神聖生物レベル7
広大な室内は、壁や天井に埋め込まれている光石にくまなく照らされ、高い天井から吊るされているある巨大な物体をはっきりと映していた。
それは、黒ずんだ透明な身体を持つ、体長十メートル以上はありそうな人型のスライムだった。
目鼻口はないが、頭と手足胴体は確かに人型だ。
ヘグムマレーはその下に激しく興奮した様子で駆け寄ると
「な、なんてことだ……こ、これは伝説のブラックホールスライムなのではないか」
両腕を伸ばして手を広げ、その吊られている巨体へと伸ばす。
リースが少し得意げに俺たちに
「ブラックホールスライムとは、スライムたちの始祖と言われている、いわば……スライム神みたいな存在ね」
サナーは震えだして俺の背中に隠れると
「あ、あれ……怖いよ……帰った方がいいんじゃ……」
元村長は面倒そうな顔で、右手と左手を広げ、肩をすくめて俺を見てくる。
言いたいことは分かる。あれに関わるべきではない。俺だって見た瞬間にそんなことは分かる。
だが、リブラーは間違いなくここに連れて来たかったのだ。
元村長はサナーと自分を指さし、更に開いている扉を指さす。
自分がサナーと共に外に待機すると言いたいらしい。
「た、確かに別れてれば全滅はしないな……任せてもいいのか?」
元村長は、大きく息を吐くと、仕方ないという感じで首を軽く横に振る。
サナーは震えたまま
「な、ナランも行こう……」
俺の腕を握りしめてきたが、俺は首を横に振り
「たぶん、俺は大丈夫だ。先に帰っていてくれ。ヘグムマレーさんが飽きたら、すぐ出ていくから」
いつになく自信満々な様子を演じた俺を見て、サナーはしばらく迷った末に元村長と共に出ていった。
まあ、たぶん、リブラーが導いてるから問題ないだろうと思う。俺の生命くらいは……。
「これで全滅はなくなった。あとは……」
ヘグムマレーの方を見ると、人型の巨大スライムを吊るしている金属の編み込まれた縄へと、魔法で出来た氷の弓矢で狙いをつけているところだった。
リースは呑気にその横で
「お父様頑張れえええ!」
などとはしゃいでいる。俺は覚悟する。きっとろくでもないことが起こる。
ベシャッ!という、大量のゲル状のものが石造りの床に当たった音とともに人型スライムは形を崩しながら石造りの床へと落ちてきた。
ヘグムマレーが駆け寄ろうとするより早く、その体中に大きな血走った大きな目が無数に開き
「我を起こしたのは、貴様か……」
そこら中に響いている声で問いかけてくる。
興奮し過ぎて、もはや我を忘れているヘグムマレーは何度も頷くと
「私だ!ヘグムマレー・ウィズじゃ!お前は何者か名乗っておくれ!」
無数の目は一斉にグルンッとヘグムマレーを見つめると
「ウィズ家の者か……」
と明らかに苛立った声がそこら中から響いてくる。
ヘグムマレーは全く臆せず
「貴殿は伝説のブラックホールスライムなのか!?」
次の瞬間には、立ち上がった全身大目玉だらけの人型スライムから伸ばされた大きな太い右腕にリースが捕まえられると、そのままスライムは立ち上がり、リースは数メートル上まで連れ去られていた。
「ま、待て!私の娘じゃ!」
ヘグムマレーは苛立った人型スライムの足元で必死に両腕を伸ばす方
「ヘグムマレーよ。主のサブジョブが空なのは、いつか特殊なスライムのテーマーになりたいからであろう?」
ヘグムマレーは唖然とした顔で自らを見下ろす目玉だらけの異様な人型スライムを見上げる。
「我が、貴様の使役スライムとなってやろう。その代わり」
人型のスライムは大口を開いて掴んだリースの身体をその目前まで運ぶ。
ヘグムマレーは脂汗を垂らしながら
「ま、待て!なんでじゃ!!なんでなんじゃ!」
悍ましい人型スライムは嘲笑うようにゲル状の巨体を揺らし
「この者が、特別だからだ。知らぬのか?黒の裏は白、光の裏には闇生の裏は死だ。分からぬのか?本当に?」
「くっ……くうぅぅ……」
そこで俺はたまらずにヘグムマレーに駆け寄ると
「あの!リースさんを助けないと!なに迷ってるんですか!?」
ヘグムマレーは顔中から脂汗を噴き出して、涙を流し鼻水まで垂らして
「どっ、どうすべきなんじゃあああ……娘と歴史の偉人とどっちを取ればああ……」
「へ、ヘグムマレーさん?」
なんてことだ。自分の娘と、レアスライムの使役と天秤にかけてしまっている。
どっちが大切かなんて、俺にははっきりしているがスライムマニアのヘグムマレーはそうではないらしい。
くっ、くそ……どうしたら、俺は数秒迷って、今なら使っても正気を失っているヘグムマレーには分からないと思い立ち
「リブラー」
と聞こえないくらいの声で唱えた。同時に頭の中で声が
神聖生物レベル7を感知しました。
最短で討伐するため、ナランさんのスキル構成を入れ替えます。
ナランさんは、そのまま十メートル以上離れずにリースさんが神聖生物に飲み込まれるようヘグムマレーさんに仕向けてください。
三名が安全な状態で切り抜けられますのでご安心ください。
俺は舌打ちする。くそっ……なんてむちゃくちゃな予測をしてくるんだ。
でも、ここまで来たらリブラーを信じるしかない。俺はヘグムマレーの横に移動して
「……ヘグムマレーさん、もういいです。あなたの夢なんでしょう?娘さんくらい、どうでもいいですよねえ?」
とボソボソと呟いた。ヘグムマレー急にニヤニヤして
「そうか……いいんじゃな……私の人生が大事……そう人間など、どうせ生まれた時から暇つぶし、ただの、孤独じゃよ……くくくく…あはははは!」
狂ったように笑い出すと、全身から脂汗を垂らして
「リースはくれてやる!!」
と口から泡を吹き出して言い放った。
幸いリースは恐怖で気絶していて聞こえていないようだ。
人型スライムの全身から開いている大目玉が嬉しそうに細められると同時にリースの身体は、人型スライムの頭の八割ほど開いた巨大な口へと吸い込まれた。
狂ったように呟きながら笑い続けるヘグムマレーの隣で俺は、まるで喜んでいるかのように震える人型スライムの目が無数に見開かれた黒く透き通った全身を見上げていた。
正直、もう無理だ。
リブラーは今まで一度も間違えたことはない。しかし目の前では知り合い……というか、仲間が喰われてしまっている。
しばらくすると、人型スライムはピタッと震えを止め、そこら中に激怒した声で
「話が違う!!我が取り込めぬほどのこの負のスキルは……」
グルンッと一斉に怒りに満ちた充血した目が俺の方を向き、そしてその巨大で不気味で大きな全身で覆いかぶさるように俺に向け迫ってきた。あ……死んだ……ダメだ……何か抵抗できる気がしない。
そう思った瞬間だった。
「くっ……ぐおおおおおおおお!!口惜しやあああああああああ!!」
俺の目の前で、バァンと一気に人型スライムのゲル状の身体ははじけ飛んだ。
同時に、すっかり衣服の解けたリースの裸体が降ってきて慌てて受けとめると、グキッと派手な音をして俺の右足首が折れた。
それでもどうにか、リースを落とさぬようにしゃがみ込むと頭の中でリブラーの声が
神聖生物の抹消を確認しました。ナランさんのスキル構成を"混沌を唆す悪魔" "フィールド効果闇" "神に背く堕天使" から "混沌を包み込む聖母" "オートヒール" "心の傷を癒す口" へと入れ替えます。
頭の中で響いたかと思うと、今まで隣で狂っていたヘグムマレーがスッと正気に戻った顔になり
「わ、私は、なんてことを……」
といいながら、座り込んだ俺が抱えているリースへと駆け寄り、そしてその体を抱きしめた。
俺は大きく息を吐いて、ヘグムマレーに
「あの、俺しか聞いていません。だから心配しないでください。さっきのは無かったことにしましょう」
と何となくフォローする。今まで無痛だった折れた右足首が次第に痛くなってきた。
リースの身体はヘグムマレーに預け、顔を歪めて足首を触っているとヘグムマレーがこちらへと右腕を伸ばして
「アイスフォースシールド」
呪文を唱え、右足首を氷で固めてきた。
「これで、帰るまでは持つはずじゃ。すまなかった……欲望に操られ、まるで、自分ではなかったかのようじゃ」
俺は黙って頷いた。
なんかリブラーが最後に悍ましいスキル名を連呼していた。
きっと、ヘグムマレーをおかしくするようなスキルを……あっ、そうか……。
なんで、あの悍ましいスライムが自滅したのか分かってしまった……。
恐らくだが、リースが元々持っているマイナススキルをさらに増幅するような悪意に満ちたスキルをリブラーが俺につけまくったんじゃないのか?
そうだったなら、全ての辻褄が合う。
しかし、当然のことながら、そのことについては黙っておくことにする。
というか……今更だがリブラーって何なんだよ……。
色んなことを調べられて、アドバイスを聞ける便利魔法じゃないのか……。
勝手に転職させたり、スキルを付け替えたり
結構、おかしな性能じゃないかこれ?




