闇の海(2)
船首の先に見えていた明かりが少しずつ大きくなり、陸地が近づいてきたのだとヒナタは分かった。陸地まで百メートルほど。陸地に近づいたからなのか、潮の流れが突如、速くなった。それは高い波。潮流の乱れと高い波が船を襲い、船体は大きく傾いた。
「何だ、この波は!」
初老の船乗りが叫んだ。冷たい波がヒナタたちの頭上から落ちてきた。このまま波に飲まれてしまう。その覚悟をしなければならないほどだ。転覆する。ヒナタが覚悟を決めたとき、金色の鳥がヒナタたちの前に立ちはだかった。鳥は美しく光を放ち、その光は波を止めた。放たれた金色の光はリークの光と似ていたが、リークが鳥のはず無い。鳥の光によって、波は穏やかになり、船は水平を保った。
「神だ……」
船乗り達は口をそろえて言った。音の無い空間。金色の鳥が放つ光だけが美しく輝いていた。鳥は舞い降りることなくヒナタたちを見ると、自らの羽を一枚、ヒナタに差し出した。持っていろ、とでも言うように。そしてそのまま、闇の中へと飛び去って行った。
船は無事に接岸した。
エイジは船乗りに深く頭を下げていたが、船乗り達は神が守ってくれたと、無事を喜び、エイジに小包を渡した。それは、船乗りからエイジへの礼のようだった。エイジが車を下ろすために運転席に乗り込んだとき、ヒナタは荷台へ乗った。あの金色の鳥がリークかもしれないと思ったのだ。荷台ではリークが毛布に包まっている。人間のリークが鳥のはずがない。寝息さえ聞こえないほど静かに横たわるリークの姿は、まるで死んでいるようで、まばゆいほど零れていた光は見えず、そこにあるのは抜け殻のようであった。
「リーク、ねえ、リーク」
ヒナタはリークに手を伸ばした。顔も隠して毛布に包まっているリーク。その毛布を少しめくると、ヒナタは息を呑んだ。手が震えて、息が詰まった。
――ヒナタ?
ボルトがヒナタに尋ねた。
「リーク……どうして……」
ヒナタが見たのはリークの変わり果てた姿であった。色白で透き通るような肌をしていたリークの皮膚のあちらこちらは変色し、柔らかくなり皮がむけているところもある。金色の光は翳っていった。
リークの身に何が生じたのか、考えるだけで恐ろしかった。リークは希望の光なのだ。希望が消えようとしていた。
「リーク」
ヒナタは手袋を外し、リークの手に触れた。ヒナタの冷たい手よりも更にリークの手は冷たかった。
ヒナタは荷台から飛び降り、出発の準備をしているエイジの座る運転席のドアを強く叩いた。ドンドンドンと叩いた手は、冷たい金属に触れ痛んだ。それでも、叩き続けたのは、失う何かの方が恐ろしかったからだ。
「どうした?」
ヒナタの形相を察知して、エイジが運転席の扉を開いて飛び降りた。その腕に飛び込んだのは、失うことが恐ろしかったからだ。
「どうした?」
ヒナタの背中をさすり、抱きしめたエイジの腕が頼りあるものに感じた。
「リークが、リークが……光が消えるの……」
必死に伝えた声も震えていた。光が消える。暗闇の中に微かに灯った光が再び消えてしまう。心が闇に捕らわれて、永遠に抜け出せない。リークと出会うまでは、エイジと出会うまではこの生活で十分だと感じていた。ボルトと共に狩りに繰り出し、獲物を銃で撃ち抜く日々。それで満足していた。ヒナタの心は闇の中にあったから、暗闇を苦痛に感じることは無かった。ヒナタの心に光を灯したのはリークという存在。アキラが生きているかもしれないという希望。アサヒを許すことが出来た光。リークの光をヒナタの心に光を灯し、リークがヒナタの心を光の中に引きずり出したのだ。
エイジが荷台へ駆け出した。ヒナタは一人になることが怖くて、エイジを追った。荷台では、腐りかけのようなリークの身体があった。リークはまだ生きている。今にも消えそうな命の火を燃やし続けている。
エイジはリークの身体を毛布で隠すと、のぞくリークの金色の髪の頭を撫でた。
「リークは言っていた。都に近づくほど、自分は役立たずになると。この世界に闇をもたらしている何かは、リークにとって毒なんだ。だから、リークは都に近づくほど病む。そう言っていた。俺は尋ねたよ。それじゃあ、都に行って何をするのか、と。病むのであれば、なぜリークは都に行くのか。リークは覚悟を決めていた。光を取り戻すために、戦う覚悟だ。リークは力を持っている。そして、知っているんだ。なぜ、世界が闇に覆われたのか、なぜ光が消えたのか。だから、俺はリークを都まで届ける。大丈夫。俺たちは行くことが出来る」
死を覚悟で都へ行く。苦しむのを覚悟で都へ行く。リークは計り知れない存在だ。計り知れない存在であるからこそ、エイジは最後の希望をリークに託した。豊国の王も最後の希望をリークに託した。ヒナタも最後の希望をリークに託そうとしたのだ。エイジはヒナタの頭を撫でた。
「行こうか。都へ」
言ったエイジの声がとても明るく、光に見えた。ヒナタはその光を信じようと思った。その直後、リークが身体を起こした。
「起きていたのか?」
エイジが膝を折り、静かな声でリークに尋ねた。
「今、起きたんだ」
リークの声は今にも消えそうな震えた声であった。
「すぐに出発するからな、休んでいろ」
エイジがリークの起こした体を、そっと横たえた。




