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 思い出す。

 政府の軍用犬を飼育している施設で私は生まれた。


 生後数分、まだ開かない瞼のまま母親の姿を見ることも適わず、私は引き離され、≪首輪(カラー)≫を嵌められた。

 それは実物があるものなどではなく当時新しく考案された実験の名称だ。

 記憶にはないが頭蓋骨に蚤ほどの大きさの穴を開けて脳に直接、投薬されたらしい。

 結果、人間の言語を理解できるほど脳が発達しそれを正確に発音できる骨格と器官が形成され、代償として生殖機能と犬歯を喪失。

 後に、刷り込み式に親で≪主人(マスター)≫だと思わされていた男から多くの教育と絶対服従の洗脳を施された。


 二歳なると私は≪主人(マスター)≫の命令であれば殺人も、自殺すらも即座に実行でき、また人語を理解し、会話することのできる軍用犬として完成していた。

 それは感情というものがまるでない、ただ教えられたことを学習し、指示されたことを実行するだけの生きている機械でもあった。


 実験に何の目的があったのかは未だに知らない。

 ただの暇な研究者による戯れだったのかもしれない。

 とにかくそれで研究は成功を以て終了したらしい。


 その最後の仕上げとして私は屠殺されることになった。

 ≪主人(マスター)≫は調教訓練用のグラウンドの隅に私を連れていくと、『ステイ(おすわり)』と簡単な命令を下した。

 白衣の内ポケットから拳銃を抜き出し、ゆっくりと私へと狙いを定める。

 勿論、私は彼が何をしようとしているのかきちんと理解していたが、逃げ出ることも、命乞いをすることも、吠え威嚇することもしなかった。

 ただ事の成り行きを他人事のように傍観していた。

 何故なら、『ステイ(うごくな)』と命令されたからだ。


 それから銃声がした。

 驚き我に返ると彼は血塗れの右手を押さえて転げまわっていた。

 暴発したらしい。


「……」


 勿論、事態を把握し、まず最初に私を突き動かしたのは当然のことながら「ただちに≪主人≫の容態を確認し、速やかに救護を呼ぶ」という任務への義務感で、そうしたところで自分が殺される運命は変わらないだろうとすら考えもせず、痛みに呻く彼に近付こうとした。


 だがその時、驚くべきことが起きた。

 持上げた前足が前へと動かせられなくなったのだ。

 そして次の瞬間、私は後退っていた。

 身体を捻り、背を向けて駆け出していたのである。

 進行方向には軍服の調教訓練官がいて、こちらの様子に気付いて訝しげな顔で制止を呼掛けてきたが、耳には入らなかった。いや聞こえていたが聞入れることができなかったのかもしれない。


 代わりに頭のなかで別の何かが囁いていた。


 その何かに衝き動かされるままに調教訓練官のわきを抜け、グラウンドを抜けだし、敷地内を真っ直ぐに突切り、進入門を飛び越えていた。

 私は脱走しているらしかった。


 囁く何かは例えるならこれまでに感じたことのない欲求だった。

 腹の底から沸きあがってくるそれを自制する術は知らなかった。抑えることもできそうになかった。睡眠欲や食欲を我慢する訓練は施されていたがしかし、それとは別の何かだ。


 気がつくと見知らぬ場所にいた。

 施設で生まれ、生きてきた私にとって外の世界のことは何一つ知らず、だから自分はまるで今この瞬間に産み落とされた赤子のようなものだった。

 雄たけびを上げた。それは産声だ、顎を突き上げて、力の限りに喉を震わせる。

 自分を衝き動かした何かが分かった気がした。


 それは生存本能(イノセンス)だった。

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