リブラー
女性は軽々とサナーを背負い、軽い足取りで歩き出した。
俺は一度深呼吸してから、意を決してついていく。
今まで死ぬ思いをしたから、もう大概のことは受け入れられそうな気がしている。
……でも、いつもこうだったな。
地元で肥溜めに落とされたり、集団で雑巾投げつけられたり、俺のどこがバカなのか酔った兄貴たちから一方的に説教されたり、めちゃくちゃないじめをされた後は、もう何をされても動じないような気がするけれど、すぐにこんな最強の気持ちは消え失せ、後からやられたショックがやってくる。
きっと動じないこの気持ちも、今だけだと思う。
だから、今のうちに、この怪しい誘いに乗ってみよう。
悪い予感は不思議としない。
そんなことを考えながら左右を本棚が延々と並び続けている広い通路を進んでいく。
ようやく冷静になって床や、天井の照明を観察できる余裕が出てきた。
床は大理石のようなツルツルな素材でできた塵一つない清潔さだ。
天井は縦長の光る石のようなものが等間隔で並んで照らしている。
女性は、シンプルなメイド服から長い脚が伸びていて背の高さも俺より上かもしれない。
サナーはその背中で寝たままだ。
キョロキョロしながら、ひたすら女性についていくと彼女はピタッと立ち止まり、クルッとこちらを向いてくる。
そして手招きをしながら、相変わらずよく見えない顔で
「できるだけ私の手前に来てください」
頷いて、近寄っていくと、ガゴンッという音が足元からして俺たちの周囲の床が四角く割れると猛烈な勢いで沈み始めた。
慌てる俺に女性が
「降下装置です。この施設の上層部は表層の知識のみを散らばらせた目くらましになっております」
「そ、それって、魔法の本は殆ど無害ってことですか?」
女性はぼやけた顔を微笑ませると
「世界のパワーバランスに関連するような力は開示しておりません」
「……」
この古代図書館は、どこの誰だか忘れたが俺たちも使ったカードキーを発見した冒険者だか傭兵だかがいて、それからカードキーの所有者が変わりながらずっと探索が続けられているという話は聞いた。
探索難易度がDだったのは、とっくに重要な情報が掘り出されていて、俺たちみたいな無学無力の傭兵の練習任務として価値しかないからだと何となく思ってたけど……。
まさか、図書館の下に……とんでもないお宝が……。
女性はまたぼやけた顔で微笑むと
「このような施設は、各地にあります。いつかまた、他の場所に向われることもあるかもしれませんね」
俺は固唾を飲んで
「た、例えば……」
女性は少し降下し続ける辺りの光景を眺めると
「有用な武器や、魔法書が存在します」
「お、おおお……売ったら一億イェンとかします?」
女性は首を横に振り
「売る必要などありません。それらは、ひとつでも得られれば、国を創ることすら容易いでしょう」
「……」
俺は騙されているのか?いや、しかし嘘には聞こえない。
そこで会話は途切れ。足元の床はまだ降下し続けた。
どのくらい経ったのかわからないが、床がピタッと止まり目の前の壁が音もなく左右に開いた。
「うそだろ……」
その先は、真っ白な光に包まれた広大な部屋だった。
こんな場所が地下深くにあるとは……。
サナーを背負ったままの女性は光の中に溶け込んでいくように
先を進み始めたので、見失う前に慌てて背中をついていく。
光の中を、女性の背中だけ見ながら進み続けるといきなり、辺りの景色が広がってはっきりとした。
周囲は、白い床や白い天井が広がっていて
そして目の前には、下から五段ほどの古びた木造の空の本棚がポツンと存在していた。
女性はサナーの身体を渡してきて、俺が両腕と両手で横に抱えるのを見届けると本棚の横に立ち、こちらへとぼやけた顔でほほえんできた。
「ナラン様、この本棚には本はありますか?」
俺は上から下まで注意深く見た後
「無い。透明な本でもあるのか?」
女性は軽く首を横に振り
「これから、この本棚にナラン様が本を増やしていくのです」
「ん……?本でも書けと?」
女性は俺に抱きあげられて穏やかに眠ってるサナーの顔を見下ろし
「ナラン様、サナー様に"リブラー"と唱えてください」
俺は戸惑いながらも女性に従うことにして
「リブラー」
とサナーの寝顔に向けて唱えた。
次の瞬間 頭の中に、一挙に情報が流れ込んできた。
サナー・ミニジーオ 17歳と九か月 両親コーンとナモーの間に生まれる。
生まれた時から奴隷身分であり、5歳の時、同じく奴隷だった両親と引き離されベラシール家に買い取られる。
そこで出会った主人の息子ナラン・ベラシールの不器用だが優しい性格に惹かれていき、生涯自分はナランの手足として生きていくことを十歳の時決める。
ナランの知らないところで、様々な工作して、彼を援け続けるが奴隷の少女にできることはそう多くなく、万策尽き、一族での居場所がなくなったナランが家を出た時に同行した。
元々奴隷仲間に習っていた武術を使い、初任務のグリーンゴブリン討伐を乗り切る。
現在、レッドゴブリンとの戦闘による疲労を回復中。
高レベルモンスターとの戦闘経験により、戦士レベル8に能力値が上昇している。
注意!これより先の深度情報は、対象者のプライバシーを侵害するような不快な真実が含まれます。さらに調べますか?
必要ならば、もう一度リブラーと唱えてください。
「え……不快な真実……って?いや、何かもう色々と恥ずかしいのが……」
俺が優しいとか、十歳の時に決めたとか……俺を裏から援けていたとかなんだこいつ……。
思わず顔の見えない女性の方を見てしまう。
彼女はぼやけた顔で微笑んで
「調べるかそれはあなた次第です。知らなくていいことも多いですが、醜悪でも知っておかなければならないこともあります」
「……わ、わかりました」
怖いけど、調べてみよう。
「リブラー」
また一挙に頭の中に情報が流れ込んでくる。
サナー・ミニジーオの深層情報第一層を開示します。
奴隷の少女であるサナーは、ナランを援けるという目的のためには時に自らの性や尊厳を切り売りして、それらを条件に知識や貨幣を得ていた。
しかし、初夜だけはナランのためにとって……。
「だあああああああああ!!もういいいいってて!」
絶対に聞いてはいけないことが流れてきて
俺が叫ぶと、脳内の声は途中でかき消えた。
なんてことだ……これ、リブラーって俺がそいつを見ながら唱えるだけで知りたいことがなんでも知れてしまうってことなのか……。
心臓の鼓動をおさめるため何度も深呼吸して
そして黙っている女性の方を見つめると
「さすがナラン様、適格者です。良いようですね。そのまま聞きづけると、きっとあなた様はサナー様と以前のように接することができなくなったでしょう」
「……」
「本棚をごらんください」
黙って本棚を見つめると、四段目の棚の中に薄いページ数の絵本が横に倒れて置かれていた。促されるままに近寄って見つめると、子供が書いたかのような下手な絵柄の剣を持った赤髪の女の子とそして黒髪の男の子が、夜の闇の中、駆けて進んでいっている表紙が見える。
タイトルは「サナー・ミニジーオの大冒険」と書かれていた。
なんでだか分からないが、俺は涙が両目から流れ落ちてきて止まらなくなった。
その涙が何滴もサナーの真っ黒に塗りたくられた顔に落ちていくと
「ん……しょっぱい……」
俺に抱き上げられているサナーが目を開けて見上げてくる。
「ああ……どうしたんだ?悲しいことあったのか?」
いぶかし気な眼つきのサナーの身体を俺は座り込んで強く抱きしめた。
「あははは……私、死んだ?ナランが抱いてくれるなんて……こんな幸せなこと……」
「すまない……」
何とか声を絞り出すと、サナーはニカッと笑い
「いいよぉ……私こそ、力不足でいつもごめん」
逆に謝られて、両腕を背中に回してきた。その瞬間に、辺りの気配が一気に変わり俺とサナーは、図書館の通路のど真ん中に居た。