3 天賜
ピエールはまず、再び地上に立てたことを深く神に感謝した。だが彼らの目の前には、疑いと侮蔑の目で見下ろすシャムの男たちがいる。牢から出して、怪しい外国人を取り調べるつもりなのだろう。はたまた、一足飛びに殺すのか。
地面に腰を下ろしたピエールとジョルジュは、深呼吸した。熱い空気に、甘い香りが混じっていた。
シャム人たちの中でも、一際身なりの良い男がピエールの前に進み出て、問いかけた。シャム語だ。ジョルジュがピエールの顔を見る。
「通訳してくれ」
ピエールはうなずいた。
「王子について、知っていることを全部話せと」
「何だ、王子って」
ジョルジュが首を傾げるが、ピエールにも分からない。
『我々は、お前たちが王子と結託して反乱に荷担したという証拠を押さえている』
「反乱だと?」
ジョルジュがピエールとシャム人の顔を見比べた。役人たちが一歩二人に近づいた。ジョルジュが慌てだす。
「おい、我々は王子サマのことなんか知りもしないし、反乱に関わったこともないって伝えてくれ」
「えー……長い文を組み立てるのは苦手なんだ」
「何だ、使えないな」
自分だってシャム語が分からないくせに。そう言い返そうとしたが、取り囲む者たちの冷ややかな視線がピエールを固まらせた。
二人がシャム人に捕らえられたのは、ハティエンという港町__コーチシナと、隣国カンボジアの間の要衝をうろついていたからだ。インドにいる同僚たちの目を盗んでこっそり漁師の船に乗せてもらい、二人はコーチシナに戻ろうとしていたのだった。
二人をハティエンまで運んでくれた漁師にわずかなお礼の金を渡し(宣教師は基本的に自分の財産を持たないため皆貧乏である)、持ち出したコーチシナの地図を頼りに東を目指してふらふらとさまよっていたところを、見咎められたのだ。シャムという王国はカンボジアの北西にあるのだが、カンボジアは今シャムとコーチシナ両国の属国になりつつあり、二つの国の役人がカンボジアの各地を我が物顔で闊歩している。
今目の前にいるシャムの役人が問題にしている「王子」は、現在のシャム国王の末弟である。兄に離反してアユタヤの王宮を出奔し、今はカンボジアに潜伏しているらしい。手配書がカンボジア各地に回り、役人たちが血眼になって彼を捜索しているが、まだ王子本人も、数百人いるとされる部下どもも見つかっていない。そこで役人たちが疑いの目を向けたのが、外国人たちだった。虎視眈々とシャムの弱体化を窺っている。コーチシナ人、独自のネットワークと商才を存分に発揮し一大財産を築いた華人、そしてあちこちに拠点を構えてキリスト教徒を増やす西洋人。とりわけ、新しい武器を基地に持ち込み、不可解な言葉を話す得体の知れない西洋人が王子と結びつき、大規模な軍事支援を行うのではないかと恐れている。
「なるほど、それで俺たちが怪しまれているのか」
二人が座っている草むらは、所々濡れていた。見ると、まだ固まっていなお誰かの血だった。その時、役人たちが脅すように大きな刀に手をかけていることに気がついた。ピエールが恐怖する隣で、ジョルジュが脳天気に呟いた。
「まったく、とんでもないことに巻き込まれちまったな」
「お前のせいだからな! これは何度でも言うぞ」
「そう怒るな、おそれるな。神がきっと助けてくれるさ、アーメン」
「天罰あたれ」
役人は二人を質問攻めにした。どこから来たのか? __ヴィランパトナム。何をしていたのか? __コーチシナへ戻ろうとしていた。生業は? __司祭。それを証明できる者は?
「そんな人がいたら良かったのにな」
嘆くピエールをジョルジュが励ます。
「いるさ。案外近い所に。今から俺の言うことをこいつらに伝えろ」
「え?」
「莫天賜だ。ハティエンの領主。彼が俺たちの保証人だ」
役人もピエールも驚いた。
「おい、正気か?」
「勿論。ここに呼んできてもらおう」
莫天賜は__華人でありながら、ハティエンという町を統治する領主である。その名前はコーチシナでも轟いている。
「彼と知り合いなのか?」
「いや、会ったことはない」
シャム人の一人が走って行った。__莫天賜を呼びに行ったのだろう。
「ジョルジュ……どうするつもりだ」
天賜が二人を庇ってくれるとはとても思えなかった。役人が戻ってくるのを待つ間、ピエールは生きた心地がしないまま苛々と足の指を震わせた。
ハティエンで絶大な権力を持つ男である割に、莫天賜はすぐに彼らの元に現れた。贅沢な絹の中華服に包んだ巨体を揺らし、鮮やかな刺繍の靴で、草むらの血痕を踏みつけて。彼はピエールたちを見下ろした。彼が口を開く前に、ジョルジュがコーチシナ語で言い放った。
「私はフランスから来た司祭で、隣の男は次期代牧だ。あなたに一度挨拶しておくべきだと思って、この町にやってきた」
「誰が……!」
反論しかけたピエールの口を強引に塞ぎ、ジョルジュは天賜に不敵な笑みを向ける。
「代牧がコーチシナとフランスでどのような権限を持つか、あなたならご存じと思う。どうか、我々にあなたへの友好を示させてもらえないだろうか?」
それから、天賜の反応を待った。天賜は何の表情も浮かんでいない黒い目でジョルジュの顔を見た。それから、視線をピエールに動かした。
今この男の頭の中で、どんな風に算盤がはじかれているのか、ピエールたちには知る由もない。薄い唇の奥から見える犬歯は残忍そうに尖っているし、奥二重の大きな瞳は先程からほとんど瞬きもせずに二人をくまなく観察している。決して美男でも醜くもない平凡な顔立ちの男だが、油断ならない。
役人たちも、彼を急かそうとはしない。それどころか今も距離を置こうとしているのは明らかだった。じりじりと後ずさりするシャムの役人に、不意に天賜が呼びかけた。
「この人たちは私の友人だ」
ジョルジュはにんまりと笑い、密かにピエールの肩をぶった。ピエールはほっとして、草の上に背中を投げ出した。




