第25話:月下の祈り(別視点)
静かな夜だった。
帝宮の高台から街を見下ろせば、灯りのひとつひとつが人々の営みを物語っている。
かつては、あの灯りすらも眩しかった。自分とはもう縁遠いものなのかもしれない、と思った夜もあった。
呪いを背負ってからというもの、俺はただひたすらに呪いを気付かれまいと、民の声からも遠ざかっていた。そうしなければならなかったし、そうあるべきだと思っていた。
あきらめかけていたのかもしれない。なにもかも。
――だが今は違う。
あの日、キーラが俺の元に来てくれたあの日から、すべてが変わった。
俺は――生きている。
「冷酷帝」と呼ばれ、理解されえぬ痛みを抱えていた男が、今では「慈愛の皇帝」などと持て囃されているんだとか。
笑ってしまう。だがそれは、俺が変わったのではなく――俺を理解してくれた彼女がいたからだ。
キーラ。
白銀の長い髪を風に揺らし、瞳に青い光をたたえた小さな皇后。
政略の名を借りて彼女を呼び寄せたのは、俺の最初で最後の利己だった。
ただ、呪いを解いてほしい。その一心だった――彼女の人生をゆがめていると思いながらも。
だが、まさかその相手が、ここまで心を揺さぶる存在になるとは思わなかった。
「陛下? まーた、考え事ですか?」
振り向くと、月明かりの中に彼女が立っていた。
寝間着のまま、長い髪をほどいている。ふわりと微笑みながら、俺の隣に寄ってくるその姿は月の女神のようだ。
だが以前、直接そのまま「月の女神様に美しいな」と伝えたところ、キーラは真っ赤になってしまい会話が止まってしまったので、今は言わないでおこうと思った。だが真っ赤になってしまったキーラは、常のしっかりとしている面とは違い、また愛らしい一面をのぞかせるのでたまには言おうと思う。
「夜風が気持ちいいですね」
「……そうだな」
彼女に対して、思ったことを素直に言えば恥ずかしがられてなぜか怒られ、ちょうどいい男女の気の利いた言葉のひとつも出てこない。それでもキーラは、それでいいのだと言ってくれる。
「また庭に行ってみますか? ふふ、今回は納屋に押し込まれるのは勘弁ですけど」
彼女はそう言って、そっと俺の手を取った。
愛らしいその笑顔を、本当に愛おしいと思った。
姿かたちが麗しい。それもあるが――キーラが笑うと、俺の心がただ温かくなるのだ。
兄たちを殺めたときの槍の冷たさを、俺は忘れない。
正しかったと信じていたが、それでも国と信念と妹のために血を選んだ罪は消えない。
けれど、彼女はそこから俺を救ってくれた。あの柔らかい魔力で、あの温かい声で、命をくれた。
「ありがとう、キーラ」
「? どういたしまして。でも陛下、お礼、言い過ぎですよ?」
「いや、まだ足りないと思ってな」
俺は彼女を、そっと腕の中に抱き寄せる。
あの夜も、こうして抱きしめた。
今ではもっと自然にできるようになったのが、自分でも不思議だ。
「皇后としても……俺の妻としても。お前に出会えて、本当によかった」
「ふふ。やっと“妻”って言ってくれましたね」
照れ隠しのように笑うその声を聞いて、胸の奥が再び熱くなる。
「……キーラ。この国を、ずっと一緒に守ってくれるか?」
「もちろんですよ、陛下。だってわたし、皇后で――あなたの、妻ですから」
満月の光が、彼女の髪を照らす。
まるで本当に月の使者がここに降り立ったかのようだ。
美しく、俺を導いてくれた紛れもない女神。
運命があるのなら、俺はその運命に深く感謝したい。
そして、彼女の笑顔を、二度と曇らせぬよう――
この手で、永遠に守っていくと誓う。




