踏み入った川の深さを知る
トンデモない空腹に襲われログアウト。
蓋のない棺桶は仕事を果たしたようで部屋が荒れているなどという事はなかった。
「思った以上にアツいなドラグラ」
大会を思わせる熱、お祭りを思わせる熱。
どちらも日常では味わえない特別なアツさ。
それらを1日のうちに両方知ってしまったのだ、ハマるなという方が無茶な話だ。
「な、に、か食べるもの〜」
家族が夏休みが始まると同時に海外旅行に行ってしまい、すっからかんな冷蔵庫を漁る。
自炊は出来なくはないが俺が作れるのは所謂ズボラ飯。
ゲーマー御用達の最小限の労力で食べられるご飯だけだ。
それに自炊は食材がすごい速さで溶けていく。買い込んだ3日後に冷蔵庫がガラ空きになった時は超がつくほどビビった。
「さっきのベーコンマグマパイに比べると質素だな〜」
結局てっとり早く食べられる事を重視した俺は、目の前に鎮座するカップヌードルを見て独りごちる。
VR内での食事は、どれだけ味覚が再現されようが結局のところ腹は満たされない。
武士はこうして寂しくインスタントな食事で腹を満たすしかないのだ。
余談だがVRが普及してからというもの、ゲーマーは肥満になる人と健康になる人で二極化したらしい。
食生活が悪化する武士もいればその逆もいる。
インスタントばかり食べている俺の将来はかなり不安だが、夢もロマンも腹もデカい方がいいという話もある。
あ、3分経った。
「いただきま〜す!」
いくらVRの飯がうまくてもそれで現実の飯が不味くなるわけではない。
カップヌードルを生み出した偉大なる先人に手を合わせ、麺を啜る。
ダシの効いたスープが絡む麺は空腹というスパイスによって神へと昇華する。
「ごちそうさまでした」
気付けば食べ終わっていた。
どうでもいいことだが俺はスープまで飲む派だ。
「そうだ、連絡入れとかないとな……」
俺はメッセージアプリを開き1日ぶりのメッセージを送る。
……悪いアマカツ、この前言ってた新作格ゲーの試遊会一緒に行けなくなったかもしれん
──まじで?そりゃまたなんで?
……思ったよりハマっちゃってさ
──MMO?なんてやつ?
……ドラグーン・ラディエンスってやつ
──ほえー、そんなに面白いのか?
……ちょっと感動するぐらい
──お前がそういうって相当じゃね?俺もやってみるかー
……いいじゃん、無料期間あるし
──まじ!?無料なの?神ゲーじゃん
アマカツ……もとい冬に耐えられなかった格ゲー友達を沼に引き摺り込む。
ドラグラはいいぞ。
冗談はさておき新作格ゲーの試遊会。俺が家族との海外旅行を蹴った理由であり、越冬闘士を続けた理由。
何を隠そうその新作はVR。
ついにインディーゲームではなくちゃんとしたゲーム会社から出ようとしているのだ。
尤も試遊会という名前から察せられる通り、完成品ではない。
つまり中身が3DアクションゲームなのかちゃんとVRの格ゲーになっているかはわからない。
そんなパンドラの箱を開けるために海外旅行を蹴ったのだ。
しかし思いの外ドラグラが面白く、既にパンドラの箱を開ける事よりも箱の中身がわかればそれで良いという気持ちが大きくなっていた。
「あー、ドラグラしよ」
一瞬悩んだがアマカツに追いつかれる方が癪なのでドラグラをしようと思う。
俺は悪くない、悪いのはきっとドラグラでありアマカツだ。そうに違いない。
「どうすっかなぁ……」
目下俺の頭を悩ませているのはゲーマーなら誰しも考えるアレ、プレイスタイルだ。
俺はやられるより前にやるのが好きなタイプだが、いま悩んでいるプレイスタイルというのは戦闘時の癖のような細かいところではなく、もっと大雑把なところ。
別に本来なら急いで決めるようなものではないのだが、全力で楽しむと決めた俺には今すぐにでも決めたいものだった。
というのもドラグラ……というかオンラインで誰かとゲームを楽しむ上で重要な事があるからだ。
それは自分が何者であるかを示す事。謂わば名刺が大事だ。
星の数ほどいるプレイヤーの中で自分を覚えてもらうのは困難だ、すぐに有象無象となってしまう。
ましてや名前なんて以ての外だ、人は他人にそんなに興味を持ってくれない。
実際、薔薇豚討伐戦線で一緒になったほとんどのプレイヤーを俺は覚えていない。
ならば有象無象ではなく1人のプレイヤーとして接してもらうにはどうすればいいか?答えは単純で自分の属性を覚えてもらう事だ。
天然だとかゲーマーだとかメガネだとか、カテゴライズ出来るものを名刺に書く必要がある。
もちろん自分で決めなくとも大弓さんのように出会った時の印象から勝手に名刺が作られることもある。
しかし今のままじゃ俺の名刺はよくて初期装備の人。
とは言っても初期装備の限界が来ることなど目に見えている。新しい装備が手に入ればもちろん身につける、そうすれば俺のアイデンティティは消滅。どちら様ですか?となること間違いなしだ。
越冬ではアレックス使いやらエンジョイ勢やら色々書かれているため我ながらある程度名が知れていたと思う。
ドラグラでもそういうものが欲しい。ギルドを作るとなれば尚の事だ。
何も大弓さんやイチノセのようにわかりやすくなくたっていい。
例えば、俺たちプレイヤーは喪者と呼ばれている、だから本当に記憶喪失っぽく振る舞おうとかそういうロールプレイの類でもいい。
兎に角、ドラグラでの身の振り方を決めてしまいたいわけだ。
「難しすぎるだろ……」
悲しいかな、VRで鍛えた想像力もいま活かされる事はなかった。
長々と語ったところで肩書きが生えてくるわけではない。生えてきたとしてそれは思想家などそういった類のものだ。
今日のところは諦め、明日の俺に丸投げする事にした。
「そういえば気になる事があったんだよなぁ」
悩みとは別に気になっている事があった。
バウンピッグ狩りの途中から今に至るまで頭の片隅で行ったり来たりしている疑問。
何故かレベルが上がっている気がしない。ずっと1レベで戦っているような、そんな感覚があった。
それに敵もやけに硬い。薔薇豚が硬すぎるだけの可能性もあるが、夕方から夜になるほど時間がかかるっていうのも俺が今までやってきたゲームではありえなかった。
何か俺が知らない事がある。
どうせなら完全初見プレイ……とも思ったがどうせアルボに聞くのだ、多少情報収集してもバチは当たらないはず。
その後、電子の海を泳ぐ手が止まらなくなったのは言うまでもない。