狩人ヒナタ(1)
世界は暗闇で覆われている。
辺りは闇で包まれ、視界は無い。太陽を失った世界は凍えるように寒く、気温マイナス三度。頬を撫でる風は冷たく、吐く息は白い。植物の無い大地は乾いて固く、石が多い。ヒナタは冷たい大地に横たわり、身の丈ほどの銃を構え暗視スコープを覗き込んだ。顔に掛かる黒髪は冷たいが、辺りが乾燥しているから凍ることはない。乾燥した唇は切れ、手袋に覆われた手に感覚は無い。身につける衣服は粗末で破れているところもあるが、体温を保持するためにズボンも上着も重ね着をし、防寒用のマントとフードをかぶり、マフラーを首に巻いているが、それでも寒さは骨に凍みる。長い時間、この場所でこの姿勢を保っていると死につながることを、狩人の一族であるヒナタはそれを知っているが、引き金にかけた右手の人差し指から力が抜けることは無い。
――獲物、黒ムカデ。距離二百五十三。右へ五度修正。上方三度。
ヒナタの相棒ボルトの声がミキのベルトから響いた。
「了解。右へ五度、上へ三度修正。目標捕捉」
ヒナタはボルトへ答えた。声はするがボルトは人間でない。
人々は暗闇の世界で生き抜くために、電気を活用した。電気の下で植物を育て作物を作り、電気で暖を取り、電気で湯を沸かす。暗闇で生き抜くには電気が必須であり、発電システムを持つ者が人々を制する。かつて一つだった国は分裂し、複数の国に分かれた。中心を束ねるのは、独自の発電システムを持つタギという男であった。タギは膨大な電気で人々を束ね、独裁に近い形でかつての国の首都から近隣の国を吸収していた。ここは首都から遠く離れた豊国。温泉と地熱に恵まれ、地熱発電を使用しかろうじて独立を保っていた。タギの電気は魅力的だが、タギの支配は独裁であり自由が無く人々は奴隷のように扱われる。だからこそ豊国はタギに抵抗を示していた。
ヒナタは一つ息を吐き、指に力をこめた。全身に神経を張り巡らせ、髪の毛一つまで己の身体の一部とした。心臓の音、呼吸の音が世界の全ての音となり全神経を集中させ、ヒナタは引き金を引けば、高く音が響き、銃に電流が流れた。電気のエネルギーによって放たれた弾丸は、強い破壊力で獲物の甲殻を打ち砕き、暗視スコープには、のた打ち回って倒れる巨大なムカデが映っていた。
――目標停止。腕を上げたな、ヒナタ。
ボルトの声が響き、ヒナタは銃を降ろした。
「当たり前でしょ」
ヒナタは降ろした銃につないでいたコードを引き抜いた。コードの先にある手のひらサイズの機械こそ、ヒナタの相棒。小さな画面にはヒナタには理解できない数式が並んでいる。
――乱暴に扱うんじゃない。壊れるだろ。
暗闇の世界、何百メートルも先に獲物を打ち抜けるのは、ボルトの力があるからとも言える。狩人の一族でも、ヒナタしかもっていない。ボルトがあるから、ヒナタは一族で一番の狩人なのだ。他の狩人は危険と隣り合わせで獲物を探し、危険と隣り合わせデ接近戦を余儀なくされる場合もある。ヒナタはボルトに生かされている。
「はい、はい」
ヒナタはボルトをベルトのフックにつけた。
――油断をするな。どこに潜んでいるか分からないぞ。
ボルトは新たな敵の心配をしているのだ。
暗闇の世界では獰猛な生き物が存在し人間を食らい、人々は村を柵で囲い、発電所を中心に細々と生き延びていた。狩人の一族だけが柵も発電所も持たずに荒野で生き、捕らえた獲物を各村に届ける事で電気を得ていた。
ヒナタは銃を片手に抱えると、倒れたムカデへと足を進めた。分厚いブーツの底から大地の冷たさが伝わり、ヒナタは思わず身を震わせた。暗視スコープをかければ、暗闇の中でも辺りの様子が目で見える。映像に映るのは、かつて町だった場所。廃墟や崩れたビルに闇の世界の生き物達が住み着いている。暗闇の世界で生き抜くには電力が必要だから、かつての町に人々はいない。豊国の人々は、地熱発電を利用して電力を作り出している。かつて豊国の役所のあった町は捨てられ、人々は温泉街だった場所へ住処を移した。過去の遺物は暗闇の世界で生きる者にとって、今は作り出すことが困難な宝である。獲物が多く、過去の遺物が多い廃墟はヒナタたち狩人にとって宝の山だ。
――そこを左に曲がれ。
ボルトの言うとおりに進むと、少し先に黒ムカデが死んでいた。
「黒ムカデゲット」
ヒナタは荒野から廃墟街へ入り、瓦礫を駆け上がった。崩れたコンクリートの合間から基礎として使われていた鉄骨が突き出していた。
「ついでだもんね。これも持っていくか」
――あんまり欲張ると運べなくなるぞ。
「大丈夫、大丈夫」
ヒナタは黒ムカデに歩み寄った。体長二メートル。体重七十キロ。硬い甲羅に覆われた中には、白身の肉が詰まっている。肉は燻製にして保存が利き、甲羅は砕いて建造物の材料や肥料になる。ヒナタはポケットからナイフを取り出し、ムカデの節にナイフを立てた。もし、闇の世界でなければ、十七歳の女の子が巨大なムカデをナイフでさばいたりするだろうか。ヒナタは獲物をさばくたび、そんなことを考えるのが日課だった。もし闇の世界でなければ自分はどんな人生を歩むだろうか。狩人の一族として、闇の中狩りをすることに不満は無いが、暗闇の世界は嫌いだった。
小分けにしたムカデの肉や甲羅、そして鉄骨などの廃材をヒナタは何往復もしながら廃墟街の外へ運び出した。先刻までヒナタが銃を構えていた横には荷物を大量に載せた大田がバイクを停めていた。バイクの機動力は暗闇の世界でこそ発揮される。全ての荷物をバイクの近くへ運ぶと、ミキは暗視スコープのついた眼鏡を外した。
――おい、おい、おい、おい。ちゃんと考えろよ。
暗視スコープのついた眼鏡を外したヒナタをボルトが叱責したが、ヒナタは平然と無視した。そしてバイクにつけた小さな電気ランプをつけた。
――こんな無謀で、よく生き残っていけるな。俺はアキラに合わせる顔がなくなる。
「うるさい」
ヒナタはベルトにぶら下げたボルトを軽く叩いた。
――こら、叩くな。俺がいなきゃ半人前のくせに。
ボルトが言うから、ヒナタはもう一度ボルトを叩いた。
――痛え。痛え。暴力反対。
「うるさい、ボルト」
ヒナタが言うと、ボルトはそれ以上何も言わなかった。ボルトは口うるさいが、ヒナタにとって相棒であり、唯一の家族なのだ。第一、ボルトの言う事に間違いはない。ボルトは最強の狩人アキラの相棒だったのだから。 アキラはヒナタの父だ。生まれは豊国の外。風と共に豊国に現れ、最強の狩人となった。アキラが最強の狩人と称されるには所以がある。アキラは狩りの腕はさることながら、豊国の科学者や技者以上の知識と技術を持っていたのだ。だからアキラがボルトを連れていても、誰も疑問に思わなかった。そんなアキラはもういない。アキラは七年前にヒナタの義姉であるアサヒを連れて狩りに行ったまま、戻ってこなかった。三ヶ月後、アサヒとボルトだけが戻ってきたのだ。七年の月日が流れ、ヒナタは父アキラのような狩人になった。ボルトを相棒とし、何百メートルも先の獲物を打ち抜く。ヒナタは父を奪った暗闇の恐ろしさを誰よりも知っているつもりだった。
「この闇はアキラを殺したんでしょ。どれだけ恐ろしいか、私は知っているよ」
荷物を積みすぎて重くなりタイヤが沈んだバイクにヒナタは跨った。
――どこへ届けるんだ?
ボルトが尋ね、ヒナタはバイクのエンジンをかけた。電気モーターで動くバイクのエンジン音はさほど大きくない。油で動く過去の時代のエンジンを見たことある者は少ない。
「一番近いところへ。よろしく、ボルト」
――しょうがない。ナビゲーションシステムを起動する。
「よろしくね」
ヒナタはバイクを走らせた。視界が意味を成さない暗闇の世界。辺りを照らすのはバイクのヘッドに取り付けたライトだけだ。
世界が暗闇で進化した生き物は明かりを恐れる。ヘッドライトの明かりから逃げるように、小さな生き物達が飛んでいた。先ほどの黒ムカデのように闇の世界に適応して生き抜くすべを手に入れた生き物がいるのに、人間は闇に適応できずにいる。舗装されていない道は荒れ果て、バイクのハンドルを取ろうとする。何度かハンドルを取られるたび、ボルトが不満を口にした。
――欲張るからだ。
ヒナタはボルトの小言を無視した。