希望の光(1)
ヒナタはバイクのエンジンを吹かしヘッドライトをサンズグモへ向けた。サンズグモは男を振り落とそうともがき、怒りに任せてヒナタに向かって巨大な足を振り上げた。小さな頭に鋭い牙。その牙がヒナタに向かって近づけられていた。
「ターゲット捕捉」
ヒナタは小さく呟き、引き金を引いた。乾いた音と共に銃弾がサンズグモへ命中し、サンズグモは微かにもがいた。それでも、サンズグモを殺すに値する致命傷にならない。ヒナタは続けて弾薬を込めて、引き金を引いた。弾を込める手は冷え切って感覚が鈍い。それでも狩人であるヒナタが弾を取り落とすことはない。ヒナタがその場から逃げることが出来ないのは、男がサンズグモの上に乗り、ヒナタを守ろうとしているから。狩人として、誰かを見捨てて逃げることは出来ない。アキラを見捨てたアサヒと同類になりたくない。
「逃げろ!」
男が言った。それでもヒナタは逃げることが出来ない。今にも振り落とされそうな男は、このままでは確実に命を落とす。逃げなければ、ヒナタは命を落とす。ヒナタは死を覚悟した。バッテリーが切れたのか、ボルトの反応は先ほどから消えている。このまま、サンズグモと戦って死ぬのも悪くないと、心のどこかで思っていた。父のアキラなら、きっとそうする。最期まで、誰かを見捨てたりしない。
ヒナタは逃げることなく長銃の引き金を引き続けた。装備していた弾の数を数えることなく引き金を引き続けた。このまま暗闇に呑まれて死ぬのだ、とそう思った。ボルトを道ずれにするのは申し訳なかったが、彼ならば許してくれるだろう。暗い闇がヒナタに迫り、今にも呑みこもうとしていた。暗い、暗い、暗い、暗い、暗い。この闇の中で生きることは出来ても、この闇の中で希望を見つけることは出来ない。辺りを照らす光を、心に希望を灯す光をヒナタは求めた、
ヒナタは明かりを望んだ。すると、望みに呼応するように目の前に明かりが見えた。目も眩むほどの、金色の光。心に希望を灯すことが出来る金色の光。
「大丈夫」
光の中で響く優しい声。まるで全ての生き物の心に語りかけ、荒立つ気持ちも、不安も鎮めるような優しさ。穏やかさ。慈しみ。きっとそれは、暗闇の世界で人々が失ってしまったもの。サンズグモの鋭い爪が、光に振り下ろされたが、光に拒まれ宙で止まった。
ヒナタが金色の光の中で見たのは、粗末なマントを羽織った人影だった。フードを被り、ヒナタとサンズグモの間に割って入ってくる。ヒナタにはその人影が無防備で、弱い存在のように見えた。人影は片手をサンズグモへ向けただけで武器を持っていない。けれども、その手からは金色の光がこぼれ、サンズグモの足は光に遮られるように動きを止めている。
「大丈夫」
またも優しい声。手からこぼれる光は辺りを照らし、暗闇の世界で温もりを生み出した。人の力を超えた力。それが電気でないことは、ヒナタにもすぐに分かった。
「縄張りに割り込んで悪かったね。怖かっただろ。でも大丈夫」
そこでヒナタはようやく分かった。この優しい声はヒナタに向けられたものでなく、サンズグモに向けられたもの。この暗闇の世界で、闇に生きる物に優しさや慈しみを向けるなど酔狂な事。闇で生きる物は只の獲物だ。殺して、捕らえて、生活の糧にする。そうしなければ、生き残ることが出来ない。声の主は男だと分かったが、その声からは男らしい荒々しさは無い。全てを卓越したような存在。それがヒナタが彼に対して抱いた第一印象。
「俺たちはすぐに立ち去るから、ここは下がってくれないか?――今の俺はこちらの味方だ。もし、彼らに害をなすのなら、俺が君を殺さなくてはならなくなる。分かるだろ」
彼の光が強まった。こぼれる光はこの世界が失ってしまった強さを持つ。光に導かれ、風が渦を巻き始めた。人がエネルギーを生み出す。理解しがたい光景が、現実に生じている。
「分かるだろ」
彼が言ったとき、彼が被るマントのフードが脱げた。ヒナタには後姿しか見えなかったが、ヒナタが息を呑むには十分だった。彼の髪は薄い金色でまるで光のような、明るさを持つ。かつて、光に満ち溢れた時代、海の向こうの異国との交流が行われていた。海の向こうの遠くの異国では金色の髪をした人間も多く存在したとされているが、全ては過去の話。暗闇の世界に閉じ込められ、人々は異国へ渡る術を失っている。