11 ジョルジュとクレインペター
完全に動かなくなった文州の亡骸から、ようやくジョルジュが顔を上げた。返り血を浴びたジョルジュは、無言でピエールの手から刀を叩き落とした。彼のかっと剥いた目は血走っていた。
「ジョルジュ」
ピエールが何か言おうとする前に、ジョルジュは首を横に振った。
ジョルジュがどんな顔をしているか、分からなかった。目には見えているのに、頭の中に残らない。ジョルジュはピエールから顔を背け、清壮を見た。
「これでいいんだろ?」
清壮はやや不満げだったが、それでもうなずいた。他の盗賊たちは呆気にとられていた。
ジョルジュはゆっくりと宣言した。
「体を洗いに行く。井戸があるだろ?」
清壮がまたうなずく。
「好きに使え」
盗賊たちから離れて行くジョルジュを、一拍遅れてピエールは追いかけた。
ジョルジュは井戸の前で服を脱ぎ、井戸から汲み上げた清水を頭から浴びた。赤く染まった水がジョルジュの足下から川のように流れて行った。
水を張った桶の中に衣を浸し、ジョルジュは荒っぽい音を立てて汚れをこすり落とした。
ジョルジュは、もう私を許してくれないかもしれない__惨めな気分でピエールは彼の後ろに立っていた。こんな時なのにジョルジュにかける言葉一つ見つけられない木偶の坊だ。自分がぐずぐずしていなければ、ジョルジュは人を殺さずにすんだのに。
パン、と大きな音が辺りに響いた。ジョルジュが衣の水を飛ばしているのだ。飛び散った水滴はまだ少し色がついていた。舌打ちをして、ジョルジュはまた桶に衣を沈めた。
「ジョルジュ……」
「__これで、分かっただろ」
ジョルジュがくるりと振り向いた。思わずピエールは一歩退がる。
ジョルジュは淡々と言った。
「俺やクレインペターのような人間は、代牧になってはいけないんだ。決して」
ピエールはとっさに首を横に振った。ジョルジュが苦笑する。
「俺は人を殺せる。お前みたいに迷って迷って思い詰めたりしない。自分の命や自尊心の方を大事にできるんだよ」
「それは、私がなかなか殺さなかったせいだ」
ジョルジュは溜息をもらす。
「違う」
「何が違うんだ」
初めてじゃない__とジョルジュは小声で訴えた。
「文州が初めてじゃないんだ。……覚えているか? 福藍が井戸に落ちて死んだこと。カテキスタのジャンが書き置きだけ残して失踪した日。小さな可愛い惇が寝具で窒息死したこと……」
忘れられるはずもなかった。ジョルジュと二人で、彼らの家で葬儀を取り仕切ったのだから。
「皆、俺たちのことを疑ったり、見てはいけないものを見てしまった人たちだ」
俺たち。ピエールとジョルジュのことを指しているのではないことはすぐに分かる。
「お前と、クレインペターか?」
ジョルジュはうなずいた。年の離れた二人が時々一緒に話し込んでいたことを思い出した。
「ピゲルもか」
「あの人は、知っていただけだ。実際に仕事をするのは、クレインペターか……大抵は俺だった。武器弾薬の斡旋、香辛料や鉱物の横流し、取引を拒むコーチシナ人への脅し、勘付いた信徒の口封じ」
吐き気がする。ピゲルもクレインペターも同罪だ。何故ジョルジュを巻き込んだのか。
「いつから、そんなことを!」
「それが、覚えていないんだ」
ジョルジュは井戸の縁にもたれたまま語る。体力のある彼は、支給された聖書や食糧の運搬をよく任されていた。その中にクレインペターが少しずつ自分の商品を混ぜるようになった。何度か盗賊への荷物の引き渡しを頼まれて、不審に思って問いただしたジョルジュを、クレインペターは逆に脅した。
察しの通り、お前が触っていたのは盗賊への売り物だ。このことを他の者に漏らせば、お前も無事ではいられないぞ。コーチシナを永久追放され、フランスに戻れば宗教裁判だ。聖職者にあるまじき悪事に手を染めたのだからな。知らなかったは通用しないぞ。これからの何十年を、失意のどん底で惨めに送りたくないならば__。
「インドに戻ったら、クレインペターをしこたまぶん殴ってやる」
ピエールは叫んだ。
「私が殴るなら文句はないだろう。とんでもない奴だ。司祭失格だ」
「何故?」
「なぜって……」
「俺はクレインペターと同じだ。いや、あいつよりももっと悪い。福藍に、清壮との密会を見られた時……誰に命じられるでもなく、早く殺さなければと思った。福藍は初めて俺たちが説得して改宗させた奴だったのに」
よく覚えている。まだコーチシナに赴任したばかりの頃、布教が上手くいかない二人に話しかけてくれたのが福藍だった。彼はコーチシナ語が下手な二人の話にも耳を傾けてくれて、改宗後はよき学友として三人でコーチシナ語の聖書を一緒に読んだ。
ピエールの表情を見て、ジョルジュはがっくりとその場にへたり込んだ。
「利益のために信徒を殺す司祭って、何だ」
ジョルジュは、力なく呟いた。
うつむく彼を見下ろす形となったピエールは、拳を軽く握った。背後で盗賊たちの話し声が聞こえる。いずれ、二人を呼びに来るのだろう。残してきた高文も心配だった。
清壮が自分に刀を握らせた意図は何となく読めていた。度胸試しをさせたかったのだろう。だがジョルジュが身代わりになった。今まで、何度自分はこうして守られてきたのだろう。自分が清廉な聖職者を気取っている陰で、ジョルジュはやりたくもない仕事をやらされて。
「ジョルジュ」
ピエールは赤い水たまりの上に膝をつき、ジョルジュの肩を揺さぶった。
「私たちは、パリの学校で何を学んだ? 誰のこともお許しになる神の偉大さじゃないか! まさか忘れてないだろう?」
ジョルジュがゆっくりと顔を上げた。
「誰だって、何回でもやり直せる。犯した罪は、絶対に償うことができる」
井戸の水で洗ったばかりのジョルジュの手は、きれいで冷たかった。その手を握りしめ、ピエールははっきりと言った。
「私は、代牧になる」
ジョルジュが息を呑む。
「コーチシナ代牧区を、お前がもう嫌なことを永遠にやらなくていい場所にしてみせる」
ジョルジュは目を閉じて、何度もうなずいた。