいね。副署長の能力を刻印した装置らしいよ。フェイルセイフ……多重安全装置として、アサイラム中にも彼の能力が結界のように行き渡っているから、君も能力を自由に使えないんじゃないかな?」

 言われてみると、確かに思うように、空間把握が使えなかった。

 瞬間移動はまだ試していないが、おそらく巧く飛べないだろう。

「この施設、アサイラムで本当に行われている事は、能力者の研究さ。僕とカルネイジが行っていた事と同じだ。実験場なんだよ、此処は。それは公だってバレないようにしている。もっとも、それを考えているのは、アンブロシーとチェラブの方で。看守長のハーデスは、本気で、能力者達の矯正のみを考えているみたいだけどね。ところで、アンブロシーには会ったかい?」

「……いや、まだだけど。大体、チェラブかリレイズのどちらかがオレ達に指令を下す。ああ、そうだ、音声越しには話した事がある」

「ああ、そうかい。一度、会ってみるといいよ」

 何か、含みを持たせるような調子で彼は言った。

「それにしても、お前は此処に入れられた事が相当、憎憎しいと思うんだが。実際の所、どうなんだ?」

「冗談じゃない。僕は自由に此処で研究を続けられる。これ以上の幸せは無い。他の能力者達と同じように、僕は此処の生活に適応するよ。一生、研究を続けていたい。僕は功績を残したいんだ。後の世の為にもね。ああ、そうそう、先ほど暴力も薬も使っていないといったが、やはり例外はあるようで、アサイラムの奥底には、一応、薬漬けにして監禁している囚人も一部、いるらしいよ。目標としては、後々、そういった囚人を完全に無くしていく事らしいんだけどね」

 と、ブエルは煙草の煙を吐き出す。

 そして言った。

「さて、今日は寿司でも食べようかな。何だか、此処に来て以来、飽食になってしまった気がするよ、カルネイジにいた頃は、もっと質素だった気がするんだけどね」



 残りのAランクは二人だ。

 彼らと対決する。

 書かれている名前を見る。

『アヌビス』。『デス・ウィング』。

 片方は、ジャッカルの頭をした大男。もう片方は、くすんだ長い金色の髪をした女だった。

 ベスティアリーの賞金は2530億円だった。まあ、こんなものだろう。

 炎猫は4000兆円以上。ブラック・スペルは六億。Aのバラ付きは本当に酷い。

 まあ、炎猫は複数の国家から懸賞金を掛けられていたから当然か。

 ベスティアリーに賞金を掛けた者達も、武器商人や軍人、政治家といった人物みたいだった。もしかしたら、アンブロシー自身が掛けたのかもしれない。

 それよりも、アヌビスとデス・ウィングの二人。

 ウォーター曰く、とうとうアサイラムはこの二人の討伐に踏み切ったのだろう、と答えた。

 

 アヌビス、賞金総額8000億円。

 アヌビス、推定殺害数600万名以上。

 アヌビス、能力の名前は『スペクター』。

 影を操る。影に捕らえられた者は死ぬ。能力の全貌は不明。


 デス・ウィング、賞金総額22兆円。

 デス・ウィング、推定殺害数2億。

 デス・ウィング 能力の名前は『ストーム・ブリンガー』。

別名、水月翔子という名前を持っている。裏・原宿の一階層に古着屋、

骨董屋を出している。竜巻を操る。剣使い。殺しても死なず、再生する。

不死身の肉体を持っている。多くのハンターが返り討ちに合っている。

幾つかの国を滅ぼした事があり、本人の証言によると本人自身でさえも

能力のコントロールを仕切れないという。



 オレは庭園でケルベロスと会った。

 彼は花やそれに群がる蜜蜂を楽しそうに見えていた。

「なあ、フェンリル。会って欲しい人がいるんだ」

「うん?」

「俺の師のハーデスだ。この刑務所の看守長もしている」

「ハーデスか……」

 ギリシア神話の冥府の王の名。

「ハーデスというのは、本名ではなくて通り名だな。本名はジョージという。ファースト・ネームだ。本人はその名前で呼ばれる事を好んでいる」

 と、ケルベロスはオレに彼の居場所へと案内した。

 アサイラムの隅の方にある場所だった。

 チェラブの能力が届いていないのか、空間把握が使える場所だ。

 そこは、アサイラム内の道場の中だった。

 見た処、七十に届いた老人に見える。

 彼は拳法着を着て、木刀を持って構えていた。

 こちらを見ていないが、オレ達が部屋に入った事に気付いている。オレもケルベロスも足音一つ立てていない筈だった。

 彼の持つオーラはとてつもなく静かだ。

 けれども、まるで隙が無い。どうやっても打撃や斬撃を与えられそうに無かった。背後からの銃弾も掃射も難なく対処してしまうだろう。

 そして、彼の握り締めた木刀。

 その切っ先に、吸い込まれそうになる。

 しかし。

「彼がハーデスか? ケルベロス」

 オレはケルベロスに声を掛けた。異様な空気の重さに耐えられなかったからだ。

 ケルベロスは口を開いて何かを言おうとした。

「ジョージって呼んでくれないかの? わしの冥府の王の名は本名じゃあない。仇名だよ」

 オレは気配にまるで気付かなかった。

 いつの間にか、ハーデス……ジョージは、オレの真後ろにいて、木刀を布で磨いていた。

 オレの額から冷や汗が流れ出す。

「おお、お前さんがケルの言っていたフェンリルかあ。これはこれは、とても別嬪さんじゃなあ」

 穏やかな微笑を浮かべている。

 とてもアサイラム最強の能力者には見えない。

 しかし、本当の実力者は見た目で判断してはいけない事をオレは知っている。

「ケルベロス……」

「何だ?」

「いや、ジョージ。手合わせ願えないか? 勿論、能力を使ってもいい。アンタと立ち会ってみたい」

 オレは唾を飲んだ。

 ジョージは少し考えてから言う。

「いいぞ。木刀でいいかい? お前さん、二刀流なんじゃろう? 二本使っていいぞ。それにわしは能力は使わん。絶対じゃ」

 邪気の無い声音だった。

「……アンタを殺すつもりでやりたいんだがいいか?」

 ジョージは軽くウインクをした。

 オレは二本の木刀を渡された。

 ケルベロスがオレ達の間に立つ。

「女々しくて悪いが、ハンデが欲しい。それならオレは能力を使っていいか? ……」

「いいとも。わしの能力は人に使うべきものじゃない。わしは自身の能力を厭っている。ただの殺人の道具じゃからな」

「ありがとう。それでも、オレなんて相手にならないだろうが……」

 オレはジョージから5メートル程、間合いを開いた。

 真ん中にいるケルベロスが上げていた右手を下げた、始まりの合図だ。

 オレはその場で左手の木刀を地面へと力強く叩き付けた。

 そして、斬った衝撃をそのままジョージの目の前に瞬間移動させる。

 そして、オレ自身も飛んだ。

 やはり。

 オレのいた位置に、ジョージは木刀の突きを打ち込んでいた。

 オレは彼の動きがまるで見えていない。

 オレは彼の背後に飛んで、頚椎の辺りに蹴りを入れる。

 彼は身を捻って、一瞬でオレの足首を掴んで地面に叩き付けた。

 オレはそのまま、彼の肉体ごと空中に瞬間移動する。そして、もう片方の足を顎に勢いよく入れる。首を捻られてかわされた。が、オレはその衝撃をそのまま彼の背中へと瞬間移動させる。

 気付けば、オレは地面へと簡単に叩き伏せられていた。頭にダメージがいっている。けれどもオレはすぐに、地面から離れて空中に飛んだ。ジョージを見失っている。

「フェンリル、お前じゃ勝てない」

 ケルベロスの声が聞こえたような気がした。

 オレは壁の隅へと飛んだ。

 道場の中央にケルベロスが立っているだけだった。オレは右手の木刀を振るう。

 ケルベロスの背後だ。

 案の定、ジョージが姿を現した。

 オレはもう一度、彼の顎下に蹴りを打ち込む。

 その際に、二本の木刀を全力で放り投げた。

 彼はそれを、腋で二本とも掴み取る。

「どうした? もう御仕舞いかい?」

 彼は自分の木刀をオレに向ける。

「……掴んだな」

 ジョージは一瞬だけ、オレに隙を見せた。

 木刀がそのまま、オレの手元に転移して戻ってきて、それに引き摺られるようにジョージの肉体もオレの目の前へと移動していた。オレは勢いよく膝蹴りを彼の顔面に向けていた。彼は後ろに勢いよく仰け反る。膝蹴りの衝撃を転移させ、ジョージの背中を撃った。

 彼の顔が歪む。

 オレは彼の身体から即座に数メートル程、離れた。

 ケルベロスが呆気に取られて、オレを見ている。

 大体、試合開始から数秒程、経ったのだろうか。

「……じいさん、アンタの動きが見えてきた」

 本当はまるで見えていないが、試しにそう牽制してみる。

 ジョージは楽しそうにオレを見ていた。

「若いの。御主、見かけによらず……。ケルよりも筋が良いかものう。何か拳法でもしていたのかい? それに、お前さんの能力、ちょっとワケが分からん。攻撃の軌道がまるで読めん」

「拳法は昔、少しだけ。じいさん、アンタも能力使っていいぜ?」

「わしの能力はお前さんを殺してしまうよ」

 ジョージはオレに木刀を二つとも、放り投げて返す。オレはとっさにそれを掴んでしまう。一瞬の視覚の緩み。

 また、彼の姿が見えなくなった。オレの瞬間移動の能力とは違う、彼は異様なまでに俊足なのだ。高速体術と云った処か。

 オレは迷う事無く、飛んだ。場所はまた隅だ。

 今度はジョージの姿を確認する。

 オレは勢いよく、宙を切り付ける。

 当然、命中しない。難なく、横に衝撃を避けられる。

 オレはジョージの足元へと飛んだ。そして、足首に回転蹴りを入れる。

「剣技より、足技の方が得意なんじゃな?」

 彼はこれも、ジャンプして難なくかわしていた。当然のようにオレは蹴りの衝撃を彼の

頭部へと移動させる。

「御主の攻撃は、追跡ミサイルか?」

 左手の掌で、彼はそれをガードする。

 オレは地面を廻り続ける。何度も衝撃を彼の側頭部、後頭部、喉元へと飛ばしていく。

 彼は掌底だけで、それらを弾き飛ばしていた。

 もう、二人とも木刀は使っていない。

 ジョージの方は、かろうじて片手で木刀を握り締めてはいるが、アクセサリーのようにぶら下げているだけだ。オレは彼の掌底により発せられる、エネルギーを、彼の背中へと飛ばした。

 激しい衝撃。電気が走ったかのようだった。

 どうやら、オレは腹に木刀を打ち込まれたらしい。

 気付くと、オレは道場の壁に勢いよくめり込んでいた。

 ジョージは一筋の汗を流して、数メートル先で笑いもせずオレを見ていた。

 オレは立ち上がる。

「……オレの負けだ」

 勝負は終わった。

 時間にして、一分も経過していない。

 それから、数分程、オレ達三名は無言だった。

「フェンリル、お前、最後に一瞬だけ師匠を本気にさせたぞ……」

 オレは服の埃を払う。

「関節技も使いたかったんだけどな。まるで隙を与えてくれない。それから欲を言えば、能力を出させたかったんだけどなあ」

「若いの。剣道の試合では剣道をやってくれ」

「オレは剣道の試合を始めた覚えは無いぞ」

 ジョージは苦笑する。

「弟子はこれ以上、取らないつもりだったが、お前さんもケルみたいにわしから武術を習うか?」

「いやいい。オレの方が実はもっと強いからな。意味が無い。オレも全力で戦っていない」

「口の減らない奴じゃ」

 ジョージは破顔一笑した。




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