第16話:心から(別視点)
あの日。
初めてキーラと大広間で対面したときの光景を、俺は今でも鮮明に思い出す。
月の光のように白く、美しい輝きを持つ銀髪。それを頭の後ろで一つの三つ編みにまとめ、背筋を伸ばしてこちらを見上げてきた少女。
一目見た時から、心奪われた。
こんなに美しい人間がこの世にいるのかと、素直にそう思ったのだ。
月光の髪、瞳は空のいっとう高い場所を写したような青。
夜の深さも、朝の澄んだ静けさも宿しているその美しい瞳。
自分の中の何かを奪われたような、そんな感覚。
スオウに思ったままを伝えれば、「それを一目ぼれというのですよ、陛下」と薄く微笑まれた。
けれど、出会ったその瞬間、同時に思ったのだ。
俺は、この娘を「解呪師」として望んだのだ。そのために、彼女に望まぬ婚姻を強いたのだと。
俺の中には、呪いがある。
重い呪いだ。
触れれば、話せば、近づけば、それだけで汚染されていくかもしれない、得体のしれない呪い。
だからこそ、最初は必要最低限の言葉だけを選んだ。
「夜、部屋に来い」
冷たく、機械的に。
彼女が怯えていたのは知っていた、でもそれでいいと思った。
俺の存在など、恐れられていればいい。
それで距離を取りながら、治癒だけをしてくれればいい。
そうすればこの美しい少女を、早く国へ帰してやれる。
だが、俺を「陛下」と呼ぶその声は、妙にやわらかく、どこかあたたかかった。
そして「無理だ」という言葉を俺が早合点し、「もう帰れ」と言い放ったあの時。
見せた強さも、言い募ってきた言葉も、俺を魅了した。
姿をほとんど見せず、姿を見せた時には尊大な物言いしかしない、兄を殺めた俺が「冷酷帝」と恐れられているのは知っている。
だが彼女は、そんな俺を恐れずにまっすぐに見て言ってくれた。
「絶対に、治してみせます」と。
その言葉が、俺の心の奥底で何かを砕いた。
初めてだったのだ。
俺の中にあるこの呪いを、否定せず、拒まず、それでも向き合おうとしてくれた人間は。
毎晩、時間を重ねるうちに、彼女の声や仕草、細かな表情が、俺の心に根を張っていった。
俺の部屋で、手をかざし魔力を送って施術してくれているとき。
終わったあとに、少し息を切らして苦しそうに、それでも満足げに「どうですか?」とこちらを気遣うその眼差し。
彼女は、国に帰りたいのだ。
俺の治癒をしなければ、帰れないから。
だから、こんなに一生懸命に治癒してくれる――そうだとも、わかっている。
わかって、いるのだ。
でも時折、勘違いしてしまいそうになる。
キーラは、俺を想ってくれていて――そのために治癒をしてくれているのだと。
そんな都合のいい勘違いを。
■
そんなある日。
キーラは俺を、裏庭に連れ出してくれた。
手を取ったのは、衝動だった。
いや、本当はずっとそうしたかったのかもしれない。
伝えなければならないことが、胸の奥に澱のように積もっていて、彼女の目を見た瞬間、それが溢れた。
――ありがとう、と。
政略結婚で、望まずしてここへ来たはずの彼女が、俺の呪いに向き合ってくれている。逃げず、投げ出さず、癒すために自分を削ってくれている。
こんなにも感謝しているのに、感謝を伝える言葉すら、やっとの思いだった。
けれど、この先の俺の想いは。
伝えてしまったら、もう止められなくなる。
国へ、返してなどやれなくなってしまう。
俺は、キーラを好いている。
だから彼女が、幸せであってほしい。
王国に帰りたいなら、帰らせてやりたい。
笑って暮らせるなら、俺のいない国であってもいいのだ。
でもその表面の優しい気持ちと、自分の心の奥深くに潜む欲との乖離に、胸を掻きむしりたくなる。
王国になど帰るな。他の者になど触れさせない。お前はこの国の皇后で俺の妻だ。
そう、言ってしまえたら、どんなにいいだろう。
惚れている。
出会った時から、ずっと。
だからこそ、彼女の道を縛ってはいけない。この想いは、この胸の中だけで燃やし続けることしかできないのだ。
いつか、呪いを解いてくれた彼女に、最上級の感謝を告げて離縁しよう。
それがきっと、俺に出来る彼女へのたったひとつの愛の形だ。




