旅の理由(1)
アサヒ。それはヒナタが憎む人物。父アキラを見殺しにして、一人で生き延びた女。
「知っているだろ。同じ狩人だ。彼女の力が必要なんだ」
エイジの言葉に、ヒナタの中に何かが砕けた。アキラが戻ってこなかった七年前から、ヒナタの中のアサヒへの憎しみが消えたことはない。死んだのなら、諦めがついた。闇の世界で生きる以上、狩人は死と隣り合わせなのだから。けれども、生死も分からず、置き去りにされたということに納得がいかなかった。アサヒが一つ嘘をついて、アキラが目の前で死んだと言えば、ヒナタはこれほどまでにアサヒを憎まなかっただろう。もしかしたら、アサヒと相棒になっていたのかもしれない。アサヒの母は、アサヒが生まれる前、最強の狩人として名を馳せ、ヒナタの母の相棒だったのだから。アサヒの父は、狩りに出て死に、アサヒの母はヒナタの母と狩りに出たまま死んだ。それは、ヒナタが生まれる前の話だ。ヒナタの母が病で死ぬ前に、語ってくれた事。それは、相棒だったアサヒの母を救えなかった悔恨ばかり。ヒナタの母は、闇の世界の生き物に喰われる、アサヒの母を見届け、苦しみ続けた。
「アサヒは狩人として、してはならないことをした。追放されたよ。七年前にね」
それは、事実だ。アサヒはアキラを生きたまま闇の中に残したことを理由に、七年前に追放された。何度も、長たちはアサヒに事実を問うた。アキラは死んだのではないかと。アキラが闇の生き物に殺されたのならば、アサヒに罪は無い。アサヒは村に残ることが出来る。しかし、アサヒは「アキラは死んでいない」と言い続けたのだ。その言葉がアサヒ追放の理由となった。愚かなアサヒは自分で自分の首を絞めた。
エイジは苛立ったように舌打ちをした。
「愚かなことを」
小さい声だけれども、エイジの声は強かった。
「エイジ」
リークがエイジをたしなめていた。ヒナタはエイジが苛立つ理由が分からなかった。アサヒは追放されるべくして追放された。闇の世界では行ってはならないことを行ったのだ。追放されて当然なのだ。
「アサヒは相棒を見殺しにした。それは狩人として許されない行為」
ヒナタはエイジに言った。これ以上、ヒナタは彼らと関わりたくなかった。リークの存在はヒナタの気持ちを惹き付けたが、アサヒと関わろうとしている彼らと、ヒナタが関わる理由はない。例え、優れた狩人であるアサヒであっても、一人で闇の世界で七年間も生きることが出来るはずが無い。アサヒは死んだのだろう、とヒナタは思っていたが、それでもアサヒのことを口にすることが不快だった。アサヒを憎まなくては、ヒナタのやりきれない気持ちを抑えることが出来ないのだ。
「彼女がいなければ、この国は滅びていた。なのに、そんな彼女を追放するなんて……」
エイジは頭を掻き毟っていた。切りそろえられていない黒髪。切れ長の瞳。高い背丈。それがエイジだった。エイジは何かを知っているが、ヒナタはそれに興味が無かった。
「悪かったね、アサヒのことは知らない。それじゃあ」
ヒナタはやりきれない気持ちでバイクに跨った。
「待って。どうやって帰るつもり?彼はバッテリー切れで動きを止めている。そのバイクの電気で彼を充電しても、その間、どうやって身を守るつもり?たった一人でね。もう一つ、付け加えれば、そのバイクもあまり動かないみたいだよ」
リークがヒナタに言った。声は優しく、リークの金色の瞳は全てを見透かしている。ボルトは動きを止めている。ヒナタには村へ帰る術が無く、ボルトを充電している間に闇の生き物に殺されるのが関の山。そしてヒナタはバイクを覗き込んだ。先ほどの派手な動きとクロムカデを無理やり積載したことが影響したのか、バイクのバッテリーは著しく減少している。このままでは、ボルトを充電すれば、バイクのバッテリーが不足して狩人の村まで戻れない。クロムカデを売った村で、下らないことに腹を立てて宿も乞わず、バイクやボルトを充電しなかったヒナタのミスだ。ヒナタの短気な性格がこの最悪の状況を作り出したのだ。
「俺たちはねタギの所へ行く。タギが暗闇を利用して、この世界を支配しているのは明らかだから。タギは知っている。世界が暗闇の理由を。太陽を隠した方法を」
リークは「光を取り戻せる」とは言わなかった。けれども、リークが何かを知っていることは分かった。断言しないのは、彼自身にも確証が無いから。けれども、確証に近い何かをリークは知っている。光を取り戻す方法を知らなくても、リークは光が消えた理由を知っている。それだけでヒナタは十分だった。光が消えた理由が分かれば、光を取り戻す方法も分かるかもしれないからだ。
「そのために、アサヒの力が必要なんだよ」
リークが言った。そして、エイジが付け加えた。
「知っているだろ。タギのいる都へ行ったものは誰も戻ってこない。けれども、それは嘘だ。たった一人、戻ってきた人物がいる。片手を失い、満身創痍になりながら、戻ってきた人物がいる。その人がいたから、この国はタギの支配の真実を知り、未だに独立を保てている。俺たちは都へ行く。だからこそ必要なんだ。只一人、都から戻ってきた人物、アサヒの助力が……」
ヒナタの頭の中で様々な考えが交錯した。七年前、父のアキラと義姉のアサヒは狩りへ行きアサヒだけが戻ってきた。それが嘘だと、エイジは言っているのだ。二人は都へ行った。この国の行く末を決めるため、タギの情報を得るために、誰も戻ってこないとされている都へ行った。アサヒが命がけで持ち帰った情報が、この国を、ヒナタを守っていた。その真実が、ヒナタの心をかき乱していた。エイジは低く続けた。彼は王と面識があるに違いない。エイジはヒナタの知らないことを知っている。
「タギは再びこの国に圧力をかけ始めた。逃れられないような圧力を。そんな時、リークが現れ、豊国は、最後の希望をリークに託したんだ。何があっても、俺はリークを都へ送り届ける。このまま無抵抗でタギの支配を受け入れることなんて出来ない」
エイジの目は強い。それは、強い覚悟を決めた人の目。
「どうして、狩人のアキラとアサヒが都へ行ったわけ?」
ヒナタはエイジに尋ねた。この国の中枢に近い人物ならば、知っているはずだ。なぜ、アキラは都へ行ったのか。どうして、二人でなくてはならなかったのか。七年前、それが、ヒナタの人生を大きく変えたのだ。
「アキラはこの国で一番の狩人だった。つまり、この国で一番闇の世界で生きる術を持った人物。タギの下へ行き、情報を得ることは、この国の行く末を決める。アキラが行くのは当然のことだ。アキラは、アサヒを連れて行くことを拒んだが、何が生じるか分からない旅だ。一人よりも二人の方が確実で、相棒が、アキラに匹敵する狩人ならば、尚の事。そして、アサヒだけが戻り、王へ情報を届けた。皮肉なことに、王の判断は正しかったということだ。アサヒだけが戻り情報を届けたのだからな」
ヒナタは全てが嘘だと否定したかった。
「そんなはずないでしょ」
エイジの言葉が真実なのか、その証拠は何一つ無い。証拠が無いのに、エイジの言葉には真実味がある。エイジは小さく息を吐いた。
「真実だよ。七年前、俺は旅立つアサヒとアキラを見送り、戻ってきたアサヒを出迎えたんだから。どうして、そんなに否定するんだ?頼む、アサヒの居所を教えてくれ」
ヒナタはアサヒを憎んで生きていたのに、アサヒを憎む理由が分からなくなったのだ。アサヒは生きて帰らなくてはならなかったのだ。万一、アキラを助けようと無茶な行動をし、アサヒ自身が帰ることが出来なくなれば、豊国は滅びる。アサヒは豊国を救うために、アキラを残して一人で逃げ延びたのだ。真実だとしても、信じたくない。
「そんなこと言われたって、アサヒは追放された。この暗闇の世界で一人で生きていけるはずが無い。たとえ、それがアキラに次ぐ力を持っていたアサヒであっても、片手で生きていけるはずが無いでしょ。万一生きていたとしても、誰もアサヒの居所を知らない。残念だけれど、私は協力できない」
ヒナタは正直に答えた。何が真実であっても、アサヒと二度と会いたくないという気持ちは変わらない。憎しみだけが、七年間ヒナタを支えていたのだから。
「知っているはずだ。彼がね」
リークはバッテリーが切れて動きを止めたボルトを指差した。エイジは意味が分からないのか、首を傾げていた。
「俺がいれば、滅多なことが無い限り闇の世界の生き物は襲ってこないよ。たとえ、サンズグモの住処の近くであっても、それは同じ。力を貸して、ヒナタ」
ボルトの充電が切れて、バイクのバッテリーも残りわずかのヒナタに拒否することは出来なかった。