第21話:匣の中
しんと静まり返った、漆黒の世界。
何も見えない、何も聞こえない――でも、確かにここにいる。
わたしは、小さな空間の中にぽつんと立ち尽くしていた。
……いや、空間と呼べるほどの広さもない……かな?
狭くて、圧迫されるようで、息を吸うたびに胸が苦しくなる。
「ここは……さっきの匣の、なか……?」
呟いた声も、吸い込まれるように消えていく。
白魔術師として、それに今までに解呪は沢山してきた。道具の呪いには触れ慣れているはずなのに、この空気は違った。
ただの呪いじゃない、もっと……深くて、冷たくて、ひとの悪意に似てる。
「……っ」
突如、背後からぞわりと気配がした。振り返る――誰もいない。だけど、わたしの心の中に、誰かの声が直接響いてきた。
『なぜ、あいつばかりが……』
『なぜ俺たちは、帝位を継げなかった……』
『我らこそ正統だった。あいつは……ただの末弟』
低く、唸るような男の声が二重に、三重に重なって響いてくる。
それは、エンジュ陛下の兄たち――この部屋の元の主たち、彼らの残滓。
呪術具に染みついていた念が、わたしの心を包み込んでくる。
「……嫉妬、ですか……」
吐き出すように言葉を漏らせば、ざわざわと思念が絡みついてい来るような気配に心が冷える。
まるで口から暗くて苦くて臭い泥を押し込まれているような感覚だった。
『我らは、皇帝の器だった。だというのに、あいつは……』
『民のことなど知るか。国など、どうでもいい……俺たちが、欲しかったのは、玉座だ――っ』
『我ら二人が――皇帝だ!!』
鋭く尖った怒気が、脳に直接ぶつかってくる。
ぐわんぐわんする、ひどい悪意。
エンジュ陛下が、こんなものをひとりで背負っていたなんて。
『あいつが殺した』
『俺達を、エンジュが殺した』
『あいつを殺そうとしたら殺された』
『俺達は、殺された、みじめに、無残に、殺された』
「……エンジュ陛下は……そんなあなたたちを、殺したくて殺したんじゃない……! 横暴なあなたたちから、国とシュリちゃんを守ったのよ!!」
言葉にした瞬間、ずきんと頭に響いた。
拒絶するように、匣の中の念が暴れ出す。視界がぶわっと白く染まり、頭の中がかき乱される。
『黙れ、黙れ黙れ……。王国の一介の魔術師が、貴様に何がわかる……っ!』
『エンジュの妻、か。――いや、ただの呪い解きの道具のくせに』
(呪い解きの道具、か……。確かに、最初はそう思ってた、けど……っ、!)
怒声と共に、重苦しい鎖が足元に現れ、わたしの足を絡めとっていく。
「……きゃっ、う、あぁ……っ?!」
体が動かない。息が、続かない。
胸がぎゅうっと締めつけられて、息ができない。苦しい――
『あいつが玉座を奪わなければ、我らが……! 我らこそが、皇帝にふさわしかった……!』
『お前もこの呪いに浸らせてやる――』
怒りと憎しみ、そして――
その奥に、ひとつだけ、ぽつんと残っていた感情。
さみしさ。
……そうか。
ふたりは、きっとずっと並んで歩いてきた。双子として、兄弟として。
ずっとふたりでこの国を治めようって。
きっと――そう、約束していて。
でもそこに、末弟が生まれた。
――純粋で、誰もが認める才に溢れ、民に慕われて、妹を大事にする優しい弟。
比べられて、焦って、追い詰められて。
最後は、次期皇帝の座を奪われて。。
きっと、そのせいで歪んでしまった。
「……それでもこんな形で……残らないでください……っ!!」
わたしは涙をこぼしながら、そう言った。
苦しくて、体がきしむほど痛くて、それでもわたしは……陛下を、放っておきたくなかった。
絶対に、この呪いを解いてやる。
わたしの力の全部を使ってでも――!
「陛下を……エンジュ陛下を、苦しめないで……!!」
お兄さんふたりの高笑いと、匣の中の呪詛の息苦しさが増す。
力が、出ない、でも、やらなきゃ。
(こんなとこで、こんな状態で死ぬのは――いやすぎるでしょ……でも、)
その時突然、匣の外から――ほんのかすかに、声が聞こえた。
「……キーラ……!」
エンジュ陛下の、声だ。
頭の奥に、その声がまっすぐに飛び込んできた。
その瞬間、闇に満ちた空間にひとすじの光が差し込む。
『やめろ…………!』
『なんだアイツは』
「陛下!! この匣、壊しちゃって下さああああいい!!」
おもいっきり叫んだ。
そしてわたしも。
力が出ないなんて、言ってられない……!
内側からも魔力を迸らせる。
眩しい光が、空間を包んだ。
鎖が弾け飛び、闇が裂け、匣の世界が音を立てて――壊れた。




