驚くには早いわ
穴の中は渦巻く無数の光の粒がトンネルのようになっていて、ゆっくりと俺とリースはそのトンネルに沿うように落ちていく。
「綺麗だね」
俺と腕を絡めたリースがポツリと呟いた声もはっきり聞こえる。
「そ、そうだな」
どこまで落ちるのか分からないから怖い。
とは言えない……感動しているらしいリースを怖がらせたくない。
足元のずっと下には悠々と落ちて行っているアンジェラが見える。
不思議と全ての光景がはっきりと遠くまで見えている。
陰ることもなく、ぼやけることもない。
アンジェラの下にも無数の光の粒のトンネルが延々と伸びていてそれが遥か下まで伸びている。
「なんか、これを悪魔たちが造ってるなら、俺たち人間が適うことなんてないよな……」
つい弱気なことを言ってしまうと、リースがクスクスと笑いながら
「ナランなら何でもできるよ。だから楽しみましょ?」
「ありがとう……」
昨日久しぶりに会ったばかりなのに、なんかとてつもない安心感があるのは、きっとリースが俺のことを全然疑ってないからだろうな……などと思いながら二人で落ちていく。
ずっと落ち続け、どれくらい時間が経ったのか、それも分からなくなった頃、遥か下に光が射してきて、それは瞬く間に真下のアンジェラを吞み込み俺たちの身体も光に包まれていった。
……
「ああ、アンジェラさんの客かぁ。粒子の洗浄開始しまーす」
呑気そうな若い男の声が聞こえ、強い風が体中に吹き付けられ目が開けられない。
すぐに風は止み、同じ男の声で
「はいはい、人間の二人組オッケー。通過していいよー」
言われて目を開けると、壁の半分がガラス張りになっている場所で手に筒状のものを握って、キャップと作業服姿の肌が紫色の若い男がこちらに八重歯を見せて笑っていた。
辺りは、薄緑の磨かれた材質で出来ている不思議な四角い部屋で天井には小さく穴の開いた鉄版が嵌められ足元にも同じものが嵌められている。
向こうの男は戸惑った俺たちの様子にニヤニヤしながら
「ほらー君から見て右手の白い扉に近づいて。後がつかえてるんだよ。はやくーはやくねー」
リースが頷いて俺の手を引いて、言われた通り扉に近づくと、それは音もなく横に開いて、外にはアンジェラが待ち構えていた。
左右に広がった通路は白い不思議な材質で作られていて天井から見たこともないような光で照らされている。
「行動計画表はすでに作られていて、それに沿った動きになるからね。まあ、要するに私から離れないで」
俺が答える前にリースが
「わかりました。行きましょう」
促し、アンジェラは爽やかに笑って颯爽と長身を翻すと左側の通路へと歩き始めた。俺たちも続く。
通路を歩いていくと、看板が壁に埋め込まれ、それを見ながら通り過ぎると前を歩くアンジェラが
「こちら出口って漢字で書かれてるだけよ。ようこそ、我が国へ」
そう言って、通路の突き当りの扉の前に立つと、それらが左右に開き、一気に外の空気が流れ込んできた。
灰色に塗り固められた敷地内のさらに遠くの景色に俺は目を疑う。
隣のリースも微かに震え出した。
そこには、フーンタイ市の遺跡でアンジェラが言っていたような高い「ビル」が立ち並び、空には大小の悪魔たちが高速で飛び回り、そして見たこともないような、車輪で動く鉄の塊がビルの横の広い道を行きかっていた。
しかも頭上には、どこまでも虹色の空が広がっていて太陽も雲もない。
アンジェラは自嘲するように笑って
「まあ、つまらない景色よね。地上の方が刺激的よ」
「そ、そうですかね?」
アンジェラは微笑みながら
「法で縛られてるから事件は起こらないし、我らヒトは、ルールで生きているからね」
「そうなんですね……」
アンジェラは軽く息を吐くと腕を組み
「あなたたち人間を連れ歩くと、色々と目を引いちゃうと思うから、ちょっと待ってね。送迎を呼ぶわ」
そう言うと、ローブのポケットからタヌガワラが使っていたのと同じような四角い金属片を出し、軽く握ると、慣れた手つきで握った手の長い指で表面を何度か押し、そして耳元に当て
「あー私よ。モンチ君いる?そうそう、カワセンケの侵攻所。十五分以内にお願いね。駐車場にいるわ」
そう言うと、サッと金属片をポケットに戻して
「あなたの顔見知りのモンチ君に送迎を頼んだわ。大丈夫、免許は持っているからね」
「……いや、もう何が何だか」
リースは俺の背中に隠れていて、その背後からヌッと二メートルは越えた長身で、漆黒のローブを着た骸骨が頭を出した。
「あんたらー、邪魔だよ。出口近くじゃなくて駐車場で待てよなー」
頭蓋骨はカチカチと歯を鳴らして文句を言うと、サッと俺の横を通り過ぎ、そしてフワリとその体が浮き上がると、ビル群の向こうへと瞬く間に飛んでいった。
アンジェラは苦笑いして
「今のはリッチよ。肉体を最小限まで削ったタイプよね。あの様子だと、侵攻事業の監査で何かあったのか……」
「あ、あの……アンデッドの最上位の……」
俺がそう言った横で、リースがガクリと気絶して抱きとめる。俺も気絶しそうだが何とか踏みとどまるとアンジェラが灰色に塗り固められた敷地内の隅へと歩いていき
「まだ驚くには早いわ」
手招きしたので、リースを背負い、何とかそちらへと歩いていく。
この灰色に塗り固められた場所は、駐車場だとアンジェラから説明され、悪魔たちの異様な街の様子を唖然と見上げていると、俺たちが出てきた白い二階建ての大きな建物をアンジェラは指さし
「今、私たちが出て来たのが各地のワームホールから帰還するための侵攻所よ。侵攻所は国中にあるんだけど、我々ヒトごとに決められた地点にしか帰ってこられないの。私の場合、このカワセンケの街ね」
「言ってること分かんないけど、覚えられるよう頑張ります……」
アンジェラは笑いながら
「覚えてなくてもいいって。そんな大事なことでもないし。こっちとしては、若き皇帝様を懲らしめてくれさえすればいいの」
「こんなとこでゆっくりしてていんですか?」
「うん。一応、隔離は完了してるからね。後は、あなたたちが懲らしめればいいだけよ」
なんなんだろうか……なにをやらされるんだろうか。
呆然と突っ立っていると、遠くからこちらへと向け、大きな鉄の塊が飛んできているのが見える。
アンジェラはそれを見て
「早かったわね。偉いぞ、モンチ君」
満足げに頷いている。




