絶景
次に目を開けた時は小屋の中だった。ガラス窓の外は雪景色だ。
隣の部屋から暖かなスープの匂いがしてくる。
小屋の端の床に寝かされていた俺の身体には
何重にも毛布が巻かれていて暖かい。
コートを着たリースが俺の様子を見に来て嬉し気にしゃがみ込み
「あ、起きたね。ローウェルさんも隣にいるよ」
俺は毛布を脇に除け起き上がって、コートを受け取ると着ながらリースについていく。
コートを着たローウェルは難しい顔で何かを考えながら隣の食卓でスープを飲んでいた。
「おっさん、どこだここ……」
テーブルを挟んだ席に着席して、リースから
小さく刻まれた芋が湯気を立てているスープの入った皿を受け取るとローウェルは難しい面持ちで
「わりぃ。バゥスン怒って途中で帰っちまった」
「……気難しいのか?」
「いや、そんなことはねぇんだけど、ちょっと口論しちまって……」
ローウェルは言い辛そうにリースの方をチラッと見る。
リースは黙って頷くと、俺の隣に座り
「なんかね、私はたまたま起きて聞いてたんだけど、たしか……東の方の国の皇位継承権をめぐっての争いでローウェルさんが後見人として助けるべきだって神獣さんから言われてて、それで……引退したからほっといてくれってローウェルさんが言ったら、まだ我が国の姫は待ってるから帰って来いって言われて……えっと……そこで……細い熟女には用はねぇって言っちゃったのよね?」
ローウェルは情けない顔で頷いて
「バゥスンの守護してる東洋の国の話でな。昔、立ち寄った縁で、未だにそこの姫さんにえらい好かれててな。向こうももう四十近いんだが、まだ独り身らしいんだよ……」
困った顔で項垂れた。
どうせ、当時おっさんが姫に期待を持たせる様なこと言って話がこじれたのは容易に想像できるが……いや、そこじゃねえ!問題はそこじゃねえだろ!
今の状況を思い出した俺は立ち上がり
「ま、待てよ!そんなことよりサナーは!行かないと!」
リースとローウェルが同時に深くため息を吐きながら
「無理だ」
「もう無理かも……」
「……お、おい、ここどこなんだよ……」
ローウェルが情けない顔で
「あいつ嫌がらせで、ラストタジーファからさらに北の……北の果てのスラグゴー地方に降ろしていきやがった……ここは俺の夏季休暇用の別荘なんだよ……」
「ほんとに神獣なのか?何でそんな子供みたいな……」
リースが俺の肩を軽く叩いて
「その姫様に昔から肩入れしてるんだって」
ローウェルも情けない顔のまま
「あいつの今の時代の飼い主みたいなもんだからな……」
俺は即座に「リブラー」と呟いた。
いつもの声が頭の中で
解決は簡単です。
再び呼んだ神獣バゥスンに、ローウェルさんの好みに沿って姫が太るよう姫本人にアドバイスをするように伝えれば良いだけです。
それで根本的に事態が解決するかは、姫の決意次第なので五分五分ですが、今回の事態に限れば、説得は完了し、再び高速飛行移動が可能になります。
「リブラーが珍しくまともにアドバイスしてきたぞ!バゥスン呼び戻して、姫が太ればおっさんが振り向くかもって姫本人にアドバイスしてみろって言えばいいって言ってる」
ローウェルは本気で嫌そうな表情になり
「そこまでするかぁ?向こうも四十とかのいい大人だぞー?」
リースは腕を組み深く頷くと
「すると思う。体形変えたくらいで本気で好きな人が振り向くなら、誰だってするんじゃない?」
「いや、俺の気持ちはなぁ……チッ。まぁいいか……呼ぶぞ」
ローウェルは立ち上がって、さっさと小屋から出て行った。
俺とリースも慌てて外へ出る。
そして俺は息を飲む。
正直、悔しいくらい絶景だった。
何の鉱石なのか分からないが、宝石のように虹色に発光する岩場が所々に散見される真っ白で小高い山々に囲まれた氷湖が、昼間の日差しに反射して輝いている。
そして真っ白でなだらかな丘陵の平たい頂上にあるこの小さな小屋は、それらの絶景を全て手に入れたかと錯覚するかのように完璧な位置に建っていた。
「なんだよこれ……凄すぎるだろ……」
リースもため息を吐きながら
「王家でも、こんな絶景に別荘は持ってないわ」
持ち主であるローウェルは少し離れた場所で必死に空に向かい、鳴らない笛を吹き続けている。
リースはニコリと笑って俺の背中に腕を回しながら
「でも、また、ナランと一緒に面白い景色を見られた」
これは俺を落ち着かせてくれてるんだと、すぐに気づいたので
「そ、そうだな。そうだよな。焦っても仕方ないもんな」
リースは微笑みながら
「サナーちゃん、私のこと嫌いでしょ?」
はっきりと言ってくる。嘘を吐いても仕方ないと思ったので
「……仲間としては好きだけど、女としては何となく嫌いなんだと」
本当は大嫌いだと言ったが、それはさすがに言えなかった。
リースは微笑んだまま
「そっか。でも全部じゃないんだ。私、サナーちゃんのこと好きだけどねぇ」
そう言うと、絶景を眺め出した。
「……」
何て言えばいいのか分からない。というより、どうしようもできない。
俺はサナーは女としては見れないし、リースのことは好きだしもう放ってはおけない。
俺が間違っているとは思えないけど……でも、サナー側から見たら完璧に間違ってるんだろうな。
でも、どっちか取らないと前には進めない。
ああ……俺みたいなしょうもない男には、贅沢な悩みだ……。
などと馬鹿な頭をフル回転させて、リースの隣で一人悩んでいると、宝石のような景色の遠くから、茶色の毛に全身が覆われ、大きな翼の生えた賢そうな猫が……。
明らかに巨大すぎるので、遠くからでもあれが何かはすぐ理解できたが
「あれがバゥスンなのか……な、なんかもっと巨大な鷹とかそういうのかと……」
リースは笑いながら
「そうよね。翼と足は鷹だもんね。私も着地して降ろしてもらってから驚いたわ」
必死に鳴らない笛を吹きまくっていたローウェルが汗をぬぐいながら、こちらへと歩いてきて
「……すまん、ナラン頼むわ。俺が喋るとまた喧嘩になる」
俺たちの背後へと離れて行った。
バゥスンはゆっくりと俺たちのすぐ前へと着地した。
巨大な翼の風圧でこちらが飛ばないような絶妙な降下だった。
目の前で細長い尻尾を含めて丸まると、大きな猫の目の瞳孔を細めて俺たちを見下ろし
「それで、やけに吹き散らしていたが、謝る気はあるのか?」
威厳のある巨体からの声で謝罪を要求してきた。俺が前に少し出て
「あの、俺たちおっさ……いやローウェルさんの小屋で頑張って考えたんですけど、えっと、バゥスンさんが姫にローウェルさんの好みになるくらい丁度いい感じで太ってみたらってアドバイスして、姫が体型変えてくれたらもしかしたら……ローウェルさんも興味が出るかもって……」
しばらく沈黙が続き、俺は心臓のドキドキが止まらなくなる。
隣のリースが力強く手を握っていてくれるから何とか神獣の視線から逃げ出さなずにいられるだけだ。
バゥスンは猫の目の瞳孔を細めるのを止め、黒目でこちらを見つめると
「ローウェル本人が、そう言ったのか?」
きちんと言質をとろうとしてきた。
さすが何千年も生きている存在、そりゃちゃんと確認しないとな……。
などと俺が思っていると、仕方なさそうにローウェルが進み出てきて
「ああ、そうだよ。俺が言った話だ。姫に言っとけよ!ぽっちゃりくらいが好みだっつってな!!体形改造しとけよってな!」
やけくそな顔と口調で答えてきた。
またしばらくバゥスンは俺たちを見つめて観察し始めた。
ローウェルは舌打ちをして、煙草に火を点けると吸い始め
「つうか、なんなんだよあいつ。貴族なら適当に結婚して子供作っとけばいいだろうに、何で四十とかまで俺一筋なんだよ……重いんだよそういうの……」
リースがニコニコしながら
「まあまあ、とにかく今はサナーちゃんのとこに連れて行ってもらわないと」
バゥスンが巨大な茶猫の鼻から大きく息を吹き出すと
「極めて単純だが、的確な助言だと言わざるを得ない。この浮草のような浮気者を振り向かせるには、形から。か……。ナランとか言ったな。やるではないか」
大きな緑の目玉をグルリと動かして、俺を見て巨大猫フェイスでニヤリと笑ってきた。
あ、ローウェルにわざわざ言ったと言質取ったくせに、全然ローウェルから出た話だと思ってないぞこの巨大猫。
どう考えても見透かされてるよな……などとドキドキしているとローウェルが煙を口から吐き出しながら
「そろそろ運んでくれよ。今日中にいかねぇと間に合わねぇんだよ」
と脱力しながらバゥスンの顔を見上げる。
「良いだろう。既に荷車は現地近くの山に運んできた。雷雨に紛れたので、人間たちに見つかってはいないはずだ」
どうだ?と言った得意げな顔で俺たちを見下ろしてきた
この空飛ぶ巨大猫は、元々ここに戻ってきて連れて行く気ではあったようだ。
多分この機に、ついでにローウェルから姫についての何らかの言質をとりたかったんだろう。俺たちからすれば迷惑だが、この神獣なりに必死なのかもしれないなと思うと、俺は少しだけ、バゥスンに好感を持てそうだ。
ローウェルは煙草を皮のケースに入れてもみ消すと、いきなり俺とリースを両脇に抱えてバゥスンの丸まった巨体の上に跳躍した。
そして黙って、首の根元辺りに移動して俺たちを降ろすと座るように促す。
俺たちが座ると、バゥスンはスッと立ち上がって翼をはばたかせ、大空へとあっという間に上昇して、南へと飛び始めた。




