最も傷ついている私
青空へと吹き上がった俺は必死に幼いサナーを抱きしめて落とさないようにする。
幼いサナーは楽し気にキャッキャッと笑い
「大丈夫、今度は私がお兄ちゃんを守るね」
そう言いながら背中に真っ白な羽根を生やすと俺の身体を抱き着くように掴み、大空を羽ばたきだした。
「ちゃんと、大事な記憶を三つ直せたから、かなり自由になれたよ。ありがとうナラン」
そしていつの間にか、いつもの俺が見慣れたサナーに戻っていた。
「戻ったのか?もう大丈夫か?」
サナーは首を横に振り
「うんん。最も傷ついてる私がまだ残ってる」
「そ、そうか……」
俺はサナーに頷くしかない。
何が何だか最早分からんが、必死にやるだけだ。
飛んでいる俺たちは、眼下にぼやけながら現れ、次第に輪郭がはっきりしていく見覚えがある廃墟群の上空へ近づいて行った。
そして、廃墟群のど真ん中で一軒だけ修復されて綺麗になっている家の真上に進む。
ああ、あれは俺たちの家だ。
入口の前に降りると天使のようなサナーは俺から両腕を離し
「行って、一人で」
扉をガチャリと開けた。頷いて奥へと入って行く。
食堂に一人、旅装姿のフォッカーが座っていた。彼は俺の姿を見つけると
「助かった……」
と心底ホッとした様子で口にして、立ち上がらず必死に手招きする。
「どうした?」
「椅子に座らないでください。多分、罠です」
フォッカーが必死に手を振って止めてきたので、慌てて座るのをやめる。
彼は大きくため息を吐き
「途中までは、上手く行ってたんですよ」
俯いて言うと、俺を細い目で見つめ
「できるだけ早く事態を解決して欲しいので、省きながら説明しますね」
俺が頷くと、フォッカーは真剣な表情で
「バレッティ皇帝一族が魔界へと長期間出払っているという情報を得て、俺とサナーさんは、協力勢力と共に数日前に帝都を急襲しました。それは、あっけなく成功して、俺たちは帝国を手にしました」
「聞いたよ」
フォッカーは深く頷くと
「ここまでたどり着いたということは、そうでしょうね。帝都奥深くのモノラースも帝国民の案内であっさりと見つかりサナーさんがすぐに契約すると言い出しました。俺は一度止めましたが、サナーさんは聞かなくて。まるで魅了されたみたいに、モノラースに触れました」
俺が頷くと、フォッカーは嫌なことを思い出した様に固唾を飲んで話を続ける。
「……そこからサナーさんがおかしくなりました。ただの地下室だったモノラースの保存室の周囲をモノラースの膨大な魔力で迷宮に作り変えてしまい、俺もいつの間にかこの部屋で、動けなくなりました」
「なあ、ここは精神世界だろ?」
フォッカーは苦笑しながら頷いて
「俺の現実世界の本体はサナーさんと融合しているのかもしれませんね。そして、ここに縛り付けられた俺は……」
とフォッカーが言った瞬間に
「あぁ……あああああぁぁぁぁあああ!!」
二階からサナーの泣き声が響いてきた。
言いたいことは分かった。
「あれをずっと聞かされていると」
フォッカーは黙って頷く。
きっと俺が瓦礫を掘っていた時のようにここにも時間はないのだろう。
どれだけの間、聞かされていたのかは想像したくないし尋ねるのもやめよう。
二階へと上がっていこうとすると
「隊長、気をつけてください」
フォッカーに背後から声をかけられる。
黙って頷いて、そのまま静かに二階へと上がっていく。
サナーの気配は、真ん中のリースの部屋から聞こえてくる。
覚悟を決めてガチャリと扉を開けると、室内は金髪のカツラや、鮮やかなドレス、白いペンキ、女性の乳房の形のパッド、卑猥な絵本、ゴブリン語の辞書、折れたブロンズソード、ボロボロの皮鎧、企業経営のための分厚い本など他にも数えきれないほどの物が散乱していた。
物に埋もれるように
「これじゃだめだ……これじゃナランが……これじゃ……」
下着姿のサナーが頭を抱えてしゃがみ込み、ブツブツと呟き続けている。
俺が背後から近づいて
「サナー?」
問いかけても、サナーは全く気付いていないようで、すぐ近くまで近づき
「サナー!」
大きく声をかけても、まったく気づかずにブツブツと呟き続け、そしていきなり、涙をポロポロ零しながら
「ああぁぁぁぁぁあああああああああああ!!」
と泣き声を上げた。
どうやら、話しかけるのは違うようだ。
俺は辺りのものを見回し、金髪のカツラを手に取った。
なんなんだこれ、こんなもの見たことない。
いきなりサナーが俺の手からサッとカツラを取ると頭に被り
「こ、これかなー……こっ、これなのかなぁ……?で、でもナランが興味ありそうだ……」
と立ったまま俯いて、呟きだす。
ん……?もしかして、俺が選べばいいのか?
この部屋の中からサナーに相応しいものを?
……とんでもなく責任重大だぞ……これ、しかも初手からミスった感じがする。
俺は静かにサナーの頭に手を伸ばし、サッとカツラを取り去ると物だらけの部屋の隅に投げ捨てた。
サナーは愕然と投げ捨てられたカツラを見つめ
「な、何で、なんで勝手に飛んでいった……怖い、怖いよ、ナラン……」
ポロポロと涙を零し始めた。やはり、俺が見えていないらしい。
くそっ、間違えて取り払うと自動的にサナーが傷つくシステムなのか。
これは、熟考して選び抜かないといけないぞ。その責任の重さに足が震え出した。
しばらく重圧の重さに倒れそうになっていたが、意を決して大きく深呼吸する。あまり深く考えては駄目だ。
ここは現実世界じゃないし、目の前のサナーもきっと他のサナーたちのように、この世界の一部に過ぎない。
もうこれは、サナーの着せ替え人形を完成させる遊びだと思おう。
つまり、変なサナーにしてもいいし、真面目なサナーにしてもいいと思う。
金髪を被せ、白いドレスを着せて、おしろいを顔に塗り
「お前はリース二号だ」
というのも俺の自由だ。
もちろんそんな事絶対にやらないがふざけたっていいんだ。そのくらいの気持ちで行こう。
俺はできるだけ、ものを動かさないよう乱雑な室内を歩き回り、俺が見てきたサナーのスキルや服装を慎重に選び抜いて一つずつ渡していこうとする。
まずは、ゴブリン語の辞書をしゃがみ込んで震えているサナーの膝に置く。
「こ、これは……ジジイのエロい要求に耐えて……習得したゴブリン語だ……」
サナーは夢中で辞書を読み始めた。
その間にすぐに次を探し始める。
これだ。折れたブロンズソード。実家を出て、戦ってきた証。
辞書を読み終わるのを待ち、目の前ブロンズソードを置くとサナーは手に取って、裏表を見ながら
「あー……初めて会社から貰った剣だなー。まだ半年も経ってないのに……すごい昔みたいだ。嬉しかった……ナランと本物の世界に出られるんだって……」
俺は小さくガッツポーズをする。よし。上手くいってる。
次は、手堅く企業経営のための分厚い本を渡してみよう。サナーの目の前に置くと、途端に悲しい顔になり
「も、もう嫌だ……もう、あんなの嫌だ……」
ポロポロと涙を流し始めた。咄嗟に本を部屋の端に蹴り飛ばしそうになり何とか踏みとどまる。多分、それも違う。
きっとサナーは乗り越えていくと思う。俺の知ってるサナーはそういうやつだ。ただ、泣かせ続けるのもきついのでボロボロの皮鎧を目の前に置く。
「こ、これは……私の身体を守ってくれた鎧だ……」
サナーは涙を止め、そのもう使い物ならない皮鎧を抱きしめて頬擦りし始めた。
その間に次のものを探すことにする。
エロい絵本は違うよな……あ、これは外縁部にあったルビーの破片とピッタリと合いそうな……。
俺が宝石の破片を手に取り眺めていると、サナーがこちらへと駆けてきてサッと手に取り
「……これ、私のお母さんが……持ってた……でも確か割れて……」
と言いながら、その場にしゃがみ込んでブツブツ言い始めた。
し、失敗か?……い、いや分からん。とにかく次だ。
焦りながら、散乱しているものをひっくり返していると外縁部で見つけた手紙が出てきた。文面も全く同じだ。
サナーの前に置くと、すぐに手を取り
「これ……ナラン、全然分かってくれなくて、私、これ貰った時、すぐ破ろうと思ったけど、でも取ってて良かったぁ……」
そう言いながら、なんと微笑んだ。
よ、よーし!いけるぞ!絶対いける!
さらに探していくとルビーの残りをあっさり発見した。それを前に置くと、サナーは焦りながらさっきの破片と組み合わせた。
同時にルビーは眩い光を放ちだし、その真紅の暖かい光は部屋中を包み始めた。
俺は肩を叩かれて振り返る。
そこには、優し気な表情をこちらに向けた、肌が浅黒く、ウェーヴがかかった赤髪が腰まである女性が居た。
「……サナーを頼みます」
女性は暖かい声でそう言うと、しゃがみ込んでサナーを包み込むように抱きしめた。
次の瞬間、真紅の光が俺の視界中に広がって……。
……
とてつもない爆発音と振動を感じた。
「つっしゃあああああああああ!一発くれてやったぜ!」
ローウェルの嬉しそうな声が聞こえる。目を開けると辺りは真っ暗だが、音の広がりからかなり広い空間のようだ。
「クオォォオオオオオオおおおんンんン!」
哀しいような怒っているような不思議な鳴き声が辺りに響き渡り
「あ、ナランが狙われてる」
リースの声がした。
次の瞬間にはリースの腕に抱かれ俺は飛び上がっていた。数メートル背後に着地すると元居た場所に、太い何かが何本も刺さっている重い音が聞こえる。
「お、おはよう……」
リースは一瞬、信じられないと言った顔をしてすぐに心底安心したように
「よかった。死んだかと……」
「な、なあ、なんでリースの顔がはっきり見えるんだ?」
どう見てもおかしい。辺りは暗い。空に星もない。リースは何とも言えない表情で
「ローウェルさんによると、この空間は特殊な粒子が濃いんだって」
「そ、そう……何と戦ってるんだ?」
リースは神妙な面持ちで
「モノラース」
と言った。




