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Monseigneur Cochinchine V.A.  作者: 六福亭
6/16

6 独りぼっちの少年

 三人は馬車を降りた。皆で逃げ出した時には、まだこんな有様ではなかった。教会は、いつもと全く変わらない姿で胸を張っていたし、必ずすぐ戻れるからと、荷物になる聖書の副本はほとんど残していったのだった。

 苦い敗北感がピエールの胸にこみ上げる。自分たちは、迫害に負けて我が家を、教会を捨てたのだ。虚ろなクレティアンテの抜け殻が、尻をまくって逃げ出した司祭たちを責めているように感じた。

「なかなか厳しいな、こりゃ」

 部外者の天賜も唸る。

 誰の仕業かは、分かっていた。阮氏__大越の南半分を支配する一族の差し金だ。十六世紀に黎朝の摂政、鄭氏に離反して広南に拠点を移し、以来コーチシナ地域の住民を鄭氏との戦いや重税で苦しめている。キリスト教徒は特に目の敵だ。

「広南が外国に寛大だったのは、遠い昔の話になってしまったようだな」

 天賜が呟く。

「唯一の救いは、死人が出なかったことだな」

 ピエールは言葉を絞り出した。信徒たちは、自分の身だけは守ることができたわけだ。

 だが、

「そいつはどうかな?」

 ジョルジュが冷や水をかけるようなことを言った。そして、ピエールと天賜が彼の方を見ると、黙って足下を指差した。

 ピエールはぎゃっと悲鳴を上げた。天賜は無言で二歩離れた。

 ほとんど骨になった死体が転がっていた。裸だ。素性を探ることはもはや出来そうになかった。

 ピエールとジョルジュはその骨の側に跪き、手を組み合わせて祈った。名前の分からない死者が安らぎを得られるように。

 祈りを遮ったのは天賜だった。

「誰かがいるぞ」

 二人ははっと立ち上がる。天賜と部下が刀を抜いた。ピエールたちも、護身用のナイフをそっと取り出した。

 切り倒されたマングローブの木の向こうで、何者かが動いている。耳をすますと、荒い息づかいまでかすかに聞こえてくる。

 隠れてはいるが、気配を殺すのは恐ろしく下手だ。枝を踏む音がしきりにする。その上、倒木の向こうに隠れられる背丈……。

「子どもか……?」

 ジョルジュも同じことを考えたらしい。木に向かって声をかけた。

「出ておいで! 俺たちは怪しい者じゃない」

 隠れている者は驚いて身じろぎしたようだった。辛抱強く待っていると、やがて恐る恐るそいつの顔が、それから全身が現れた。

 恐怖に目を見開いた。ぼろをまとった少年だった。彼は、立っていたのが二人の西洋人と知らない男だと分かり、後ずさりした。ジョルジュが優しくまた呼んだ。

「おいで、坊や!」

 ジョルジュのコーチシナ語には、少しの訛りがある。どことなくおかしみがあって、子どもたちから好かれていた。そのくせ彼のフランス語は上流階級の人間のように美しい。代々教師の家庭で育ったためらしい。

「何も悪いようにはしやしないよ」

 子どもには笑顔を向けながら、ジョルジュはピエールに囁いた。

「信徒ではないな」

 ピエールもうなずく。クレティアンテに住んでいた子どもなら、西洋人にも慣れているはずだ。

 天賜が、懐から包み紙にくるまれた何かを取り出し、少年に向かって放り投げた。それは倒木に当たって落ちた。少年は興味を隠しきれない様子で包みを拾った。

「あれは何です?」

「飴だ。持ち歩いて、たまに舐めるんだ」

 包み紙を開いた少年が顔をほころばせ、色とりどりのガラス玉のような飴をつまみ上げた。それから、まだ警戒を隠せない表情で、少しずつこちらに近づいてくる。

 側に来た少年の頭を、ジョルジュが乱暴に撫でた。くすぐったそうだが嫌がりはしなかった。だが、まだ全身が緊張で固い。

「ありがとう」

 少年は天賜にぺこりと頭を下げた。

「小僧、名前は?」

 天賜は子どもには優しい。飴は袋ごとくれてやるつもりのようだ。

高文カオヴァン

「おうちはどこにあるの」

 高文は首を振った。

「ない。なくなっちゃった」

「ふむ……」

 ピエールも尋ねた。

「お父さんお母さんは?」

 すると高文は地面の骨を指差した。ジョルジュが鋭く息を呑む。

「……こいつが、殺した。父ちゃんも母ちゃんも」

「そうか……」

 呻くジョルジュが、高文を抱きしめる。高文はきょとんとしている。何故殺されたのか、とはとても聞くことはできなかった。

「それはいつのことかな?」

 高文は指を七回折って数えた。

「それ以来、ずっと一人きりなのか」

 高文はうなずいた。

 ジョルジュがフランス語でピエールに確認する。

「どうする?」

 ピエールは即答した。

「我々が引き取ろう」

 信徒であろうがなかろうが、親を(おそらくは)目の前で殺され、みなしごとなった高文を放っておくことなど決してできない。

「賛成。だが、この子の意思も大事だぜ」

 ジョルジュは膝を曲げ、高文と目の高さを合わせた。

「なあ、行くあてがないのなら俺たちと来ないか?」

 高文は、黒く丸い瞳でジョルジュを見返し、何度も速い瞬きをした。ピエールもジョルジュの隣にしゃがみ込んだ。

「俺はジョルジュ、こいつはピエール。ヘンな顔だって思ったろ? 俺たちは、海の向こうの遠い遠い国から神様と一緒にやってきたんだ」

「神さま?」

 高文が強く反応した。

「龍神さまのこと?」

 龍だ。ピエールはどきっとする。だが今は、代牧や龍のことなど気にしていられない。

「俺たちの神様は、もっと優しくて素晴らしい神様さ」

 ジョルジュは高文に笑いかけた。

「仲良くしようや、な?」

 高文はこくりとうなずいた。


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