一時的に宿主を空に
「単刀直入に言おう。街の風紀の乱れが気になっておる」
シャルロット以外の大人四人に動揺が走る。
ヘグムマレーはさらに
「王族である私にしか認可権がない、悪魔を使った商売をしている者が居ると聞き及んでな」
顔面蒼白になり立ち上がろうとしたニャンタマーをヘグムマレーは見つめると
「まあ、まあ、ニャンタマー社長よ。座ってはくれんかね」
ニャンタマーは滝のように溢れ出した汗をハンカチでぬぐいながら静かに椅子へと座り込んだ。
ヘグムマレーは穏やかで優しげな声で
「……何も、兄である前王のように、風紀を厳しくしようと言う気はない。ただし、そうじゃなあ……きちんと税金は払っておるのかな?」
ニャンタマーは必死に何度も頷く。
「ふむ、そうか。すまんなぁ、年寄りの冷や水に付き合わせて。しかし、そうじゃなあ、時に空のローズウェルよ」
「はい」
爽やかな騎士が答えるが、明らかに冷静さを装った声だ。少し上ずっている。
「お主、都にある邸宅が大きくなったようじゃなあ……。金の先物取引で随分と儲けておるらしいな」
「事実にございますが、不正はしておりません」
ヘグムマレーは騎士の方はもう見ず、今度は強面の男性を見て
「踏みつぶしのガンズンともあろうものが、戦場から離れ、少し、ふやけたのではないか?聞いておるぞ、亜人の奴隷を沢山買い込んでいるとな」
男性は反論せず、顔を耳まで真っ赤にして、深々と頭を下げた。
最後にヘグムマレーは老婆の方を見ると
「パメリヤよ。長い付き合いじゃが、お主も気を抜きすぎじゃわ。宮殿に虫が沢山入り込んでおる」
次の瞬間
「んなあらああああああああああ!!!死ぬなら道連れじゃあああいい!」
両手にナイフを持ったニャンタマーが肥満した身体を立ち上がらせて叫んだ。
さらに次の瞬間には、そちらへと手をかざしたヘグムマレーによりニャンタマーの全身は完全に凍っていて、この老人は何事もなかったかのように
「ふむ。若い者は忍耐が足らぬなあ。山ほど証拠と証言もあるし、この場を誤魔化しきっておれば、まだまだ追及により真実が暴けたものを。これでは反乱罪で死刑にするしかないではないか」
本気で口惜しそうに言い切った。
ヘグムマレーの味方だと確信のある俺ですら全身が小刻みに震え出し、彼と相対する残りの四人は、座っている椅子がガタガタと震えるほど怯え始めた。
「ローズウェル、ガンズンは任を解く。北部戦線で鍛え直してこい。パメリヤは、直ちに私と別室で証拠の検証じゃ。よろしい、解散」
ヘグムマレーは俺を置いて、震えている老婆と共に会議室を立ち去った。
騎士たちはいそいそと小さくなって退出していく。
直後に凍り付いたニャンタマーの巨体を筋骨隆々とした騎士たち四人が会議室から持ち去り、それが終わっても、俺は立ち上がれなかった。
怖い、怖すぎる。これが上級国民たちの世界なのか……?
なんでいきなりニャンタマーが暴れ出したのかも意味が分からない。
逃げられないと察したからだろうか……。
ふと、向こうに目をやると、シャルロットは口を開いたまま、呆然と天井を見上げていた。
「あの、すいません、あの……大丈夫ですか?」
シャルロットはハッと我に返ると
「だ、大丈夫に決まっていますわ。このくらいの修羅場、無数に経験しております」
そう言って立ち上がろうとしたシャルロットはそれが無理だと悟ったらしく、絶望的な顔をした。腰が抜けているようだ。
「……」
見ないふりをしてあげようと思うが、俺も立ち上がれない。
なんてことだ……あんなにヤバいと思っていたニャンタマーが雑魚みたいに凍らされ、捕まってしまった。
しかも、死刑か……マジか……それだけは無さそうだったのに。
しばらく考えてから、またテーブルの向こうを見るとシャルロットが泣きそうな顔で
「あ、あの……おトイレに、行きたいのです……」
俺を見てきた。俺はまだ立ち上がれそうもない。
もう他にできることが何一つ無さそうなので、こんなとこで使いたくはないが
「リブラー」
と呟くと、すぐにいつもの声が
様々な解決方法がありますが、ナランさんの精神的な負担が少ないやり方を使います。
"ゴッドロッククライマー" のスキルを追加しました。
このスキルは両腕の筋力が千パーセントアップします。
両足は腰が抜けているので、シャルロットさんを背中に乗せ、両手で這ってトイレまで行くと良いでしょう。
女子トイレの場所は、会議場から出てすぐ右を五十メートルほど進んだところです。
「いや、ちょっと待て、腰を治癒する回復魔法使えるスキルとか。リブラー、おい、リブラー?」
シャルロットに聞こえないように必死に手を口で覆って尋ねたが、リブラーはもう答えなかった。こいつ、もしかして俺で遊んでないか?
そんな疑念も芽生えつつ、とにかく腕の力だけで床まで降りて
「ひ、ひぃ、何をする気ですの……?」
と更に怯え出したシャルロットの足元近くまで這っていくと
「あの、俺も腰が抜けてて。背中に乗ってください。トイレまで連れて行くので」
一瞬、彼女は絶句した顔をした後、すんなりと椅子から降り、俺の背中に乗ってきた。
黙って俺は両腕だけで会議室の開いた扉まで這って行く。
おお……お?な、なんか、もっとスピードを上げられそうな
「あの、掴まっていてください」
「はい……」
シャルロットが背中を掴んだのを確認して、俺は綺麗な宮殿の廊下を二本の腕だけで全速力で這っていく。
あっというまに女子トイレの前まで来るとシャルロットが
「あ、あれ……腰が動きますわね……揺れがよかったのかしら」
などと言いながら立ち上がり、俺に感謝も告げず、さっさとトイレの入り口をくぐって行ってしまった。
同時に腕の力が抜けていく。リブラーがスキルを削除したんだろうなと思いながらも相変わらず腰が抜けたままなので、とりあえず、女子トイレの前でうつ伏せになっている変態と思われる前に、とにかく女子トイレから遠ざかろうと廊下を何とか這っていこうとすると
「あれ、ナラン、何してるんだ?」
サナーの声がする。
ちょうど入れ違いでトイレから出てきたらしい。
綺麗な軍服のようなパンツスタイルの衣装を着込んでいるのは、俺と共に会議前に着替えさせられたからだ。
「何って、アレだよ。散歩だよ……」
咄嗟に出てきた言葉で、しゃがんで覗き込んできたサナーから余計に怪しまれ
「会議は終わったって聞いたぞ?なんで寝てるんだ?」
「いや、だからな、腰が抜けてな……」
「ん……怪しいな……あっ、腰ってことは……ナランあのさぁ……」
なぜか呆れ顔になったサナーは
「いくらリースが居なくなって性欲のはけ口が無くなったとしても、そこらへんの女で解消するのは違うと思うぞ?」
最悪の勘違いをしつつあるサナーに俺は、廊下にうつ伏せになったまま
「ち、違う……会議の内容が怖すぎて腰が抜けたんだよ……」
「そんなわけあるか。下手な言い訳だなぁ」
サナーは苦笑しながら行ってしまった。
「……」
まずい、最悪の展開かもしれない。
どうにか近くの壁まで這っていき壁を背に座り込む。ちなみにリブラーに何度か問いかけたが、一切答えてくれない。
その後、俺はなんと三時間も廊下で座ったまま俯いていた。
フォッカーかサナーがどっちか助けに来てくれるかと思ったが忙しいのか、誰も迎えには来なかった。
トイレから出てきたシャルロットは俺を無視して通り過ぎ、騎士たちやメイドたちは座っている俺には見向きもせずに通り過ぎていく。
何なんだよ皆、俺のこと見えないのか?
などと疑問が芽生え始めた時に
「あら、これはマズいわね」
アンジェラの声がして、俺は長身の彼女に抱き上げられた。
「あ、すいません、なんか……」
感謝を告げると、王宮内のメイド服を着て潜入していたらしきアンジェラは真剣な眼差しで
「恐らくはあなたのリブラーが、本体のあなたを放って、何かの探索機能みたいなものを働かせている可能性があるわ」
「そ、それで、俺は動けなかったんですか?」
「動けなかったというか、正確にはリブラーが動かさなかったんでしょうね。ヘグムマレーおじいさんの別館まで連れて行くわ」
「頼みます」
何かよくわからないが、嫌な予感がする。
アンジェラが扉を開けると、半泣きのサナーが俺たちを見てきた。
「あ、居た!居たあああああああ!!」
サナーは抱えられている俺に飛びついてきてそのまま床に落ちかける。
アンジェラがすばやくバランスを取って壁沿いにまだ腰が抜けている俺を座らせると
「どこ行ってたんだよおおおお!!探したんだから!」
サナーが抱き着いてきた。
「いや、だから腰が抜けて動けなかったんだよ」
「……そこも探したけどなぁ……ううう」
「いや、来てなかったぞ?」
何なんだ、何かおかしいぞ。アンジェラはしゃがみ込み俺の瞳の中を見つめ、軽く舌打ちをすると
「"居ない"わ。別の寄生対象を見つけたか。いや、違うわね。一時的に宿主を空にしているんでしょうね。ということは……」
辺りを見回し
「やられたかも……」
と悔しそうに呟いた。




