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 ベルトーチカの訃報を知らされたのは三日後の昼だった。


 払ってしまった月謝が惜しいらしく仕方なく講座にいっていたダグラスは青い顔をして事務所に戻ってくるなり「あの女が殺された」と告げてきた。講座でベルトーチカと親しかった者から聞いたのだそうだ。

 受講者たちはこのニュースによって皆、沈みこみ、パニック障害を起こす者まで出てしまいプログラムが進行せずに休止になったらしい。


 ダグラスもダグラスで彼女の死を深刻に受け止めてしまっているようだった。唇をわななかせながら聞いた限りのことを早口で私に話しきると、今度はむっつりと黙り込んでしまった。それからソファに座り込み、かと思うとトイレに入りという行為を落ち着きなく何十往復も続けた後で、結局トイレに籠りそこから出てこなくなった。

 長い付き合いから察してみるに、彼はベルトーチカの死に対して責任を感じているようだった。あの時もう少し親身になっていれば、などと考えて自分を責め苛んでいるのだ。

繊細で人間味あふれる彼らしい考え方だった。


 私はようやく空いたソファに寝そべるとリモコンでテレビをつけニュース番組を幾つか巡回してみる。正直ダグラスの話ではあまり要領が得なかった。

 ローカルチャンネルで『ベルトーチカの殺害事件が扱われていて、死因は刃物による裂傷であること』『凶器の刃渡りは推定六十センチほどもあること』『犯人の目星がついていない

こと』『軍の研究職員だった夫が で先々月に事故死していること』などを知ることができた。


 彼女は「猫に殺される」と言っていたが、果たしてその通りの結末を辿ってしまったのだろうか。これだけの情報では判断ができなかった。

 けれども猫が何者なのか確信に近いものを得ることができた。あいつは同種だった。おそらくは私と同じ《首輪(カラー)》をつけたものだ。


 私はソファから降りると、事務机の左脇を通り抜けて左壁にある半開きのドアをくぐり抜けて一本道の短い廊下を真っ直ぐに進み、突き当たりにあるトイレのドアをノックした。

 ややあってからドアの向こうからくぐもったダグラスの声がする。


「……なんだよ」

「これから散歩をしてくる。すこし遅くなると思うが晩御飯は食べるからな」


 鼻を啜上げる音がしてから「……わかった」という返事が返ってきた。泣いていたらしい。

 用件は告げたので立ち去ることしにた。出口へとむけて歩みだした私を「ヒューゴ」と呼び止められた。立ち止まり振りかえる。


「どうした?」

「お前はこんな時でも食事の心配をするのか」

「悪いのか?」

 

 首を傾げて訊く。


「哀しいとか、申訳ないという気持ちは感じたりしないか?」


 鼻で笑う。


「しないな。犬は死をあまり哀しまない。その相手が人間ならなおさらだ」

「……」

「ダグラス、君はどうしてそこまで思い入れを持てるんだね。大して親しい相手でもなかったはずだ。人間だって普通そこまで感じたりしないはずだがね?」


 問い掛けに対する反応はなかった。ダグラスが答えについて悩んでいるのかどうかはわからなかったが、ただ一度鼻を啜る音が聞えただけだった。

 待っていても時間の無駄だったので今度こそ出ていこうかと思ったところでようやくダグラスが言った。全く関係ないことを訊かれた。


「なあ、お前は、まだ人間を恨んでいるか?」


 一瞬彼が何を言っているのかがわからず、私はきょとんとした。何故ならばそれはあまりにもどうしようもなく馬鹿げていて下らない質問だったからだ。

 言葉の意味を飲み込みこむ。すると代わりに喉の奥から別のものが湧き上がってきた。

 こらえてみたが口の端からくくくくと声が漏れてくる。


 可笑しかった。


 非常に愉快だった。


 そして堪え切れずに両顎を開いてしまう。口から解き放たれたもの、それは笑い。


 凶暴な怒りを含んだ狂気にも似た笑いだ。


 思わず私は哄笑してしまっていた。

「まだ? まだかだって? まだ? 当たり前だろう。おまえら人間は私から生きることほとんどすべてを奪ったんだ。本能を。狩ることと生むことを。当然そうするさ。恨んでる。私は恨んでいるよダグラス。この抜け殻のような生を全うするまでの間恨み続けるだろうよ」


 大声を上げて、ドアの向こうにいる人間に向かって教えてやった。

 それから私はその場を立ち去った。

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