庭
ミャーマと延々と追いかけっこしていると、夜空を飛行船が少しずつ降下していき始めた。突如遠くから
「未登録の飛行船!これから調査に入る!その位置で停止しなさい!」
高齢女性の大声声がして船内が緊張する。ヘグムマレーが軽く息を吐いて
「空の門番、ドランクウォール兵長じゃ。面倒な彼女が当番じゃったか。来たら開けてくれ」
グスタフが頷いた直後、飛行船の操縦室の周囲は箒の様なものや、浮いている小舟に乗った兵士たちに囲まれる。操縦室の扉が開くとイライラした様子の銀の鎧を着た大柄で白髪の老婆が乗り込んできて、何か言おうとした瞬間に手を上げたヘグムマレーを見つけ、口を抑えて黙った。
ヘグムマレーは穏やかな様子で
「書類が間に合わんかったようじゃ。我が管轄地では5日前に登録は済ませておるよ」
老婆は船内を見回すと不機嫌な様子で
「公よ。それに定員オーバーです。引き返して頂きたい」
ヘグムマレーは微笑みながら、リースと俺の横に来て
「娘がのう。良いパートナーを見つけて結婚の許可を貰いに来たのじゃ」
そう言いながら、俺の背中を何度も叩く。リースが耳元に小声で
「リブラーよ」
囁くと、俺の前に出て
「飛行騎兵長、お久しぶりです。すっかり元気になりました。お元気そうで嬉しいです」
上品に挨拶をしながら、ヘグムマレーと老婆を俺から遠ざけ話しだした。これは使わないといけないなと気持ちを定め
「リブラー」
と呟くと、いつもの声が
この状況を乗り切るのは簡単です。ドランクウォール飛行騎兵長は、三男の息子さんの病気で長年不機嫌になっています。原因は偏食による非ヘム鉄とビタミンB12の不足なので、豆類とレバー、シジミ等を毎日取るように勧めましょう。
俺がヘグムマレーの後ろに行き
「あの……」
「失礼、話があるようでな」
対応をリースに任せ、俺と距離を取る。リブラーの言っている意味が分からないので、アンジェラとミヤも呼び寄せ、3人にリブラーから言われたことをそのまま伝えると、アンジェラが微笑みながら
「要するに医療科学的な視点から見れば容易く解決できる病気ってことね」
ヘグムマレーが難しい顔で
「しかし、そのまま言うと疑り深い彼女から難癖をつけられかねん。残念ながらこの世界はまだまだ非科学的なんじゃ」
ミヤが笑いながら
「ここは元村長さんの出番だね」
隠れようとしている元村長のローブを引っ張って連れて来た。
ヘグムマレーが老婆に
「……三男の息子の病気で悩んでいるのでは無いかね?」
「な、なぜそれを……」
驚く老婆の前に、ミヤから背中を押され冷や汗を垂らした元村長が連れて来られると、無理した笑顔で水晶玉を見せる。そこには、ぼんやりとベッドで寝ている何者かが映っていた。ヘグムマレーは得意げに
「この占い師の先生は凄腕じゃ。そしてこうも言うておるぞ?レバーや豆、シジミを毎日食べればお孫さんは治るとな」
老婆は一瞬、唖然とした後に涙を零し
「公よ……感謝します。定員オーバーと、書類の遅れは見逃します。屋敷への護衛も致しましょう」
「いや護衛は良いわ。忙しいじゃろう?」
老婆は深くヘグムマレーと元村長に頭を下げると扉を開いて、兵士が横付けしている浮かぶ小舟に乗り移り出て行った。囲んでいた他の兵士達も一斉に夜空へと去って行く。
ヘグムマレーは大きく息を吐くと
「グスタフさん、直接降下ルートで頼む」
「承りました!」
メイド達やルカ兄は元村長の周囲に集まり
「先生!素晴らしいです」
「先生ーあたしも見てくださいー」
「先生素敵ー」
などと褒めそやし出したが、ミャーマだけが俺の側に来て
「ナラン様すごーい……」
何故かうっとりし始めた。リースが慌てて間に入り
「あなたも元村長さんを褒めなさい!」
「えー……ナラン様のお知恵ですよねえ?」
アンジェラが面白そうに長身からミャーマを見下ろし
「あなた、嘘が通じないのね?」
「……どうですかねえ……お優しい大悪魔さん」
ミヤが興味深そうに近づいて
「私は?私は分かる?」
「うーん……小悪魔で人間でえ……それからあ」
悩み出した。ミャーマはヒト姉妹に任せ、俺はリースと座席に戻り、ようやく落ち着けた。
飛行船は夜中も明るい王都へと降下をしていき、思わず立ち上がり、窓から外を見ると灯火で煌びやかに光る宮殿や6階建ての屋敷などが立ち並ぶ王都内の広大な公園の様な平地へと飛行船は着地した。外では慌てた声で
「急げええええ!碇が飛行船から伸びてきたぞ!そこの鎖だ!早く繋げ!4本!」
「はい!ちょっと手伝ってくれ!」
「お屋敷の準備だ!メイド達を起こすのだ!厨房係も!」
「整備員、来ました!」
「恐らくリース様も居られるぞ!強靭スキル持ちの衛兵を呼べ!医療班もだ!使用人は姫から距離を取れ!」
数十人の執事やメイド、整備員や重装備の兵士達が大慌てで行き交っているのも窓から見える。ヘグムマレーはその様子を申し訳なさそうに眺め
「滅多に帰らんからのう。しかも予告無しじゃ。苦労をかけるのう」
リースは緊張した様子で
「……散々、怪我させたから……皆怯えてる」
俺が手を握り
「もう大丈夫。俺が居るから」
「うん……」
アンジェラは夜間だがサングラスをかけ唾の広いハットをかぶりながらまだ悩んでいるミャーマに何か囁き、頷かれていた。ミヤも黒のコートを羽織る。ルカ兄とメイド達も緊張した様子になったが、元村長は眠そうに欠伸を連発し始めた。
グスタフが冷静な顔でヘグムマレーの方を向き
「碇が全て連結されました。タラップを伸ばし扉を開けますか?」
「ああ、頼む。グスタフさんのことも言っておく」
「頼みます。会社との契約でこの船から離れられないもんで」
グスタフが前方の機器を軽く操作すると、扉が自動で開いていきタラップが照明で照らされた草地に伸びていた。先ずヘグムマレーが外へ出ると威厳のある良く響く声で
「出迎えご苦労!今日は娘のリースと共に!我が領地からたくさんの客人を連れて来た!」
使用人や衛兵達の顔が引きつっているのが分かる。ヘグムマレーは落ち着いた様子で
「娘は幸運な事に!混沌を包み込む聖母持ちの素晴らしき貴族の男性と出会い、健康に付き合っておる!紹介しよう!ナラン・リルガルムじゃ!」
リースに手を引かれて俺がヘグムマレーの横に立つと、外にいる人たち全員からどよめきが起こり、それはすぐに大きな拍手に変わった。
一気にお祭り騒ぎになった使用人や衛兵達が、タラップから次々降りていく搭乗者達を笑顔で迎え、とてつもなく広い公園内を案内していく。俺は執事達と話し込み出したヘグムマレーを、リースと少し離れて待ちながら……ここ多分公園じゃないよな。とチラチラ辺りを見ていると、最後に降りてきたミヤ、アンジェラ、そしてミャーマが近づいて来て
「リース様あ……ここお、敷地ですかあ?」
リースは真面目な顔で
「我が家の庭なの」
マジか……飛行船が余裕で停まれる庭……。
ミヤが遠くの屋敷群や宮殿を指さして
「あれが王都?」
リースは恥ずかしそうに
「うちの本宅と使用人達の家よ。敷地内に1200人暮らしているの。外の子たちが通う学校もあるし、商店街もあるわ」
ミヤは目を丸くして
「ええ……何でお庭の中で商売を?」
「お父様がスペースがもったいないと言って、低い家賃で貸しているの。学校はお父様が貧しい子の為に無償で建てたものよ」
今更だが、とんでもない権力者の娘なんだなと実感していると、ヘグムマレーが禿げた頭をかきながら
「いやいや、王都は問題が山積みのようじゃわ。アンジェラさん、夜中に悪いがちょっと私の私的顧問として付き合ってくれんかね。甥っ子を叱りに王宮に向かわねば」
「助言するくらいなら……」
「ありがたい。ミヤさん、すまんなあ。執事たちには、ナラン君とリースとミヤさんは離さない様にと言っておいたからのう」
そう言うとヘグムマレーは、宮殿の方向から駆けて来た馬車にアンジェラと乗り、反対方向へと去って行った。俺たちも別の馬車に乗り、宮殿方向へと向かう。ミャーマも当然の如く乗り込んで来て
「ここが私があ、暮らすとこかあ……」
リースは呆れた表情で
「普通のお屋敷はもっと狭いのよ?」
「ここが良いなあ」
などと話しているのを聴きつつ、俺はいくらなんでも庭が広すぎて現実感がなくなりつつある。うちの領地くらいないか、この庭……。




