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その「普通」が、一番こわい

作者: さくら
掲載日:2026/04/08

教室のざわめきは、いつも同じ音色をしているのに、明日香にはどこか遠くの世界のもののように感じられていた。


朝の光が差し込む窓際の席で、明日香は静かに教科書を取り出す。そして、机の左上の角にぴたりと揃えて置く。角と角がきちんと重なるように、ほんの数ミリのズレも許さない。


それが終わって、ようやく息が整う。


「またやってる」


誰かの声が、背後でくすくすと笑った。


明日香は振り向かない。聞こえないふりをするのも、もう慣れていた。けれど、次の瞬間、机の上の教科書が指で押され、わずかにずれる。


心臓が、ひゅっと縮んだ。


「やめて」


小さく言う。けれど、その声は軽く流される。


「なにこれ、儀式?」


「ずれても死なないでしょ」


笑い声が重なる。


明日香は、そっと教科書を元の位置に戻す。何も言い返さない。ただ、指先だけが少し震えていた。


——変わってる。


そう言われることには、もう慣れているはずだった。


けれど、「変わっている」と「傷つかない」は、同じじゃない。




その日の昼休み、珍しく明日香は女子グループの中にいた。


理由ははっきりしない。ただ、「ちょっと来なよ」と呼ばれて、断る理由も見つからなかっただけだ。


教室の隅、窓際に集まった数人の女子たちは、楽しそうに笑っていた。


「ねえ、髪結び合いっこしよ!」


長い髪の子がそう言って、隣の子の髪をくるくるとまとめ始める。


「いいね、それ〜!」


明るい声が弾む。


誰かが、明日香の方を見た。


「明日香もやろうよ」


一瞬、空気が止まった気がした。


明日香は、自分の髪に触れた。肩より少し長い、まっすぐな黒髪。


他人に触られるのが、どうしても苦手だった。理由はうまく言えない。ただ、ぞわりとした不快感が、全身に広がる。


「ごめん、その遊びは参加しない」


なるべく穏やかに言ったつもりだった。


けれど、その場の空気はわずかに変わる。


「えー、なんで?」


「ノリ悪くない?」


「ちょっとくらいいいじゃん」


笑いながら言っているのに、どこか棘がある。


明日香は首を横に振った。


「無理」


その一言が、決定的だった。




それからだった。


「触っちゃダメなんでしょ〜?」


「大事な髪なんだもんねぇ?」


からかうような声が、日に日に増えていく。


机の上の教科書は、相変わらず狙われた。わざと大きくずらされたり、別の机に移されたりすることもあった。


最初は笑って流そうとしていた女子たちも、次第にエスカレートしていく。


廊下ですれ違うと、肩をぶつけられる。


後ろから髪に触れられて、思わず体が跳ねると、それを見てまた笑われる。


「ほら、やっぱ変わってる」


その言葉が、何度も何度も繰り返された。




ある日の放課後。


教室には、まだ数人の生徒が残っていた。


明日香は、意を決して女子グループの前に立った。


胸の奥が、強く脈打っている。


けれど、逃げたくなかった。


「あのさ」


声が、少しだけ震える。


それでも、続けた。


「私たち、合わないと思う」


数人の視線が、一斉にこちらを向く。


「だから、友だちやめよう」


静まり返る教室。


一瞬の沈黙のあと、誰かが笑った。


「は?」


「なにそれ、自分から言う?」


「感じ悪」


言葉が、次々と飛んでくる。


明日香は、もう何も言わなかった。ただ、その場を離れた。


これで終わると思っていた。


少なくとも、関わらなくて済むと。




けれど、それは始まりだった。


次の日から、無視はさらに露骨になった。


いや、それだけではない。


机に落書きが増えた。


教科書が隠された。


筆箱がゴミ箱に捨てられた。


笑い声が、自分に向けられているのがわかる。


「友だちやめよう、だって」


「ウケるんだけど」


逃げ場は、どこにもなかった。


それでも、明日香は毎朝、教科書を机の左上に揃える。


どれだけずらされても、何度でも。


指先で、角を合わせる。


それだけが、自分を保つための、最後の小さなルールだった。


教室のざわめきは、今日も同じ音をしている。


けれど明日香は、その中で、確かにひとりだった

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