スタンプ
リブラーに見守られながら、俺は大きく息を吸い込むと
「サナーへ!怒っていたけど、僕はサナーのことを大事に思っています!サナーもご主人さまである僕のことを許してください!」
真っ黒な上へ向けて怒鳴るような声量で子供の頃に書いた文を読んだ。
同時に足元のガレキが崩れ始め、崩れた隙間から無数の漆黒の腕が伸びて来ると俺の体中を掴み、瓦礫の中へと引きずり込んでいった。
……
見覚えのある夕暮れの畦道に俺は立っていた。左右は麦畑が広がっていて、畦道の向こうでは、九歳くらいの小さな子供が二人何か話している。
ゆっくり近づいていくと、片方は項垂れボロボロの布一枚纏ったサナーでもう一方の子供は綺麗なフリルの付いた貴族服を着ていて……。
俺だ。あれは俺だ。さらに近寄っていくと
「私の大事なおねぇちゃんが……死んじゃって……」
「サナー、人は死んじゃうんだよ。仕方ないよ」
「でもね……でも……」
サナーは何かを訴える顔で子供の俺を見つめ、まったく何も分かっていない当時の俺は、しばらく困った表情をした後、思いついた顔で嬉し気にサナーの肩を軽く叩くと、ニカッと笑い
「僕が居るだろ?サナーのご主人様のこのナランがまだ生きてるじゃん!」
次の瞬間、サナーに思いっきり頬を殴られた子供のころの俺は尻もちをついて唖然とした顔をしていた。
サナーは涙と鼻水でくしゃくしゃになった顔で
「知らないっ!ナランおぼっちゃまのバカ!」
そう言って遠くへと駆けて行った。
その様子を少し離れた場所から眺めながら思い出す。
ああ、この後、手紙を書いたんだっけ。
俺は未だにそうだが、察しが悪くて人の気持ちが少し、分かんない所があるんだよなぁ……。
ティーン兄から虐待を受けて死んだ先輩奴隷の女性のことをサナーは訴えたかったけど、ティーン兄の兄弟である俺に直接はそのことを言えなくて、察して欲しいと全身で訴えかけたけど、子供の頃の俺が鈍感で分からなかったってのが真相か……。
ああ……今更気づいてごめんなぁ……。
俺はその場にしゃがみ込み、頭を押さえて罪悪感に苛まれる。
しばらく苦しんでいると
「ねぇ」
ビクッとしながら顔を上げると、幼き日のサナーが夕陽に照らされ立っていて
「……お兄ちゃん、私、他の子から置いていかれちゃって一緒に探してくれない?」
手を伸ばしてきた。一瞬戸惑ったが、ここは行くべきだと思い
「いいよ……」
俺は立ち上がって、小さなサナーと手を繋ぐ。
夕陽に照らされた畦道を二人で並んで歩いていると遠くに実家の屋敷が見えてくる。
「ねぇ、お兄ちゃん……夜の子を探しに行こ?」
「そ、そうだな」
夜の子の意味は分からないが、頷いて実家へと二人で歩いていく。
門は開きっぱなしになっていて、まるでオーガのような醜い、角の生えた衛兵が槍を持ち、守っていた。
彼はこちらを見ることもなく、俺たちが横を通り過ぎると
「知らなくて良いこともある。見なくても良いこともある」
と低く悍ましい声で呟いた。
俺はそちらを見ず、幼いサナーと共に屋敷の敷地内へと入って行き、屋敷の扉へとたどり着いた。
扉をガチャリと開けると、室内は薄暗く、青黒い瘴気が漂っていた。
幼いサナーはギュッと俺の手を握り
「あのね、怖い霧が入ってきて、みんな連れて行かれちゃったの」
「……そうなんだ。怖かったね」
よくわからないが、そう返すと、幼いサナーはギュッと抱き着いて動かなくなった。
ああ、怖くてたまらないんだなと両手で抱き上げると
「安心する……このままでいい?」
俺は深く頷いて、サナーが指差した中庭へと歩いていく。
いつの間にか深夜になった中庭では灯火に照らされた全裸の男女が乱痴気騒ぎを繰り広げていた。
幼いサナーはブルブルと震え、中庭を囲う回廊の向こうを指さした。
「……地下室なの」
俺は深く頷いて、歩いていく。
俺とサナーが居た部屋のことだ。
広い屋敷内を歩き、薄暗い地下室への階段を下りていくと
「はははは……怖いか?怖いだろー?」
「やめてえええええ……」
というティーン兄と恐らくは子供のころのサナーの声が奥からする。
さらに進んで倉庫へと入ると、灯火ではっきりと照らされたその中で裸の全身を黒く塗りたくり、狂ったように行ったり来たりして奇声を上げる若い頃のティーン兄に、腰の布一枚だけを着た五歳くらいのサナーが追いかけまわされていた。
「なんだこれ……」
止めようと歩みを進めようとしても身体が動かない。
そのうちティーン兄は、後ろからピタッとサナーを抱きしめるように捕まえ
「もう逃がさないぞ。僕のものだ。お前は僕のものだ!」
「ひっ、ひいいぃぃいい……」
サナーは恐怖で失禁したが、ティーン兄はそのむき出しの背中を悍ましい表情で舐めまわし
「僕のものだ、お前は永遠に僕のものだからな!」
と言いながら床に押し倒した。それとほぼ同時に固まっている俺の背後から声がして
「ティーン!!奴隷も人間だと教えたはずだが!」
懐かしい声がしてくる。
俺の身体をスッと透過して、怯えているティーン兄に茶色の使い込まれたセーターを着た大柄な中年男性が駆け寄り、兄の身体を太い右腕で退けると、震えていたサナーを抱き上げ
「何度も言っているが、性的なものを望んでいる女を相手にしろ!発育途上の子供に手を出すんじゃないっ!」
雷のような声で叱り飛ばした。ティーン兄は立ち上がり項垂れる。
「お前は、頭だけは母さんに似て賢いが、母さんの心までは分からんのか?いいか、人を見下し続けていると!いつかお前が見下される時が来るんだぞ!」
ともう一度、雷のような怒声を発すると、こちらへと振り向いた。
そしてツカツカと近寄ってくる。ああ、あの髭面は大きな体は太い腕は優し気な両目は父さんだ……。
「父さん!」
俺は久しぶりに見た父に向け叫んだが、父は何事もなかったかのように俺の身体をすり抜け、五歳のサナーを抱き上げたまま去っていった。
「父さん……」
ここがサナーの精神世界内なのは分かっているが生前の父親に再び出会えた感動と、気づかれなかったショックで立ち尽くしていると、残されたティーン兄がいつの間にか俺を見つめているのが分かる。
「お前たちのせいだ」
黒く全身を塗りたくったティーン兄は明らかに俺とサナーに向けて言ってくる。
そして彼はさらに血走った眼差しでこちらを見つめると
「もう少しで、俺はサナーを取り込めたのにお前たちのせいだ」
怒りに満ちた押し殺した声色で言ってきて、いきなりとびかかってきた。
幼いサナーを抱き上げたままサッと横に避けるとティーン兄は壁にぶち当たる。少し距離を取ってそれを眺めていると
「お前たちのせいだからなぁあああ!!」
と言いながら兄は地下室の階段を地上へと駆け上がって行った。
俺はサナーを抱き上げたまま呆然と
「なんだったんだ……」
呟くと、抱き上げている幼いサナーがニコッと笑い
「夜の子は助かったよ。次は、学んでる子だね」
よく分からないが、俺が出来ることは何でもしてやりたいと
「……分かった、行こう。行先を教えてくれ」
サナーは階段を指さしたので、地上へと恐る恐る上がっていくと出た先の屋敷内の廊下は昼間になっていた。
「屋敷の裏に行って、それから裏山に登って」
「ああ、分かったぞ」
多分、あの変人のところだ。
ベラシール家より高い所に住んでいるから、自分の方が偉いと常日頃言っている、あの有名物知り性犯罪者のとこだ。
精神世界内でも現実と同じ場所に居るらしい。
幼いサナーに言われた通り、中庭から回廊へ、そして裏側屋敷の中を抜け、裏門から出る。
畑の中の畦道を歩いて行き、そして、木々が鬱蒼と生えているなだらかな裏山へと上がっていく。
山道を上がり続けると、山頂への石と木の手すりで作られた階段が現れた。
造りが現実と全く一緒で、よほどサナーの思い出が深いのかな……と思いながら階段を上がりきると、一気に視界が開け、平坦な山頂の広場に、ガラクタと赤や青に塗られた木板や銅板を雑に組み合わせて作られている、巨大な四階建てのバラックが姿を現した。
いつ崩れてもおかしくないような雑で変な家だが、確か俺が生まれてから崩れたことは一度もなかったはずだ。
バラックへと近づいていくと、その中から
「うーん……違うのぉ……サナーちゃんもっと右腕をあげるんじゃああ」
「恥ずかしいだろ……そろそろゴブリン語を教えてくれよ」
「……わしのエロスの勉強が先じゃよ。それじゃ腋がはっきり見えんじゃろが」
などと何か卑猥な会話が聞こえてくる。
俺は幼いサナーを抱えて猛ダッシュして、バラックの扉を蹴り開けようとすると、勢い良く、そのまま扉を透過してスーッと中へと入り込んでしまい体勢を崩した。
どうにか幼いサナーを落とさないように踏み留まり、辺りを見回す。
ガラクタ塗れの室内には、ビン底眼鏡をかけボロボロの白衣を着た、多すぎる白髪が爆発したような髪型の痩せこけた老人と、そのすぐ前には、サラシを胸に巻き腰には布のショートパンツを着ただけの露出の多いサナーが向かい合っていた。
年齢は現代のサナーより少し若く、十五、六歳くらいのようだ。
老人はサナーの右腕を上げさせ、腋をはっきりと見えるようなボーズをさせている。
「ほほーっ。ちょっと毛が生えてきておるな!いい兆候じゃ!」
サナーの脇をまじかに眺め、顔を紅潮させている明らかに変態の老人にサナーは耳まで真っ赤にして
「も、もういいだろ……ゴブリン語の勉強の続きを……」
「別に股や乳でもないし、腋くらいよかろうが?ささ、反対も見せよ」
老人は反対側に回り込んで、左腕を上げさせるとまたサナーの腋を見始めた。
俺はもう限界だった。この性犯罪者を今すぐ叩きのめさないといけない。
そう思うが、また体が動かない。
どうにかして、こいつを……地元の有名性犯罪者ボニアスのジジイを殴らないと。
こいつの悪評は親から散々聞かされていた。
とにかく隙あれば、女性にエロい事をしようとする。
のぞき見や痴漢などで何度も捕まえられて、刑務所送りにしたはずだが、その度に、謎の力ですぐに帰ってくる。
何十年も前からベラシール家周辺の集落内に住み着いていて独り身で友達もおらず、何の収入で生きているのか得体が知れない。
いつの間にか裏山に移って、ベラシール家より高い所に住んでいるから自分がこの辺りの最も偉い人だと自称している変態クソジジイだ。
……しかし、実際にサナーが被害に遭っている場面を見ると思ったより許せない。
必死に体を動かそうとしているとサナーが顔を逸らし恥ずかしそうにボニアスに
「な、なあ、ゴブリン語勉強したらナランの役に立つよな?」
ボニアスの変態クソジジイは熱心に腋を観察して、ノートに何かを書き記しながら
「……あの子は、荒波の相が出ておる。まともな人生は送れんじゃろうよ」
吐き捨てるように言った。サナーは察した顔をすると
「な、ナランのクズ兄貴たちはどうなんだ?」
ボニアスはニヤニヤ笑いながら
「ティーンは大凶相じゃ。大変な目に遭って生涯を閉じるであろう。ルカは吉相じゃな。家を継ぐんじゃないのか?あんな凡人、興味ないがのう」
サナーはホッとした顔で
「上は酷い目に遭うのか……まあそれで許してやるか」
ニカッと笑った。ボニアスは何か閃いた顔で
「占い代じゃ。その成長途上の尻の上半分を見せよ」
サナーは舌打ちをすると、腋を閉じて
「帰る」
と言ってボニアスから腕を掴まれて必死に止められる。
「まっ、待ってくれええええええ……嘘じゃあああ……帰らんでくれええ。合意の上で楽しませてくれるのはサナーちゃんくらいなんじゃあああ……」
サナーは下を向いてニヤリと笑うと
「ゴブリン語を百ページ進ませたら、半ケツを見せてもいい」
「ほっ、本当か!!よ、よし!三時間で奥義を叩きこむぞい!」
やる気になったボニアスは奥にある継ぎはぎの階段に足をかけ、二階へと駆けて行こうとしてスッと止まると急に真剣な顔になり、サナーに
「ああ、えっと、サナーちゃんや。三階にわしの歴代セクシィ村娘記録ノートがある。とって来てくんかのぉ……?左奥の棚のどこかじゃ」
そう言いながら、こちらへと静かに近づいてきた。
「いいけど、ちゃんと教えろよぉ?」
サナーは不満顔で二階へと上がっていき、ボニアスは幼いサナーを抱えた俺の前まで来て止まると
「意識下からの時空への過剰干渉は、因果律が混線する原因じゃぞ。どこぞの存在かは知らぬが」
なんと話しかけてきた。
いや、ここ精神世界だろ?
さっきのおかしくなっていたティーン兄みたいに会話する感じなのか?
とにかく腹が立っているので
「ナランだ。よくもサナーを弄んでくれたな」
と文句を言うと、ボニアスは右耳に手を当ててこちらの声を聞き取ろうとすると
「ああ……ナラン……って聞こえたのぅ……ふむ……このパターンは……ああ、サナーちゃんに未来で何かあったな。ということは……そうか特段印象的なトラウマシーンを巡っているのか……そうか……サナーちゃんも楽しんでくれているとばかり……まあ、そこそこにすることにしよう。それはともかくな、あんたが本当にナラン・ベラシールならば、あんたの時間軸でわしに会いに来い。出来る限り、サナーちゃんの人格コピーは取っておく」
と言うと、いきなりニヤニヤした顔になり、俺の方に両手を向けると
「スタンプじゃっ!」
と言いながら、空気圧のようなものを飛ばしてきた。
俺は抱き上げている幼いサナーごと、バラックの壁を透過して裏山の頂上から、さらに青空へと吹き飛ばされた。




