最悪の事態
揺られながら起きる。
気付くと馬車の荷車の上に寝ていた。
隣では布を被ったリースがスヤスヤと丸まって寝ている。
前方を眺めると朝日が射してきていて、御者のボロボロのハットを被ったローウェルが煙草の煙を朝焼けに昇らせていた。
彼は振り返らず
「起きたかぁ。アンジェラさんから連絡来た時、近くで任務中だったし、砂漠の南で待ち構えてたんだよ」
「おっさん、すまん、助かる」
感謝を述べるとローウェルは笑いながら
「まあ、王家の御息女に徒歩で帰れとは言えんだろ。あとなぁ、お前が居ない数日間でちょっと困ったことになっててな」
「どうしたんだ?」
ローウェルは煙草を吸って大きく吐き出すと
「西の果てのセブンスクラウディー帝国の皇帝が変わった。辺りの十五の小国を併呑するんじゃないかとの噂だ」
「……それ、うちの国には関係ないだろ?隣はドラゴンズエースト国だろ?」
ローウェルはまた煙を深く吸い込み、大きく吐き出すと
「……サナーちゃんとフォッカーが行方不明だ。お前……ってか、リブラーは何か知らないのか?」
「どこかに二人で遊びに行ってるだけだろ?それと関係あるのか?」
俺が呑気に言うと、ローウェルは渋い顔で振り返ってきて
「おい、お前の姫君を迎えに行くことを、サナーちゃんに告げてなかっただろ?」
「ま、まぁ……言ったら止められるし……酔った勢いもあったからな……」
そこで、俺は恐ろしい推測にたどり着いてしまった。たぶん、ローウェルが考えていることと同じだ。
「ちょ、ちょっと待ってくれ!リブラーを問い詰めるから!」
ローウェルは静かに前を向き
「……そうしてくれると助かる」
と言って黙った。俺は焦りながら
「リブラー!!機能分割とか言ってたよな!ニャンタマー総帥の時みたいに分裂してサナーを操ってるだろお前!」
すぐにリブラーの声が頭の中で響き
はい。サナーさんは会社経営で精神的に弱っていたので、ナランさんがリースさんを一人で迎えに行ったという事実を知ると命を絶つ危険性があると考えました。
大変申し訳ないのですが、我々リブラーとしてはサナーさんは戦略上それほど重要な存在ではありません。
しかし、サナーさんが自死したパターンのナランさんのメンタルの荒廃を推測するに、現状のサナーさんのメンタルを立て直し生き残らせる必要があると判断したので、我々リブラーの機能を四割ほど分割してサナーさんに貸し出しました。
そしてサナーさんの脳内物質の分微量をスキル構成により興奮状態にした上で、ラストタジーファ地帯で転戦したいという、フォッカーさんの提案に乗らせました。
知的生命体は大きな生きる目標があると、自死から確実に遠ざかるからです。
「おっさん……マジでやってたわ……こいつ……」
俺が原因のようだとは言え、とうとうサナーにまで手を出しやがった……。
ローウェルは大きくため息を吐き
「ナラン、続いて帝国の二代目皇帝について尋ねてみろ」
「リブラー!セブンスクラウディー帝国の二代目皇帝は誰なんだ!?」
また頭の中のいつもの声で
我々リブラーのスキルサポートとフォッカーさんの人脈と軍略が功を奏し、二日前、首都ドミガルディーを奇襲制圧した直後、首都内に設置されたモノラースと契約したサナーさんが新皇帝に暫定的に就任しました。
フォッカーさんも首相に就任しています。
「おっさん……最悪の事態かもしれん……」
というか、ラストタジーファ地帯には低レベルな軍隊しかいないのか。三日くらいで最大国家が制圧されてるって……。
ローウェルは大きく煙を吐き出すと
「今のサナーちゃんは、コントロール可能か訊けよ。それでこっちの対応もかなり変わるぞ」
「リブラー……聞いてるだろ……おっさんの疑問に答えろ……」
少し間が開いて、いつものリブラーの声が
現在空気中のネットワークを介し、我々リブラーの機能をナランさんに元のように集約させています。
一日以内にサナーさんは、リブラーによるサポート能力が失われ、モノラースの所持者としてのみの存在になります。
その時にモノラースに侵食されたサナーさんの元の人格が残っているかは未知数です。
その後は、我々リブラーによるコントロールは効きません。
「おっさん……一日でコントロール不能になるって多分言ってる……。後はモノラースの力に乗っ取られるみたいなことも言ってる……」
俺が項垂れていると、ローウェルは意を決した声で
「わーったよ!一日でナランとサナーちゃんを会わせればいいんだな?やってやろうじゃねえか!」
そうすると、腰ポケットをなにやら漁り始め、そして取り出した汚い筒のような何かを咥えると
「フーッ!フスーッ!」
と空気が抜けたような音で思い切り吹いた。
「おっさん、ふざけてるのか?」
ローウェルは吹き終わると満足げに
「よし、これで準備はできたぞ。まあ、見てろって」
と言った。直後に俺は急激に力が抜け、そのまま意識が薄れ、眠り込んでしまった。
……
まるで何かが辺りを掴んだような大きな揺れで起きた。
上を見上げると茶色い毛だらけの腹の巨大生物に荷車ごと掴まれ、空へと舞いがっている最中だった。
いつの間にか隣で煙草をふかしているローウェルは、何でもなさそうな顔で
「栗毛のバゥスンに来てもらった。まぁ、隠ぺい工作はヘグムマレーさんに頼もう」
「ば、ばぅすん……?」
リースはまだスヤスヤと眠っている。ローウェルは辺りの空を見回して
「昔の仲間だよ。こいつの背中に乗って世界を周ったもんだ」
「いや、鳥なのか?ドラゴン?なんなんだ?」
腹と荷車を鉤爪で掴んでいる両足しか見えない。ローウェルは煙草を吸うのをやめ、毛だらけの腹を見上げると
「神獣だ。何千年も生きてて賢いぞ」
「し、しんじゅう……いや、待てよ。そんなの呼んだら……」
ローウェルは舌打ちして
「だからーウィズ公の御慈悲に縋るっつってんだろがよ。しかもこいつはこのまま、ドラゴンズエースト国の上空も通過す……」
そこまで言いかけた時だった。頭の上から不思議な響きの大きな
「高い位置で雲に隠れながら通過するので心配はいらぬ。ローウェル、若い者をいじめるでない」
何とも神々しい巨大生物の声がしてきた。
震える俺の隣でローウェルはめんどくさげに
「できれば呼びたくなかったんだよ。すまんなぁ。いざという時のために取っときたかったんだが」
もう巨大生物の声は答えなかった。
目が回り出した俺は昨夜から何も食べていないことを思い出し、荷車の中を見回すが、食い物の袋は無さそうだ。
そのまま目の前が暗くなって意識が遠くなっていく中ローウェルの声で
「あ、さすがに栄養不足っぽいな。ま、気絶しとけよ。向こう着いたら何か食わせてやるからな」
と聞いた気がした。




