番に選ばれたのは、戦場の女だった
休戦など、名ばかりだった。
夜明け前の戦場は、血と土の匂いを残したまま静まり返っている。
味方は押され、退路も細っていた。
――次に前へ出た者が、最後になる。
そんな空気の中で、彼女は剣を構えた。
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「怯むな! 退くな!」
その声は、怒号でも悲鳴でもなかった。
ただ、折れない意志だった。
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衝撃は、横合いからだった。
鎧の内側まで響いた一撃に、視界が白く弾ける。
「隊長!」
呼ぶ声が、背後で弾けた。
「構うな! 進め!」
それだけ言い切って、
彼女の意識は途切れかける。
――空?
視界が、暗転した。
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次に目を開けた時、彼女は柔らかいものの上にいた。
……柔らかい?
ゆっくりと上体を起こした瞬間、低く、穏やかな声が頭上から落ちてきた。
「起きたか」
彼女は反射的に身を引いた。
だが、思ったほど距離は離れなかった。
視界の端に、鱗の影が映る。
「……生きているのか」
「そうだ」
一拍。
「待て、動くな。傷が――」
「……ここは、どこだ」
「安全な場所だ」
「お前は、敵か」
「違う」
一拍。
彼女は身を起こそうとして、身体の異変に気付いた。
力が、入らない。
地面ではない感触があった。
「……なら、名を名乗れ」
彼は、その言葉を遮るように首を傾げた。
「食事は取れるか」
「……は?」
「傷の回復には、栄養が要るだろう」
身体を動かそうとして、違和感に気付いた。
鎧が、ない。
――待て。
上着も、ない。
「……」
視線を落とした。
見慣れた下着ではなかった。
「汚れていたから洗っておいた」
彼は、悪びれもなくそう言った。
「……見たのか」
「必要だった」
――触れていた、という事実に思い至る。
柔らかい、と思った理由が、遅れて理解された。
鱗ではなかった。
地面でもなかった。
……体温だった。
「……ッ!!」
身体が、ゆっくりと下ろされる。
「無理をするな」
地面の感触が、足裏に伝わった。
「その姿では、不便だろう」
そう言って、彼は少し離れた岩の上に置かれた彼女の鎧に視線を落とした。
――落ち着け。
そう思ったはずなのに、視線が逸れなかった。
その時になって、彼女は気付いた。
目の前にいるのは、
もはや“ドラゴンの顔”ではなかった。
○%×$☆♭#▲!※
(=
え?
え??
え?????
ちょっと待て待て待て
ドラゴンって人型こんな仕様なの???)
「………………」
「…………その……」
「……聞いてない」
「?
休むには、この方が効率的だろう」
リーゼの思考は、意味を成さない音に崩壊した。
血と土の匂いは、すでに消えていた。
「? 手当はしたが…まだどこか具合が悪いか?」
間を置かず、同じ声が続いた。
「傷は塞がっている。動かなければ問題ない」
(そこじゃない!!!)
「人間は、怪我をするとよく眠るのだな」
人の姿になったヴァルは、彼女の前に膝をついた。
「傷は大丈夫なようだな」
そう言って、じっと傷を観察する。
……リーゼの思考は、そこで停止した。
「それとも、あのまま死なせた方がよかったのか?」
「……そうした方が、よかったのか?」
「生かしたのは、間違いだったか?」
一瞬、呼吸を忘れた。
「……そんなわけ、あるか」
「なら、問題はない」
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その日も、何も起きなかった。
ヴァルは、いつもと同じ時間に水を運んできた。
リーゼは、それを受け取った。
しばらくして、口をつけた水は冷たかった。
「……礼は言っておく」
「そうか」
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「怪我も大分よくなってきたな」
リーゼは大きく伸びをした。
身体は、確かにまだ重い。
だが、剣を握れないほどではない。
「動いて大丈夫なのか?」
「ああ、もう大分いい」
「まだ完全ではないだろう?」
「過保護だな」
「カホ…ゴ?」
「お前のようなやつのことを言うんだ」
リーゼは、思わず苦笑した。
戦場が、遠く感じられた。
「……そうか」
ヴァルの返事は、いつもと同じだった。
リーゼは、
その“変わらなさ”が、
少しだけ、惜しいと思った。
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「傷は大丈夫なようだな。
思っていたことがある」
「何?」
「番にしようと思っている」
……リーゼは、飲みかけの水を吹き出しそうになった。
「……それは、どういう意味だ」
「そのままの意味だ」
「確認する。冗談ではないな」
「冗談は言わない」
「……なぜ、そう思う」
「倒れる前に見た」
「何を」
「お前の戦い方だ」
「戦い方?」
「味方を退かせ、自分が前に出ていた」
沈黙が落ちた。
「……部隊に戻る」
その言葉は、静かだった。
だが、迷いはなかった。
「……そうか」
それだけだった。
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次の日、夜が明けるとともに、リーゼはヴァルの背中に乗って出発した。
「見えてきた!」
リーゼは身を乗り出した。
……押されている。
「ヴァル、低く飛ぶ事はできる?」
「……ああ」
ドラゴンは、降りてきた。
雲を割るのではなく、
戦場をなぞるように。
低く、低く。
風が走り、
土煙が舞い、
影が陣の上を横切った。
敵陣が、ざわめく。
「……味方だ」
「ドラゴンが、味方についたぞ」
誰も確認などしていない。
だが、疑う理由もなかった。
ドラゴンが相手になどなったら、敵うはずがない。
退却の角笛が鳴った。
ドラゴンは進路を変え、
味方本陣へと向かった。
ドラゴンの背から、リーゼは声を張り上げた。
「将軍ー!
私、寿退社させていただきますー!」
そしてリーゼは、
ドラゴンの首元に手を置いて言った。
「――帰ろう」
「……どこに」
「……番にするって言ったのは、あなただもの」
ドラゴンは、ほんの一瞬だけ羽ばたきを忘れた。
地上では「リーゼ隊長?」「生きていらしたのか?」など、安堵と混乱の声が飛び交う。
将軍はあっけに取られていたが
「……たまには、里帰りするように」
もう聞こえないだろう、ドラゴンの影に向かって呟いた。




