ペット
コシミノ一枚の全身が黒く染まった小柄なブラックゴブリンはよく見ると、全身に刀傷が無数についていて、さらに潰れた鷲鼻と削ぎ取られている右耳が印象的な顔をしている。
彼は表情の読めない目で俺たちを見てきて、静かに歪な口を開く。
「……こいつは、無法をしてきた。なので、やり返されるのも当然であるし、その取り巻きもまた同罪だろう」
ミヤが前に出て交渉しようとすると、ブラックゴブリンは
"口を閉じろ"というジェスチャーをして、冷たく微笑むと
「ただ、頭の悪い子ほどかわいいと、人間は言うだろう?そいつ、その二刀流の人間のメス一匹で手を打とう」
サナーを引き渡せと言ってきた。
ミヤが何か言おうとすると、今度は怒りに満ちた目で
「悪魔に手を出すことはない。安心してくだされ。しかし、私の仁義として、殺された部下の仇を必要としています。手を出さないでもらいたい」
ブルブルと震えたミヤは後ろ歩きで俺の横まで下がってきて震える小声で
「だ、ダメみたい、私、黒いのは強いから従えたことなくて……」
俺は黙って頷く。使いたくもないがここはもう出番だろう。
何かゴブリンを言い負かす方法でも教えてくれ。誰にも聞こえないくらいの声で
「リブラー」
と呟くと、いつものリブラーの声が頭の中で
現在、再起動後の調整期間中で未来予測とスキルの入れ替えができません。
事前準備したナランさんのスキルで十分戦える相手なので、盾になりつつ各個撃破を目指すと良いでしょう。
予想外のことを言われた。
一瞬、頭がパニックになりかけたが、ここはもう覚悟を決めるしかないと俺は黙って前に出て、ブラックゴブリンにできるだけ距離を詰めながら
「悪いが、サナーは渡せないな」
と言った瞬間に、剣を抜いて斬りかかっていた。
スキルの効果か、あっさりと不意を突かれたブラックゴブリンの右腕が落ちる。
「うそ!!この数と戦うのおおおお!!?」
というミヤの悲鳴が背後で上がり
「さすがナランだ!!」
ミヤが二本の剣を抜いて、俺の背中にピッタリ張り付いてきた。
ブラックゴブリンは憎しみに満ちた瞳で俺を見つめてきて
「ゴブッ!!ゴブブブーッ!!死ね!愚かな人間たちよ!」
俺はサナーと共にフォッカーやミヤ、倒れている元村長の近くに移動する。
それと同時に無数の矢がこちら目がけて撃たれてきたが何と、一本も俺には命中しなかった。
当然俺を盾にしていた仲間にも当たっていない。
"幸運の使者"のレアスキルのせいだろうというのはボンヤリと分かったので
「何本でも撃ってきてみろ!!俺には矢を必ず回避する"ワンダーバンカー"のスキルがある!」
数少ない俺の知っているレアスキルを言い放つとゴブリンたちに一斉に動揺が走る。
ミヤが俺の背中に隠れながら
「そ、そうだー!!ゴブリンども降伏しろ!!この人間ののレベルは99だぞ!私の下僕の皆殺しのナランだっ!」
今作った脅し文句を甲高い声で言い放ち、サナーとフォッカーも威嚇するように周囲に雄叫びを上げた。
元村長は裸で気絶したままだ……。
様子を伺っていた無数のゴブリンたちは雪崩を打つように崩れて逃げ始めた。
ブラックゴブリンは舌打ちをしながらレッドゴブリンに持ってこさせた青龍刀を左手に持ち
「どうやら、ここが私の死地らしいな。ふっ……皆殺しのナランか。そんな者は知らぬが、人間の身で悪魔を使役するとは、よほどの達人か」
ミヤが拍子抜けした声で
「ばっ、ばれてるううううう!?過去一恥ずいんだけど!?」
俺の背後で叫ぶ。俺は黙って皆を下がらせ
「一対一でどっちかが死ぬまで勝負だ。お互いの仲間には勝っても負けても手を出さない。それでいいだろう?」
ブラックゴブリンは頷いて
「ああ、だが、貴様の女は納得してないらしいぞ」
俺の横を指さしてくる。いつの間にかサナーが戦闘態勢でそこには居た。
「すまん、ちょっと待ってくれ。逃げはしない」
ブラックゴブリンが頷いたので、俺はサナーの腕を引っ張って少し後ろへと下がる。相手を視界に入れつつ、横目でサナーに
「おい、下がれって」
「嫌だ。ナランと一緒に戦う。ナランを守る」
サナーは真剣な眼差しでで言ってくる。
「……間違いなく勝てる。信じてくれ」
「でも……一緒に戦いたい」
俺は少し考え、サナーを強く抱きしめた。
「信じてくれ。残ってるゴブリンへの警戒を怠るなよ」
「……」
サナーは真っ赤な顔で後ろへと下がっていき
俺はゆっくりと前へ出ていく。
「ふっ。知らんぞ」
ブラックゴブリンはニヤリと意味ありげに呟くのと同時に斬りかかってきて、その余りに完璧な太刀筋に俺は
「あ、死んだ」
と思った。しかし足元の石にこけて後ろへと尻もちをついて回避した。
しかも尻もちをついたときに上がった右足がゴブリンの右の脛にヒットしてゴブリンは小さく悲鳴を上げて背後へと下がる。
俺は必死に立ち上がり
「ああーっ!」
かなり無様な体勢で斬りかかると、今度は相手が避け損ねて肩の辺りに少し切り傷が入った。
「くっ……貴様、何がレベル99だ。ただの悪辣なスキル持ちではないか」
ブラックゴブリンは憎しみに満ちた瞳で俺を見てくると
「我、風の精霊に問う、何故、大気を纏わぬのかと我……」
などと謎のポエムを唱えだした。「は?」と思っていると背後からフォッカーが大声で
「詠唱を止めてください!!ウインドストームです!!」
危険な呪文を詠唱していたらしい。
焦りながら止めようと斬りかかるとあっさりと避けられて、さらに斬りかかるとブラックゴブリンは詠唱しながら、右足で強烈な回し蹴りしてきて
簡単に近づけない。
おい幸運の使者!!仕事しろ!と思うのと同時にブラックゴブリンがニンマリした顔で
「終わりだ……ゼロ距離でくらえ!ウインドストーム!!」
と俺の手前まで瞬時に詰めてくると、左手を広げてきた。
広げてきた……広げてきたが、何も魔法が出てこない。
俺は黙って剣を一閃して、ブラックゴブリンの残った腕を途中から落とした。
両手を失ったゴブリンは恐怖の表情になると、猛烈な勢いで背後へと逃走していき、それと同時に俺の背後でもゴブリンたちの悲鳴が上がる。
焦りながら振り返ると、サナーとフォッカーが数体のレッドゴブリンたちを切り伏せている所だった。
慌てて駆け寄ると、フォッカーが額を拭いながら
「追撃しましょう。あいつを殺しておかないと、後々復讐に来ますよ。元々、隊長の注意を自分に引き付けて、俺たちを殺すつもりだったようです。相当に戦いなれています」
ミヤは顔面蒼白で首を横に振り
「も、もう嫌だ!!こんなの怖いって!」
サナーは軽くため息を吐いて、二本の剣を鞘へと戻すと茂みに隠していた荷物を入れた袋を取ってきて中身を出して外へと減らし、半分ほど出した携帯食料と水を指すと
「フォッカー、ミヤと元村長を見てくれるか?ミヤと居れば、残党も襲ってこないと思う」
フォッカーが仕方なさそうに頷いたのでサナーは俺の腕を引いて勝手にブラックゴブリンの追撃を始めた。
サナーは血の跡を確かめながらかなりの速度で走っていくので手を引かれている俺は息切れを起こしそうだ。
しばらく走ると、サナーは洞穴の前の茂みでいきなり立ち止まり乱暴に俺の頭を押して身体を下げてくる。
「あの中だ。ナラン、どう思う?」
「行くしかないだろうな。いや、でもな」
「……もう帰れないだろ。あれだけ統率されたゴブリン殺したら絶対、頭を潰しとかないと……」
俺は大きく息を吐いて、そして吸って
「行くしかねぇか!」
と立ち上がった。
洞窟の中へと二人で駆けこむ。
たぶん、幸運の使者のスキルがあるから大丈夫だろう。
入り口の近くは光があるが、しばらく進むと暗くなってきたのでサナーが袋から光石を出してきて辺りを照らす。
血の跡は、まだ先へと続いているようだ。
俺が石を受け取って照らしながら、背後をサナーが剣を構えたままで警戒しつつ、ゆっくりと辺りを見回しながら進んでいくと遠くに明るい場所が見えた。
石をポケットに入れ、さらに進んでいくと
洞窟の中の少し開けた場所に……。
「あ、まずい」
俺はサナーと共に後ずさりを始めると、そちらから声がかかる。
「あらー……私のペットのモンチ君を傷つけたのはあなたたちー?」
甘い声だが、逆らえない威圧感がある。
俺たち二人が黙って、明るい場所へと入っていくと先ほど俺と闘っていたブラックゴブリンが、足を組んで椅子に座り、パイプ煙草をふかしている長い黒髪女のアークデーモンに頭を撫でられていた。
その女のアークデーモンは長身で頭にはトナカイのような枝分かれした二本の角を生やし、背中からは折りたたまれた数枚の漆黒の羽根が伸びている。
服装は、黒い肌の長い脚を強調した黒革のショートパンツと大きな胸を強調したへそ出しのノースリーブシャツを着ていて、その顔は、ミヤのように東の国の人たちのような平坦で整っている面持ちだ。
ちなみに両目は真っ赤に光っている……。
怖い。もう圧倒的な恐怖心で俺の心は支配されている。
さ、さすがに、俺のスキル構成でもアークデーモンには……。
サナーが何とか踏み込んで斬りかかろうとするが、震えて一歩目が出ないようだ。
女のアークデーモンは、まったく緊張などしていない様子で
「ふーん……あんたたち、ドラゴンズエーストの関係者じゃないみたいねぇ。それにしても、よくモンチ君をここまでにしたわ」
「えーん……アンジェラ様ぁぁ……あいつら酷いんですよぉ……腕をぉ……」
ブラックゴブリンはさっきまでの威厳などなかったかのように甘えた声を出す。
アンジェラと呼ばれたアークデーモンはゴブリンの頭を愛おしそうに撫でながら
「いい子いい子。腕はまたつけたらいいでしょ?モンチ君、落ち着きなさい?」
そう言うと、ニヤニヤと悍ましい悪魔の笑いと心底冷たい目で俺たちを見つめ
「……あんたら、分かってんの?モンチ君はうちに来て四十五年。小さいころから私が大事に面倒見てきたの。そろそろ血統書付きのゴブリンとして自信をつけさせてあげようかなって私が国の侵攻事業に応募して、そのゴブリンバイトたちの責任者として、モンチ君を前面に押し出したのよ?それをこんなに傷つけちゃって……」
またブラックゴブリンの頭をなでる。サナーが小声で俺に
「な、なあ、謝った方がいいのかな……」
俺は"分からん"と小さく返すしかできない。
アンジェラは、閃いた顔をして、深紅の爪の伸びた長い指でサナーをピッと指さすと
「あ、そうだ。そっちの赤毛ちゃん、あんた、私に飼われない?モンチ君にちょうど、ああいう人間が欲しいって言ってたんだけど」
「酷いんですよぉ……僕もあの子くれたら無事に逃してやるって言ったんですぅ」
「……」
サナーの血管が額に浮き出て
「おい、私はこの隣のナランのものだ。悪魔に飼われたくはない」
俺は慌てて身体を前に出して止めようとするとアンジェラは朗らかに笑いだして
「まあ、いいわ。私はペットの気持ちも考える方よ。じゃあ、あんた、男の方よ。そう、ナラン?でしょ?その女の子を人質として預かるから、うちの妹探してきてくれない?」
驚くようなことを言ってきた。




