第14話:月下の花畑
夜風がそよいで、わたしの髪を揺らす。
花が舞う。華やかだけれど穏やかな、優しく甘いにおいに満ちていた。
そこは、帝国の小さな裏庭。
小さいと言っても十分な広さがあるんだけどね!
月光に照らされた薄青い花々が、夜空に浮かぶ満ちかけの月とまるで呼応するように咲いていた。
王国でも見かけたことがある。
月光花と呼ばれる、美しくて珍しい花だった。
「……綺麗ですね」
「ああ」
思わず声が漏れる。
青というより、銀と蒼の中間みたいな、なんともいえない幻想的な色。
そのとき、エンジュ陛下がぽつりと言った。
「……キーラの、目の色だな」
「え?」
「この花の色だ。……キーラの瞳に似て、とても綺麗だ」
心臓が、跳ねた。
ええ~~……ちょっと。
ちょっと待って。なにその、急な言葉。
ふいうちがすぎて、心が追いつかない!
「そ、そんなこと、ないですよ……」
「いや、キーラの色だ、間違いない。毎晩見ている、俺が言うのだからそんなことはあるのだ」
あのさあ。
今度は顔から火が出そうだった。
こんな夜中に、皇帝陛下からそんなこと言われるとか聞いてません。心臓に悪いです、ほんとに。
でも、エンジュ陛下はそのまま、少しだけ笑った。
ちゃんと、目元がゆるんで口の端が上がって――。
「綺麗だな、キーラ。連れてきてくれて感謝する」
陛下の笑顔を、わたしは初めて見たかもしれない。
「陛下……?」
「そうだ。お前には本当に、感謝しているんだ」
そういって、陛下はそっと私の手を取った。
「え、えぇ、と」
思わず、変な声が漏れてしまった。
施術中、散々肌に触れているのに。不可抗力だったけれど、もっとぴったりとしたことだってあるのに。
手と手を握り合っているだけで、身体が熱い。
本当に、ちょっと待って……これは無理……!
月光花の花びらが、夜風にそよそよと揺れる。
エンジュ陛下の声も、その風の中に溶けるようにやわらかくて、優しかった。
あたふたと顔をそむけるけど、手は離せない。大きくて、温かくて、指がしっかりとわたしの手を包んでくるけれど、その手が震えていて――わたしは目を伏せた。
陛下って不思議な人だ。
顔も仕草もわかりにくくて、見た目はちょっと怖くて。
それでも言葉はまっすぐで――とても優しい人。
安心させるように、わたしは顔を上げて陛下を見つめると、そっと手を握り直した。
裏庭の花壇の前で見つめあう。
月光が、エンジュ陛下の空色の瞳を綺麗に照らしていた。
「……キーラ。お前が皇后としてここに来てくれたこと、本当に、感謝している」
真剣なその声音に、思わず息をのんだ。
そんな、と言いかけたわたしの言葉は静かに首を振って止められる。
「初めて会った時から、俺はキーラにずいぶんと冷たくあたった。あれは……不本意だった、でも酷かったろう。お前には、ずっと謝りたかったんだ」
「陛下……」
「随分な言い方や態度だったと思う。お前を損ねるような、雑な言い方もした。でも、それでも――お前は逃げなかった。何度も痛みに触れて、何度も俺を癒してくれた……。ありがとう、キーラ」
まっすぐな瞳と、まっすぐな言葉。
ごまかしも飾りもなくて、不器用だけど誠実で胸に刺さる。
ううん、刺さるんじゃなくて、染みるみたいだった。
心の奥に、じわあって。ゆっくりと、エンジュの優しさと言葉がわたしの中に広がっていく。
「……陛下の方こそ」
「?」
「がんばって、らっしゃいますよね。わたし、ちゃんとわかってますよ」
手を握り返すと、その指先が震えた。
「わたし、確かにエンジュ陛下のこと、最初は怖かったです。それにわけがわからなくて……だって……、いきなり名乗りもせずに、名前も呼んでくれなくて、寝所に来いって」
「それは、悪かったと」
「もう、今では全部わかってますから大丈夫ですよ。エンジュ陛下は、我慢強くて、優しい皇帝陛下です」
わたしの声が震えていたのは、花のせいでも、風のせいでもない。
目の前のエンジュ陛下がずっと閉じていた心の扉を、ほんの少しでも開けてくれたことがたまらなく嬉しかったから。
陛下の指が、少し強く、わたしの手を握った。
まるで――何かを決意するように。
「キーラ」
「? 陛下?」
「俺は――」
その瞬間だった。
「!」
「!!!」
わたしたちは同時にびくりと目を見開く。
遠くで――カツン、カツン、と規則的な足音が響いた。
(見回りです、陛下!)
わたしが小声でそう叫んだとき、陛下はすでにわたしの手を引いて走り出していた。
足音をかき消すように、小走りで、わたしたちは石畳を駆け抜ける。
「納屋だ。飛び込むぞ」
「ええっ!?」
そう短く言って、陛下は裏庭の片隅にある小さな古納屋の扉を勢いよく開ける。ぎゅっと中へ引き寄せられて、わたしたちは一緒にその中に飛び込んだ。
「……せ、狭……っ!」
思わず声が裏返った。
狭い、なんてもんじゃない。ギュウギュウだ。理由は完全にわかっているけれど。
「……20年前は、もっとすんなり入れたのだが」
「どう考えても体躯が違うでしょう、陛下!」
ものすごく、距離が近かった。
というか、わたし、完全にエンジュ陛下の腕の中で、抱きしめられてる状態なんですけど!?
(続)




